ああ、また事が大きくなってしまった。
木刀を振るいながら、俺は胸中に独りごつ。
ただ 今を護る
なんだか厄介事に巻き込まれたと思ったら、いつの間にか街全体が大騒動になっていた。
不本意だけれど、何故か最近、こんなことがよくある。
今回もまた。
気に食わねェ相手とチャンチャンバラバラやっていたら、続々と集まってきた顔見知り。
ヤクザにホストにキャバ嬢に、戦車に乗ってくるカラクリ技師。どいつもこいつもアホばっかりだ。
抗争だ、戦争だと大げさな言葉が飛び交っているけれど。俺達は別に、難しい理由やご大層な信念があってこの場にいるわけじゃない。
ただ、仲間を。街を。
かけがえのない、今を護るために。ひとりひとり刀を手に取った。それだけの事だ。
爆発音がしたのは十五分ぐらい前だろうか。
振り返れば派手に火の手が上がっている。
善良な市民が見たら、一も二も無く警察に通報するだろう。
サイレンが聞こえてこないのは、おそらくここがかぶき町だからだ。
江戸中からならず者が集まってくるこの町では、多少のいざこざがあろうと同心は迂闊に手を出さない。
ついさっきハードボイルドを気取った同心を一人見たけれど、アレは例外だ。
きっと同心としてではなく、かぶき町に縁ある者として戦線に加わっているのだろう。
木刀の血を振るって、微かに眉を下げる。
同心が手を出してこないのは、単純に、かぶき町の荒くれどもに及び腰になっているだけだろうけれど。
小競り合い程度ならばいざしらず。こんな大事に至ってまで、他のどの警察組織も動く様子を見せないのは……何故かと言えば。
……爆発が起こってから五分ほど後の事だ。路地裏でひっそりと周囲を観察している地味な男を見かけたのは。
そいつは俺と目が合うや否や、肩を竦めてスッと姿を消したから。
十中八九、直属の上司に報告に行ったのだろう。
――そう、だから。
この街に、“警察”は来ない。
「連れてけ、って言われた。あのバカども、一緒に戦うって聞かねーんだよ」
小さな居酒屋のカウンターで、武装警察の副長、なんて物騒な肩書きを持つ男と話したのは、いつの事だったか。
出会いから幾年も経って、土方との関係は初対面の時からは想像もできないような方向に転がっていて。一緒に酒を呑むどころか、肌を重ねた事とて既に両手の指では足りない。
足の指まで使えば何とか足りるかもしれない、そのぐらいの付き合いだ。
だけど、あの日に交わした会話は、常のくだらない遣り取りとは違って。
思い返すだに、馬鹿な事を口走っちまったなァと唇が苦く弧を描くのだ。
『……テメーが戦ってる時は、いつもガキどもと一緒だな』
あの日、土方がぼそりと零したそんな台詞にどんな意図があったかは知らない。
問い掛けというよりは独白に近かったそれに、俺が真っ当に応えたのが意外だったのだろう。土方はほんの僅かに眉を顰めてこちらに横目を向けた。
猪口に手酌で熱燗を注いで俺は緩く笑う。
ついでに、隣の猪口にも酒を注ぎ足してやった。
「護るから、信じろ、ってさ」
真っ直ぐに俺を射抜いた眩しい瞳を思い出して、ふ、と口端が緩む。
己よりも随分と年若い少年と少女は、俺などよりもずっと強くて。
いつだって真正面からぶつかってきてくれる彼らに、俺は今までどれほど救われてきたか知れない。
素直に感謝した事など、皆無と言っても過言ではないけれど。
照れを押し隠したようなぶっきらぼうな口調で言えば、土方はさして興味も見せずにクイと猪口を傾けた。
「そーかよ」
「つまんねー相槌だなオイ」
まあ、興味津々に突っ込んでこられたり温かな眼差しで見守られたりしたら居た堪れないこと山の如しだから、この反応は願ったりなのだけれど。
俺のそんな捻くれた性分を悟ったうえでわざと気のない相槌を打っているのだと、分かってしまうからこそ。やけに気恥ずかしくて、俺は土方から視線を逸らした。
ああ、本当に、今まで敢えて口には出してこなかったけれど。
目を閉ざすだけで瞼の裏に浮かぶ、温かな光たち。
新八と神楽……だけじゃない。
俺の背中を護ってくれる人の、なんと多きことよ。
「怖ぇよなァ……」
「…………」
「……わかるだろ?怖ぇんだよ、俺だって」
熱燗呷って吐息とともにぼやけば、隣から帰ってきたのは沈黙。
俺は口元にほんのり自嘲を刷いて、また手酌で猪口に酒を注いだ。ああ、もう徳利が空だ。今夜は思ったよりも酒を過ごしているらしい。
普段なら口には出さぬであろうことを零してしまったのは、そのせいだろうか。
隣の男は未だ黙しているけれど、別にいらえを促すつもりはない。
何も応えずとも、コイツなら、俺の言いたい事を正確に察したはずだから。
例えばコイツにとって。
近藤や沖田は、背中を預けられる仲間だろう。
その信頼は揺るぎないものだろうし、互いに背を預け合って戦う事を、その絆を、嬉しく思っていないはずがない。
――だけど、同時に。
もし近藤が、土方の背を護って、彼の背後で命を落としたりしたら。
その仮定が土方にとってどれほどの恐怖か、俺は容易に想像できる。
近藤を前線に立たせたくない、安全なところで腰を据えていてほしいと思う心だって、少なからずあるだろう。
似た者同士だと揶揄される俺達だけれど。確かにちょっと似てるのかもしれねーな、と、最近になって感じる。
……俺の、恐れを。
理屈ではなく感覚的に理解するのは、たぶんコイツだろうと思うのだ。
怖い、なんて零してしまったのは酔いのせい。
だけど相手がこの男じゃなかったら、俺はこんな与太な本音を漏らしなどしなかっただろう。
背中を護ってくれる人にこんな弱音を零せば。怒らせて、哀しませて、叱られて――そしてまた、支えられてしまうに違いないから。
「……親爺、熱燗追加ね」
ふ、と、溜息とも笑声ともつかぬ吐息を漏らして、俺はカウンターの内側へ徳利を振ってみせる。
己の姑息さにちょっとばかり嫌気がさした。
この怯懦に関して、コイツだけは俺を叱れない。それを知っていて弱音を漏らすのだから、とんだ卑怯者だ。
何も言わぬコイツは、何を考えているのだろう。
悩ませてしまったのだったら、申し訳ないことをした。
そんな話をしてテメェは俺に何を求めてるんだと、苦々しく吐き捨てられても仕方がない。
(……謝るのもオカシイし、とりあえず別の話題にシフトチェンジすっか)
新しい徳利を親爺から受け取って、とぷりと猪口へ。
小さな器から勢いあまって零れた酒がカウンターを濡らした。
「……狡ィ野郎だな、テメェは」
不意に、ぽつり。
隣の男から小さな呟きが聞こえた気がして視線を向ければ、土方は目の前の猪口を見詰めて不機嫌そうに眉を寄せていた。
猪口の中身は、些かも減っていない。
右手の指に挟まれた煙草からは、無為に紫煙がたちのぼっている。
やがて、煙草を灰皿でぐりりと揉み消して。土方は身体ごとこちらへ向き直った。
「いいか、万事屋」
この男も今夜は結構な酒量をきこしめしたはずなのだけれど、口調には少しも揺らいだところがない。
背筋もピンと、伸びきって。瞳孔もカッ開いて。
ああ、俺の好きなコイツの姿だ、なんて暢気に思っていたらば。頭の中を見透かされたのだろうか、忌々しげに舌打ちされた。
そして、土方は言う。
「俺は、お前の戦いに手を出さない」
ひたり、正面から俺の目を見据えて。
「俺は、お前のためには戦わない」
強い眼差しで、冷めた声音で。
「俺は、お前の背中で死んだりしない」
俺の魂の奥深くへ、打ち込むように。沁み込ませるように。
「テメェがどこで命の遣り取りしてようが俺は知らねェ。テメェがどんな戦に首突っ込もうが俺には関係ねェ。俺ァ、真選組副長として戦うべき時しか動かねェ」
すっぱり、斬り捨てるように宣告して、男は憎たらしく口角を上げた。
――ああ、なんて男だ。
俺は不覚にも震えそうになった唇を無理にも動かして、さすが鬼の副長さん、冷てェな、なんておどけてみせた。
まだ長い煙草を灰皿へ押し付けた彼の指が、微かに震えていたのを俺は知っている。
さり気なく刀の柄に置かれた左手の指が、何を耐えて柄巻きに食い込んだのかを分かっている。
ああもう、なんて男だろう。
知っていた。コイツがこんなヤツだってことは、とうの昔に知っていたけれど。
本当に……なんて、優しい男だ。
「俺ァ毎日毎日クソ忙しいんだよ。テメェの喧嘩なんぞにいちいち構ってられるかってんだ」
ハン、と鼻で笑ってみせながら。
柄巻きにギチリと立てた爪を気取らせぬように、身体の向きをカウンターに戻して。
普段より少しだけ乱暴な手つきで新しい煙草を咥えて、火を点けて。
フーッと細く長く煙を吐き出してから。
俺はテメェの喧嘩なんざ知ったこっちゃねェ、そう繰り返して。
……だから。
「どこぞで勝手に戦ってズタボロんなって帰ってきたら、いっぺん面ァ見せに来いや。ザマァねーなって指差して笑ってやらァ」
そう言って、男はニヤリと笑ったのだ。
ドカ、ゴシャ。
鈍い音を立てながら、周囲のザコを叩きのめす。
このケンカも、そろそろ終わりが近い。
幾人倒したかなど分かるはずもなく、俺もさすがに無傷ではない。額から血が流れて目に入りそうで鬱陶しい。
……ったく、事が大きくなっちまった。胸中で再度ぼやいて木刀を握り直す。
此度の騒ぎの中心には坂田銀時がいる、と。
あの地味な監察は、上司に報告したに違いない。
そして鬼の副長さんは「そうか」と頷いて。
テロじゃねェならウチは関係ねェな、なんて嘯いて、軽く手を振って部下を退がらせたのだろう。
それから、他に誰も居ない自室で。
静かに紫煙を吐き出しながら、文机の下で拳を握り締めるのだ。
(――悪ィ、な)
今回も、また。
お前だけを遠くで煩わせて、すまないと思う。
背負うことを諦めきれず、背負われることにも甘んじて。
それでもまだ、その両方を怖いと思っている俺のために。
独りで赴こうとした戦へ歩を並べられて、護ろうとした仲間に護られて。
面映ゆさと心強さを噛みしめながら、失くす事を恐れている俺のために。
大事なもの全部、引き連れていったら。
それは一歩間違えば、帰る場所も、帰る意味すらも失くしてしまうことになりかねなくて。
「ただいま」を言う相手のない戦は、果てしない洞窟を歩むようで苦しいのだ。
俺には、もったいないほど明るくて温かな光がたくさん、傍らについていてくれるけど。アイツらとならどこまでも歩いて行けると思うけれど。
それでも出口の明かりが見えないと、たまに足を止めてしまいそうになるのだ。
そんな臆病な、俺のために。
「共に戦わない」ことを選んだお前に、俺はきっと一生頭が上がらない。
「銀さん!」
「銀ちゃん!」
駆け寄ってきた新八と神楽に、俺は振り返って口角を上げる。
「おう、背中は任せたぜ」
彼らが来たなら、この場は任せられる。
俺はとっとと親玉を潰しにいこう。
大切な仲間を、街を――今を、護るために。
いつだって、自分の往く道に自信があるわけじゃない。
己が正義だなどと思った事は一度もない。
だけど後悔も懺悔も後回し。
ただ、ただ、今を護る。護り抜く。
死なせないし、死なない。血と泥に塗れて襤褸切れのようになっても、生きて生きて生き抜いて。
――そして、お前に指差して笑われにいこう。
たった独り、何も知らないふりで耐え忍んで。
俺の「ただいま」を護ってくれている、アイツのもとへ。
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銀さんの戦いに土方が頑なに絡んでこないのには、絶対に何か意味がある、と、思うのです。
背中あわせで戦う伴侶も素敵だけど、
信じて帰りを待つ、という夫婦も、好き。