妙な夢を見た。
夢の中で銀時は、どことも知れぬ場所に横になって目を閉じていた。
随分長い間、こうしてまどろんでいる気がする…
夢の中だというのに、銀時はそう思った。
そろそろ起きよう、と頭の片隅が訴えれば、いやいやまだ寝ていよう、と心の声が応える。
目を覚ました方がいいのは判っているのだが、目を開けるのが、何故か恐ろしくて。
ずっとずっと、夢と現実の間のぬるま湯のような感覚に浸っていた。
そんな時。
突然、鼻の上を何かに踏みつけられて、銀時は思わず目を開けた。
痛む鼻をさすりながら見渡すと、一匹の黒猫がじっとこちらを見詰め、フイと背を向けたのが、見えた。
あんのクソ猫、と身を起こした銀時は、
そこで初めて、目の前に広がる星空に気付いた。
時折、一つ二つと星を流れさせながら、キラキラと輝く夜空。
今までコレを見逃していたのか、と後悔すると同時に、満点の星に心が洗われて。
こちらに背を向けて星空を見上げている黒猫に対する怒りも、スッと氷解していった。
でも、起こしてくれてありがとう、なんて素直に言えるほど、できた人間ではいないから。
しょーがねーな、銀さんの顔ふんづけたことは水に流してやるよ、なんて偉そうに思って、小さな黒い背中に、近付いた。
すると。
夜空の星を移したかのようにキラリと輝く瞳で振り返った、その猫は。
銀時を見ると瞬時に黒い毛を逆立て、
フーッ、と、それはもう思いっきり、威嚇した。
はァァ!?
多少好意を抱き始めていたところだっただけに、その威嚇は余計に癇に障り。
黒猫に対する怒りはあっさり再燃、どころか二倍にも三倍にもなって燃え上がって、
人間と猫の体格差を忘れ、「大人げ」という言葉すら忘れて、銀時はソイツに掴みかかった。
…そこで目が覚めた。
ゴンッ
「なにやってんすか、銀さん」
身体に衝撃が走って、頭上から少年の呆れたような声が聞こえて。
二三度瞬いて、それからようやく、銀時はソファから落ちたのだと理解した。
…うわ、カッコ悪…っ
「まったく、ソファで寝てるからそういうことになるんですよ」
メガネの少年、新八は、ソファから上半身だけを床に落とした格好の銀時を横目に、洗濯物籠を持って通り過ぎた。
当然、助け起こそうなどという気は微塵も感じられない。
銀時は仕方なく、下半身もズルズルとソファから下ろして、それから身を起こした。
首をコキ、と鳴らし、床に打ち付けたらしい肩をグルリと回す。
「くっそ、あのアホ猫…」
「銀ちゃん夢ん中で猫とケンカしたアルか」
呟きに、向かいのソファから少女の声が被せられた。
そこに軽い侮蔑の響きを感じ取って、銀時は考えるよりも先に否定した。
「バッカおめ、ちげーよ!アレは猫じゃねェよ!夢ん中だから猫の形してただけであって、あれァ…」
そこまで言って、はたと気付く。
…アレ?俺、今何て言おうとした?
あの猫に何を重ねようとした!?
脳裏に浮かんだ人間の顔を、銀時は頭を振って追い出した。
「……いや、やっぱ猫だわ。うん」
「なに訳わかんないこと言ってるんですか」
途端に勢いを失って呟くように言った台詞も、戻ってきた新八に漏れなく突っ込まれる。
コイツ本当に自分の役割に忠実だよなァ、なんて思っていると、今度は明らかな侮蔑の籠った声が投げかけられた。
「やっぱり猫とケンカしてたアルか。動物虐待アル。大人げないネ」
銀時はソファに座り直すと、冷たい目を向ける神楽を睨んだ。
「だーからお前、それは違ェっつってんだろ。ケンカなんかしてねーよ。たださァ、夢ん中で猫に顔踏まれてよ。いや、そんくらいじゃ
怒らねェよ銀さん大人だから。けどその後もずっと俺の目の前に座ってっから、撫でてやろうかと近付いたら威嚇してきやがって」
それにムカついて掴みかかったことは省略して、銀時はブツクサとぼやいてみせた。
すると新八は神楽の横に腰掛けつつ、あははと声を上げて笑った。
「でも猫ってそうですよね。興味がありそうにこっちを見てても、こっちから近付いてくと逃げてっちゃって」
「だよな。意味わかんねーよなアイツらホント」
新八が話に乗ってきたのにコレ幸いと銀時は相槌を打った。
この話題には神楽も共感するところがあったのか、侮蔑の表情を納めて頷く。
「この子なら仲良くなれそうネって思った子に威嚇されると、余計にショックアル」
「そうそう。でもそれも猫の魅力の一つだよね。二度とかまってやるもんかってムキなにったり、逆にどうにか自分に懐かせようって頑張
ったり。そういうのが楽しかったりするんだよね」
「そうアル!最初はちょっとツレないくらいの方が燃えるヨ。恋と同じネ」
「ちょっ、待て待て待てーい!」
突然慌てて会話を遮った銀時に、新八と神楽はキョトンとした顔を向けた。
「どうしたアルか?銀ちゃん」
「どうしたってオメー…」
アレ?なに俺こんな焦ってんだ?
ふと我に返った銀時は、自分の言動の不可解さに狼狽した。
必死に平静を装い、ボソボソと言葉を続ける。
「アレだよオメー…恋愛ドラマとか見過ぎだって…」
銀時の言葉に、新八と神楽は「何を今更」という目をして不審そうに顔を見合わせた。
ヤベーなオイ、コレ絶対変に思われてるよ。そりゃそうだよな…俺にも俺が判んねーよ。
銀時は内心で頭を抱えた。
「あー、神楽。俺今夜出かけっから。遅くなるかもしんねーから、なんなら新八んち泊まりに行けよ」
「え?」
「夜?なんか仕事入ってるんですか?」
こういう訳判んねー時は、酒飲むに限る。そう思って切り出せば、二人は益々不審そうな表情をした。しまった。
「あー、仕事っつーか…自分からの依頼的な…」
「飲みに行くんですね」
明後日の方向に目を泳がせて言った銀時に、新八は眉間に皺を寄せた。
「程々にして下さいよ銀さん、万事屋の財政も苦しいんですから」
「銀ちゃんばっかお店で美味しいもの食べるなんてズルイネ!酢昆布お土産に買ってくるヨロシ」
「わーったわーった。ったく、誰の胃袋のせいで家計が苦しいと思ってんだ…」
ガシガシと頭を掻き回しながら一応承諾すれば、神楽は満足そうに微笑む。
新八は苦笑すると、銀時にもう一度釘を刺した。
「たとえお金があっても、飲み過ぎは駄目ですよ。酔っ払って真剣振り回されても困りますから」
「へーへー…ってオイコラ新八。人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ。俺がそんなバカなことするわけねーだろうが」
そのへんのチンピラのような扱いに、流石に少し憤って銀時は言い返した。
すると、新八は呆れたような顔をして一つ大きな溜息を吐いた。
「何言ってんですか銀さん。覚えてないんですか?アンタこの前、酔っ払って真剣抜いたじゃないですか」
「へ?」
「ホラ、あの花見の時に。武装警察の副長さん相手に」
「……ウソ」
あの花見。も、武装警察の副長さん。も、銀時は確かに思い描くことができた。しかし。
真剣を抜いた、という覚えは全く無かった。
何を隠そう、あの日の記憶は飲み比べの途中から、自販機に頭突っ込んだ状態で目を覚ますまで、スコーンと抜け落ちているのである。
…その空白の間に、真剣を抜いたというのか。いやしかし、そんな。
「え、え?新八君?でもそれってアレだろ?あのキレた不良警官が斬りかかってきて、俺は仕方なく応戦、みたいな感じだろ?」
「違いますよ。銀さんから言い出したんじゃないですか。真剣で『斬ってかわしてじゃんけんぽん』にしようって。二人とも前後不覚で
相手のこともよく見えてなかったから無事で済んだものの、一歩間違えば大変なことになってましたよ」
「………マジでか」
あまりの話に、銀時は軽く蒼褪めた。
え、だって、そんなバカな。俺、何してんの俺!?
確かに最近は、前ほど真剣を使うことに抵抗とか拘りとか無くなってたけど、それにしたって。
「でも僕、銀さんがあんなムキになって喧嘩してるの初めて見たかもしれないな。自分から真剣なんて言い出して、ものすごい速さの抜き打ち
とかしたりして」
「ぬ、抜き打ち?俺、斬ったの?」
「ええ。もちろん副長さんじゃなくて、そのへんの木でしたけど。あの時の銀さんは相手を峰打ちにしたつもりだったみたいですね。まったく
危ないったら」
「…………」
銀時は黙って頭を抱えた。
これは、新八が晩酌にいい顔をしないはずだ。
うー、と呻くような声を上げてから、銀時は上目でちらりと神楽を覗った。
「神楽、お前も見てたのか?」
「私は知らないアル。ずっとあのサドガキの相手してやってたネ」
「サド…?ああ」
そういえば、神楽と互角に張り合っていた少年がいた気がする。その辺りの記憶はまだかろうじてある。
夜兎の神楽と対等に渡り合うなんざ、大したガキがいるもんだと思ったのだ。あの時はその正反対のことを口にしていたような気もするが。
神楽は、この地球では自分の力を抑えるのに必死だ。本気で張り合える相手がいて、きっと嬉しかったのだろう。花見の間ずっと争って
いたとは…銀時は苦笑した。
そうだ。まだ十五に満たない神楽だって、本気を出すには相手を選んでいるのだ。
いくら酔っ払っても、自分がそうそう誰彼かまわず真剣を振るうはずはない。自分の自制心はそこまでイカレていないはずだ。
銀時は唐突に自信を取り戻して、ホッと一息吐いた。
だがしかし。
そうすると今度はまた、別の問題があるのだ。
「銀ちゃん?」
「銀さん、どこ行くんですか?」
ふらりと立ち上がって玄関へ向かい始めた銀時に、新八と神楽は驚いて声をかけた。
あーちょっとその辺、とだけ答えて、銀時はブーツを履く。
何故、自分はあの「副長さん」に、真剣を抜いてしまったのだろうか。
酔っ払いの俺は、アイツを選んだというのだろうか。
神楽が花見の間ずっと、あの「サドガキ」くんと火花を散らしていたように。
口では何だかんだ言いつつ、心のどこかでまたあのガキと戦いたいと思っているらしい彼女と、同じように。
…………
ったく、バカ言ってんじゃねーっつーの。
銀時は玄関をくぐり、ぶらりとかぶき町の通りを歩き始めた。
「ねェ神楽ちゃん、最近の銀さん、変じゃない?」
「銀ちゃんはもともと変だけど、最近輪をかけて変アルな」
銀時の出て行った玄関を見やりながら、新八と神楽は顔を見合わせて肩をすくめた。
一方は、己を仕事に埋没させながら。一方は、町をあてどなく歩きながら。
相手に抱いていた幻想が破られてショックを受けた、とか。
その一方で、対等に接せられるのを嬉しく感じている、とか。
好意を抱きかけていたところに突っかかられてショックを受けた、とか。
それで返って、余計に気になり始めている、とか。
ナイナイ、ナイ。断じて、ナイ!
つーか、あり得ねェから!!
--------第十七.五訓、完
やっとスタートライン。