寺門通の初ライブ会場は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
暴れていた天人は取り押さえられ、お通も無事。深刻な傷を負った者はいないという知らせに、逃げ散った客も胸を撫で下ろし、再び 会場に集まり始める。
ライブが時間を置いて再開されるとの知らせもあり、ざわめきに含まれる声は恐怖や恐慌から期待と高揚に取って代わられていた。

「見てかねーのか?ライブの続き」

会場の入口を少し離れた壁にもたれて、銀時は横に佇む男に中年の声をかけた。
男の格好は灰色一色の上下にスリッパという、ライブ会場にはおよそ不似合いなものであった。

「ふん、もう充分だ。約束も護ったしな」

腕で乱暴に涙を拭ったその男は、娘の初ライブに花を届けるためだけに牢を抜け出した、酔狂な男だった。
銀時は成り行き上、その酔狂に手を貸すことになったのだ。

「俺ァもう帰るわ。今度は胸張って出てきてェし、捕まる前に自分で帰らねェとな」
「そりゃあ、捕まるより自首した方が心証いいもんなァ。頑張れよ」
「バカヤロー、若僧に言われるまでもねェってんだよ。…じゃ、迷惑かけたな」

奪ってきたパトカーに向かって歩き出したその背中を、銀時は笑みを浮かべて見送った。

「銀ちゃーん、こんなトコで何してるアルか?」
「ああ?何でもねーよ。お前こそ今までどこで何してたんだ?」
「新八達と一緒に、変態天人ふん縛って会場の外に運び出してたアルヨ」
「あっそ、ごくろうさん」

銀時は興味なさげに応えると、一つ大きく欠伸をした。
そこへ、青い法被を着た新八が走り寄ってきた。

「銀さん、お通ちゃんのライブ、一時間後に再開されることになりました。見て行きませんか?」
「あん?いいよ俺は。神楽、帰るぞ」
「えー?私見ていきたいやきのしっぽ」
「普通に喋れ!意味わかんねーよ!それに俺はしっぽよりも頭がいい!」
「アンタの方が意味わかんないですよ」

新八はやれやれと溜息を吐き、肩をすくめた。
どうやら銀さんにはお通ちゃんの魅力が判らないらしい。ま、こんなただれた大人にはお通ちゃんのピュアな輝きは眩しすぎて目に入らない に違いない。それはそれで仕方がないことだろう。
じゃあ僕は会場整理の手伝いがあるんで、と踵を返そうとした新八を、サイレンの音が遮った。
会場の近くにパトカーが止まったらしい。

「なんだァ?」
「ああ、会場の騒ぎを通報した人がいたみたいなんで、それで駆けつけてくれたんじゃないですか」
「今頃かよ。遅ェっつーんだ」
「まったくアル。近頃の警察はホントたるんでるネ」

三日に渡る取調べの忌々しさが蘇って、銀時と神楽はパトカーに非好意的な視線を送った。

「また不当逮捕されてもかなわねーし、もう行こうぜ」
「しょうがないアルな」

殊更大きな声で言うと、銀時は歩き出した。神楽も渋々それに随う。
新八だけがそこに留まった。

「僕はお通ちゃん親衛隊長としての責務がありますから、残りますね。」
「ケーサツに難癖つけられても知んねーぞ?」

チラリと振り返った銀時を見て、よっぽど根に持ってるんだな、と新八は苦笑した。
それでもどうせ、一晩寝たら尋問官の顔も忘れてるんだろうけど。

「大丈夫ですよ。僕は何も悪いことしてないんですから」
「アイツらは何もしてなくても難癖つけてくるアルヨ」
「そうかもしれないけど、堂々としてれば大丈夫だって。ほら、テロリストの嫌疑も最終的には晴れたじゃないですか」

おかげでお通ちゃんのライブに来れたんだし。警察だって無闇に逮捕してるわけじゃないですよ。きっと。
そう言うと、銀時はまだ不満そうに顔を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。

「そういえば、誰だったんでしょうね。僕らの無実を証言してくれた人って」
「知るかよ。じゃあな」

銀時はもうその話題には興味がないようで、一言で片付けて歩き出した。
新八は呆れたようにその背中を見送ってから、鉢巻を締めなおして気合を入れた。

(さァ!お通ちゃんのライブ、絶対成功させるぞ!!)




山崎の運転するパトカーから降りた土方は、会場横に停まっているパトカーに目をとめて眉をひそめた。

「んだ?もう誰か来てんじゃねェか。見廻り組か?」
「あれ、本当ですね。…なんか、会場も落ち着いてるみたいだし、もう鎮圧されたのかな?」
「…人を呼び出しといて、結局自分達で解決かよ。ったく、なんなんだ」
「あ、今、パトカーに誰か乗り込みましたね。聞いてみましょうか」

二人は停車中のパトカーに歩み寄り、窓を叩いた。
すると予想外なことに、中から出てきたのはどうみても囚人服にしか見えない服を着た、一人の中年男だった。

「ちっ、見つかっちまったか」
「……お前?」
「すまねェなお巡りさん。俺は今、自分から帰るとこだったんだ。自首ってことにしてもらえねェもんかね」

そう言って両手を揃えて前に出した男に、土方と山崎は顔を見合わせた。

「…お前、ひょっとして脱獄囚か」
「ああ。…?あんたら、俺を捕まえに来たんじゃないのか?」
「生憎だが別件だ。…山崎、とりあえずコイツに手錠」
「あ、はい」

山崎は慌てて手錠を取り出すと、男の手にはめさせた。
こんなところで脱獄囚に会うとは思っていなかったが、手錠を携帯していてよかった。これで持ってなかったら、副長にボコボコにされる ところだ。

「俺を捕まえに来たんじゃないなら、何でこんなところにいるんだ?」
「それはこっちの台詞なんだがな…。食恋族はどうした?山崎、見廻り組に連絡」
「は、はい」
「ああ、あの天人が通報されたのか。アレならもう取り押さえられたぜ」
「どういうことだ?山崎、会場見て来い」
「ええェ!?どっちを先にやれば!?」
「何のために携帯電話があると思ってんだコラ」
「わかりましたよ同時にやりますよ!」

山崎は携帯を耳に当てつつ、会場内へと走っていった。
それを見送りつつ、何分以内に戻ってこなかったら切腹にしようかと考えていると、脱獄囚の男の声が耳に入った。

「親衛隊だよ」
「ああ?何だいきなり」

ギラリと睨むと、男は心外そうに口元を歪めた。

「アンタが聞いたんじゃねェか、どういうことだって。お通の親衛隊のヤツらと客が、暴れてた天人をノしたんだよ」
「………へェ」

土方は意外な事態に少し目を見開いた。
アイドルの親衛隊。そんな軟弱なヤツらに、食恋族をノすような力があるとは。
食恋族の身体は、度胸だけで打ち負かせるような柔な造りではないはずだ。
それなりの戦闘力がなければ太刀打ちできない。だからこそ、平隊士に丸投げせずに副長自らが足を運んだのだ。それなのに。
無駄足踏ませやがって、と怒るより先に、アイドルの親衛隊なんぞにそんな腕の立つ者がいることに興味をそそられた。

「副長!」

脱獄囚に詳しい話を聞こうかと口を開きかけたところへ、山崎が走って戻ってきた。

「見廻り組に連絡付きました。それと、食恋族は既に取り押さえられていました」
「それはもう聞いた。もっと詳しく話せ」
「天人を取り押さえたのは親衛隊と、その関係者らしいです」
「それも聞いた」
「え。えーと、縛られた天人を確認してきましたが、確かに食恋族でした。身長3m超の成体で、相当な腕力があると予想されますが、 気を失っています。首筋辺りにキレイに決まった打撲痕があったので、それが失神の原因かと。痕からしておそらく得物は木刀でしょうが、 見事なものでした」
「…そうか」

木刀。剣術使いか。それほどの使い手なら、一つ手合わせ願いたいものだが。
しかしアイドルの親衛隊がねェ…
イマイチ信じがたくて、土方は首を傾げた。偏見だろうか。

「副長、取り押さえられてるのはいいんですが、あの巨体ではパトカーに収容できませんよ。どうします?」
「入国管理局に連絡しろ。俺達はこの男を署まで連れて行く。…自首ってことでいい」
「ああ、すまないな」
「わかりました」

山崎は携帯を操作しつつ、自分が運転してきたパトカーに乗り込んだ。
土方は後部座席に脱獄犯を乗せ、自分は助手席に座る。
連行する犯罪者を後部座席に一人にするなど普通は考えられないが、この男はいいだろうと土方は判断したのだ。
男もそれを感じ取ってか、清清しい笑みを浮かべて座席に腰を落ち着けた。

「入国管理局の連中、すぐに身柄を引き取りにくるそうです」
「そもそも食恋族なんて厄介な種族が野放しで歩き回ってんのがおかしいんだ。どうなってんだあそこの仕事は」
「あそこ、確か局長が代わったばっかりですよね。それで色々ゴタゴタしてんじゃないですか」

舌打ちをする土方に、山崎が苦笑してフォローを入れる。

「何でも、前の局長が天人の皇子を殴って首になったとか…。ここは侍の国だ、とか言って。あそこにも根性ある人がいたんですね」
「…ふん、侍の国、か…」

この世界の現状がそんなことを言ってられる状態ではないことは、幕臣である土方には身に染みて判っていた。
だがしかし、だからこそ、そんな言葉を口にできる人物が入国管理局を辞めさせられたのが惜しかった。

(でも、まァ…)

土方は窓の外に目を向けた。会場に再入場する客を整理する青い法被の集団が見える。あれがおそらく親衛隊とやらだろう。
その姿は使命感に満ちて、エネルギッシュだった。

でもまァ、自分の筋を守るためにしたことだったら、クビになってもきっとその人は後悔していないのだろう。
市井に落ちても、「侍の国」を護ることはできる。
あの青法被の男達が、大切な人を護ったように。

土方は、「親衛隊なんぞ」という認識を改めた。
考えてみれば自分も、局長である近藤と、彼の作った真選組を護るためだけに刀を振るっているのだ。
同じにされるのは何だか少しイラッとくるが、きっと同じようなものだろう。
食恋族を倒した太刀筋は見事だったと山崎は言っていた。
迷いのない剣は強い。
その親衛隊の男は、きっと迷いなく、自分の大切なものを護っているのだろう。
魂を輝かせて。

そこまで考えて、土方はピクリと顔を歪めた。
不愉快なことを思い出したからだ。
池田屋で会った男。
魂を一瞬だけ輝かせて、すぐにその光を隠した妙な男。
まるで喉にひっかかった魚の骨が、取れた後もそこにあるような気がしてならないように、土方はそいつのことが気にかかっていた。

急にムカツキ出した腹を静めようと、土方は煙草を取り出した。
しかし、ライターが見付からない。
そういえば山崎に投げつけて拾ってなかった、と、土方は気が付いた。

「副長?出発しますよ?」
「山崎、火」
「えェ?持ってませんよ!」
「なんで持ってねェんだコラ」
「そんなこと言われたって、俺は煙草吸いませんし!」

山崎に八つ当たりしてみても、無い袖は振れない。殴れば火花ぐらい出るかもしれないが、多分それでは煙草に火は付かない。

「……チッ」

諦めて煙草をしまった土方だが、どうにも口寂しくて舌打ちをした。
苛々する。ムカツキが収まらない。
土方の不穏なオーラに、山崎は怯えつつも車を発進させた。

「おいアンタ、口寂しいならコレでも食うか?」

ふいに、後部座席から手錠のはまった手が差し出された。
その手には、ガムが一枚乗せられている。

「なんだテメェ、その歳になってこんなガキみてェなもん食ってんのか?」
「いや、もらいもんなんだけどよ。俺は食わねェっつったのに渡されたもんで」
「…へェ」

(オッサァァン!アンタ何てことをォォ!)

山崎は車を運転しつつ、鬼の副長を知らない男の命知らずな行為に胸中で頭を抱えた。
土方は甘い物をあまり食べない。苛立っている彼にガムなど渡しても何の効果もないどころか、下手すりゃ逆効果だ。
今彼の気持ちを静めるものがあるとすれば、それはマヨだ。マヨネーズしかない。

「…もらっとく」
(えェェ!?ウソォォォ!?)

山崎の内心の動揺をヨソに、何の気まぐれか、土方はガムを受け取った。
そしてよっぽど口寂しかったのだろう、すぐに包装を剥き始めた。

マズイ。これでそのガムが予想以上に甘かったりしたら、土方の機嫌は確実に落下する。
どこかでコンビニによってマヨを買うか、と、山崎は半ば本気で考えた。

ガムを口に入れ、土方は顔を顰めた。

「………甘ェ」

なんだこの甘さ。本当にガキ向けか。
土方は数回噛んだだけで甘みに耐えられなくなって、ガムを吐き出した。
吐き出してなおも、口の中に甘ったるい味が残る。
土方の眉間にぐっと皺が入った。
ムカツキが晴れない。
喉の魚の骨が、甘ったるい後味に姿を変えただけだった。
どっちかというとこっちの方が質が悪い。

土方は少しでも甘い香りを逃がそうと、長い溜息を吐き、目を閉じた。
もういっそ強引に寝てしまうことにしたのだ。二晩連続の徹夜明けだ。よく眠れるはずだった。


押し黙った土方の隣で、山崎は車を運転しつつ、必死でコンビニを探していた。




--------第六.九〜七.一訓、完