八〜八.一訓(近藤ストーカー騒動裏)
冬の気配が色濃くなり始めた或る日の昼。
執務室で煙草をふかしつつ、真選組副長土方十四郎は不機嫌だった。
不機嫌の理由は幾つでも挙げられる。
一つ、宿敵の攘夷浪士・桂小太郎の行方が一向に掴めない。
池田屋への手入れから上手く逃げて以来、すっかり鳴りをひそめている。
一つ、最近宇宙海賊が不穏な動きを見せているのに、上から捜査許可が下りない。
地球上で何か被害が出てからじゃ遅いというのに。どうせロクでもない利権がらみだ。
一つ、脱獄犯の護送ついでに警察所を訪ねたら、タダもんじゃないと目を付けていた被疑者が釈放されていた。
しかも土方の報告書を読んでの判断だってんだから、署の連中との価値観の違いには毎度頭を抱えさせられる。
一つ、ムカつくからとりあえず山崎を殴ろうと車に戻ったら、いつの間に買ったのか愛飲の煙草1カートンと百円ライター、そして
マヨネーズを差し出された。
山崎のクセに人の機先を制しやがって。おかげで殴り損ねた。
一つ、ここ最近、局長である近藤の姿を屯所内で見かけない。
おかげで溜まった仕事を副長の自分が必死で片付けるハメになっている。何か気になることがあって個人的に捜査でもしているのなら、
一言ぐらい自分に相談してほしいものだ。
(…あの人ァ)
土方は煙草の煙を細く吐き出した。
真選組局長の近藤は、普段から副長たる土方に多くを相談し、任せてくれている。偶にやっかいな仕事もやらされたりするが、それも
含めて信頼の証だと土方は思っていた。
しかし、自らが大義を見出せないようなことには、近藤は人を巻き込もうとはしなかった。
自分個人の問題に真選組を引きずり出すようなことはしない。彼はそういう大将なのだ。
立派だ、と土方は思う。
しかし同時に、
(水くせェよなァ…)
とも思うのだった。
土方と近藤は、真選組が形になる前からの付き合いだ。沖田も含めて三人、親友とも悪友とも言える間柄である。
個人的な問題だろうと、もっと気さくに相談してくれりゃいいのに、と、土方は自分のことは遥か遠くの棚に放り上げて考えた。
これをもし沖田あたりが聞いていたなら、
「自分は一人で抱え込むくせに他人には相談してほしいなんて、傲慢ってやつでさァ」
などと言ったかもしれない。続けて、
「お悩み相談員に憧れてんなら、俺が相談してあげますぜィ…職場の上司が目障りなんでさァ、死んでくれよ」
とかいうオマケが付きそうだ。土方はつい想像してしまって、ますます不機嫌になった。
煙草を灰皿に押し付けて、机に積まれた書類の束から一枚を抜き取る。
他愛も無い事件の調査報告書だ。先程土方がチェックを済ませたところだから、不備はない。不備はないのだが、上に提出するには近藤の
判が必要だった。
副長がどれだけ頑張っても、局長の仕事は決してゼロにはならないのだ。
あの人と自分とでは、存在の重要度が全く異なる。
土方は本気でそう思っていた。こればっかりは、沖田も諸手を挙げて賛成してくれるはずだ。
近藤は偶に思考がバカだったり、発言がバカだったり、行動がバカだったりするが、ウチの大事な大将だ。
真選組にとって唯一無二の、欠けてはならない魂なのだ。
その近藤の悩みならば、どんなにくだらないことでも相談に乗るのに。
…いや、本当にくだらなかったら呆れてしまうかもしれないが。
それでも愚痴ぐらいは聞くのに。
(今頃どこで何してんのか…)
土方は煙とともに溜息を吐き、立ち上がった。
「あの人、本当〜にどこにでも出現するんですね」
半ば感心したように、新八は呟いた。
その目線は、足元の橋の下を流れる川面に向いている。
つい先程、姉のストーカーがそこに沈んでいったのだ。
「でしょ?ホント異常なのよ。もう鬱陶しいったらないわ」
新八の姉、お妙は軽く両手を払いつつ眉をひそめた。
身長が180cmを越える男を橋下に投げ飛ばした人のものとは思えない、落ち着いた口調だった。
(普通ここまで付きまとわれたら、鬱陶しいというより怖いって思うんじゃないのかなァ…)
新八はそう思ったが、声には出さなかった。彼の姉が「普通」とは程遠い存在であると知っていたからだ。
そして、その彼女に何度も腕尽くで追い払われてなお付きまとい続けるあのストーカーも、並大抵の人間とは言えないだろう。
果たして本当に恐ろしいのはどちらだろうか。姉の乱暴か、ストーカーの執念か。
…まァ世間一般でどちらが恐ろしいと認定されようが、新八が今現在最も恐ろしいのは姉の不機嫌だった。
早く解決しなければ、こちらにもとばっちりが来る。
「姉上、早く銀さんに相談に行きましょう。あの人が浮かんでこないうちに」
運の悪い人間なら二度と浮かんでこられないような打撃が加えられるのを新八は見ていたが、あのストーカーが浮かんでくることは疑いなか
った。新八はここ数日でそれを学んでいた。
「そうね。銀さんに何とかしてもらいましょ。こんな時ぐらい役に立ってもらわないとね」
お妙は何事もなかったかのようにスタスタと歩き出した。橋下にはもう目も向けない。
新八はその後を追いかけようとして、ふと、擦れ違った人影を振り返った。
開国から20年経った今でも、まだ珍しい全身洋装。
黒ずくめの背中。腰には刀。廃刀令の御時世に堂々と帯刀しているということは、公務員だろうか。
警察?そうだ、あの制服は警察じゃないのか?池田屋で見たおっかない人達の格好によく似ている。
「ねェ姉上、やっぱり警察に相談しませんか?今擦れ違った人、警察じゃないかな」
小走りに姉に追いついて声をかけると、お妙は振り返って首を横に振った。
「ダメよ新ちゃん。見なかったの?あのストーカー帯刀してたでしょ。ゴリラのくせに幕臣か何かなのよ。一度お巡りさんに職質されてたのに
結局ストーカー行為は続いてるんだから、きっとそれなりの権力がある人なんだわゴリラのくせに」
「ゴリラのくせに二回言ったよ。え、てことは警察に相談しても無駄なんですかね?」
「たぶんね。だから銀さんに相談に行くんでしょう?」
「そうか…じゃ、急ぎましょうか」
お妙と新八は並んで橋を渡りきると、もはや振り向きもせずに歩き去った。
大股で橋を渡りきった土方は、苛々と煙草のフィルターを噛み締めた。
気にくわない。
何が、と言われれば明確な形はないのだが、諸々の事が複雑に混ざり合って、とにかく土方は不機嫌だった。
見廻りもかねてかぶき町に顔を出したら、新種の麻薬の噂を耳にすることができた。
まだそれほど広まってはいないらしいが、流行り出すのは時間の問題だという。
麻薬の密売には、間違いない、宇宙海賊が絡んでいる。
土方の胸にわだかまるものは二つあった。
一つ。ここまで掴んでいるというのに、大々的な麻薬密売捜査ができない。上が何だかんだと言って邪魔をしてくるからだ。
「そんな管轄外のことをしている暇があるならさっさと桂を捕らえろ」と言われてしまっては、こちらは黙るしかない。
そしてもう一つ。もしかして、と思って調べてみたのだが、近藤が極秘に麻薬捜査をしているという情報は手に入らなかった。
どうやら近藤の外出とこの件は無関係であるらしい。じゃあウチの局長は最近何を気にかけているのか。
副長たる土方でさえ、予想も付かないような事が動いているのか。
(近藤さんの考えることぐれェ、判ると思ってたんだがな…)
土方はちょっと落ち込んで、今日何度目になるか判らない溜息を吐いた。
局長がこんなに頻繁に、しかも行き先も告げずに屯所を出るなど、それ相応の事態が起こっているとしか思えないというのに。
何故、自分には何も言ってもらえないのか。
公にしたくないような問題なのだろうか。自分は秘密ぐらい守るのに。
他人を巻き込みたくないというのか。自分は近藤のためならば全身全霊を賭けられるのに。
信頼…は、してもらっているはずなのだが。どうして。
近藤が屯所に不在がちになったのは、先のターミナル爆破テロ阻止の任務が終わってからだ。
ずっと警察本部に詰めていた彼が屯所に戻ってきて…その翌日から、だっただろうか。
屯所に戻ってきた日は何やら落ち込んでいた様子だったし、その夜は一人で飲みに行ったようだった。
…本部で松平のとっつぁんに、何か言われたのだろうか。
真選組の行末に関わることでも。
だったら尚更、相談してほしいのに。自分では力不足なのだろうか。
一瞬、近藤の燦然と輝く魂が自分から遠く離れていく様を想像して、土方は苛立った。
近藤と真選組の行く道を遮る何かがあるなら、自分がぶった斬る。ずっとそう思ってきたし、今もそれは変わらない。しかし。
土方は煙草をくわえて火を付けた。
口の中に広がった嫌な味を消すためだ。
遠くの強い輝きを掴もうとして掴めない自分を想像する時…自分の力不足を思う時…
土方は最近決まって、口の中に妙な甘ったるい味を感じるようになっていた。
原因は判っている。
池田屋で時限爆弾が爆発した時、呆けて何もできなかった自分。
一瞬だけ目に光を宿して爆弾を処理し、正体を掴ませずに消えた男。
喉元にひっかかったその存在が腹をムカつかせるのを静めようと、煙草代わりに噛んだガムが原因だ。
ひどく甘ったるく、不快な味だった。
結果として、今でも後味が残っている。最悪だ。
土方は深く、肺を一杯にするつもりで煙を吸い込んだ。
口から甘い香りを追い出して、歩調を速める。
まァいい。近藤のことは今考えてもどうしようもない。きっとそのうち、向こうから話してくれるだろう。そう信じる。
とりあえず今は、海賊船が密航する港に当たりを付けておこう。
麻薬売買の取引方法も、できれば押さえておきたい。
上から許可が下りたらすぐに取り締まれるように、今できることをしておかなければ。
土方の仕事は山とあった。
「あーあーあー、もったいねェなァ…」
銀時は厠の狭い個室の中で、足元に散らばる木屑を眺めて呟いた。
細かい木片は、彼の左手にある木刀から削り取られたものだった。
一見何の変哲もない木刀だが、よく見ると持ち手の近くに深い切れ込みが入っている。
慎重に腰に挿さねば。乱暴に扱えば今にも折れそうだった。
「結構高ェんだけどなーこの木刀。また通販しねーとコレ」
はー、と、銀時は溜息を吐く。
我ながら、どうしてストーカー相手にここまでして、と思う。
彼がこれから決闘することになってしまった相手…お妙のストーカーとやらは、確かになかなか腕が立ちそうだった。
しかし、卑怯な手を使わなければ勝てないというわけでもないのだ。多分。
ならどうして自分は、愛用の木刀を犠牲にしてまで相手を罠にはめようとしているのか。
答えは簡単。
そんなに悪いやつに思えなかったからだ。あのストーカーが。
互いに本気の勝負をしたら、誰かが必ず、何か大切なものを失う。
命か。矜持か。人生か。
銀時が負けたらお妙が困ったことになるが、勝ったら勝ったで、あのストーカーが何かを失うことになるだろう。
あいつがもっとどうしようもない、悪役丸出しのムカツク野郎だったら遠慮なくぶっ飛ばしたのだが…
あのゴリラは顔に似合わず、ストーカーという行為にも似合わない、真っ直ぐな目をしていた。
背中に何か大切な、大きなものを背負っている。そんな目だ。
その大切なものが何かは知ったこっちゃないが…まァとにかく。
「誰にも何も失わせねェためには、コレしかねェよなー」
俺は愛刀を失うんだけどね。理不尽だよねコレ。
ぼやきつつ、個室の戸を開けて外に出る。
「成仏しろや洞爺湖。金が溜まったらすぐ生き返らせてやっから」
あーなんかコレ仲間にメガンテしてくれと説得してるみてェだな、などとくだらないことを考えながら、銀時は決闘の川原へと足を向けた。
「…チッ」
日暮れの街を歩きながら、土方は舌打ちして新しい煙草に火を付けた。
黒い噂がある港にまで足を延ばしてきたが、さしたる収穫はなし。
まだ大して流行っていない新種の麻薬は情報も少なく、土方が単独で捜査するのは限界があった。
かといって大々的に隊士を動かせば、捜査してるのが上にバレるし。
どーすっかな、と、屯所への帰路を辿りつつ煙草をふかす。
市民から被害の報告もないのだから、しばらく放っておけ、と上は言う。お前らは他にやることがあるだろう、と。
だが、被害が出てからでは遅いのだ。
被害が出る前に犯罪を事前に防ぐのが、本来の警察の仕事のはずだ。
事を収めることではなく、事を起こさないことこそが肝要なのだ。
(そーだよ俺達はそうやって働いてんだよ。だから暇そうに見える時ほど忙しくしてんだよ)
行く先に橋が目に入って、土方は顔をしかめた。
今日、行きにこの橋で「警察は当てにならない」みたいな言葉が聞こえてきたのを思い出したのだ。
まったく腹立たしい。
(お前らにそうは見えなくてもなァ、俺達はちゃんと働いてんだよ!)
市民に見えないように働くのが本分。警察など目立たないにこしたことはないと、判っている。判ってはいるのだが。
理不尽な思いが拭えない。
こっちは睡眠時間や肺の健康や、その他色々なものを犠牲にして江戸市民を護っているというのに…
「大いなる犠牲を払って全て丸く収めてやったっつーのによォ、なんだよこの扱いは」
(全くだ…ん?)
自分の気持ちに呼応したような台詞が背後から聞こえた気がして、土方はふと顔を上げた。
橋にさしかかっていた足を止めて振り返るが、夕暮れの雑踏の中、誰が言ったなど判りはしない。
(…気のせいか?)
再び歩き出そうとして、橋の上が何やら騒がしいのに気が付いた。
片側の欄干に集まって、川原を見下ろしているらしい。
「オイオイ、何の騒ぎだ?」
「エエ、女とり合って決闘らしいでさァ」
制服姿の土方の問いかけに、野次馬の一人が振り返って答える。
土方は眉を顰めた。
「女だァ?くだらねェ、どこのバカが…」
こちとら市民の平和のために奔走しているというのに、当の市民は惚れたはれたで喧嘩かよ。
土方は苦々しく胸中に呟くと、バカの顔を見てやろうと欄干に近寄った。
「あ」
非常に残念なことに。
そのバカに、土方は見覚えがあった。
「近藤局長…」
何故。
「オイ、決闘って、あの人が負けたのか?相手は?どんなヤツだ!?」
突然矢継ぎ早に問いを投げかけてきた土方に面食らって、野次馬の男は一歩下がった。
「い、いえ、俺も一部始終見てたわけじゃないんですけどね、なんか相手の男が汚ねェ手使ったらしいでさァ。白髪みてェな銀色の髪
した侍なんですがね、侍の風上にもおけねェって、勝った後に仲間にボコられてましたぜ」
「汚ねェ手…?」
信じられない。土方は瞠目して、仰向けに倒れている近藤に目を遣った。
卑怯な手を使われたというのなら、近藤はまず確実に引っかかるだろう。彼は人を疑うということをしない男だ。
しかし、そんなお人よしがどうして今まで生き残ってこれたのかと言えば、それは彼の強さ故だった。
罠にはめられようが、その罠ごとぶった斬れる強さが彼にはあるのだ。
その彼が決闘で負けるなど。
たとえどんな手を使われたとしても、信じられない。
「近藤さん!」
土方は欄干を乗り越えて川原に跳び下り、近藤を助け起こした。
完全に気を失っている、が、どうやら決闘に真剣は使わなかったようだ。斬り傷はなく、命に別状はない。
土方はとりあえずホッと息を吐いた。
しかし、女って。
安心したところで決闘の理由を思い出して、土方は暗澹たる気分になる。
どういうことだ。
まさか、ここ最近屯所に不在がちだったのは、その女とやらが原因なのか?
いやまさか、そんな。
信じたくなくて否定してみても、どうにも否定しきれない。
本部から戻って来た日に元気なかったのは、松平のとっつぁんに奥さんや娘の話をさんざん聞かされたから…とか。
その夜に飲みに行ったのは、女にモテない自分を嘆くため…とか。
翌日から屯所を留守にしがちなのは、外にイイ人ができたから…とか。
ああ。
全てに説明が付いてしまって、土方は頭を抱えた。
(勘弁してくれよ…近藤さん…)
嘆けども、その事実が消えるわけではない。
土方は嘆息して、近藤の肩をかついで立ち上がった。
とにかく、屯所に帰って手当てしなければ。
(近藤さんのこんな姿、隊士には見せらんねェな…気付かれないように屯所に入らねェと)
どこからどう入れば隊士に見付からないか、屯所の間取り図を思い浮かべながら、土方は帰路に着いた。
近藤の部屋の前で沖田に見咎められて、開口一番
「あーあ土方さん、副長の分際で局長殴り飛ばしたんですかィ切腹ですねィ俺が介錯してあげまさァそこに座れや」
と言われた土方がキレて事の顛末を喋ってしまうのは、もう少し後の話である。
ーーー第八〜八.一訓、完