『先生、好きなんだ。俺と付き合って』
初めにそう言われた時、正直なところ、俺はその生徒に恋愛感情は抱いていなかった。
ただ、日本人にしては珍しい銀髪をもつその教え子が、両親の顔を知らないらしいとか育ての親も既に亡くなっているらしいとか、クラスではいつも人に囲まれているのに何故か、時折いやに淋しい瞳をしているとか。
そんな事情を気に掛けていて、彼が担任である自分に懐いてくれていることを不思議に思いつつも嬉しく感じていたし、自分も彼と話す時間が嫌いではなかったから。
だから、自分と『付き合う』ことが、この年不相応な目をした生徒の支えになれるなら。
そう思って、俺は頷いたのだ。
七割は、勿論そいつのことを人間として気に入っていたからだけど。二割ぐらいを使命感、一割を同情心とも呼べるような感情が占めていた事も、認めざるを得ない。
後で傷付けてしまわぬようにと、その場で、今まで恋愛対象としては見ていなかったとは告げた。お前のことは好きだし一緒に過ごすのは楽しい、だから付き合うのは構わないけれど、キスだとかそういう事が出来るかどうかは、まだ分からないと。
ひどい返事だとは、自覚していた。
しかし彼は、それでいいと嬉しそうに笑ったのだ。
普段気だるげな表情ばかりしている生徒のそんな顔を見せられてしまっては。
後戻りなど出来ようはずもなくて、そのままお付き合いをするはこびとなった。
――そして、今。
俺は、あの時の自分の返事を後悔している。
「せんせー、次の日曜空いてたらデートしようぜ」
銀髪の生徒こと坂田に誘われて、その日は校区から少し離れた町に遊びに来ていた。
駅前の通りから一本横に逸れるだけで立ち並ぶ古い町並みは、そぞろ歩きに良い風情で。高校生の選ぶデートコースじゃねぇぞと俺はちょっと空恐ろしくなる。
一方で、コレが坂田が年上の俺の楽しめそうなコースを精一杯考えた結果なのかもしれないと考えたら、こそばゆい気分にもなった。
坂田は俺をデートに誘う時、必ず「空いてたら」と前置きをする。
俺は休日にも仕事を持ち帰る事があるし友人付き合いもあるから、最初のうちはその前置きがありがたかったのだけれど。
……最近、少し。遠慮がちなその台詞を、もの淋しく感じている自分がいる。
デートに誘う時のみならず。付き合い出したあの日から、坂田は何をするにも俺の「許可」を求める姿勢を崩さない。
告白に頷いた後、「抱き締めていい?」と問われた。
初めて二人で映画に行った日は、「手ェ握っていい?」と。
隣で寝てもいい?デコにチューしていい?さらりと吐かれる台詞は、決して恐る恐るというような口調ではないのだけれど。それでも、もし俺がダメだと答えれば、あっさり引き下がるのだろうと思わせる響きを持っていて。
ひとつひとつ、聞かれる度。「ああ」と端的に諾を返すだけの自分が忌々しく思える。
ちなみに唇へのキスは、未だに許可すらも求められていない。
それ以上なんて、言わずもがな、だ。
――それを焦れったく感じる資格なんて、自分には無いと分かっているけれど。
坂田と付き合い出したことを後悔などしていない。
だが、もう少し、返事の仕方を考えるべきだったとは思うのだ。
俺が、恋愛対象としては見ていないと言ってしまったから。キスは出来るか分からないなんて最低な答え方をしてしまったから。坂田は本来の彼らしくもなくこれほど控えめで、俺の意志ばかり尊重している。
本当はこんな奴じゃないはずなのだ。
素のコイツは、もっと。俺に付き合ってと言ってくる前の坂田は、もっとワガママでムカつく生意気な、大人びているかと思えば子どもっぽくてガキのくせにドSで手に負えない、面白い男だったはずなのに。
今の坂田だって、嫌いじゃないけれど。
それどころか、こんならしくもない坂田の態度のせいで、気付いてもいなかった自分の心情に気付かされたりもしたのだけれど。
ぼんやりと考えながら、坂田と並んで裏道を歩く。
石畳の坂道は少しデコボコしていて、路の端は歩きにくいと俺はちょっと左に寄った。
「……ん?」
左隣の坂田が、何か尋ねるように小首を傾げた。
その声が、妙に甘くて、気恥ずかしげで。
何を問われたのかも分からぬまま、唐突に漂いだした甘ったるさに動揺した俺はチラリと坂田に横目を向ける。
それから漸く、気付いた。
俺が歩き方を左寄りに変えたせいで、左隣の坂田の肩に、身体を寄り添わせていくような形になっていたこと。
(――っそ、んな、つもりじゃねーよバカが……!)
カァッと顔に血が上る。
たぶん坂田の中では、俺が甘えたように擦り寄ってきたことに。手を繋ぐことを求められたかのような認識になっているに違いない。
馬鹿か。そんなんじゃない。ただ歩きにくかっただけだ。
……そう言って身体を離してしまいたいのは、やまやまだけど。
チラリ、もう一度、左に横目を流せば。
俺の珍しい甘い仕草……と思われた動作、に、照れくさげに視線を逸らして。
だけど至極、至極嬉しそうに口元が緩んでいる、坂田のだらしない顔。
そんな幸せそうな表情を、見せられてしまっては。
(あー、もう……ッ!)
俺は右手でぐしゃりと髪を掻き回してから、さらに左へと身体を寄せて、ふわふわと迷うように浮いている坂田の右手をぐっと握った。
坂田が弾かれたようにこちらを見るのには、頑なにそっぽを向いてやる。
照れ隠しだとバレバレだろうが、もういい。
年上のくせに甘えたがりだと思われても、人目はばからずイチャつくのが好きなのだと誤解されても、もういい。
もしもの話、今までの坂田の態度がすべて計算だったのだとしても。
――もう、いいから。
俺もお前が好きなのだと、知らせてしまいたくなったのだ。
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さて、計算なのかなどうなのかな。