遊びすぎにはご用心


銀魂高等学校、3年Z組。朝のHRの教壇で、クラス担任の教師はあろうことか煙草をふかしながら名簿を開いている。

「沖田ー」
「へーい」
「神楽ー」
「はーい!はいアルヨ!」
「んだオイ、朝っぱらからテンション高ェなオメーめんどくせーな」

女子生徒の元気の良い返事に、教師の対象的な気怠い声。
その教師らしからぬ態度は何だとツッコむ人間はこの場には存在しない。そんなことは今更すぎる話だからだ。
彼、坂田銀八の受け持ち生徒となって早半年。Z組の生徒たちは、この口と態度の悪い教師に既に慣れて久しい。
そもそもこのクラスに関して言えば、変わっているのは教師ばかりではないのだ。

「今日の朝ご飯は卵かけご飯の大盛りに味付けのりが二枚も付いたネ!豪華だったネ!テンション上がるのは人間として当然のことアル!」
「わかったわかった。近藤ー」
「はい先生!俺のお妙さんへの愛はいつだって大盛りです!」
「聞いてねーよ。あとお前の大盛りはデカ盛りすぎて逆に嫌がらせだから」

立ち上がらんばかりに勢い込んで朝食のメニューを自慢する少女に、胸を張って己の愛の深さを主張する男子生徒。
彼らを軽くいなして次の生徒を呼ぼうとする銀八に、長髪の男子生徒から待ったがかかる。

「ちょっと待って下さい先生。何故リーダーの次に近藤が呼ばれるんですか。名簿順ではリーダーの次は俺のはずです」
「あー?何言ってんだヅラ。オメーはタ行だろーが」
「ヅラじゃありません、桂です。つまりタ行じゃありません、カ行です」

背筋を伸ばして生真面目な表情で言い切る姿は優等生然としているが、3Zの生徒ならば全員が知っている。彼がただの優等生などでないことを。むしろ誰よりも厄介な妄想爆走系人間であることを。
もちろん銀八も充分承知のうえであるから、桂の逸らされることのない視線に射抜かれて面倒くさげに顔を顰めた。面倒がるぐらいなら最初から名簿順を飛ばさなければいいだけの話なのだが。
銀八は煙草を携帯灰皿で揉み消して一つ溜息を吐くと、パタン、名簿を閉じた。

「あーもーいいや。全員出席な」
「オイィィィ!何いきなり出席確認放棄してんですか!」

唐突な職務放棄に全力のツッコミを入れたのは、このクラスの良識担当、志村新八だ。
貴重なツッコミである志村の台詞に、しかし銀八の反応は気怠さを極める。

「だってオメーらこの調子で一人ひとボケしてくんだろ?めんどくせーよやってらんねーよ。無駄に行数が増えるだけじゃねーか」
「アンタそう言ってまともに出席とったことないでしょうが!サ行の僕ですら数えるぐらいしか呼ばれたことねーよ!どんだけめんどくせーんだよ!」
「 あーもう、わかったわかったうるせーな」

新八の重ねてのツッコミに、銀八は再度溜息を吐くと徐に名簿を開いた――



「……よーし、やっぱ全員出席か。さすがバカは風邪ひかねーなオイ」
「オイィィィ!なにちょっと改行して出席とった風に見せてんですか!何一つ変わってねーよ!二秒ぐらいしか経ってねーよ」
「は?何言ってんの?ちゃんと全員呼びましたー。行数の関係でちょっと端折っただけですー。アレ?新八オメー居眠りしてた?」
「腹立つ!コイツ腹立つ!」

唸る新八を無視して銀八は再びパタリと名簿を閉じた。
今度こそ開く気は無いらしいと悟って、新八もそれ以上のツッコミは諦めて口を噤む。

「HRは以上ー。それと今日は先生の誕生日です」
「先生、聞いてません」
「コラメガネ空気読めー。ちなみに先生の欲しいものはカネと糖分と今週のジャンプです」
「あからさまにプレゼント要求したよこの教師!」

いちいち律儀に挟まれるツッコミには最早無反応で、本日誕生日のクラス担任は言葉を続ける。
名簿でトントンと肩を叩きながらぐるりとクラスを見渡して、ふと思い付いたように口を開いた。

「そうだ、オイ今日の日直――どいつだ?」

途端、クラスが一瞬、シンと静まり返る。
生徒たちの不可解な反応に銀八がちょっと眉を顰めたと、同時。窓側の後ろの方で、スッと一つの手が挙がった

「……はい」

その手の持ち主である男子生徒は、低い声で短く返事をして。
ギラリ、瞳孔の開いた眼を光らせて、挑むような視線で銀八を睨む。
――その姿を見て。

銀八はクラスが静まり返った訳と、男子生徒の視線の意味。そして沈黙を守っている周囲の生徒たちが何を期待してチラチラとこちらを見ているのかまで、正確に理解した。

「あー……はいはい、藤崎君ね」
「誰だそいつァァァ!!掠りもしてねーんですけど!?」

頷いて名を呼べば、ガタンッ、椅子を蹴って立ち上がる男子生徒。
そらキタ、とでもいうように沸いた周囲からは、今日は藤崎か、なんて声も漏れ聞こえてくる。
銀八はニヤリと口端を上げた。

「日直の藤崎君は、昼休みに先生への貢ぎ物を集めて国語科準備室に持ってくるように」
「はあ!?誰がそんなもん集めるか!つーか藤崎じゃねーし!」
「何言ってんだ。『誕生日のヤツがいたら祝ってやんよ。俺やってやんよ』の藤崎君だろ?みんなのプレゼント集めるぐらいチョチョイのチョイと」
「誰がボッスンだァァァ!漫画が違ェし藤崎じゃねェっつってんだろ!」
「あ、悪い。お前どっちかっつーと佐介ポジだったな。じゃ、頼んだぜ椿君」
「生徒会長でも双子の弟でもねーよ!どのへんが佐介ポジ!?」

徐々にボルテージを上げて怒鳴り返してくる男子生徒へはサラリと背を向けて、銀八は教室を後にした。
教師が居なくなって更に騒がしさを増したクラスの喧騒を、背中で聞くともなしに聞く。
「一限は数学ですぜィ藤崎さん。ノート見せろや」という沖田の声に、「藤崎じゃねェェェ!」という怒声を耳にして。銀八はまた、ニヤニヤと口端を緩めた。


一ヵ月ほど前から。
坂田銀八は、一人の男子生徒の事を、毎日違う名字で呼び続けている。



まったく世の中というのは世知辛い。
昼休み、国語科準備室で食後の一服を嗜みながら銀八は嘆息した。
あれだけ主張したのだから、この時間のこの部屋には菓子の山が築かれていてもよさそうなものなのに。現実はと言えば、机の上に飴とチロルチョコが2、3個転がっているだけ。

「ったくアイツら、日頃の恩を忘れやがってよー」

ボヤきながらも、銀八の表情はさほど不機嫌というわけでもない。
口では何だかんだと言うものの、銀八はそれほど本気で誕生日を祝われたいなどと思うタイプの人間ではなかった。
HRでの主張など軽口の一種だ。そしてそれを知っているからこそ、彼の生徒たちも本気でプレゼントを用意したりしないのだろう。
廊下で擦れ違った生徒から、「銀ぱっつぁんおめでとー」と声が掛かる。祝うなら気持ちより物を寄越せと放言すれば、サイテーだと罵られながら飴やチョコを投げつけられる。充分すぎるほど充分な誕生日だ。
もし生徒たちに本気で盛大な誕生日祝いなど企画されようものなら、自分は逆に居た堪れなくなっていたに違いない。

だから、機嫌は悪くない。
むしろ上機嫌と言っても差し支えない。

しかしながら。

自分の機嫌がもっと上向きになる方法を銀八は知っていたし、そしてきっともうすぐ、その上機嫌の原因がやって来るであろう事も、彼には分かっていた。

――ガラッ

「失礼します」

戸の開く音と低い声に、銀八の口角が持ち上がる。
噂をすれば影。最上級の娯楽の到着である。

「おー来たか、貢物回収係」
「日直です。そんな係は高等学校に存在しません」

冷たく即答した男子生徒は、片手に紙袋をぶらさげてツカツカと銀八のデスクに歩み寄ってきた。
おや、ひょっとして本当にプレゼントを回収してきたのだろうか。銀八は紙袋を見てそんな事を脳裏に過らせたが、一瞬後にはそれを否定した。この男子生徒は真面目ではあるが、そこまで馬鹿正直ではないはずだ。

さて、それではその袋は何だろうか。
興味深く見守っていると、生徒は銀八の目の前まで歩み寄って、紙袋から取り出した四角い紙箱をトンとデスクの上に置いた。
そのまま無言で、紙箱の蓋を開ける。

「これは……っ!」
「秋の新商品です。パンプキンブリュレのタルト。表面はパリッとキャラメリゼしてみました」

うちの自信作だ。堂々と胸を張って言った生徒に、銀八の喉がゴクリと鳴った。

この無愛想な生徒は普段、家業をあまりあからさまに誇る事はない。
『シェリーフレール』といえば、この界隈ではちょっとした有名店だ。看板商品であるロールケーキを筆頭に、他のパンもケーキも随分と味が良いと聞く。しかしその店の倅がうちのクラスにいるとは、銀八はつい最近まで知らなかった。
つまり、彼が己の家の生業を声高に自慢するような人間ではない、という事だ。

その生徒が、自信作だと言い切った。
コレは相当な品に違いない。

半ば無意識のうちに手を伸ばしたところで、サッとデスクから紙箱が消える。
思わず余裕の欠片も無い表情で見上げれば、紙箱を取り上げた男子生徒は、勝ち誇ったような顔をしてこちらを見下ろしていた。

「おま、それ……っ」

何だよ、俺にくれんじゃねーのか。見せびらかしに来ただけか。何それどんなイジメ?
ぎりり、歯を食いしばって見上げれば、生徒はニヤ、と唇を歪めて。

重大な交換条件を宣告するかのように、こうのたまった。


「俺の名前を正しく言えたら、食べていいです」


それを聞いた銀八は。
正直、噴き出すのを堪えるのに大層苦労した。

……なんだ、この可愛らしい高校三年生は。笑いだしそうになる顔を必死に引き締めて、呆れたような表情を彼へ向ける。

「バカだなァお前」
「アァ!?」

途端に眉を吊り上げる十八歳の少年を、愛しいと思う。
こんな真っ直ぐな少年を、こんな風に揶揄って愉しんでいる自分は最低だなという自覚はあるけれど。でも、愉しいのだから仕方がない。
俺を愉しませてしまうこの少年がいけない、なんて、ひどい責任転嫁をして銀八は内心で笑った。

「生徒の名前ぐらい、ちゃんと覚えてるに決まってんだろーが」
「――っ、だったら!」
「ハイハイ、落ち着けって」

生徒の激昂を手を上げることで抑えて。古ぼけた椅子をキィと軋ませながら回転させて、彼の正面に向き直る。
立ち上がらぬまま、眼鏡のレンズ越しに。それでも平素の死んだ魚の目とは違うと一目で分かるであろう真摯な色を瞳に乗せて、じっと瞳孔の開いた目を射抜けば。

生徒は目に見えて狼狽えて半歩後ずさった。

ふ、と口元に微笑を刷いて。
ゆっくりと口を開けば、彼が微かに息を呑む音が聞こえる。

「お前の名前って……アレだろ?四辺の長さがすべて等しい平行四辺形……」
「それ菱形ァァァァ!!濁点の!位置が!違う!!」

バシンッ!
紙箱を勢いよくデスクに叩きつけて、気の毒な男子生徒は勢いよく踵を返した。

「もういいです!」

交換条件を果たしてもいないのにお人好しにも紙箱を置き去りにして、国語科準備室を出て行こうとする彼を。
今度こそ隠すことなく喉を鳴らして、銀八は呼び止めた。

「土方」
「――!」
「ありがとな」

弾かれたように振り返った土方へ、ニコリと笑って礼を言う。
みるみるうちに赤くなっていくのを眺めながら、銀八は内心で意地悪く口角を引き上げた。

「それにしてもオメー、なんでこんなコトまでして俺に名前呼ばせてーの?」

ニコニコとわざとらしい笑顔を浮かべながら聞いてやる。
これはさすがに意地悪が過ぎるかな、なんて思いながら。
でも、しょうがねーよ、うん。だってコイツ面白すぎるからね。かわいすぎるし。
真っ赤になって狼狽えたりするから、ついつい揶揄いたくなっちゃうんじゃねーか。

はてさて今度はどんな反応をしてくれるかな、と。
性格の悪い教師がニヤニヤと笑う目の前で――土方十四郎は、コトリと首を傾げた。

「は?」

そんな、可愛らしさとはかけ離れた一言を発して。

「……は?」
「なんでってそんなん、名前間違えられたら腹立つからに決まってんだろ」

パチリと瞬いた銀八に、土方も瞬きながら当然のように答える。
何を聞かれているのか分からないとでも言うように、心底不審そうな顔で。

「……え?いやでも、普通あそこまでムキになんねーだろ」
「はあ?アンタみてーな覇気のねェ人間と一緒にしないでもらえますか。腹立つだろ。普通に」
「いや、普通にって……」

普通、じゃねーだろ?ぼそりと呟いた声はいまいち土方には届かなかったようで、アァ?とますます不審そうに眉を顰められる。
……そして、数秒後。

「意味わかんねェ」

呆れた顔で言い置いて、土方は準備室を出て行った。
特別な動揺も普段のような憤りすらも見えない、まったくもって平常な面で。


「え…………えええー?」

銀八はガラガラピシャンと閉められた扉を見遣って、間の抜けた声を上げた。

オカシイ。
あんな普通の応答は、オカシイ。

いや、土方が本当に、名を間違えられ続ける事に普通に腹を立てていただけだとしたら、アレは何もオカシな反応ではないのだけれど。
でも、違うだろう。
アイツが怒っていたのは。狼狽して、動揺して、真っ赤になって。可愛らしい反応を見せてくれていたのは、そんな普通の感情ではなくて。


「……だってアイツ、絶対ェ俺のこと好きだろ……!」


――まさか、ひょっとしてあの子。
あんな顕著な言動を見せながら、まさかまさかの無自覚なのか。


「……マジでか」

銀八は、ぽつりと呟くとデスクに肘をついて額を押さえた。
片想い中の生徒を揶揄って遊んで、卒業式ぐらいに好きだって告白してこねーかな、そしたらうん知ってたっつって抱き締めてやろーかな、なんてちょっぴりSなコトを考えていたはずだったのに。

コレはひょっとして、無自覚ちゃんに振り回されることになるのか、俺、と。

あまりに計算外な事態に、ドSな教師は頭を抱えたのだった。


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銀八の性格が悪くてすいません。