惚れた男
万事屋なんて生業で暮らしていると、土日祝日が休みなんて感覚は無い。
依頼があれば仕事、無ければ休み、という生活では、曜日感覚も朧げで。
あ、今日って日曜日だっけ?とか。
そういや明日は祝日か、とか。
そんな事には、たまたまカレンダーに目を遣りでもしなければ気付かないのが常だ。
つまり。
どうして俺がこの西日のキツく降り注ぐ日曜の夕方に、お江戸の中心街でスクーターを走らせているのかと言えば。
土曜発売のジャンプが、気付いた時には近所のコンビニで軒並み売り切れていたからです。
「あー……あっついなオイ。太陽テメーなに踏ん張ってんですかコノヤロー!テメーは傾き始めたらもうそこから持ち直す事なんざ不可能なんだよ落ちてく一方なんだよ。わかったら諦めて潔く地平線まで沈め!そんで明日また再起を期せばいいじゃん!」
コンビニを三軒まわったところで引っ込みがつかなくなって、結局、コンクリートとアスファルトに埋め尽くされたクソ暑いターミナル周辺まで足を延ばすはめになってしまった。
我ながら馬鹿らしいとは思うが、ワンパークがものっそ気になる展開だったのだから仕方がない。先週久しぶりにジャンクスが登場していたことを考慮に入れれば、今日を逃すと最悪手に入らないかもしれない。
「まあ結果的に?コンビニで行きずりの野郎どもに視姦されまくったアバズレじゃなく、本屋で緊縛プレイされてたバージンを手に入れられたわけだから、それはいいけどよ」
赤信号で停車してハンドルに凭れつつボヤいたら、横の歩道を通りすがった女で冷たい目で見られた。いや、ジャンプの話だからね。
書店で手に入れたジャンプは縛られたままスクーターのトランクに入っている。家に帰ったらあの紐を解いて、未だ誰にも開かれていないそのカラダを俺のモノにするのだ。
俺ァドSだから段階なんて踏んでやんねーよ?掲載順とばしていきなりワンパークから読んじゃうもんね覚悟しとけよコノヤロー。
「……欲求不満かっつーの」
だらりとハンドルに凭れたまま自分に突っ込む。
欲求不満。
不本意な単語ではあるが、ある意味、その通りだと言えるかもしれない。
何しろ今日、二週間ぶりに我が家へ来るはずだった恋人にドタキャンされたわけだし。
「いや、ヘコんでるとかじゃねーよ?別に」
プァ、と後ろから鳴らされたクラクションに気怠く顔を上げれば、いつの間にか青に変わっている信号。
溜息を一つ吐いて、幾度も修理に出して使っているボロスクーターをゆるゆると発進させた。
言っておくが、本当だ。
恋人と過ごすはずだった本日の予定が白紙になったのは確かだが、そのせいで落ち込んでいるとか憤っているとか、そんな感情は欠片も無い。
何しろ俺が今現在オツキアイしている相手とは、世間一般の恋人同士の間で漂うような甘ったるい空気は皆無であるし。
互いの仕事に口を出さない事は、付き合いを始める前から暗黙の了解だったわけだし。
そもそも相手、男だし。
いや、男同士だから甘い空気なんて必要ないとか、そういう事を言ってるわけじゃねーんだけど。
でも相手、アレだからね。
対テロ用特殊武装警察の、副長さん。
……びっくりだよなァ、俺だってびっくりだよ。
ブロロロと古くさい音を立ててスクーターを走らせながら、誰にともなく俺は応える。
泣く子も黙るチンピラ警察真選組の副長、土方十四郎。
あの男と俺は、もう随分と前から、身体のみならず心までも通い合わせるオツキアイをしています……なんつって。
いや嘘じゃねーよ。こんな嘘ついてどうすんだっつーの。
驚いたことに、本当……で、本気、なのだから始末に負えない。
今更な事をつらつらと考えて、ガシガシと意味もなく後頭部を掻き回した。
まあそんなわけで。
アイツの職業と役職を考えたら、そりゃ緊急の仕事が入ったら「コイビト」との「デエト」よりもそっちが優先だよな、と。
それは理解しているし、何の含みもなく納得している。俺だって急に用事ができる事ぐらいあるのだからお互い様だ。
たとえそれが、テロ予告でも指名手配犯の捕縛でもなく、突然地球に視察という名の観光に来た天人の要人の警護兼案内、というくだらないものであっても。
中心街は信号が多い。また赤信号に引っかかって、俺は舌打ちしながらスクーターを止めた。
――実際、土方が俺との約束を反故にする時というのは、やれ幕府のお偉いさんの接待だとか、それ将軍家の誰それがお忍びで旅行にいくとか、そういうアホらしい事態が原因である事が圧倒的に多いのだけれど。
でもそれは逆に言えば、そういうイレギュラーが起こらない限りは、土方は俺との約束を守ってくれている、ということだ。
土方十四郎は、あの厳しさとフォロー気質と大将を立てる姿勢が故に、真選組至上主義でゴリラのために己を捨てて私生活の娯楽なんて後回しの仕事人間……と思われがちなのだが、実はそうでもない。
能率が良いのか人を使うのが上手いのか、余程の繁忙期以外はシフト通りにキッチリとはみ出すことなく仕事をさばいていて。
煙草が吸いたいだとかパトリオット工場見学だとか、そういうくだらない、けれど本人にとっては大切であるらしい事由で休みをとっていたりするのだ。意外な事に。
だから。土方が、立場上逆らえない理不尽な命令のために俺との約束をドタキャンするのは、俺にとっては腹を立てるような事ではなくて。
むしろ、俺との逢瀬……とか言ったら痒いんだけど!とにかくアレだ、俺と、会う事が、アイツにとってそういう「くだらないけれど大切な事」に分類されていて。
普段、個人レベルで調整が可能な範囲ではしっかりと都合をつけているんだな、ということを面映ゆく思ったりするわけだ。
事実、今回土方に「行けなくなった」と言われた時も、「あーそう、じゃあまた今度な」と軽く応えたし。その軽さに嘘偽りなんて誓って無かった。
……そのはず、なのだけれど。
「なんつーか……なァ……」
じんわりと横っ面を焼くようなキツい西日に眉を潜めながら、俺はどこか晴れない気分に首を傾げた。
今朝から、いや、昨日土方からの電話を受けた時から、ずっと。
何か、極々小さなモヤッとしたものが、胸の奥の奥の奥にわだかまっている気がする。
「ったく、何だっつーんだよオイ。ねぇオジサン、どういうことコレ?」
「え、何が?」
「だからそれを聞いてんだよ役に立たねーな!」
隣に止まっているトラックのオッサンをとりあえずヘコませておいて、俺は日射熱をはらんだ髪の毛をわしゃわしゃと掻き回した。
アイツの仕事に口を出す気なんて毛頭無い。それはもう、心の底から。
すっぽかされたら多少は面白くなかっただろうが、前日にちゃんと電話を寄越してきたわけだし。
それも、天人要人の江戸観光なんて本来は業務上の機密事項だろうに、隠し立てすることなくペラリと喋ってみせた。それは土方本人もその仕事を「アホらしい」と感じている証拠で。
馬鹿ばかしい仕事を押しつけられて腹を立てているのだと、口調からだけでも察しがついたし。口には出さねど、俺との約束が潰れた事を残念にも思っているのだとも、容易に想像できてしまった。
だから、俺には何の不満も無い。
不機嫌になる要素が見当たらない。
ナイったら、ナイ。
「ナイ……よな?」
青信号を見て再びスクーターを発進させながら、我ながら珍しくも途方に暮れたような声音で呟いて首を傾げた。
俺は何も嘘などついていないはずなのに。
さっきから、腹の底でモヤモヤと渦巻いているこの気持ち悪さは、何なのだろう。
――さらに、その正体不明の気持ち悪さが。
前方に黒い服の集団を見付けて微妙に膨らんだのは……本当に、何故だろうか。
「――……では、私どもはこちらで」
「うむ」
ターミナルへ直接続く連絡道の入口に停車している、いかにもお高そうなリムジン。
窓はフルスモークで、中に乗っている人物の姿は窺い知れないけれど。相当なお偉いさんだろうな、ということだけは分かる。きっとロクな輩じゃないんだろう、なんて思ってしまうのは偏見だろうか。
その車の横に佇んで横柄にふんぞり返っているのは、おそらくお偉いさんご当人ではなくお付きの者か何かだ。
……そしてそいつの前で、背後に黒服の集団を従えてピシリと頭を下げている男は。
俺は黒服のムサい野郎どもに怪しまれない距離まで近付いてスクーターを路肩に寄せた。
日陰で休む風情を装って停車すれば、熱気を含んだ風に乗って会話が聞こえてくる。
「うむ、警護ご苦労。地球など見るところがあるかと思っておったが、田舎も田舎なりに退屈しのぎ程度にはなるものだな。大使も存外満足されたようだ」
「恐縮です」
居丈高な物言いに短く応える横顔を見遣って、ピクリ、片眉が跳ね上がった。
(おーおー、無理しちゃって)
あの短気な男が苛立ちをおくびにも出さずに応答しているのだから大したものだ。
大使とやら当人でなくお付きの者に対してすらああなのだから、今回の『お客様』は相当な権力をお持ちと見える。土方の背後に控える黒服たちの中に一番隊長の姿が無いのも、万が一にもドエスコートをやらかす事の無いようにという配慮だろう。たぶん。
沸点が低くてプライドの高いアイツが、感情を押し殺して頭を下げる。
――組織、とか、立場、とか。
ご苦労な事だ。
「……ん?」
自分の思考が妙に棘を含んでいるのに気付いて、俺は小さく呟いて首を傾げた。
ご苦労、なんて。
何故、そんな嫌味ったらしい台詞が脳裏を過ぎったのだろう。
俺は別に、組織に属して生きる事を見下す思想など持ち合わせていない。自分が『万事屋』なんて稼業を立ち上げて一応事業主を気取っているのも、なにも鶏口となるも牛後となることなかれ、なんてご大層な理想を抱いてのことではないし。単に性に合うか合わないかという問題であって。
だから。幕府なんて不自由な組織の中で、己の大切なものを見失わずに日々闘っている土方のことは、むしろ敬意と好感をもって見ていた、はずだ。
……そのはず、なのだが。
俺は一体、何が気に食わないのだろう。
違和感の正体を見極めるようにじっと眼前の光景を見詰めていれば、土方と相手の男が同時に顔を動かした。俺の方へ、ではない。傍らに停まっている車へ向けてだ。
フルスモークで車内を覆い隠していた窓がスルスルと下りて、壮年の男が顔を見せた。
アレが『大使』とやらか。天人だと聞いていたが、パッと見は人間と変わりない。地位と金と権力を持つ者特有のふてぶてしさが漂っている……なんて、貧乏人の僻みかもしれないが、とにかく何となく嫌な感じだ。
「今日はご苦労だったね、土方君。おかげで有意義な視察になったよ」
「恐れ入ります」
「……ふむ」
上から目線で労うそいつの笑顔が、いかにも腹に一物抱えてそうなのが気に入らない。
うやうやしく頭を下げる土方を見て満足そうに細められた目が、妙に粘ついた視線を放っているのが気持ち悪い。
――腹の中で、徐々に、徐々に。正体不明の不快感と嫌悪感が膨らんでいく。
そして、その奇妙な感情は。
「土方君。どうだ、今夜、私のホテルに来んかね?……仕事で無ければ来れぬと言うなら、君の上官たちには私から断りを入れておこう」
にまりと獲物を甚振るような笑みを浮かべた大使が、含みを持たせた口調でのたまうのを聞いて。
急速に膨れ上がって、そして、理解した。
コレは、約束を反故にされた事への不快感などではなくて。まして、組織の中で必死に足掻いている土方の仕事への嫌悪でなどあるはずもなくて。
不快というよりは、不安で。
嫌悪というよりは、懸念だ。
――心配、という言葉が当てはまるのだろうか。それとも焦燥と言えば良いのだろうか。
わからないけれど、とにかく。
あの、有能なはずの副長さんが、くだらないと思いながらも己の力では調整の不可能な仕事。
あの短気なはずの土方が、あからさまに馬鹿にされても黙って頭を下げざるを得ない相手。
それが、彼の立場上どうしようもない事だというのは痛いほどに分かっていて――だからこそ、拭いきれなかった。
あんな風に。そう、今まさに眼前で展開されているように、権力を笠に着た変態好色親父に褥に誘われでもしたら。
仕事という形で身体を差し出す事を命じられでもしたら、アイツは、逆らえないんじゃないか、と。
もし、『真選組』の存在そのものを、人質にとられてしまったら……あの男は。
怒りと屈辱に震える拳を固く握り締めて。切れるほどに唇を噛みながら、独り、耐える道を選んでしまうんじゃないかって。
ぐ、と、ハンドルを握る手に無意識に力が入っているのに気付いたが、咄嗟に手の開き方も分からなくなっていて俺は狼狽した。
『互いの仕事に口を出さない事は、付き合いを始める前から暗黙の了解だったわけだし』
つい数分前に自分で考えた事が、ぐっと質量を増して腹の底に落とし込まれる。
そうだ、俺は。アイツ自身が真選組のために選んだ道には、口を出さないと決めていて。
でも。でもそれは。
あの男が己の魂に羞じるような真似をするはずないと……謂わば盲目的に信じていたからだと。今更ながらに、思い知らされた。
(――土方)
今、俺はどう動くべきなのだろう。
ドラマや漫画の主人公ならば、きっと躊躇うこともなくあの場に突進して、下卑た笑みを浮かべるオッサンの顔面に拳を打ち込むのだろう。一応ジャンプ漫画の主役を張っている身としてはそうするべきなのかもしれない、けど。
だけど俺のその行動は、確実に『真選組副長土方十四郎』に迷惑をかけるだろう。
「…………土方」
耳に届いた小さな声に、自分が口を動かしている事に気付く。ああ、なんて掠れた声だ。カッコ悪ィ。
らしくもなく動揺を隠し切れていない自分に、俺は自嘲する事すらできずに数メートル先の光景を注視した。
なあ土方、お前は何て応えるんだ。
そしてお前がもし、頷いたなら。
俺は、どうすればいい。
時間にしたらきっと一秒にも満たない間、ギチリとスクーターのハンドルに爪を食い込ませていた俺の視線の先。
土方は、一瞬何を言われたのか分からないという顔を車内のお偉いさんを向けてキョトンと目を瞬いた後。
それはそれは良く出来た洒落を聞いた時のように、破顔一笑した。
「これは、閣下は御冗談がお上手で…!お見逸れ致しました」
非礼に映らない程度に肩を揺らして、見事な諧謔に堪え切れず相好が崩れる様で。
屈辱を堪えて俯くでもなく、侮辱に怒気を瞳に過らせるでもなく、邪気を感じさせない、まるで無垢な子どものような笑顔で。
「私のような田舎猿に勿体ないお言葉、痛み入ります。次回地球へお越しの際にも、御用命とあらば我ら真選組、全力をもって閣下を警護させていただきます」
「……う、うむ」
慇懃に頭を下げられて、車内の男は鼻白んだ様子で頷いた。
頭から冗談としか受け取っていない土方の態度に毒気を抜かれたのだろう。それ以上何かを言い募る気も失せたようで、ご苦労、と再度呟いただけで窓を閉める。それを見て、唖然としていたお付きの者も慌ててリムジンへ乗り込んだ。
土方が敬礼の姿勢を取るのへ合わせて、背後に従う隊士たちも一斉に敬礼する。ビシリと擬態語がつきそうな堅苦しい集団に見送られて、リムジンはターミナルの方角へとゆるゆる発進していった。
「………………」
一同、声も無く。黒塗りの高級車がターミナル直結のホテルへと走って行くのを見詰め続けて。
遠く小さくなったリムジンが、肉眼で視認する事が完全に不可能になった時点で、やっと。
ガッシャアアァァァン!!
土方は、口元に無垢な笑みを浮かべて片手で敬礼を象ったまま、片脚で思い切り、道端のゴミ箱を蹴り倒した。
「気ッ色悪ィんだよあンのクソジジィィィイイイ!!ふざっけんな死ねェェェェ!!」
「うわあああ落ち着いてください副長ォォォ!」
「相変わらず見事ないなしっぷりでした副長ォォォ!」
一転、鬼の形相で刀を鞘から抜き放った男を、隊士たちが羽交い締めにして必死に止める。
うるせぇ離せせめてそこのゴミ箱だけでも斬らせろ止めんならテメェを斬るぞコラ、と、瞳孔の開ききった眼でギラリと周りを睨みつけている野郎の姿を見て。
俺は両手の爪がいつの間にか、スクーターのハンドルから離れている事に気付いた。
「……よーう、荒れてんね、お宅の副長さん」
「あれ?旦那。見てたんですか」
だらだらとスクーターを押して近付けば、隊士の中に埋没していた地味な男が真っ先に反応した。あれ、よく見りゃジミーじゃん。いたのか。
一応顔見知りのはずなのに存在に気付かせない流石の地味さを誇る男は、俺の「いたのか」という顔に一丁前に物言いたげな顔をしながらも歩み寄ってくる。
「見てたんなら何があったのかも分かるでしょう?ああいう事があると副長ブチ切れちゃって大変なんですよ」
「ああいう事ねぇ……なに?よくあるわけ?」
「はあ、まあ、時々。いつも副長がああやって軽くいなすんですけど」
「へー……あんなんで引き下がってくれんだ。お偉いさんも意外と聞きわけがいいじゃねーの」
さして興味の無いふりで耳の穴をほじると、背後でフン、と鼻を鳴らす音がして振り返った。
見ればいつの間にか刀を収めた土方が、機嫌の悪さを隠しもせずに腕を組んでこちらを睥睨している。
「聞きわけがいいだァ?そんなんじゃねーに決まってんだろ。アイツらはなァ」
チッと舌打ちしてから、土方は口元に酷薄な笑みを刷いた。
「普段から俺らの事を猿だ芋侍だと馬鹿にしてやがるからな。こっちが『まさかこんな猿を高貴な方が本気で褥に誘うはずがない』って態度をとってやりゃ、プライドの高ェ連中はそれ以上食い下がれねェっつーだけのこった」
……ああ、それでああいう、冗談だと信じて疑っていない無垢な笑顔を浮かべていたわけね。相変わらず演技がお上手なことで。
つい先程『大使閣下』に向けていた顔と今の土方の表情のギャップに、俺は思わず苦笑う。
「……でも、それで諦めてくれる連中ばっかじゃねーだろ。真選組潰されたくなかったら『御奉仕』しろ、つって脅してきたりとか、ねーの?」
「あー……前に一回あったな、そういうのも」
軽く軽く、何でもない事のように、と、不必要なまでに意識して口にした疑問には、あっさりと不機嫌な声で肯定が返ってくる。
自然と眉間に寄る皺が土方に見咎められるほどには深くならぬように気を付けて、それでどうしたのかと尋ねれば。
土方は、不機嫌そうだった面を緩めて、ニヤリ。実に楽しそうに笑った。
「山崎にそいつの不正や横領の噂を徹底的に調べ上げさせて決定的な証拠を押さえて、逆に脅迫してやったが?」
「…………」
「脅しに屈したふりしてヤツの私宅に出向いて、寝所に入ったとこで脅しかけてやった。あん時の顔は見物だったな」
「…………あ、そう……」
脱力して間抜けな相槌を打つ俺の後ろで、ジミーが苦労を思い出したという口調で声を上げる。
「楽しそうな顔しないでくださいよ副長!アレ大変だったんですから!」
「アァ?テメー、あの野郎は管理が杜撰で情報手に入れんのは楽だったとか偉そうに抜かしてやがったじゃねーか」
「大変だったのはその後ですよ!副長が悪ノリして、わざわざお風呂浴びてちょっと上等な着物きちんと着こなして石鹸の香り漂わせながら暗い顔で夜半にこっそり伏し目がちに屯所を抜け出したりするから…!」
「ああ、アレな。雰囲気出てたろ」
「出すぎだって言ったでしょうがァァァ!何も知らずにそんな副長を見かけちゃった門衛が真っ青になって局長室に駆け込んできて、飛び出していこうとする局長を止めるのに俺がどれだけ苦労したか…!」
「屯所がそういう騒ぎになってたから、ウチを見張ってやがったあちらさんもすっかり信じ込んで何の警戒もせずに俺を私宅に上げたんだろうが。そういう計画だっつったろ」
サラリ、部下の抗議を一言のもとにねじ伏せて、満足そうに土方は笑う。
「殊勝な面ァ引っさげて何でも御命令のままに、みてーな態度で私宅の奥にノコノコ付き従って、寝所で二人きりになった途端に猫かぶり取っ払って……ありゃ傑作だったな」
くっく、可笑しくて堪らないと言うように喉を鳴らす、この男は。
本当に――本当に、人が悪くて。まったくもって性悪で。
「……土方くーん」
「アァ?」
「今日のお仕事、もう終わり?」
天人のお偉いさんの観光案内が済んだならば、本来非番であったはずの土方の仕事はこれにて終了だろう……なんて。
隊士を連れて屯所に戻って、報告書とやらを書くお仕事が残っているのを知りつつもそう言ってみれば。
土方は一瞬だけ目を瞠って……それから、目を眇めて片頬を持ち上げた。
「そうだな……今日はもう終いにするか」
「副長!?」
「山崎、テメー隊士率いて屯所に帰れ。俺ァもう今からオフにする」
「ちょ、そんな急に」
「うるせェ。元から俺ァ今日非番なんだよ文句あっか!」
ばさり、暑苦しい隊服の上着を脱いで肩に掛け、ベストの前を開けながら、ずかずかとこちらに近付いて。
「おら、クーラーもねェテメーんちなんかに行ってやるから、酒とつまみ用意しろ」
ドカ、スクーターの後部シートに腰を下ろして、横柄にそう言い放った。
「へーへー、途中でコンビニに寄って酒とつまみ買おうな。会計お前持ちで」
「は?ふざけんなよテメェ。俺ァ仕事後だぞ疲れてんだよ労って敬え!」
「俺だって仕事帰りですー」
「嘘つけ。どうせジャンプ買いにきた帰りだろーが」
「あれ、何で知ってんの?」
戯けた台詞を交わしながら、俺はスクーターを発進させてUターン。
呆然としている隊士たちをその場に残して。
――ああ、なんで俺は忘れていたんだろうな。
「土方ァ」
「アァ?」
「……や、なんでもねーや」
生温い風を切って走りながら、背後の男へ意味もなく声を掛けて俺は笑った。
この、男は。
気に食わない相手からの下知を、健気に目を伏せて聞く人間なんかじゃなくて。
真選組至上主義で私事なんか後回しの仕事人間、なんかじゃなくて。
真面目なくせに、時々不真面目。
くだらなくても彼本人にとって大事な事には、きちんと重きを置いていて。
組織を束ねる立場を肝に命じながら、自分の感情も決して無視はしない。
喧嘩好きで、でも闇雲に暴れるんじゃない。冷徹な計略のもとに熱く刀を振るう。
鬼なのに人の心を知っていて。
フォロー気質のくせに、性格が悪い。
物騒で優しい、この男前が――
――俺の、惚れたオトコ。
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私が幕土を書こうとするとこうなる。