「被告人を無罪とする」

公判の日。
下された判決に、傍聴席がさざめいた。
弁護人の指摘に検察側が反論できなかった…それが今回の判決の鍵。
土方は静かに目を閉じて、読み上げられる判決文を聞いていた。

できなかったんじゃない、しなかったんだ。
心の中で呟く。

坂田の指摘は、資料で見て感じた印象と同じ、口の巧さで丸めこむような論法だった。
理詰めで反論しようと思えばできたのだ。
しかし。

坂田の言葉に、土方は自分が今まで見逃していた事実に気付かされて。
確証を得るには足りないけれど、きっとこの被告は無実だ。直感的にそう察せられて。
じっとこちらを見詰める、やけに真摯な視線に…
まるで、「このまま有罪にしたらお前自身が後悔する」と、気遣われているようなものまで感じてしまって。

理屈を捏ねるのをやめて口を噤んだ。
…反論「できなかった」というのも、ある意味では正しいかもしれない。


(俺も、負けちまったよ…近藤さん)

ここにはいない上司に声に出さずに呼びかけて、天井を仰ぐ。
負けたと言いながら、気分は妙に清々しかった。

弁護人が坂田で良かった。
他の弁護士だったら、自分は冤罪を生み出していたかもしれない。
…坂田の弁護に救われたのは、被告人だけではないのだ。


やる気なさげに見せかけて、揺るがぬ芯を持って真実を拾い上げる男。

越えるべき目標を見付けたような気分で、土方は目を閉じたまま僅かに口角を上げた。



その時。
フと、視線を感じて目蓋を上げた。
開いた目に映ったのは…坂田。
先程まで土方を見ていたらしい坂田の視線は、土方が目を開けた時には既にスッと逸らされていた…の、だが。

こちらに背を向けて歩き出す直前に見えた、坂田の顔。
…口元に、薄く笑み。


その表情を見た途端、土方は一瞬にして凍りついた。


――その、笑みは。


勝訴を得た喜びでも、被告人の無実を護れた安堵でも。
増して、先日居酒屋で土方へ向けた、温かで穏やかな笑みでも無い。



計算通りに事が運んだことに満足する、策士の笑みに他ならなかった。





「くっそォォォオ!!」

バァァァン!執務室に派手な音を響かせて、土方は重たいファイルをデスクに叩きつけた。
事務官の山崎が驚いたように顔を上げ…何も言わずに部屋を出て行った。とばっちりを食らうことを恐れたのか、一人になりたいだろうと気を遣ったのか。おそらく後者だ。
ファイルの上に拳を叩きつけ、ギリリ、歯を食いしばる。

…わかっていた。わかっていたのだ。

坂田の弁護の仕方。
裁判官の判断の癖を、訴訟に関わる人間の性格を見抜いて。それに沿わせるように、つけ込むように、巧みな弁舌で相手の心情を誘導して。
そうやって法廷の空気を牛耳る男なのだと。自分はわかっていたはずだ。

それなのに。

何故、気付かなかった。

今回の裁判で坂田が誘導したのは、他ならぬ土方だということ。
勝つために、検事の心理を操ろうとしていたのだということ。


あの日こちらに向けた、言葉も微笑みも温かな眼差しも――そのための伏線に過ぎなかったということ。


ガシャアアン!
蹴り上げられた机が悲鳴を上げて、バサバサと資料が崩れ落ちる。
山崎が戻ってきたら嘆きの声を上げるだろうが、今はそんなことに構っていられなかった。
ぐらぐらと頭が煮えている。

裁判自体に不服があるわけではないのだ。被告人は無実。それはまだ確証は無いが、土方の中で既に確信に近かった。
明日からでも再度きっちり調べ直して被告人にも話を聞く予定だが、おそらく上訴しないことになるだろう。
今回の訴訟で、坂田が導き出した判決は正しい。
――だから。

許せないのは、判決内容ではない。
坂田のやり口でも、坂田自身でもない。

何よりも許せないのは。


あの日坂田の言葉を真に受けて、浮かれて惹かれて、感動すら覚えて。
今、それが作戦の一つに過ぎなかったことに傷付いている……自分自身だ。


ファイルに置いた拳が震えているのを認めたくなくて、土方はよりいっそう強く、掌に爪を食い込ませた。





「ああ、土方検事」

検察庁を出たところで待っていたように掛けられた声に、ピクリ、土方の身が強張った。
振り向かなくてもわかる声の持ち主……今、一番会いたくない男。

「いやぁちょうどよかった。今日はどうもお疲れ様です。どうですか?これからまた一杯…」

話しながら近付いてくる坂田に、土方は俯いてグッと鞄の取っ手を握り締めた。

あの日と変わらぬ、軽いくせにどこか穏やかな声。
顔を見なくてもわかる。きっとこの男は今も…気怠さの中に優しさを隠したような、あの微笑みを浮かべているのだろう。

――それが上訴を封じ込めるための手段だと知っていて尚、普通の顔で振り向く術を自分は持たない。

地に縫いとめられたように固まった足を、気合で一歩、動かした。
そのまま顔も上げず返事もせずに歩き出せば、慌てたような気配が背後から迫って。

「ちょ、オイ、土方検…事…?」

パシリ。
肩を掴もうと伸ばされた手を払う。

驚いたように目を瞠っている坂田を、土方は初めて振り返った。

「…今後一切、仕事以外で俺に近付かないで下さい」

冷たい声で言い放ってから、後悔する。
…これではまるで、今まではプライベートな付き合いがあったと。土方がそう思っていたと、告げているようなものではないか。
唖然としたような坂田の目が…「今までだってお前に仕事以外で近付いたことなんかねェよ」と、そう言っている気がして。土方はサッと踵を返した。
駆け出したいのを堪えて、競歩のような早足でその場を離れる。

後ろから呼び止める声が聞こえたような気がしたが、振り向くことなどできるはずが無かった。





「…ちょ、ま、え?……なんで?」

取り残された坂田は、独り呆然と呟いていた。
土方に振り払われた手が宙に浮いている。
しばらくの間、ジンジンと痛む手と土方の立ち去った方向を交互に見比べてから…坂田はトス、と手近な壁に背を預けた。

(…ちょ、待てよ…マジで、か?)

片手で口元を覆う
突然の拒絶に、まだ頭が追いついていなかった。


世間で鬼と噂の検事サマ。
会う前は、きっといけすかねェお役人様だろう、なんて無責任な予想を立てていたのだけれど。
実際に会ってみたら、端々で予想を裏切られて驚いた。

確かにプライドは高いけれど、それは己の仕事に対する誇りの表れで。
こちらの言動に対する反応は、いちいち律儀。
しっかり調べてみれば悪評は七割方誤解…なのに、それを敢えて解こうともしないで。

真犯人を逃がす事を自分に許さず、でもそのために無辜を生み出す事もよしとせず。
検察なんて不自由な官僚機構の中で、己の信じるところに真っ直ぐであろうと足掻いている。

知れば知るほど興味が沸いて。惹かれる始めるのにそう時間はかからなくて。…気付いた時には。
その不器用なまでにピンと伸びた背中を、愛しい、とまで思うようになっていて――


己の手練手管の全てを使ってでも堕としてやろうと思った。我ながら、その辺の決断は早い。


だから。まずは印象に残らなければ、と、わざと相手の気に障るような言動を取ってみたり。その一方で強引に飲みに誘った時には、ちょっと真摯で穏やかな顔とか見せてギャップ萌えを狙ってみたり。

そして今日。
アイツは自分を越える相手にしか興味を示さないタイプだな、というのを勘付いていたから。これは何としても勝たなければと気合いを入れて裁判に臨んだ。
平素から公判の時だけ煌くと評されている瞳に、いつも以上に光を宿して。助手の新八に気味悪がられるほど力を入れて下準備していた成果を存分に発揮して。
見事、勝ち取った勝訴。
それは土方に、強烈な印象を与えたはずだった。

…のに。


(…俺は、何を間違った?)

坂田はグシャリと頭を掻き回した。


何としてでも勝とうとしたと言っても、軽蔑されるほど卑怯な手を使った覚えは無い。真実にそぐわない理不尽な判決を導き出したつもりもない。
自分で言うのもなんだが、鮮やかな裁判だったはずだ。下された判決は適正だった。…土方だって、そう思ったはずだ。
無罪判決を下された時の土方の表情が、それを物語っていた。

あの顔は敗訴を悔やむものではなく。むしろ清々しささえ感じているようで。
土方があの時こちらに向けていた感情は、決して嫌悪ではなかった。むしろ多大な興味と好感に満ちていた、はずだ。
その表情を見て、坂田は作戦の成功を確信して胸中でガッツポーズすらしたのだ。

だから。
自分という存在を土方の中に植えつけるのには成功した、それは間違いないと。あともう一歩で堕とせるのではないかと、ウキウキしながらここで待ち伏せていたというのに。


いきなりの、完全な拒絶。

まるで逆転有罪判決。手順も何もかもすっとばして判決確定、上訴は受け付けません。とでもいうような土方の態度。


「なんでだよ、オイ…」

坂田は頭を抱えて唸るような声を発した。
この短時間に、土方の中でどういう心境の変化があったというのか。
ここまで来て作戦失敗か。諦めろとでも言うのか。

「……冗談」

心の中に浮かんできた自問に、坂田は低い声で答えて顔を上げた。
こんな理不尽な判決、何の説明も無しに納得できるわけがない。
それに、そもそも。土方自身すら、この判決を心から望んでいるとはどうしても思えなかった。

――踵を返す直前の土方の瞳は、今にも泣き出しそうな色を宿していたのだから。

あんな目を見せられて、諦められるか。
きっと何か誤解があるに違いないのだ。


「こりゃ、何としてでも再審請求させてもらわなきゃな…」

坂田は中指で眼鏡を眉間に押し上げて、土方の去って行った方に視線を送った。
もう背中すら見えない。戻ってくる気配など微塵も感じない。
…だけど。



二度と俺に近付くな、なんて。
そんな量刑、俺は認めませんよ。土方検事。
検察官自身が納得してない求刑が通ると思ったら大間違いですから。


「絶対ェその判決、取り下げさせてやるからな。覚悟しとけよ…土方」


ここで終局になんかしてやらねェ。

坂田の小さな呟きが、検察庁前の空に不敵な響きを滲ませて、消えていった。





--------完


黄純さまへ。
スパコミ弁護士本無事発行お疲れ様です&オンリ原稿激励プレゼントです。


…なんていうか、あの、とりあえず、

法律ド素人ですいまっせん。

こ、これでも一生懸命勉強したんだ…っ
でも話の都合上、敢えて深く調べなかったり都合よく解釈したりしたとこも…ある…。ごめんなさい…
あ、あんまり気にしないで下さい…ううう…
素直に法廷無関係なギャグとかに逃げればよかった!生兵法は怪我のもと!

えーと…単に、弁護士パロであっても、原作と同じような過程で銀ちゃんに惚れてしまう土方が書きたかったんです。
(↑そもそも「原作で惚れた」ことが大前提になってる件。笑)


…K乃さんやR華さまの目に入るかも、というのが滅茶苦茶お恥ずかしいんですが…穴があったら入りたいんですが…ひいぃ