花に喩ふは盲目か


「じゃあ明日…はい、よろしくお願いしまーす」

ガチャリ。
西日差し込む万事屋の事務所。古めかしい黒電話の受話器を置いた銀時に、期待を込めた視線が集まる。
銀時は顔を上げると、二人の従業員に向けて口角を上げてみせた。

「よーしオメーら、仕事だぞ!」
「マジですか銀さん!」
「やっぱり仕事の電話だったアルか!」

期待通りの朗報に、万事屋の空気がパッと華やいだ。
彼らは決して、働くのが大好きだというタイプの人間ではない。しかし収入が常に不安定な万事屋にとって、仕事、イコール報酬の機会はいつだって歓迎すべき対象だった。
特に、今は。昨日大家のお登勢に家賃をふんだくられたばかりで金がない。早急に即金の仕事をしなければ生活費すら危ういというのに、今日は一向に仕事が来ないまま夕方になってしまって危機感を抱き始めていたところだった。
そこへ舞い込んだ依頼の電話。これが喜ばずにいられようか。新八は勢い込んで銀時に尋ねた。

「何の仕事ですか?屋根修理?迷い猫探し?」
「旦那の浮気調査アルか、それとも嫁の身辺調査アルか!」

神楽も目を輝かせて後に続く。いや、目をキラキラさせて言う内容がそれって、と新八は少し頬を引き攣らせたが、銀時はツッコむことも放棄したようで平然と答えた。

「紅花摘みの手伝いだとよ」
「べにばな?」

パチ、と新八は目を瞬いた。それは今までに請けたことがない仕事だ。
どんな仕事ですかそれ、と聞こうとした矢先。神楽が心得たとばかりに大きく頷く。

「わかったネ!今まで散々女を弄んでは捨ててきた男を懲らしめる仕事アルな!」

ガシャン。新八はズッコッケた。

「お前は何を聞いてたんだ!?そろそろ昼ドラ発想から離れろ!」

これはさすがに流せなかったようで、銀時のツッコミが飛ぶ。しかし神楽は胸を反らして、はっきりと言い切った。

「『べんりな女としか思ってなかったのに ニンシンさせちまうなんて バカなことをしたと なげいてももう遅い つみを認めて悔い改めるヨロシ作戦』アル」
「あいうえお作文!?ていうか即興はやっ」
「大喜利やってんじゃねーんだよ!お前その機転の早さはもっと役に立つところで使えバカヤロー」

銀時は一通りツッコんで一つ溜息を吐くと、説明するのが面倒だとでも言うようにガシガシと後頭部を掻き回した。

「紅花っつーのはアレだ、口紅とかの原料になる花のことだ。紅花農家からの依頼で、家族が風邪ひいて人手が足りねーんだと」

ここまで言うと、銀時は椅子から立ち上がってパキポキと首を鳴らした。

「わかったら今日はもう解散!店じまい!明日朝早ぇからオメーら今日はさっさと寝ろよ。特に神楽!間違ってもこの前みてーに俺を起こすんじゃねーぞ!」

ビシ、と神楽を指差してから、夕飯でも作るつもりなのか居間を出ようとする。言いたいことだけ言って話を終わりにした銀時に、新八は慌てて声を掛けた。

「ちょ、待って下さいよ銀さん!え?朝早いんですか?」
「おー、なんか、朝六時には来いだとよ」
「早っ!え、なんでそんな早いんですか!?」

目を剥いた新八に、銀時は怠そうな目を向ける。

「知らねーよ俺に聞くんじゃねーよ。依頼人がそう言ってんだから仕方ねーだろうが。今の万事屋は仕事選んでる場合じゃねーだろ」
「まぁそれはそうですけど……わかりました。じゃあ僕は明日五時半ぐらいにここに来ればいいですか?」
「いや、念のために五時に出るわ。遅れんなよ。何なら泊まってくか?」

原付で一時間。結構離れてるんだなと新八は思った。まあ、江戸に紅花農家があるなど聞いたことがないから、ある程度遠方なのは当然なのかもしれないが。むしろ一時間なら近いものだろうか。

「うーん、じゃ、今日は泊まらせてもらっていいですか?僕がっていうより、アンタらが起きられるかどうか心配なんで」
「オイコラ新八、俺を何だと思ってんだコノヤロー。俺ァ仕事はちゃんとやるっつーの」
「いやそれは知ってますけど。万が一ってことがあるじゃないですか。神楽ちゃんはいつも寝坊ぎみだし」
「ナメるんじゃないネ!私だって早起きしてるアル!今朝五時のラジオの内容だって覚えてるネ!」
「お前それ一晩中ラジオつけてただけだろうがぁぁぁ!オオオイ、言うなよ!絶対内容言うなよ!お前が聞くラジオいつも碌な番組じゃねーんだから!」
「…何かあったんですか銀さん」

新八の呆れ顔に、銀時は咳払いをして目を逸らす。それを見た神楽がバカにしたような笑みを浮かべて、そこからまた一悶着。

そんなこんな。にぎやかな声を響かせながら、万事屋の夜は更けていった。



翌日の早朝。
左右に黄色い花が咲き誇る畦道を、のろのろと走る原付が一台。その隣には、少女を乗せた白い犬。
運転しながら大きなあくびをした銀時に、後部座席の新八が心配そうな声を掛けた。

「銀さん、大丈夫ですか?事故らないで下さいよ」
「あー…事故ったらテメーらのせいだからなチクショー。結局四時間しか寝れなかったじゃねーか」
「僕らだけのせいじゃないだろ!アンタが夕飯後に俺のチョコが無くなったとか言い出すから!…って、いやいや」

新八は少しだけ声を高めてから、ここでその話をむしかえすのは厄介だと気付いて慌てて話題を変えた。チョコ盗難の怒りを思い出した銀時に絡まれては堪らない。糖分に関しては本当に、妥協というものを知らぬ男なのだ。

「それにしてもホント、何でこんなに朝早いんでしょうね?紅花なんていつ摘んでもよさそうなもんなのに」
「さぁな。専門家にしかわからねー理由でもあるんじゃねーの」
「朝露が上がらないうちは、まだ棘が柔らかいの」

突然聞こえた女性の声に、銀時は驚いて原付を止めた。新八は咄嗟に神楽を見たが、当然彼女の声ではない。神楽も定晴の歩みを止めさせて声のした方へと目を向けている。
声の主は、畦道の左側。黄色い花畑の中に佇んでいた。

「万事屋さん?来てくれてありがとう。今日はよろしくお願いしますね」
「ああ、アンタが…」

依頼人か、という銀時の言葉に、着物を襷掛けしたその女性は頷くと、頭に巻いた手ぬぐいを取って軽く頭を下げた。

「朝早くにごめんなさい。紅花には棘があってね、朝露に濡れて柔らかくなってる時の方が摘みやすいのよ」
「ああ、そうなんですか」

新八は原付から降りながら納得の声を上げた。依頼人の前で朝の早さに文句を言うような形になってしまったことに、少々バツ悪く頭を掻く。
三人揃ってよろしくと頭を下げると、女性はこちらこそと言って笑った。

「で、そのベニバナの畑っていうのはどこにあるアルか?」
「え?…ああ、ここがもう紅花畑の真ん中よ、お嬢ちゃん」

キョロキョロと周りを見渡して言った神楽の言葉に、女性は一瞬キョトンとしてから微笑んだ。
両手を広げて花畑を示され、神楽はまん丸に目を瞠る。

「紅花って黄色いアルか!?」
「なんだオメー、そんなことも知らなかったのか?」
「銀さんは知ってたんですか?」

当たり前だろ、という声音を発した銀時に、新八は驚いて目を向けた。実は新八も、この一面の花が紅花だとは思っていなかったのだ。己の無知を恥じて新八は少し赤面する。

「紅花って、口紅とかの原料になるヤツですよね?てっきり赤い花なんだと思ってました」
「ふふ、そうね。知らない人はそう思うでしょうね」

女性は足元に置いてあった籠を持ち上げて、中に入れられた黄色い花びらを三人に見せた。

「ここで摘んだ花を清流で洗って陰干しで乾燥させて、桶に入れて素足で踏むの。そうやって黄色の色素を流れ出させるのよ。それから筵に並べて一昼夜放って乾燥させると、赤く発酵するの」
「へぇ…手間がかかってるんですね」

感心して嘆声を漏らす新八の隣で、神楽も興味津々で籠の中を覗き込む。

「それが口紅になるアルか?」
「ええ。昔ながらの紅ね。最近、江戸の方で売られてる口紅は、天人の技術が入ってきて随分作り方も変わってるみたいだけど…私は、ここで採れる紅が好きよ」

女性は神楽に向けてニッコリと笑うと、愛おしむような目で紅花畑を見渡した。

「元の黄色が鮮やかであればあるほど…いい紅色になるの。充分な手間を掛けてあげればね」

その目が、本当に大切なのだとを物語っていて。新八と神楽は、知らずとつられて柔らかく笑う。

「さぁ、今日はよろしくお願いしますね」
「あ、はい!」
「任せるアル!」

黄色い花びらの端がほんのり赤くなっているのがあったら、それが摘み頃よ。女性の説明を聞きながら、新八と神楽は明るい顔で紅花畑に踏み入った。さっきまで早起きにぐったりしていたのが嘘のように、さわやかな気分で仕事に取り掛かる。

――だから、気付かなかった。

ずっと黙っていた銀時が、紅花の話を聞いている時。
何かに想いを馳せるように、考え込むように。それでいて微笑みをはらんだ目で、意味深げに紅花を見詰めていたことに。




数日を経た後のこと。

早朝、未だ陽も昇らぬ頃。薄っすらと少しずつ光の差し始めた障子に、映る人影。
真選組の屯所、副長の寝室の障子を音もなく開けて、銀時はスルリと中に滑り込んだ。

部屋の主は、まだ就寝中。
布団を被って寝息を立てている男の横に膝をついて、そっと顔を覗き込む。部屋の空気に違和感を覚えたのか、寝ながら顔を顰めた男にフッと微笑。

眉間に寄った皺、瞳孔の開いた目。ぞんざいな口調に乱暴な態度。可愛げなんて欠片もなくて、こちらを見れば条件反射のようにしかめっ面。
警戒心をそのまま形にしたみたいなカッチリした隊服を着込んで、まるで寄るな触るなとでも言うように全身を尖らせている男だけれど。
……最近。言動の端々がほんのり和らいできたことを、銀時は知っている。

スル、と頬に手を滑らせれば、土方は身じろいで、薄っすらと目蓋を持ち上げた。

「…万事屋……?」

ぼんやりとした目が銀時を捕らえる。
まだ寝ぼけているのだろう、寝所に忍び込んでいる部外者に、目を瞠って飛び起きることも怒鳴り散らすこともしようとしない。

(――朝露の上がらないうちは、まだ棘が柔らかいの)

数日前の依頼人の台詞が頭の内にリフレインする。
銀時は柔らかく笑って、黙ったまま土方の頬を撫でた。

最初は突っかかってきてばかりだった相手。
しかし何度も会ううちに、話すうちに、こちらに抱く感情が変わってきているのは手に取るようにわかって。
それでも、そんな感情の変化を認めぬとでもいうように相変わらず突っかかってくるこの男を、まるで追い詰めるように。時に真摯な顔を見せ、時に馴れ馴れしく、時に一歩引いて、徐々に距離を縮めてきた。

戸惑っているのは知っている。恐れているのも知っている。これ以上近付いてはならないと、必死な面持ちで一線引いているのも……知っている。

――だけど。


丁寧に、時間を掛けて。お前のその殻を押し流してやろう。
過剰なまでに張り巡らせた壁を。常に被っている鬼の仮面を。自分までもを騙そうとする、その頑固な虚勢を。


「――土方」
「あ…?――っテメ、万事…!?」
「ひじかた」
「―――ッ」

ようやく覚醒したのか目を瞠った土方を、名を呼ぶことで動きを封じる。
真っ直ぐに瞳を見据えながら、一音一音区切るように呼んでやれば…… 頑固だけれど聡いコイツは、それだけで、こちらの気持ちを察したのだろう。声を詰まらせて頬を染めた。


元の色が鮮明であればあるほど。
手間を掛けてその色を剥ぎ取ってやれば、それはそれは見事な紅色に染まるのだ。


――なぁ、土方。

お前もそろそろ、摘み頃だろう?




棘の鋭い俺の紅花。 
無駄な抵抗は諦めて、早く俺の手の中に落ちてこい。





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'09スパコミの無料配布。
貰って下さった方々、ありがとうございました。お粗末でございました。

実は、居/眠/り/磐/音の紅花商家が出てくる巻を読んで思いついた話。
……なんか、色々と申し訳ない…磐/音は純粋にファンなのですが。思考が腐っててすいません(笑)