キャア、と弾けるような歓声が上がる。
何事かと見遣れば、色とりどりのバルーンが空に解き放たれたところだった。
赤、白、ピンク。風に煽られて舞い上がっていく色彩を視線で追えば、太陽が眩しくて俺は掌を翳す。
空は快晴。
一面の青いキャンパスに、透き通るような白い雲がチラホラ。
緑の絨毯が敷かれたような芝生に、尖がり屋根のチャペルが出来過ぎなほど絵になっている。
そんな出来過ぎた絵の中心で、満面の笑顔でピースサインをしているのは本日の主役、花嫁だ。
ドレスアップ姿のお妙がカメラを構えて、神楽ちゃん、綺麗よ、と讃えている。
その言葉が世辞でも何でもないことは、式の前に花嫁姿を披露された時から分かっている。コレがあの鼻をほじっていた酢昆布娘かと目を疑ったものだ。
強い日射しは苦手なはずの夜の兎。だけどアイツの門出には、やはり晴れた日がよく似合う。
少女の頃から己が血と戦い続けている彼女は、今や勇猛果敢で心優しいエイリアンバスター。
おそらくは一生に一度となるであろう記念日に、よりによってガーデンウェディングを選んでみせるのだから挑戦的というか何というか。彼女らしいことだ。
爽やかな風に翻る純白のヴェール。
ドレスは上から下まで自分の好みで決めるのだと息巻いていたのに、何故かヴェールだけは新郎が勝手に選んできたと、満更でもなさそうにしていたのを覚えている。
薄手に見えるけれど、日傘の役割を果たせるくらい遮光性の高い布地。新郎が有給休暇を取って宇宙まで生地屋巡りに出かけていたとは、彼の上司から聞いた話だ。
普段は服装も腹の中も真っ黒な新郎殿だけれど、今日ばかりは白いタキシードに身を包んで黒い集団に祝福されている。
その黒服集団から離れて、一人。
新郎に口止めされていたらしい情報をアッサリと横流ししてきた副長さんは、俺の隣で僅かに眉尻を下げて新郎を眺めている。
ハレの日でも服装は平素と同じ隊服。彼にとってはそれがフォーマルなのだから当然なのだろうけれど、面白味が無いといえば無い。
でも、まあ、何を着たところで結局はこの真っ黒な幹部服が彼に一等お似合いなのは、もう分かりきった事実だ。
真選組結成以来ずっと副長職に就いている彼は、未だに『鬼の副長』と呼ばれている。隊士に聞くところによればすぐに怒鳴り散らすような事は無くなったらしいが、その代わり叱咤激励に凄みと重みが増して以前よりも恐ろしいとのことだ。
さもありなん。最近は口喧嘩で打ち負かすことも難しくなってしまった相手の顔を盗み見て、俺は笑った。
敵からも味方からも畏怖されている鬼も、今だけは、手のかかる弟を見る兄の顔に戻っている。
「……眉、下がってんぞ」
軽く揶揄ってやるつもりでそう言ったら、テメェもな、と即座に返された。
「鏡見てみろ。絶対ェお前の方が情けねェ面してるぞ」
こちら目を向けてニヤと笑った土方に、うわあ、見たくねーな、と呟いてくしゃりと頭を掻く。
否定はしない。自分史上最低レベルに情けない顔をしている自覚はある。
そもそも、祝福の輪から外れて遠目に眺めていることからして、二人して言い訳しようもない情けなさだ。
だって、仕方がないだろう。
祝いの席で何故か泣きそうになっているなんて、そんなのはガラじゃない。誰かに指摘されて皆に揶揄されるぐらいなら離れていた方がマシだ。
逃げるようにガーデンの隅に来たら、同じように逃げてきた男と鉢合わせるとは思っていなかったけれど。
「銀ちゃーん!」
不意にかけられた声に顔を上げると、花嫁がドレスの裾を持ち上げてこちらへ駆けて来るのが見えた。
オイオイ、そんな格好で走るなよ、と呆れはしたものの、足取りに危なげがないのを見て黙っておく。そんなに走りやすい靴ではなかろうと思うのだが、流石といったところか。
光沢の美しい純白のドレスは、肩が綺麗に出るデザイン。胸元にはパールのネックレスが映えて、耳にも大粒の真珠のイヤリングがツヤツヤと輝いている。
かぶき町の雑貨屋で売っている安物のアクセサリーにこっそり憧れながら、素直に欲しいとは言い出せなかったあの日のガキは、もういない。
気負いなく着飾って、それが似合ってしまう大人の女だ。
ガーデンの端っこに居る俺たちに駆け寄ってきた神楽は、息を切らした様子もなく立ち止まってニコリと笑った。
笑顔は昔と変わらない。
控えめなんて言葉は知らぬげに白い歯を見せる、明るくて人を幸せにする満面の笑みだ。
「どうした?お前、ブーケトスするんじゃねーの?」
確かさっき、祝福の輪の方からそんな台詞が聞こえたような気がしたのだけれど。
問いかけながら神楽の手の中のブーケに目を落とす。
白を基調にした、豪華だけれど清楚な印象のブーケ。シルエットはティアドロップ。メインの花はオリエンタルリリー。シベリアという品種らしい。
何故そんなことを知っているのかと言えば、ブーケ選びに付き合わされたからだ。
そんなもん俺が口を出すことじゃねーだろと何度も抵抗したのだが、銀ちゃんに一緒に選んでほしいのだと言って聞かない神楽に負けて、定番の花だの流行りの形だの、果ては花言葉まで調べて教えてやるハメになった。
希望へ向けて全速力で突進していくコイツのことだ。ガーベラがいいんじゃね?と言ってみたのだが、花言葉を一通り聞いた本人は迷いなくユリを選んだ。
無垢とか純潔とかいうガラかと突っ込んだら、鳩尾に拳を入れられて死にかけた。
今朝、彼女の手元に届いた生花のブーケは、未だ活き活きとした魅力を湛えている。
おしのびで来てくれるそよちゃんに受け取ってほしいのだと言っていたから、姫へ目がけてブーケを投げるのを神楽は楽しみにしていたはずだ。
そのお楽しみを先延ばしにして、わざわざここへ何をしに来たのだろうか。
「するヨ?だからその前に、ネ」
神楽は俺の言葉に思わせぶりな答えを返して、悪戯っぽい微笑を浮かべた。
そんな笑い方は昔は見たことがなかった。まったく、女は怖ぇなと俺は苦笑する。
どこが変わった。ここは変わらない。そんなことばかり考えている自分に、歳をとったなと実感させられる。
昔は良かったなんて台詞を吐くつもりは毛頭ないけれど。
緩やかに変化していく日常に、ほのかな寂寥を感じていることはもう、隠しようもない。
若くして恒道館道場の主となった新八は、小規模ながらも立派に、侍の心技体を門下生たちに教えている。
星海坊主と共に宇宙を飛び回っていた神楽は、最近は単独でも仕事を請けているらしい。
二人とも、弾丸のようなスピードで大人になって、俺は、万事屋に独りで居る時間が増えた。
一人分の食い扶持ならば然程あくせくと働かなくても得られるし、適度に働いて適度に怠けて、気楽な毎日を送っている。
まあ、おかしな事件に巻き込まれる事は未だに度々あるし、週に幾度かの頻度で訪ねてくる男もいるから、退屈はしていないけれど。
――ただ。
二ヵ月ほど前、久方ぶりに万事屋に「ただいま」と帰ってきた神楽に、「結婚するアル」と告げられた時。
ああ、これでもう、彼女がこの家で「ただいま」と言うことは無くなるのだな、と。
それをほんの少しだけ、淋しく感じたのだ。
らしくもない感傷に浸る俺に神楽はそれ以上話しかけようとはせず、傍らの副長さんへと向き直る。
そしてブーケからシベリアを一輪抜き取ると、土方の胸に、トン、と押し付けた。
ちょっぴり目を瞠ったのは、俺も土方も同じ。
しかし土方は、そのまま呆けてしまった俺に反して、すぐにフッと頬を緩めた。
「……俺でいいのか?」
「他に誰がいるのヨ」
主語の無い土方の問いに、神楽は胸を反らして即答する。
俺の下品な物言いが移ってしまっていた神楽の喋り方は、いつしか少し女らしいものに変わっていた。毒舌で下ネタを吐くところは相変わらずどころか、むしろ磨きがかかっているのだけれど。
昔と同じ真っ直ぐな瞳に大人の女の余裕を加えて、花嫁は土方の目を、正面から射抜く。
「私はネ、ずっと前から、お嫁にいく時にはアナタにブーケを渡すって決めてたのヨ」
きっぱり。満足げな微笑みとともに言い切った神楽を見て、ユリの花言葉を聞いた彼女が純潔でも無垢でもなく『威厳』という言葉をこそ選んだのだと、そこで初めて俺は知った。
オリエンタルリリーの高潔な白は真っ黒な幹部服によく映えて、荘厳な美しさを湛えている。
「私は人妻になってもシゴトは続けるつもりヨ。真選組隊長夫人と美女エイリアンバスター、二足のわらじネ」
土方の胸にユリを押し付ける手はそのまま、口角を引き上げて神楽は宣言する。
背は随分と伸びたけれど、さすがに土方のことは見上げる姿勢になる。それでも対等な目線を交わしていると錯覚するほど、花嫁の佇まいは堂々としていた。
「だから、ネ?私に出来ることがアナタに出来ないとは言わせないわヨ?」
「…………ああ」
挑発するような台詞に微かに笑った土方が、片手を上げて胸に押し付けられたシベリアを受け取ったものだから、俺の心臓は一瞬オカシな音を立てた。
間抜けにも薄く口を開けて眺めるしかできない俺の目の前で、二人は穏やかに微笑み交わす。
「俺はとっくに、二足の草鞋を履く覚悟は出来てんだがなァ……」
ぽつりと、風に溶け込むような声音で吐かれた土方の呟きに。
俺は耳を疑って、唖然と男の横顔を見詰めた。
聞き間違いかと脳裏を過った疑念は、破顔した神楽に打ち消される。
「なァんだ、プロポーズ待ちアルか」
「ま、そんなようなもんだな」
「そんなの待ってたらいつになるか分からないネ。そっちから言ったらどうなのヨ?」
「お前は、自分から言ったのか?」
「それでも良かったけど、後で拗ねられたらメンドくさいから花を持たせてやったアル」
「ハハ、そいつァお気遣い痛み入るな。本人の代わりに礼を言っとくよ」
くすくすと笑い交わす二人の声は、楽しげで可笑しげで、屈託が無い。
一見、花嫁と新郎の兄貴分の微笑ましい戯れ合いに見えるけれど。その会話の中身が誰のことを語っているかなんて明白で、俺はのろのろと上げた片手で顔を覆った。
――なんてこった。
「……まあ、このブーケの効果があることを祈っとくか」
白百合の香りを嗅いで相好を緩めた男の顔を、直視できない。
まったく本当に……何てことだ。
「大丈夫ヨ。だって私のブーケだもの。どんな相手にも効果抜群ネ」
神楽はグッと親指を立ててみせてから、おどけた表情をフッと収めて、綺麗、としか言いようのない表情でやわらかく微笑んだ。
「――――幸せにしてネ?」
……二人が誰のことを語っているか、なんて。
明白で、明白すぎて、居た堪れないほど。
オメーらヨソで話せよ、と叫び出したくなるのを堪えて、俺は足元に視線を落とした。
「断言はできねェが」
「ダメヨ。約束ネ」
「女は厳しいな」
「そうネ、大切な家族のことだもの。厳しくて当然ヨ」
俯いても耳には弾むような会話が容赦なく流れ込んできて、俺はただ、押し黙る。
それじゃ、私はブーケトスしてくるネ!最後にそう言い残して駆け去っていく花嫁に、張り切りすぎて姫サンにぶつけんなよ、と声をかけてやることすらできなかった。
主役が去ってしまえば、ガーデンの片隅は元の静かな空間に戻る。
「…………さて?」
笑いを含んだ声に促されてチラリと顔を上げれば、土方は片手で一輪のユリを弄んでいた。
真っ白で形の良いそれは驚くほど土方に似合っていて、神楽が真剣にユリの品種の写真を見比べてシベリアを選んだ訳が今なら分かってしまって、俺はガシガシと後頭部を掻いた。
「…………土方サン」
「はい、何でしょう?」
ぎこちなく声をかければ、噴き出すのを堪えたような返事が寄越される。
頭を掻いていた手を離して、息を、吸って、吐いて。
ここまでお膳立てしてくれた花嫁に、これ以上笑われないように。
「その片足に、うちの草鞋を履いてくれねーか?」
ようやっと、真っ直ぐに視線を上げて男の顔を見れば。
……お互い、随分と時間かかっちまったな。そう笑って、土方はシベリアを俺の胸ポケットに挿し込んだ。
ああ、でけぇブートニアだ。
花の重みでポケットから零れ落ちそうになるそれを咄嗟に片手で押さえて、俺はまた俯いて口の端を緩めた。
――まったく、参ったね。
幸福を祝うべき場所で何故か泣きたくなるなんて、俺のガラじゃねぇっつったのにな。
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Mimiさんに「神楽ちゃんの結婚式を遠くから眺めてちょっと泣きそうな銀さん」
というイラストのリクエストをしたところ、
素晴らしいイラストを描いてくださったうえに、
「神楽ちゃんからブーケの一輪を押し付けられる土方さんと、それを見た銀さんが何を思うか」
という素敵なネタを頂戴してしまって、僭越ながら描かせていただきました。
とても幸せでした。銀土おめでとうありがとう…!
Mimiさんの素晴らしいイラストはこちらから!!