土方さん、と屯所の外から呼ばう声が聞こえて、真選組副長土方十四郎は門へと足を向けた。
あの声は志村だ。万事屋のメガネ、志村新八。もう耳だけで確信の持てる馴染みの声。
――正確には、馴染みであった事を思い出した声、だ。

「そろそろ出陣か?」
 
門をくぐりながら問えば、志村は膝に両手をついて肩で息をしていた。
つい一時間ほど前、俺たちのところへカラクリ家政婦を連れて乗り込んできた後も、あちこち駆けずり回ってきたらしい。

「いえ……っ、あの、あと、もうちょっと……っ」
「ああ、わかった。無理に喋らなくていい。オイ、水」

ぜーはーと荒い呼吸の合間に話そうとするのを止めて、門衛に水を持ってくるよう指示する。この様子じゃ飲まず食わずで奔走していたのだろう。出陣前に握り飯でも用意した方が良いかもしれない。
見渡すに、チャイナとカラクリ家政婦の姿が無い。まだ方々へ『思い出させに』走っているのだろう。予定より時間がかかっているから志村だけ進捗を知らせに来た、というところか。
門衛が運んで来た水を呷って一息ついた志村は、ひとつ深呼吸をしてから土方に向き直った。

「おかげさまで桂さんは見付けられました。あとは吉原なんですが、あそこがちょっと厄介で……」
「なるほどな」
「こそこそ探し回るより、逆に騒ぎを起こして百華に捕まった方が月詠さんに会えるだろうって、神楽ちゃんが今暴れてます」
「おいおい」

大胆な事を口にする志村に苦笑する。首尾良く百華の頭に会えればいいが、下手をしたら会う前に首が飛びかねない。
僅かに眉を顰めた土方に、志村は汗を拭いながら笑ってみせた。

「月詠さんじゃなくても百華の人はみんな銀さんのこと知ってたはずですから大丈夫ですよ。イザとなれば片っ端から記憶データをぶちこんでいく予定です」
「そいつァ面倒がなくていいねィ。いっそ江戸中にデータばらまいたらどうなんでィ」

ひょいと顔を覗かせた一番隊長が志村の策に賛同してニヤリと笑う。
乱暴な物言いに思わずオイと咎める声を上げれば、今も昔も生意気なサディスティック星の王子は事も無げに鼻を鳴らしてみせた。

「今この世界はどうせ無かった事になるんでィ。多少ムチャしたところで構やしねェでしょう」

 総悟の言葉に、志村はパッと笑顔を輝かせて大きく頷く。
何気ないふりで後頭部で手を組んでいる総悟の瞳も『この世界』では終ぞ見たことのないほど活き活きと輝いていて、折しも屯所から歩み出て来た近藤と山崎も、総悟の顔を見て楽しげに笑みを浮かべている。
胸ポケットから買ったばかりのマヨボロを取り出して、一本咥えてライターを擦る。
残念ながら『以前』愛用していたマヨ型ライターは随分前に捨ててしまった。今考えると惜しい事をしたものだ。

「あれ?土方さん、電子タバコやめたんですかィ」

目敏く気付いた総悟が片眉を上げる。久方ぶりに吸い込んだ煙に頭が軽くクラリとしたが、土方は平然としたふりで指先で煙草を摘まんだ。顔を逸らして細く紫煙を吐き出す。
 幕府のお偉方に副流煙がどうのこうのと嫌味を言われて嗜好品を変えたのは、もう随分前の事。
だが土方は、昨日の事のように覚えている。脳に流し込まれた数年分の記憶の中、紙巻き煙草を咥え続けた日々。
嗅ぎすぎて慣れてしまったヤニ臭さ。ニコチン中毒と罵る声。嫌がらせに煙を吹きかけた、相手。
電子タバコより細く軽い筒を指に挟んで、土方はゆったりと口角を上げる。
今『この世界』で咥え煙草のまま登城しようものなら、即座に咎められて組にはキツイお達しがくることだろうが。

「……俺たちがこれから行くのは、胸糞悪ィ狐狸どもの巣でも長いモンに巻かれちまった市中でもねェ。権力も規律も蹴散らして歩く、天下のバラガキんとこだろーが」

横目で志村に視線を遣って、ニヤリ、笑んでみせれば。
志村はさもありなんと破顔し、総悟は物騒に口の端を緩め、近藤と山崎は納得の表情で賛同の声を上げた。

「やっぱり副長は、そうやってふてぶてしく煙ふかしてる方が似合いますね」
「ああ、それでこそトシだな」

そう言って呵々大笑する近藤に背を押されるように、じゃあ僕は神楽ちゃんたちに合流しますね、また後で!と志村は弾む足取りで駆け出して行った。
あっという間に小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、土方は彼の行く先にあるものを見透かすかのように目を細めた。

――なァ、クソ天パ野郎。
テメェの知ってる世界からテメェだけが消えて、それで終いだと、テメェは本当にそう思ったのか?

「……アホか」

土方は煙草を咥えた口の端でボソリと呟いて、だからテメェは大馬鹿野郎だっつってんだ、と脳内で続けた。
風にさらわれていく煙を追って視線を動かせば、バカみたいに晴れた空を行き交う異郷の船と、天まで届けとばかりに聳えるターミナルが目に入る。
往来を歩く人々の顔は少なくとも表面上は穏やかで平和な暮らしを享受しているけれど、ターミナルを中心に広がる高層ビル群は年々、昔ながらの江戸の町を圧迫している。
 
十五年前、白夜叉は死んだ。
英雄の一人を喪って勢いを削がれた攘夷軍は『以前』よりも早く敗戦を喫し、結果として幕府が天導衆から受ける圧力は一段階重く、街中を我が物顔で闊歩する天人の数は、幾ばくか増えた。
理不尽に蔑まれて唇を噛む地球人は少なくなく、宇宙産の非合法麻薬の被害は後を絶たず、吉原は未だ幕府公認の地下遊郭として鳳仙の支配を受け、桂は過激派攘夷浪士として爆弾テロを繰り返している。
ここが俺たちの国だとは決して胸を張って言えぬ状況下で、それでも道行く人間が笑っているのは、強者に逆らわずひっそりと無難に生きていく事がこの世の幸せなのだと受け入れてしまっているからだ。

(……万事屋)

『今は亡き』男に胸の内で呼びかけて、土方はひとつ、舌打ちをする。
――テメェが、テメェの人生が、誰かと出会って変わったのと同じように。
テメェ自身の存在が周りの誰かを変えてきたのだと、そんな簡単な事にどうしてテメェは気付かねェ。

お前を失ったこの世界で、俺たちは。
少しだけ背筋を丸めて、少しだけ頭を垂れて、少しだけ膝を屈して、生きてきた。

万事屋。テメェは、アイツらのピンと伸びた背中が好きだったんじゃねェのか。
どんな状況でもニンマリと笑ってみせる、アイツらの魂を護りたかったんじゃねェのか。
お前が自分を殺してまで遺そうとした未来は、本当にこんなものだったのか。
不条理から目を逸らし言いたい事を呑み込んで、牙を抜かれた獣のように、瞳の奥に不満と諦念を綯い交ぜにして生きていく。
そんな世界を、お前は本当に望んだのか。

――少なくとも、俺は。
気に食わねェお偉いさんの嫌味ひとつで煙草を紛い物に変えるような『今』の自分よりも、貴様らの思い通りにはならねェと些やかな反抗の狼煙を口の端に咥え続けた『前』の俺の方が、何ぼかマシだと思っている。

「山崎、幟を用意しろ。一本じゃ足りねェな……最低三本」
「あ、はい!戦ですからね!どんな幟にしましょうか。『誠』ですか?」

傍らに佇む山崎に声をかけると、どんな世界でも地味な部下がいやに張り切った返事を寄越す。
土方は少し考えるそぶりをしてから徐に首を横に振った。

「いや、『万事屋』だ」

土方の寄越した返答に山崎は一瞬ギョッとしたように目を瞠り、総悟が瞳に揶揄を浮かべて唇を歪める。

「何でィ、攘夷浪士に転身したかと思ったら、今度は胡散臭い自営業に転職ですかィ」
「そういうんじゃねーよ」

総悟の戯言は一言で斬り捨てて、苦々しく眉を寄せて煙とともに溜息を吐く。

「あのバカはどうせ、そのくらい分かりやすいモン見ねェと分かんねーだろーが」

何しろバカだからな。まったくもって腹立たしいという口調で言ってやれば、そりゃ違いないなと近藤が笑う。

「いいか?近藤さん」
「ああ、もちろんだ。ザキ、三本と言わず五本、十本と作ってくれ」
「はいよっ」

余所の屋号の幟を立てたいなんて副長の伺いに、大将は実に大らかな命を下した。

――なァ、白夜叉さんよ。大馬鹿野郎のテメェに教えてやらァ。

お前が望んだ、バカな連中のバカ騒ぎな未来は。
テメェっつーバカが一人欠けたら成り立ちゃしねーんだってことをな。

屯所へ駆け込んでいった山崎の後から、局長と一番隊長と肩を並べて門をくぐりながら。
真選組副長の口元からは白い煙が流れて、空に浮かぶ船へ宣戦布告するかのように立ち昇っていった。


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過去改変後の未来土方の電子タバコ設定の意味を考えたら、こういう事かなと。