7月7日。
保育園のテラスには笹が飾られて、園児たちの作った笹飾りが揺れている。
少々寂しげに見えるのは、まだ短冊が下げられていないからだ。
早く飾ってやらねーとな。教室の窓から笹を見た土方は、軽く口元を緩めた。彼の手の中には、折り紙で作られた短冊がある。これに園児の願い事を書いて笹に吊るすのだ。

土方の担当は五歳児で、発育の早い子の中には文字を書ける子もいる。しかし全員が全員、お願い事を自分できちんと言葉にして短冊に書く、なんて高度な芸当ができるはずもなかった。だから今、土方は一人ひとりに願い事を聞いて代筆している最中なのである。

「由紀ちゃんは?何をお願いするんだ?」
「あのねー、ゆーちゃんねー、あのねー」

しゃがみこんで視線を合わせて問えば、園児は手を後ろに組んでモジモジと言い淀んだ。内緒話でもしたいのだろうかと、土方は床に膝をついて女児の顔を覗き込む。
周りには他の園児もいるし、お願い事を聞かれたくないという子もいるだろう。そう思って耳を近付けたのだが、女児が言い淀んだ理由はそういうことではなかったらしい。

「ゆーちゃん、せんせーのおよめさんになりたい!」

モジモジしながらもキッパリとした声で言われて、土方はパチクリと瞬いた。次いで、思わず頬を緩める。
何とも保育園児らしい。かわいらしいことだ。

「そうか、ありがとな。それがお願い事でいいのか?」

確認するように問えば、嬉しそうにコクリと頷かれる。と、それを周りで見ていた園児たちから声が上がった。主に、女児から。

「あっちゃんも!あっちゃんもせんせーのおよめさんになりたい!」
「とーしろせんせーのおよめさんー!」
「だめ!ゆーちゃんがさきにいったの!」

途端にワイワイと騒がしくなった周囲を、土方は何とも言えぬ気持ちで見渡した。
このクラスの園児たちは自分によく懐いてくれている。それは嬉しい。嬉しいが。

(こんな人相も性格も悪い保育士のどこがいいんだお前ら)

そう考えて苦笑する。
土方十四郎は、お世辞にも保育士に向いているとは思えない男だった。目つきは鋭く、眉間には皺が寄りやすく、性格は短気で好戦的で愛想無しで、口が悪い上に喧嘩っ早い。どうしてこの職を選んだのか自分でも疑問に思うほど。
それでも、辞めもせずにもう六年目。
保育士としての腕はそれなりに上がったと思うが、自分の表情や性格が和らいだとはあまり思えない。しかし園児たちは何故か、怖がりもせずに慕ってくれている。女児だけでなく、大半の男児も。

まったく不思議なものだ。

大学の後輩にそう零せば、「子供たちは土方さんの隠しきれないお人よしオーラをちゃんと感じ取っているんですよ」と笑われた。その時は何となくイラッとして殴っておいたが、まぁ何にせよ。

多少の疑問は残るものの、慕われて悪い気分になるはずがない。
苦笑しながらも、まだキャイキャイと言い合っている女児たちを止めようと土方は口を開いた。

――その時。

「ばっかじゃねーの?」

横合いから聞こえた声に、土方はピクリと微かに眉を上げて口を噤んだ。
振り返れば、そこには銀色の癖っ毛をもつ男児が、妙に冷めた目をしてこちらを見ている。
その姿を認めて、土方は溜息を吐きたいのをグッと堪えた。

坂田銀時。
土方のクラスの問題児である。

と言っても、大した問題行動があるわけじゃない。他の子に暴力をふるうとか玩具を占有するとか、目を離したら教室からいなくなるとか高所平気症だとかそういうことではないのだ。積極性には少々欠けるが孤立するタイプでもなくて、友達にも好かれている。
ただ、問題なのは。

――この男児だけが、クラスで唯一。土方に懐いてくれない、ということだけで。

土方は堪え切れず、そっと気付かれぬように溜息を吐いた。

この冷めた目をした子供は普段はダラダラとやる気のない様子(保育士としてはそれも幾分気にかかるところではある)なのだが、妙に大人びたところもあって、口のきき方は一丁前。そして土方に対しては特に、わざとこちらの怒りを煽っているのではないかと思うような腹の立つ言動をとる。
最初は、大人が嫌いなんだろうか、と思った。だが他の先生に対しては普通、というか、ダラダラとはしているがそれなりに好意的に接しているようで。
迎えにくる長髪の男性には、あからさまな表情こそないものの、慕っていることが手にとるように感じられた。

要は、自分だけが嫌われているのだ。

そうと知った時の土方は少しヘコんだが、人の好みまではどうにもできない。大人だって、生理的に受け付けない相手というのが存在するのだ。子供でもそれは同じだろう。
今年の4月から担任になって、5月の頭ごろには既に嫌われているとわかって、6月まではどうにか距離を縮められないかと努力してみたが。7月に入って、一向に改善しない関係に土方はもう諦めかけていた。

今だって。銀時は、土方が女児たちにチヤホヤされるのが気に食わなくて口を挟みにきたに違いない。

子供相手に多少いじけた思考に陥っている自覚はあったが、あながち間違いでもないだろう。だって銀時は、せんせーぎんちゃんがバカって言った、と騒ぐ女児の非難にもめげず、だってバカだろ、と冷めた目で繰り返しているのだから。

「おまえらなー、とーしろせんせーは、わかぶってっけど もう28さいなんだぞ」

若ぶってるとは何だコラ。つーかテメーそんな言葉どこで覚えてくんだ。
胸を張って女児たちに言う銀時に、土方は心の中で突っ込んで眉を顰める。しかし心の声が聞こえるはずもなく、銀時はますます胸を反らして、小憎らしいしたり顔で言葉を続けた。

「だからなー、おれたちがおとなになったら、せんせーは40さいのオッサンなんだぞ!」

(哀しくなることを言うなボケェェ!)

よんじゅう、という数字に思いのほか打ちのめされた土方は、床にしゃがみこんだ体勢でガクリとうなだれた。
確かに、現在五歳の彼女らが結婚できる歳になる頃には自分は四十だ。いや、女は十六で結婚できるんだからそれならまだ三十九だよ四十路じゃねぇよ!と、必死になっている自分に気付いて土方はこっそり舌打ちする。
そもそも銀時が土方の年齢を正しく把握していたこと自体驚きなのに、十数年後の歳まできっちり計算してくるなんて。これが土方に与えるダメージの大きさを知ってのことだとしたら、末恐ろしいガキだ。

「おまえら、オッサンとケッコンしてもいーのかよ?」
「………いくない」

オイ。
銀時の問いにちょっぴり悩んで答えた女児に、土方は思わず突っ込んだ。
もちろん土方とて本気で彼女らとどうこうなる気など無かったが、こうも簡単に言を翻されては裏切られた気分になる。

(…園児の愛なんて所詮幻想だよな……)

もう話は終わりとばかりにサーッと解散していく女児の後ろ姿を眺めながら、土方は深い溜息を吐いた。
慕われて嬉しい、なんて柄にもなく思っていたところだっただけに、虚しさがでかい。結局短冊には何て書けばいいんだと呼びとめる気力も湧かないほど。

ハァ、と再度息を吐いて、立ち上がる。と、まだ誰かが近くに佇んでいる気配を感じて土方は目を向けた。
まだ願い事を聞いていない園児が待っていたのかもしれない。
そう考えたのだが、そこにいたのは先ほど土方の精神に大ダメージを与えた男…銀時で。

顔を歪めて立ち去りたいのを理性で堪える。そういえば、コイツの短冊もまだ書いていなかった。嫌われているからと言って一人にだけ願い事を聞かないなどと、そんな保育士にあるまじきマネをするわけにはいかない。…たとえ銀時が冷めた園児で、七夕などバカにしていたとしても。

「あー…銀時くんは何をお願いするんだ?」

顔を引き攣らせながら問えば、「願い事なんか」と突っぱねるかと思われた銀時は、意外にも、ん、と一枚の短冊をこちらに突き出してきた。
既に何やら書かれているらしいその短冊に、ああ、そういえばコイツは字が書けたっけな、と土方は思い出す。
銀時がこういう行事に積極的に参加してくるのは珍しい気がしたが、甘いもの好きのコイツのことだ。きっと書かれている願いは「ケーキが食べたい」とかそういうことだろうと推測して、土方は短冊を受け取った。

「あんしんしろよ、せんせー」
「は?」

受け取った短冊を見る前に、銀時に投げかけられた台詞に土方は目を瞬いた。
見れば銀時は珍しく、本当に珍しく、冷めていないキラキラした瞳をこちらに向けていて。

さらにあろうことか、その口元はニッと笑みを描いていた。


「おれは、せんせーがオッサンになってもちゃんとヨメにもらってやるからな!」


ビシリ。宣言して、満足そうに去っていく背中を呆然と見送ってから。
土方は恐る恐る、手の中の短冊に目を落とした。
そこには、保育士六年目のスキルがあるからこそ判読できる文字が並んでいて。


『とーしろせんせーをおよめさんにする』


およめさんって、俺は男だ、とか。
するって断定形かよコラ、短冊なんだから願望形にしとけ、とか。
そもそもアイツ俺のこと嫌いなんじゃなかったのか、とか。

色々と、突っ込みどころはあったのだが。



「………『を』の字が逆さまだぞ」

土方は漸くそれだけ口にして、しゃがみこんだ膝の間に顔を埋めた。



ひょっとしてひょっとするとアイツのアレは、好きな子を苛めてしまうという典型的なアレだったんだろうか、と。
そんなことに今更気付いて…あまつさえ何故か赤面している自分の顔を。

断じて誰にも、見られるわけにはいかなかった。





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一周年企画リクその7
「幼児なぎんときくんに振り回される保父土方さん」でした!

こ、こんな五歳児いないかな…(笑)でもまぁ、ちっちゃくても銀ちゃんだし!存分に土方を振り回すがよいわ!

リクエスター様、楽しいリク、本当にありがとうございました!