万事屋より糖をこめて
――舞台はロンドン。
ビッグ・ベンの両針が揃って真上を指さんとする、時刻は真夜中、零時数分前。
平素ならばシンと静まり返っているはずの美術館は、ものものしい空気に包まれていた。
館内には至る処に佇む制服警官。周囲を囲む警察車両。地上からは投光機の光が何本も伸びて、夜空を縦横無尽に切り裂いている。
中でも特別に警戒の厳しい中央展示室では、数人の男たちが一枚の絵画をギラギラした瞳で見詰めていた。
「……フン、いくら名うての怪盗だとて、この警戒の中では手も足も出まい」
一人が呟けば、そうだ、所詮コソ泥、と誰かが続ける。
低い嘲笑の波が広がった、ちょうどその時。カチリ、時計の両針は真上に揃った。
途端、プシュウゥ、と音を立てて、絵画の後ろの壁から噴き出した煙。
俄かに騒然とした展示室、慌てて絵画に手を伸ばす男たちを嘲笑うかのように、アッと言う間に視界は白く染まる。
怒鳴る形に口を開けば、肺に流れ込んできた煙が意識を急速に遠ざけて――
――次に彼らが目を開けた時。その瞳に映るのは消えた絵画と、壁に残された一枚のカード。
「やられた……っ!」
今夜もまた、歯噛みしたのは警察と宝の持ち主たち。
――ご愁傷様。
泥棒は闇夜のどこかで、白銀の髪をなびかせて笑った。
『――絵画の掛けられていた壁には、縦10センチ、横15センチほどのカードがピンで留められており、そこに書かれていた内容から、警察では怪盗『万事屋』が事件に何らかの関わりがあると見て捜査を――』
「何らかの、って何でィ。犯人って言っちまえばいいだろィ、まどろっこしいなァ」
某国軍の情報部。デスクに積まれた書類を無視して、茶髪の美青年が茶を飲みながらTVニュースを眺めている。
隣席で資料……と見せかけて月刊バドミントンを読んでいた男は、青年の言葉に苦笑して顔を上げた。
「警察だってそう言いたいのはやまやまでしょうけどね。そう簡単に断定するわけにはいかないんですよ、きっと。それより沖田さん、そろそろテレビ消してもらえませんか?」
チラリ、時計を見て、男は月刊誌を抽斗の奥に隠すように仕舞った。沖田と呼ばれた青年はその様子を一瞥すらせず、TV画面を見詰め続けている。
「それにしても旦那もよくやるねィ。今月に入って三件目だろィ。あの人がこんな勤勉に働くたァ、よっぽど生活切羽詰まってんだなァ」
「泥棒行為に勤勉って言葉使っていいんですかね……っていうか沖田さん、聞いてます?テレビ止めないと、そろそろ少佐が来ちゃうですけど!」
チラリ、今度はドアの方へと目を向けて、男は焦りの滲む声を上げた。しかし沖田が反応を返すよりも早く、TVアナウンサーが声の調子を変えてそれを遮る。
『速報です!つい先程、警察当局が証拠品であるカードの内容を公表しました。公表された内容は以下の通りです……カードを残した者は怪盗『万事屋』を名乗っており、今回の犯行が自分の仕業であると示唆していること。また、次なる犯行を三日後と予告しており、その場所と目的物、予定時刻が明記されていること……』
「あららァ、四件目かィ。こんな真面目に仕事するなんて旦那らしくもねェ。何かあったのかねィ」
「泥棒行為に真面目って言葉……ってうわ!きたきた来ましたって!」
カツカツカツ、廊下から音高く響いてきた靴音に、男は大慌てでTVに駆け寄った。リモコンは沖田の手の中にあるのだが、どうも消してくれる気配がない。ならば主電源をオフにするしかないという判断だ。
つき指しそうな勢いで伸ばした人差指がブツリとTVの電源を落としたのと、ほぼ同時。靴音は部屋の前で止まって、間髪入れずにドアが開いた。
「部下Y! S! H!」
「ははははいィィィ!」
部屋に踏み込むや否や開口一番。三人の部下の名を怒鳴った黒髪の軍人に、TVの真ん前で固まっていた男はピシリと直立不動の姿勢をとった。
彼の名は山崎。すなわち、先程呼ばれた三人のうちの部下Yに当たる。
山崎の上司である黒髪の軍人、土方十四郎少佐殿は、本日もまた眉間に深い皺をくっきりと刻みこみ、瞳孔の開いた目で室内を睥睨した。
「……返事が一名しか聞こえねェが?」
土方の形の良い唇から地の這うような声音が発せられて、この人ホント、口さえ開かなきゃ超美形なのにな、と山崎は胸中に嘆息した。
いやまあ、何を喋ろうが美形は美形なのだが、あまりに性格が横暴で凶暴なものだからせっかくの長所が霞みまくりなのだ。まったくもったいない話である。
「あ、原田さ……Hは、先程トイレに立ちまして」
「何分前だ」
「え、さ、三分前……くらいだと、思いますけど」
「あと二分で戻って来なかったら切腹だな」
ええええ、と心の中でだけ叫んだのは山崎だけ。言った本人は冗談を言った風でもなく平然としているし、沖田など未だに茶を飲んでいる。
そんな沖田に目を向けて、土方はピクリ、こめかみ付近を引き攣らせた。
「……で、そこにいるテメェは何で返事しねェんだコラ」
「はい?ひょっとして俺のことですかィ?」
「テメェ以外に誰がいるってんだァァ!めちゃめちゃ目ェあってんだろうが!」
窓ガラスが震えたほどの上司の怒声に山崎は肩を竦めたが、怒鳴られた沖田はケロリとしたもので、皮肉げに口元を歪めて言葉を返した。
「おや、それはすいやせんでした。生憎と沖田とも総悟とも聞こえなかったんでねィ。土方さん、いくら歳のせいで人の名前覚えられねェからってアルファベットで呼ぶのやめてくだせェよ」
「誰が歳のせいだァァァ!人の名前が覚えられんで情報部が務まるか!アレは部としての方針だっつってんだろ上官命令に従えテメェは!」
「嫌でィ」
縦社会の軍の中とは思えない部下の即答に、土方の額に本格的に青筋が浮かぶ。あ、コレはマズイ。そう思った山崎は咄嗟に声を上げた。
「あ、あ、あの少佐!情報部長がお呼びだったそうですが、新しい任務ですか?」
そう聞けば、土方の表情がスッと変わる――マジギレ一歩手前の顔から、冷静冷徹なスパイの顔へ。
この男は短気で過激で暴力的だが、常に最優先事項は任務の遂行なのだ。ひとたび任務に頭を飛ばせば、瑣末な事は脇に追いやってくれる。
……部下の休暇願なども「瑣末な事」に分類されてしまうから、普段はあまりありがたくない性格なのだけれど。今回はそれで助かったと山崎は胸を撫で下ろした。
(……やれやれ、なんとか誤魔化せたな)
沖田さんの無礼極まる発言も――先程までTVを見ていた、という事実も。
沖田が仕事をサボッてTVを見ていることは、さほど珍しいことではない。土方も見かければ怒りはするが、一通り怒鳴るだけで本気でキレたりはしない程度のことだ。
しかし、今日ばかりは。土方の前では欠片でもTVの話題に触れたくなかった。
……問題なのは、放映されていた内容なのだ。
「美術館だ」
「へ!?」
己が今まさに考えていた事を土方当人が口にしたものだから、山崎は思わず素っ頓狂な声を上げた。
慌てて顔を向ければ、土方は不審そうな眼でこちらを見返している。
「……次の任務は、パリの或る美術館だ。部下Y、何かあんのか」
「え、い、いえいえ別に!その、美術館で一体どういう任務なんだろう、と……」
なんだ任務の話か。ドキドキと鳴る心臓を押さえながら必死で誤魔化す。
不審感は完全には晴れなかったようだが、土方は深く追求しないことにしたらしく話を続けた。
「同盟国のバカなスパイが我が軍に渡す予定の情報チップを握ったまま敵に追われて、あろうことか真昼間の美術館に逃げ込んだ挙句に展示品の中にチップを隠したそうだ」
「はあ…」
「追手から逃げ切ったはいいが、チップを回収しようにも美術館だけに監視が厳しくて上手くいかない、と泣きついてきたらしい」
「隠す時に回収する時のこと考えてなかったんですね」
「俺の部下だったら即刻切腹だ」
苛立ちも通り越して呆れた口調でのたまった土方に、苦笑して山崎も頷く。
己で隠したチップが回収できない上にそれを同盟国に任せようとは、情けなさすぎる話だ。おそらく相当難しいところに隠してしまって、これは「鬼の十四郎」でなければ無理だと判断したのだろうが。
「経緯はバカバカしいがチップの中身はバカにできねェ。すぐ出発するぞ。俺は資料室に寄ってから行くから正面に車回して待ってろ。部下Y、テメェはH探して引っ張って来い。アイツはこの件が終わったら切腹だな」
腕時計を一瞥してそう言うと、土方はドアへと身を翻した。
「俺は留守番でいいですかィ」
「いいわけあるか。テメェも任務に同行して帰ってきたら切腹だ。腹切る覚悟しとけ」
「嫌でィ。お前が死ね土方」
「テメェが死ねェェェ!」
上官と部下とは思えない会話を交わして、バタンと扉が閉まる。
カツカツとよく響く靴音が遠ざかるのを確認してから……山崎は、そっと沖田に問い掛けた。
「……あの、沖田さん、まさかとは思うんですけど、美術館ってひょっとして、さっきテレビで予告がどうとか言ってたとこ……だったりしませんよね?」
「さぁねィ。誰かさんがテレビ切っちまったから分からねェや」
「ちょ、俺のせいですかァァァ!?」
沖田の無情な返事に、山崎は顔を引き攣らせた。
(いや、まさか……ね)
嫌な想像を、頭を振って追い出す。
世界に一体いくつの美術館があると思っているのだ。自分たちの今回の任務と……土方が大嫌いな怪盗、『万事屋』の次なる得物が同じ場所に重なるなど、どれほどの確率だろう。
――それでも。
ここ最近のあの怪盗との遭遇回数を考えると、どうにも不吉な予感は晴れなくて。
彼と出遭うと普段の二割増しキレやすくなる上官のことを思って、山崎は深い深い溜息を吐いた。
「あー、めんどくせー。めんどくせーよ行きたくねーよもう。やめよーぜ行くの」
「なに言ってるんですか銀さん!予告したんですから、ちゃんと行かないと」
長椅子にダラりと寝そべって気怠いにも程がある声を出している銀髪の男に、眼鏡の少年が呆れたような口調で言葉を返す。
「怪盗が予告守らなきゃいけねーとかいうルールなんかねーだろーが。今月もう三回も働いてんだぞ?もうよくね?これ以上働いたら俺死ぬ気がするわ」
鼻をほじりながら怠惰なことを言い募っているこの男が、今をトキメく怪盗『万事屋』だなどと誰が信じるだろう。眼鏡の少年、新八はハァと軽い溜息を吐いた。
「働かないと、飢えて死にますよ」
「そうアル!もう定春のごはん無くなりそうネ!早くしないと定春かわいそうヨ!」
横合いから飛んできた少女の声に、ガバリ、長椅子の上で身を起して『万事屋』――坂田銀時は、叫んだ。
「もとはと言えばオメーがそんなもん拾ってくるからだろーが!ただでさえオメーがバカみてーに食うのにそんな巨大な犬!これ以上エンゲル係数増やしてどうすんだ!つーかペットのエサ代ってエンゲル係数に入んの!?」
「入るんじゃないですか。家族ですし」
「そうアル!定春は私たちの大事な家族ネ!」
「何ちょっといい話にして誤魔化そうとしてんの!?そういう動物系のお涙ちょうだいとか俺泣かないから。ガキと動物出しときゃ鉄板とか言ってるテレビ局なんか鼻で笑ってやるから!」
怒涛の如く捲くし立てて再びゴロリと寝そべってしまった銀時に、新八は先程よりも幾分深い溜息を吐いた。
どうやら銀時は本当に疲れているらしい。今まで一ヵ月にせいぜい二回ぐらいだったのに、今月は四回目に挑もうとしているのだから当然のことなのだが。
でも、定春のエサ、ホントに尽きかけてるしなぁ。新八は眉尻を下げた。新八と神楽だけで出来る仕事ならいいのだが、今回予告してしまった得物は銀時がいなければ盗めそうにない。
「新八、銀ちゃん全然やる気ないアルな」
「うん……どうしようか神楽ちゃん」
隣に寄ってきたチャイナ服の少女に、新八は困った顔で応える。すると少女は数秒間考え込んだ後、ポン、と手を打った。
「そうネ!新八、銀ちゃんにこう言うアル、…………」
「え、ええええ、そんな嘘ついて大丈夫かな。っていうかそれ、逆効果なんじゃ……?」
「大丈夫ヨ。早く言うヨロシ!」
耳元に囁かれた言葉に少々蒼ざめた新八を、神楽はグイグイと銀時の方に押しやった。
寝そべっていた銀時に目を向けられて、少年は唾を飲み込み、おそるおそる口を開く。
「あの、ええと……銀さん、次の得物の美術館ですけど、その近くに土方さんが任務で来てるみたいです、よ」
銀時と犬猿の仲である強面スパイの名を出す時、新八は無意識に緊張していたらしく声が固くなった。
某国軍情報部の土方十四郎。新八自身はそれほど悪意のある言動をとられたことはないが、おそろしく短気で過激な人だということは分かっている。銀時とはどうもそりが合わないらしく、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていることも。
こんな嘘を吐いて、一体何になるのだろう。新八は神楽の意図が分からずに内心で首を傾げた。
会ったら喧嘩しかしない相手とわざわざ会いたがるとは思えない。逆に仕事に行く気がますます失せてしまうんじゃないかと思うのだが。
「……あっそう。やだねー、あんなチンピラスパイに近所に出没されたんじゃ美術館もたまったもんじゃねーよな。静謐な空気がニコチンの臭いで台無しだよ」
ああ、やっぱり。トーンが一段下がった銀時の声に、新八はガクリと肩を落とした。
「ほら、神楽ちゃん、やっぱりダメじゃな……」
「おーいぱっつぁん、何してんだ。行くぞ」
「ってええええぇぇぇえ!?」
いつの間にか立ち上がって身支度を終えていた銀時を見て、新八は何重もの意味で驚いて絶叫した。
「え?なんで?いつの間に!?っていうかなんでェェ!?」
さっさと家を出て行こうとする銀時を追いかけながら、わたわたと疑問を叫べば。隣で神楽がしたり顔でニヤリ笑う。
「新八、複雑で微妙なオトコゴコロが分かってないアルな。だからお前は新八なんだヨ。さっさと七引いて新一になるヨロシ。いっそ八引いて新零になるがいいネ」
「いや、別に数字が減るほど鋭くなる仕組みとかじゃねーよ!工藤さんちの新一君が特別賢いだけだよ!」
「マジでか。じゃあ新八は一生新八アルか。七引いても八引いても新八のまま変わらないアルか。そんなのあんまりネ……!」
「なんでだァァァ!新八の何が悪いって言うんだチクショー!八、ラブ!俺は新八という名前を愛している!……っていうか何の話ィィィ!?」
神楽と掛け合い漫才をしている間に、気付けば既に銀時の姿は無くて。新八は神楽とともに、慌てて家を飛び出していった。
「美術館の周辺の地図だ。よく見比べておけ」
空港から車で数十分。問題の美術館に着いた土方は、原田に外周を見て回るように指示して車を降りた。山崎と沖田もそれに続き、三人で入館する。
平日の昼間にもかかわらず、人の出入りが多い。ここはそんなに人気のある美術館だったかと土方は首を傾げた。
芸術方面に疎い土方は資料上の情報しか知らない。出発する前に確認した資料では、中規模で展示物のレベルもそこそこ、という印象だったのだが。
「意外と人が多いねィ」
「そう……ですよね……」
「何か特別なことがあったのかねィ」
「……特別な……」
一歩後ろで交わされる会話を聞いて、土方は二つの意味で眉を顰めた。
あまり人が多いと仕事がやりにくい、ということが一つ。もう一つは山崎の挙動不審にだ。何か嫌な予感でもしているのか、しきりに辺りに目を配っている。
――後で問い詰めるか。そう思いながら、土方は人波を避けつつ歩を進めた。
「問題の展示物は彫刻だ。複雑な形のブツで、隙間にチップを落とし込んだらしい。ちょっと手ェ伸ばしゃ取れるってもんじゃねぇっつーことだな」
「なるほど。それで、どういう作戦で……?」
低い声で話す土方に、山崎も低い声で応える。ガランと空いた美術館であればこの程度の声でも響いただろうが、人が多いのが幸いして然して響かない。その点ではありがたいなと土方は脳内にメモをとった。
「それは現場と現物を見て決める」
「つまりまだ何も考えてないってことですかィ」
「うるせェ。下見もせずに作戦立てられるか」
美術館では怒鳴れないと思ってか、沖田も殊更に挑発するような口をきく……いや、コイツは怒鳴られようがケロリとしているのだからいつも通りか。そう考えて苦く息を吐いてから、土方は右前方を顎でしゃくった。
「例の彫刻は第三展示室だ。この右手の……あ……?」
言葉通りに右側の展示室に入ろうとして、土方は足を止めた。
入口に、『立ち入り禁止』の札が立っていたからである。
「なんだ……!?」
すわ、敵国がチップの存在に気付いて先に手を打ったか。サッと顔色を変えて中の様子を窺う土方の背後で、山崎は通りすがりの男に声を掛けた。
「あの、ここ、何かあったんですか?」
「なんだアンタら、知らないのか?万事屋だよ。怪盗『万事屋』!」
アッサリと返ってきた答えに。
山崎は安易に人に尋ねたことを後悔し、土方はピクリと背を震わせて、沖田は心から楽しそうな顔をした。
「万事屋が出たんですかィ?」
「いや、まだまだ。予告がきただけだよ。で、こりゃ大変だっつって狙われてるもんを別の部屋に移そうとしてるんだと。せっかく万事屋が狙ってるオタカラを拝みに来たんだが、見せてももらえねーよ」
なるほど、この人出の多さは、『万事屋』の予告のニュースを見て集まった野次馬だったらしい。
山崎は納得すると同時に、そっと横目で上官の様子を窺った。
彼の背中から立ち上っているのは明らかに怒りと不機嫌のオーラで、あああ、と内心で頭を抱える。
「……あの野郎……余計なマネしやがって……!」
いつもいつも任務の邪魔しやがって何なんだアイツはふざけんなコラ。唸るように低く呟かれる罵倒に、沖田はひょいと肩を竦めた。
「土方さん、そいつは言い掛かりってもんですぜィ。万事屋の旦那はあっちの都合で仕事してるだけで、それがうちの任務にかぶってくんのは単なる偶然でさァ」
「うるせェ。そもそも窃盗は犯罪だ」
「俺らがこれからやろうとしてることも同じようなもんだろィ」
「違ェ!俺らのはどっちかっつーと落し物の回収的なアレだ。もともとこっちに渡される予定だったもんを取りに来ただけだ!」
ギロリと瞳孔の開いた目で沖田を睨んだ土方は、そのままの目を展示室内へ向ける。
「――アレが例の彫刻だな」
「うわ、結構大きいですね。あ、マズイですよ、今ちょうど運ばれようと……ってちょ、土方さん!?」
展示室を覗き込んでいた山崎は、途中で思わず声を裏返らせた。土方が突然『立ち入り禁止』の札を避けて中に踏み込んだからだ。
「警察のふりして運んでるヤツに話聞いてくる」
「ちょ、そんないきなり!無茶ですって!」
「あの制服からして、美術館の人間でも警官でもねェ。ただの業者だ。問題ねェ」
「えええ、ちょっと、少佐……!」
ズカズカと入って行ってしまった土方の背を為すすべもなく見送って、山崎はガックリと項垂れた。
――嫌な予感が、的中してしまった。
あの美術品泥棒が絡むと、うちの上官は機嫌が悪くなるだけじゃない。
……少し、ほんの少し。冷静さを欠くようになってしまうのだ。
「これだから嫌だったのに……」
「これだから楽しみにしてたんでィ」
二人の部下から同時に呟かれたのは、真逆の台詞で。
沖田は山崎の言葉など耳に入っていないかのように愉しげに微笑み。山崎は、深く溜息を吐いたのだった。
――願わくば、どうか少佐と『万事屋』が直接出くわすことだけはありませんように。
山崎の切なる願いは、誠に残念なことに、この一分後には破れることとなる。
「すまない、警察の者だが」
そう言って近付けば、作業員風の青い制服を着た男は、土方に背を向けたままピタリと手を止めた。
「この彫刻の件でちょっとお伺い……」
「おーい、これ運んどいてくれ」
「はいヨー」
「って、オイ!」
振り向かぬままの男が出した指示で、止める間もなく彫刻が運ばれていく。
土方は抗議しようとして……今、指示を出した者と、それを受けた者の声に。聞き覚えがあることに気付いて、ピシリと固まった。
「……いやー、誰かと思ったら土方くんじゃねーの。なに?転職?スパイから警察にジョブチェンジですか?」
そう言って振り向いた男は、茶髪のカツラと帽子で特徴的な銀髪こそ隠されているけれど。紛れもなく、土方の大嫌いな泥棒の顔をしていて。
「……テメェこそ、コソ泥から運搬業者に転職か」
これ以上苦い顔などできない、という表情を浮かべて、土方は一つ舌打ちをした。
「運搬業でうちの食費がまかなえるならそれもいいけどな。無理なんだよ全然足りねーんだよ。うちのエンゲル係数をナメんなよコノヤロー」
「そうか。じゃあな」
冷たく言い放って、くるりと身を翻す。今はこんなヤツの相手をしている場合じゃない。早く彫刻を追わなくては。
先程の声からして、運んでいったのは万事屋一味のチャイナ娘だろう。土方はあの少女のことも少々苦手だったが、少なくとも今ここに居るこの男よりはマシだ。上手く交渉すれば酢昆布数箱と交換で彫刻を引き渡してもらえるかもしれない。
早足でその場を立ち去ろうとした土方の背に、神経を逆撫でするような声が投げかけられる。
「アッレー?いいのかなー、少佐がそんな風に背ェ向けちゃって。コレ敵前逃亡ってやつじゃね?任務を投げ出した罪で軍法会議じゃね?」
「うるせェェェ!俺はコソ泥は管轄外だ!敵前逃亡とか言われる筋合いはねェ!あと任務を投げ出すって何だ、俺は今まさに任務中だ!」
ギロリ、肩越しに睨んで吐き捨てれば、銀時はポケットに手を突っ込んだ姿勢で、ニタリと実に嫌な笑みを浮かべた。
「いやいやいや……だって、さァ。お前の任務って……コレだろ?」
「な――っ」
そう言って銀時がポケットから取り出したのは、指先で摘まめるぐらいの、小さな黒いチップ。
「テメェそれ……っ!」
「あん?さっき彫刻の中から見付けたんですけど?」
ニヤニヤと笑って指先でチップを弄ぶ銀時に、土方はギリリと歯を食いしばった。
――最悪だ。
或る意味、敵国のスパイに奪われるよりも最悪だ。
「……それはテメェには用のねェもんだ。おとなしくこっちに寄越せ」
「タダで?」
威圧するような声音で言って右手を突き出せば、当然のように、予想した通りの答えが返ってくる。ああ、だから最悪だと言ったんだ。土方は音を抑えることもなく盛大に舌打ちした。
仕方がない。非常に不本意だが、あのチップは貴重な情報だ。そして誠に腹の立つことだが、この泥棒のおかげで高価な美術品である彫刻をいじくりまわす手間がはぶけたことは確かだ。まったくもって気が進まないが、或る程度までの金額なら出してやらんこともない。
「……いくらだ」
心の底から嫌そうな顔をしながら、希望価格を問うてやれば。
銀時は満足そうに笑んで、こう言い放った。
「まずはそこに跪いてもらおうか」
「よーし勝負だ銃を持て」
「いや俺銃とか持ってねーから。あとどっちかっつーとナイフとかレイピアの方が得意」
「テメェの得意不得意なんか知るか」
静かに言い捨てた土方がスーツの内側に手を入れたのを見て、銀時は待て待てと片手を上げる。
「わかった、わかったっつーの。しょうがねーなァ……その場で三回まわってワンにまけといてやるよ」
「値上がりしてんだろーがこのボッタくりがァァァ!」
ジャキリ。今度こそ堪え切れずに土方はホルスターから拳銃を取り出した。
幸いここは現在立ち入り禁止。一般の人間はいないし、出入り口は沖田と山崎が固めている。彫刻が運び出されたおかげで、万事屋の周囲には展示品は何もない。一発ぐらい撃っても問題ないだろう。
冷静に考えれば問題は色々とあるのだが、キレた土方にとってそれらは瑣末な事だった。カチリ、引き金に指をかける――と。
「いやいやいや、それはまずいから。洒落になんねーから」
フッ、…と、瞬きもしていないはずなのに。
刹那の間に眼前に迫っていた銀時に銃身を掴まれていて、土方は瞠目した。
「美術館でぶっ放すのはさすがにダメだろ、軍人さん」
驚きに声を失っている間に、あっさりと拳銃を奪われてホルスターに戻される。
――ああ、くそ。だから最悪だと言ったのに。
土方はみたび、そう思って眉間に深く皺を寄せた。
この男は。
ただのコソ泥のはずなのに、時折こうやって、世界でも指折りのスパイである土方をアッサリと打ち負かす。
それも、痛めつけるわけでもなく。普段の口喧嘩の時のように、勝ち誇ってこちらを見下すことすらなく。
ただ、必要な時にだけさり気なく力を見せて、すぐに引っ込める。
……掴めない男だ。
だからコイツは嫌いなんだ。己の情けなさと相手への苛立ちでフツフツと沸き立つ感情のままに、剣呑な瞳に睨みつければ。
間近に佇む男は、口の端でちょっと笑って、何気なく、顔を寄せた。
「――!?」
己の唇を掠めたものが何かに気付いて、土方がビシリと固まった時には、既に。
万事屋は土方の横を抜け、後方の出口に向かって歩き始めていた。
「な……っ、テメ」
「仕方ねーから、今のでまけといてやるよ」
慌てて振り返ったところで言われた台詞に、ハッと先程まで拳銃を握っていた手を開く。と、そこには黒い小さなチップが握らされていて。
「――〜〜〜ッ!」
どこまでも踊らされている自分に腹が立って、土方はグッと拳を握り締めた。
「じゃーな。万事屋より糖をこめて〜」
窃盗現場に残していくカードの決まり文句を呟く銀時を、土方はギラリと睨みつける。
「うるせェェ!俺はテメーのそれが大嫌いなんだよ!つーか前から思ってたが糖って何だ糖って!」
意味がわからねぇんだよ、と八つ当たりのように怒鳴りつければ。
万事屋はチラリと振り返って、人差し指を口元に当ててみせた。
「甘かったろ?」
「――――ッ!」
「上等だコラァァァァ!!」
土方の怒声は美術館中に響き渡り。
部下Yは、その対応に苦慮したのであった。
――ああもう、だから遭遇してほしくなかったのに。
色んな意味で破天荒な上司を持つ部下の苦労は、これからも絶えない。
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