flovor.2


「あー…やべ、イライラしてきた…」

真っ昼間の屋根の上。大工道具を片手に屈み込んでいた銀時がそう呟くのを聞いて、新八は顔を上げた。

今日は暑い。四月とは思えない陽気だ。朝TVで観た天気予報では、結野アナが「一足も二足も早い真夏の陽射しに、隣の人を訳もなく殴りたくなることでしょう」とニッコリ笑っていた。 そんな日によりによって屋根修理の依頼。イライラする気持ちは新八もわかる。
燦々と輝く太陽に、夜兎の神楽は早々にギブアップして屋根を降りている。それほどまでに、今日の陽射しは厳しかった。

…だが。
銀時の苛立ちは、おそらく暑さのせいでは、ない。

新八はやれやれと溜息を吐いた。

「また糖分切れですか?」

この白髪天パの男は、定期的に甘い物を摂らないとイライラするとか抜かす生粋の甘党なのだ。そのせいで糖尿病寸前だと医者に注意を受けているにもかかわらず、全く自粛しようという気が見られない大馬鹿者である。
今日も朝出掛ける前にチョコレートを食べていたはずなのに、もう糖分が足りないというのか。まったく仕方のない人だと新八は肩を竦めた。
銀時はもう屋根修理を続ける気力などすっかり無くしてしまったようで、ぐったりと座り込んで項垂れている。

「おー…もうヤベェよ限界だよ……土方が足りねぇ…」
「アンタいい加減にしないと本気で糖尿に……って、は?」

パチクリ、新八は瞬いた。
…今、何かよくわからない台詞を聞いたような気がするのだが、気のせいだろうか。

「えーと、銀さん…今、何て?」
「だから、土方不足で銀さんもう限界なんだって。何なのアイツ、全然会えないんですけど。ついこの前まで何の打ち合わせもなくバッタリ顔合わせまくってたっつーのに、会いたいと思ったら会えないってどういうことだコノヤロー」
「は、え、あの……は?」
「見廻りルート張ってても全然来ねェしよ…屯所行っても門前払いだし。なに?そんなに忙しいのかアイツ?最近テロとかあったか?」
「ちょちょちょ、え?あれ?…ぎ、銀さん?」

項垂れたままブツブツと呟く銀時を、新八は当惑を隠せぬ目で凝視した。

――土方、と、言ったのだろうか。今、この人は。

その名前に、心当たりが無いわけではない。むしろ、心当たりがあるからこその混乱だ。
銀時の知り合いの「土方」と言えば、新八は一人しか知らない。真選組の副長、土方十四郎。何の因果か万事屋とは浅からぬ縁を持つ男だが、今ここでその名前が出るのは異様だと感じざるを得なかった。

何故ならば、その男は。
銀時とは非常に仲が悪い…はずだ。少なくとも傍から見ている限りは、犬猿の仲で通っている。

それなのに。

会いたい、と。銀時は今、そう言わなかっただろうか。
あまつさえ、見廻りルートを張り込むだの屯所を訪ねるだの、そんな。

「うー……ひじかた…」

もはや大工道具も放り投げ、べしゃりと屋根にくずおれた銀時の口から漏れるのは、明らかに愛しいものを求める響き。
銀時のこんな声、新八は今まで、糖分切れの時ぐらいしか聞いたことがない。
万事屋が手元不如意で長らく甘味類を口にしていない時、銀時はこういう声を出す。団子、パフェ、チョコレート…と、座った目で呪詛のように繰り返すのだ。新八も慣れるまでは相当怖かったものだが。

――しかし。
この人が、糖分に対するような執着を特定の人間に対して見せるのは…これが初めてだ。

(しかも、よりによってその相手が…土方さん…?)

俄かには信じがたい。

新八が言葉を失って呆然と見守っていると、ふいに銀時の肩がピクリと動いた。
そしてガバリ、身を起こすと、風上の方へ顔を向けて大きく息を吸い込む。

「この匂い…!」
「え?」

銀時の声が喜色に満ちると同時に、その瞳孔がグワッと開いたのを見て取って新八は思わず一歩退いた。
匂いって、何ですか。そう聞くのさえも躊躇われて頬を引き攣らせていると、銀時は目を瞠るほどの俊敏さで立ち上がり、そして。

「ぱっつぁん!後は頼んだぜ!」
「ちょ、銀さんんんん!?」

こちらを振り返りもせずに言い捨てて、屋根から屋根へと飛び移り駆け出した銀時の背に。
新八はただ、混乱しきった叫び声を浴びせることしかできなかった。




「ひっじかたァァァァ!!」
「うぉわあああぁぁ!?」

突然目の前に降ってきた人影に、土方は叫び声を上げて跳び退った。
その人影が何者かを判断するよりも早く。伸びてきた手に咥え煙草を奪い取られ、地面に捨てられて靴底で踏み消される。

「な…!?」

まだ長い煙草が無残に踏みにじられるのを唖然と見守ってから、土方はようやく、目の前の人物の正体を認識した。
黒いブーツ。白い着流しに木刀。白髪の天然パーマ。

――万事屋。

それを悟ると同時に、土方はガシリと腕を掴まれ、馬鹿力で銀時の腕の中へと引き寄せられていた。

「あー……土方だ…」
「な…何してんだテメェ放せバカヤロォォォ!」

咄嗟の事態に硬直していた土方は、耳の横で吐息のように囁かれた声に我に返った。
悲鳴に近い怒声を上げて、抱き締める腕から逃れんと身を捩る。
しかし。ガバリと顔を上げた銀時は、土方以上の怒声で以ってそれに応えた。

「誰が放すかァァァ!何日ぶりだと思ってんだ!そして俺がお前に会えなくてどれだけ苦しんだと思ってんだ!やっと捕まえたのにすぐ放すなんて勿体無いマネするヤツがいるかァァ!」
「――ッ!?テ、テメ、ななな何を…!」

赤くなるやら蒼くなるやら、言葉を失ってパクパクと口を開閉させる土方を、銀時は再び腕に閉じ込める。

「もーお前…どんだけ忙しいのか知らねーけどな、放置プレイとか勘弁しろよホント。銀さんMじゃないからドSだから。こう見えて打たれ弱いからね。もうちょっとで土方不足で死ぬとこだったぞコノヤロー」

責めるような口調に、切羽詰った声色、あまりの台詞。
一瞬、真っ白に吹き飛んで固まった土方を、銀時は更に強く抱き締めて深く息を吸い込んだ。

そして、感極まったようにうっとりと溜息を一つ。

「はー…コレだよコレこの匂い…もう放さねェ…!お前いっそウチで暮らせ。な?」
「あ、あああアホかァァァ!嗅ぐな!放せ!ふざけんなァァァ!!」

首筋に鼻先を擦り寄せられ、陶然とした声で言われて…やっと。
この異常事態の訳を悟った土方は、グラリという眩暈とともに絶叫した。

――怒ればいいのか、呆れればいいのか、それともやはり怒ればいいのか。

早々に煙草を消された時点で事態を把握するべきだったと、自分の察しの悪さを悔やみ。いやでも、コイツがここまで「アレ」に執着してると誰が思うよと内心で溜息を吐いて、土方は抱き締められた体勢のまま頭痛を堪えた。


…と。


「…へえぇぇ」

すぐ隣で聞こえた第三者の声に、土方は己の血の気がザッと引くのを感じた。

恐る恐る、目を遣れば。そこには興味深そうな顔をしてこちらを眺める総悟の姿。

「――っ」

ドッと、背中を冷汗が流れる。

あまりに突拍子も無い事態にうっかりしていたが、そう言えば自分は今、総悟とともに市中見廻りの最中で。
それはつまり、一連の遣り取りを総悟に見られ聞かれ、あまつさえ――


ここは、真っ昼間の公道で。


「〜〜っは、放せっつってんだろコラァァ!」

忽ちジタバタと暴れ出した土方を、銀時は軽く抑え込んで放さない。
そんな二人に総悟はニッコリと、一見無邪気な微笑みを浮かべて声を掛けた。

「いやァ、知りやせんでした。まさか旦那と土方さんがそんな関係だったとは」
「違…!」
「おーいたのか総一郎くん。そんなわけで、コレ貰っていい?」
「な…っ!どんなわけだァァ!」

さらりと、まるで「ティッシュ一枚もらっていい?」とでも言うような口調でのたまった銀時に、土方はまた怒声を上げる。
しかし。土方の絶叫など、目の前の最凶コンビには小鳥の囀り程度にしか聞こえないようで。

「総悟です旦那。…俺ァ別に、貰ってくれるってェなら熨斗つけて差し上げやすが…旦那、ホントにそんなモンが欲しいんで?」
「あー、俺もうコイツ無しじゃ生きてけねーから」
「バ…ッ」

銀時の台詞に、土方は思わず赤面して声を失った。
何てことを言うのだ、この男は。誤解を招くにも程があるだろう。

「へぇ、そいつァ熱烈ですねィ」
「ちょ、待て、誤解すんなよ総悟!コイツはそういうんじゃなくて、ただ俺の匂、い――ッ!」

感心したように目を丸めた総悟に、土方は慌てて釈明しようと口を開く、が。
幾分も説明しないうちに。耳の裏、ねっとりと濡れた感触に息を呑む。

「んん…やっぱり甘ぇな…」
「ひ、ちょ、舐めんじゃね…ッあ、う…―っ」

首筋から耳にかけて、熱い舌に辿られて。ざわざわと背筋を粟立たせながら土方は必死で身を捩った。
横から突き刺さるような総悟の視線を感じる。総悟以外にも、道行く人の視線が向けられているような気がする。とんでもなく居た堪れない。
…だが。いくら暴れても、このバカの馬鹿力は緩む気配すらなく。

いい加減にしろこの変態、と叫ぼうとした土方の声は、しかし。
…ダメだもう我慢できねェ、という、銀時の不穏な呟きによって遮られた。


「土方…食わせろ」


首筋から離された銀時の顔は、いつか見た表情。目が完全に据わっていて。
その瞳孔は、まるで自分のようにガン開き…って、俺普段こんな目してんのか、こりゃ怖ェな…なんて。咄嗟に頭を過ぎるのは現実逃避。

ヒクリ。土方は頬を引き攣らせた。

「いいいやお前、ちょ、ヤベェヤベェ目がヤベェって…!」
「こりゃマジですねィ。イザって時に輝くってのは嘘じゃなかったらしいや」
「輝いてるっつーのかコレ血走ってるっつーんじゃねぇのかコレ。って、うわ、ちょ、ままま待…ッ!」

土方がドン引きしている間に、シュルリ。銀時の手は躊躇いなく土方のスカーフを取り去って。ベストの前もいつの間にか開けられて、その手は早や、シャツのボタンに掛かっている。
さすがに呆けてもいられず、土方は焦りまくった声を上げて銀時を突き放そうとする…が、片腕でガッチリと腰を引き寄せられていてはそれも叶わず。

「そ、総悟おま、見てねーで止めろコラァァァ!!」
「旦那ァ、さすがに公衆の面前でヤられちゃ真選組の体面に傷が付きまさァ。ラブホ行って下せェ」
「止め方が違ェェェ!!この行為自体を止めろと俺は…んっ!」

本日何度目になるか判らない絶叫は、鎖骨を舐められたことで飲み込まれた。
ビクリと身を跳ね上げる土方を抱き止めながら、銀時は感情の読めない平坦な声で総悟に応える。

「あー…じゃ、遠慮なくお持ち帰りさせてもらうわ。今日まで不足してた分、補わせてもらわなきゃなんねーし」
「ふ、ふざけん…!」

もはや満足な怒声も出せず、わなわなと震える声で抗議しようとした土方は――ふいに銀時の据わった目に至近から覗き込まれて、思わず言葉を失った。

「土方オメー、この前とちょっと匂い違うよな」
「――っ」

ぐっと口を噤んだ土方に、畳み掛けるように銀時は詰め寄る。

「日によって違うのか?体調とか気分とか関係あんの?何だそれ日替わりパフェですかコノヤロー。ますます手放せねェなオイ」
「な、バッ、そ――!」

至って本気な口調で吐き出されるとんでもない台詞に、返す言葉さえも見付からず。



「言っとくけど、オメーの香りはもう全部俺のモンだから。…隅々までたっぷり味あわせてもらうから、覚悟しとけよ、土方」
「――〜〜〜ッ!!」



勝手な断定系で言われた、その言葉、に。



頭に上る熱が、怒りゆえなのか羞恥ゆえなのか、それともまた別のものなのか。

もう、訳が判らなくなりながら。土方はただ、声にならぬ絶叫を上げたのだった。




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前作が意外に好評だったので続きを書いてみました。
銀ちゃんが更に変態と化しててすいまっせん。

この土方はそのうち、「どうせアイツが好きなのは俺の匂いだけなんだろ」とか拗ねだすんじゃないかと思われます。
銀→土に見せかけた銀←土フラグ。