目線が変われば自ずと違うものが見えてくる
「狩るぞ」
人には解せぬ言葉でそう唸った時の坂田は、それはもう心の底から本気だった。
後になって考えれば、空腹のあまり苛立ちがピークだったのだと思う。ヤツがグッと立てた親指に、さわやかなイイ笑顔に、すべてに神経を逆撫でされたのだ。彼がそれまでに一度たりとも見せた事がないような、優しく慈しみに満ちた表情に面食らう余裕すらなかった。
道端にマヨネーズの山だけ残して立ち去ろうとする男の「俺イイことした感」漂う背中に坂田が覚えたのは、紛れもない殺意だ。隣に佇む黒猫からも同じ気配を感じたし、先程まで彼を必死にかばっていたゴリラからも怒りのオーラが立ち昇っていた。三匹は――本来「三人」と数えられるべきであったはずの三匹は、とにかく、空腹だったのだ。
空腹と寛容は対極に位置する。
黒い隊服に身を包まれたその背に、今にも三匹が飛び蹴りをかまそうとした時。ふいに横合いから掛かった呆れ声に、ターゲットはピタリと歩みを止めて声の主を振り返った。
「ちょ、副長、何してんですか」
「アァ?……んだコラ、何もしてねーよ」
「いや、何もしてないことないでしょ。何ですかあのマヨの水溜り、略してマヨ溜まりは」
酸っぱい匂いを放つ黄色い小山を指さしたのは、真選組の監察、山崎退だ。今日は非番なのか、いつもの隊服ではなく袴姿である。
「おお!ザキ!ザキじゃないか!しめた、ザキはいつも真選組ソーセージを携帯してるはずだ!」
「マジでか!よし、アイツなら媚びを売るまでもねェ。張り倒して巻き上げんぞ」
「待て、しばし様子を見よう。こういう正念場では落ち着いて行動しなければ事を仕損じるニャン」
「ニャンやめろっつってんだろーが」
近藤の歓びの声に、銀時と桂が色めきたつ。
ゴリラと猫がウホウホニャゴニャゴと鳴き交わしている様は普通に考えれば相当に珍しい光景であるはずなのだが、そのわりには道行く人が立ち止まる気配がない。天人だとでも思っているのか、はたまた真選組の隊服を目に留めて敬遠しているのか。
江戸市民からヤクザの親類の如き扱いを受けている武装警察の鬼副長殿は、直属の部下が指さした先にチラリと目を向けると、舌打ちとともに気まずげに視線を逸らした。
「ち……違ェぞ、勘違いすんなよ。アレはただちょっと、転んでマヨ零しちまっただけだし」
「なに捨て猫にミルクあげてるとこ見られた不良みたいな反応してんですか。俺は別に、わぁ見ちゃった〜副長って意外と優しいんだ〜とか、そういうこと言ってんじゃありませんからね」
ブツブツと言い訳らしき言葉を呟く土方を部下とも思えぬ態度で遮って、山崎はわざとらしく溜息を吐く。
「あのですね副長、気持ちは分からなくもないっていうか正直なところを言えば全く分かりませんけど、猫にこんな大量のマヨは返って毒ですよ」
「――!?」
晴天の霹靂、という顔をした土方に、いやお前のその反応がビックリだわと銀時は心の中でツッコんだ。この男、今の今まで本気で善行を施した気でいたわけだ。マヨネーズバカと知ってはいたが、ここまでとは恐れ入る。
「猫は身体の構造が人間と違いますから、ってか、あんな大量に摂取したら人間の身体でもアウトなんですけどね普通は。せっかくエサあげるんだったら、この猫たちが食べられるものあげないと」
「そう!もっと言ってやれジミー!」
「ザキィィ!お前はいざという時には頼りになる男だと信じてたぞォォ!」
「安心しろ、俺たちは猫だが猫じゃない!普通の人間に食べられるものなら何でも構わんぞ!ちなみに好物はそばだ」
「何でいま好物言った?お前その姿でそば食う気!?」
真っ当で好意的な山崎の言葉に、三匹は俄然希望を抱いて声を上げた。
もっとも彼らにはフニャゴニャゴウホホとしか聞こえなかっただろうが、そこは心意気というヤツだ。激しい鳴き声に何かを感じ取ったのか、土方がこちらに目を向ける。
「……そう、か……」
ポツリ、零した土方の表情が――みるみる悲痛に沈んでいくのを見て、銀時は少しばかり驚いた。
ゆっくりと、猫と視線を合わせるかのようにしゃがみこんだ男は、眉間にキュッと皺を寄せて僅かに眉尻を下げ、揺れる瞳に隠しきれぬ後悔と自責の念を湛えて唇を噛みしめている。
「じゃあ俺のしたことは、とびきりのご馳走に毒盛って腹空かせたヤツらの前に並べたようなもん……ってことか」
「いやアレをとびきりのご馳走だと思ってんのお前だけだからね」
「――ッすまねぇ……!そんな残酷なことするつもりじゃ……」
俯き、グッと震える拳を握りしめ、絞り出すような声で謝罪を吐き出してから……未だ慙愧の想いが色濃く滲む顔を上げて、土方はほのかに微笑んだ。
「つれぇ思い、させちまったな」
「ツライっつーか単純にムカついたんですけど。何コイツ何これシリアスパート?え?本気?」
「いいんだトシ!お前に悪気がないことは俺はわかってた!そんなに自分を責めるな!」
「いやオメーもさっき怒りのオーラだだ漏れだったからね」
「ほう、芋侍にしてはなかなか殊勝なところもあるではニャいか」
「殊勝っつーのかアレ?ただのバカじゃね?あと猫語やめろ腹立つ」
三方向に一通りツッコんで、銀時はふにゃあと溜息を吐いた。こんな時ばかりは新八のありがたみが身に染みてわかる。ああ疲れた俺もボケに回りたい。もうヤだこのアホども。
猫になるわ腹減ったわ周りはバカばっかだわ、神様コノヤロー俺が何かしましたか。嘆く銀時の眼前で、まだらしくもない殊勝な表情を張り付けたまま土方はのたまった。
「詫びと言っちゃなんだが、何か代わりのモンを……オイ山崎、お前なんか持ってねーか。ソーセージとかあんぱんとか」
「トシィィィ!!さすがトシだ!それでこそ真選組のフォローの男!」
途端に近藤から上がる感動の声。桂もピンと耳を立て、疲労感に苛まれていた銀時も顔を上げた。そうだ、コイツはアホだが何故かこちらに好意的であることは確かなのだ。あのマヨさえやめてもらえるなら、丸一日ぶりの食事にありつける可能性が大ではないか。
瞳を輝かせた三匹の視線の先、山崎は、上司の問いかけに誇らしげに口角を上げて答えた。
「副長、ソーセージやあんぱんは俺の仕事上の流儀です。非番の時はどっちも持ち歩かないのが俺の美学ぐほぁっ!?ちょ、イタタ、この猫凶暴……!」
「ふざけんなァァァ!!テメーの美学とかどうでもいいんだよ!!イラッとするわ!ヅラの猫語なみにイラッとするわァァァ!!」
「ヅラじゃない、桂だ!あっ、桂だニャン」
「言い直すなァァァ!!」
ブチ、こめかみの辺りで何かが切れる音が聞こえて、銀時は山崎の頬にめり込ませた跳び蹴りから着地すると同時に隣の黒猫へ向けて猫パンチを繰り出した。さっきからちょくちょく苛立たしかったがこの男、もう我慢ならない。
黒猫の真面目くさった面のど真ん中をヘコませるつもりで突き出した拳は、上から慌てたような声とともに伸ばされた手に阻まれて、ガリリとその掌を引っ掻いた。
「ッつ……!オイ、仲間割れすんなって。悪かったよ。そんなに苛立たせちまって」
赤い筋の走った掌に一瞬顔を声を詰まらせながらも、柔らかい口調で宥めてくる男を見上げれば……土方は困ったような、もしくは、しょげたようにすら見える顔でこちらを見下ろしていて。
「……別に仲間じゃねーよこんなん。あとお前さっきから何なのその顔。お前そんなキャラだったっけ?」
あまりにも普段と違いすぎる男の態度に、勢いを削がれた銀時は眉を顰めて言い返した。
……と言っても、猫である身では「何となく眉を顰めているような」顔しかできなかったし、口から漏れたのも「どことなく不平じみた」鳴き声でしかなかったのだけれど。
土方はそんな猫の様子を空腹の訴えと解釈したのか、ほんのりと優しさの滲む微苦笑を浮かべて胸ポケットから財布を取り出した。
「山崎、このへんにスーパーあっただろ。なんか適当に買ってこい。マグロの刺身とか」
「「!!」」
「トッ、トシィィィ!!」
ビビンッ!と耳と尻尾を立てた猫達の後ろで、ゴリラが感涙に泣きむせぶ。
爛々と輝く三対の瞳に見詰められて、今度こそ喜ばれているのを感じ取ったのだろう、土方は少し照れくさげに視線を逸らした。
(なんだコイツ、意外とイイトコあんじゃねーの)
つい先程まで本気の殺意を覚えていた相手にそんな事を思うのだから現金なものだ。銀時は他人事のように考えてヒゲを揺らした。
「副長、俺今日非番なんですけど」
「だから何だ」
「いやだから非番の日までパシらせるなんて横暴……」
「「「いいからさっさと行ってこいやァァァ!!」」」
「あだだだ!わかったわかった行くよ!なにコイツら人語解してる!?」
グダグダとごねる山崎を三匹がかりで追い立てて、土方に渡された金を手に走り去る地味な後ろ姿を見送ってから。ようやく一息ついて、猫とゴリラはやれやれと地べたに座り込んだ。
チラリとホウイチに目を遣れば、ずっと静観していた耳無しのボス猫は、少々呆れ顔ながらも軽く頷いてみせた。ギリギリ及第点、といったところだろうか。どうやらこれで何とか丸一日ぶりのメシにありつけそうだ。
それにしてもマグロの刺身とは。何たる魅惑的な響きだ。浮き立つ気分に任せて上機嫌な声でニャアと鳴く。
……と、ちょっと目をみはってこちらを見下ろした男が、至極、幸せそうに微笑んだ。
その顔の、見たこともない柔らかさと幼さに。銀時は思わず一瞬呆けてから、そんな自分に少し驚く。
――やはりこの世の生きとし生けるもの、みな胃袋に支配されているのだ。太古の昔から食を制すものは世界を制すとされている。エサをくれない女よりもエサをくれる男の方が可愛く見えるのだって自然の摂理だ。仕方がない。コレは仕方がない。たとえそれが普段まったく可愛くない瞳孔ガン開きの暴力警官でも。
よりにもよって「あの」土方がやたらと可愛く見えてしまった事実をそう理由付けて、銀時はペタリとその場に身体を丸めた。
もう空腹も限界に近い。余分なエネルギーを使わないためにも、山崎が戻るまで寝そべっていよう。
「……っぶにゃ!?」
先程までの大騒ぎで消費した体力を取り戻そうと寝そべった銀時は、しかし地べたに身体を落ち着けて幾秒も経たぬうちに、奇妙な鳴き声とともに跳び起きるはめになった。
何故なら、何を思ったのか傍らにしゃがみ込んできた男が、予想外にも手を延べて銀時の頭をわしゃりと撫でたからだ。
「…………」
「……うおーい、ちょ、何?無言で撫でるのやめてくんない?」
くわえ煙草の先から紫煙をくゆらせながら、わしゃわしゃと無遠慮に頭を撫でる男に銀時は困惑の声を漏らした。
なんだ、コイツ、ひょっとして相当な猫好きだったのだろうか。そんな考えが過ぎってチラリと表情を窺えば、なるほど確かに、土方は未だ無言ながらもその瞳には蕩けそうな幸福感が滲んでいる。ああ、こりゃ大好きだわ間違いねーわ。そう結論付けて銀時は口の端で苦笑した。
考えてみれば、今日この男は最初から異常なまでに銀時たちに構っている。意味不明な挑発の後に道端にマヨネーズの小山を築きに来たのだって、コイツにしてみれば軽い冗談と本気の親切心、だったわけだ。ただ、それが常人の感覚では悪質な嫌がらせにしか思えないだけで。
空腹による苛立ちと普段の軋轢のせいで、土方の言動に殺意しか覚えなかった銀時だが。マヨネーズバカというただ一点を除けば、今日の土方の態度はかつて無いほど好意と善意に満ちあふれている。
(……しかたねーな。そういうことなら、まあ、しばらく撫でられてやるか)
マグロの刺身と引き替えってことにしてやらァ感謝しろよコノヤロー。銀時はフゥと身体の力を抜いて、再び地面に寝そべった。
コイツがそんなに猫好きだったとは知らなかった。
さっきからの土方の態度を見る限りでは、猫好きというかひょっとしたら動物全般好きなのかもしれないが、この際そんなことはどっちでも構わない。今ここで大事なのは、食べ物を提供する気があるという一点だけだ。猫好きだろうがキリン好きだろうがゾウさんの方がもっと好きだろうが何でもいい。
――しかし、それにしても。
なんでコイツ、さっきから俺ばかり撫でているんだろうか。
ふと気になって周りに目を配れば、桂は悠然と毛づくろいをしているし……アイツもう猫のままでいいんじゃね?……ホウイチは少し離れた位置でどっしりと丸まっている。そのどちらにも、土方が手を延ばそうとする気配はない。
近藤にウホウホ声で「ありがとうなトシ!」と話しかけられても、「……なんでこんな町中にゴリラ?」と訝しげに首を傾げているだけだ。まあこの反応は当然と言えば当然なのかもしれないが、普段あんなに忠犬ハチ公よろしく近藤に懐いているのだから、もう少しゴリラに優しくてもよさそうなものだと銀時は思う。
それなのに、ずっとこのモサモサ白猫だけを撫でている土方。
何故だ。銀時は撫でられながら首を傾げた。
大体、見た目だけ、あくまで外見だけで判断するなら桂の方が美猫のはずだ。二足歩行で腕を組んだりと気持ちの悪い行動さえしなければ、いかにもすべすべと撫で心地の良さそうな黒猫なのに。アイツに触ろうとしないのは、ただ単に銀時の方が近くにいたから、なのだろうか。
「万事屋」
「フギャア!?」
ぼんやりと沈思していた銀時は、不意に呼ばれた名に毛が逆立つほどに驚いた。多分、しっぽも一瞬二倍ぐらいに膨らんだんじゃないかと思う。
今その名……正確には名前ではないが、この場合は名前に等しい意味を持つ屋号、を呼んだのは、紛れもなく、自分を撫でている男の声だ。
マジでかコイツ気付いてたのか、え、いつから?パニックに陥りかけた頭の隅が、続けて降ってきた言葉を辛うじて捕らえた。
「――みてェだな、お前の毛」
「お……おおお驚かせんなバカヤロォォォ!」
べしゃり、一気に脱力してその場にくずおれた銀時は、自分の早とちりに呆れて溜息を吐いた。
そりゃ、そうだ。冷静に考えれば、土方が気付いているはずがない。
この猫の正体が万事屋の坂田銀時だと気付いた上で、山崎にマグロの刺身を買いに行かせたり、あんな穏やかで可愛らしい面で微笑みかけたりするはずがないのだから。
なに焦ってんの俺、カッコ悪ッ!胸中にボヤいた銀時に追い打ちをかけるかのように、頭上から含み笑いを乗せた声が降ってくる。
「アイツと同じで、真っ白でくるっくる……ぶふっ、絡まってんぞオイ、可哀想だな」
「うるせェェェ!誰の髪の毛が可哀想だ!!」
テメー自分がサラッサラストレートだからってナメてんじゃねーぞコノヤロー。
怒声とともにガバリと顔を上げた銀時は……そのままの姿勢で、固まった。
何故なら。
「ん?……どうした?」
見上げた先の、男の表情が。予想に反して、本日一番と言ってもよいほどに柔らかく、優しく微笑んでいて。
急に顔を上げた銀時に問いかけるように、ふわりと目を細めて僅かに小首を傾げたから。
(――え、なに、コレ)
なんでコイツ、俺の髪に似てるとか話しながらこんな面してんの。
あまりにも予想外な土方の態度に、銀時は思わず狼狽えて後ずさった。
すると土方は、手の下から抜け出ようとする白猫の動きに不満げに眉を顰めて。
「んだよ、逃げんなよ。もうちょい撫でさせろ」
「えええぇ!?ちょ、何この状況!」
ひょい、首根っこを捕まえて膝の上に抱き上げられて、更なる当惑に陥って銀時は手足をバタつかせた。
小さな身体を気遣うような手つきながらも、逃さぬようにしっかりと猫を抱え込んだ土方が、暴れるなよ、と困ったように呟く。
「もうちょっとだけだから触らせろ……触らせて、くれ」
「は?」
ポツリと、零された台詞が。
この男には珍しく、まるで嘆願するかのような口調で。
その上、声音にどことなく悲しげな色が滲んでいるのを感じてしまったものだから、銀時はつい、暴れるのをやめた。
おとなしくなった銀時に礼を言うかのように、土方の手が柔らかく頭を撫でる。
指先で白い毛を絡めとりながら、男は極々小さな声で――吐息のように、独りごちた。
「…………どうせアイツには触れねーし」
銀時が言葉を失ったのは言うまでもない。
今の流れでは、「アイツ」とは銀時自身の事だと考えるのが最も自然だ。というか、他に選択肢がない。
だが。
だがしかし、だ。
何だそれは。どういう意味だ。
何だその淋しげな声色は。
何だこの、微かに震える指先は。
そして。
そっと、ぎこちなく、目線を上げて窺えば……そこには。
(――ッ何だその切ない目はァァァ!!)
先程までの蕩けそうな幸福感から一転。ほのかな微笑みを浮かべてはいるものの、その瞳の奥には明らかすぎるほど明らかな寂寥感と、ともすれば泣き出しそうな切迫感。
「――……っ」
鳴き声の一つすらも発せず、ゴクリと唾を呑む。
そんな白猫の様子をどう思ったのか、土方は微かに眉尻を下げ、そっと銀時を膝から下ろした。
「……馬鹿だな、俺ァ」
自嘲の呟きとともに、ハァ、と漏らされた溜息は気のせいかどこか艶っぽくて。
いやうんお前はバカだけどねマヨネーズバカだけどね。つーか明らかにそういうことじゃないよねコレちょ……っ、頭の中でぐるぐると益体もない言葉ばかりが回って、銀時は為す術もなく呆然と土方を見上げた。
しばらくの沈黙の後、土方は目を閉じてもう一度溜息を吐くと、思い切るよう立ち上がった。
「――じゃあな。俺ァ巡邏中だからもう行くが、ここで待ってりゃさっきの地味なのが何か持ってくっから」
「お、おい」
「元気でやれよ、銀猫」
フッと口角を上げてみせた土方の台詞に、オイやっぱ俺だけなのか、横にオメーの大好きなゴリラもいんだけど目に入ってねーのかオイ、何故か焦りを覚えて銀時はウニャニャと声を漏らす。
しかしそんな猫語を土方が解するはずもなく、エサづるを引き止めようとしていると解釈したのだろう、心配するな刺身ならすぐ来るから、と見当違いな言葉を残して土方は立ち去った。
煙草の煙をなびかせながら歩き去っていく後ろ姿を見送りながら。
銀時はそこでようやく、マグロの刺身を「見当違いなこと」と評した自分の思考の異常に気付いた。
「…………」
「…………」
「……銀時」
「なっ、何だよ」
発するべき言葉が見付からず黙っていると、背後から声を掛けられて銀時はビクリと肩を震わせた。
慌てて振り返れば、いつの間にか二足で立って壁にもたれていた黒猫が、腕を組んでこちらに横目を流している。
「知らなかったぞ。お前と真選組の副長がそのような関係だったとは」
「どのような関係だよ!何の関係もねーよ!ちょ、やめてくんない変な誤解すんのやめてくんない!」
「何が誤解だ。さっきのアレは完全にそういうアレだろう。貴様、猫だけにあの男とニャンニャン」
「するかァァァ!うまくねーし有り得ねーよ!」
「ぎ、銀時!おおお前がトシと、そんな……!」
「違ェっつってんだろこのバカの言うこと信じんじゃねーよアホゴリラ!」
驚愕に声をわななかせるゴリラにとりあえず飛び蹴りをくらわせてから、銀時はブルブルと頭を振って二足で立ち上がった。
何というか、ヤバイ。とてつもなくヤバイ流れだ。ここはキッパリハッキリ正しておかなければ、この電波バカどもは坂を転げ落ちるように誤解を深めていくに違いない。
そう確信して、ビシリと桂に肉球を突きつける。
「あのな、大体アイツはさっき『触れねー』っつってただろうが!触らせてねーんだからそういう関係も何もねーだろ!」
胸を張って堂々と、真実そのままに釈明すれば。
尤もであるはずの言い分に、しかし桂は何故か眦を吊り上げてスタリと四足で銀時に正対した。
「銀時、お前という男は……!見損なったぞ!」
「あ?」
憤怒、というよりは軽蔑に近い声で唸った桂に銀時は眉を顰める。
――コイツまた、どっか斜め上の方向から電波受信してんじゃねーだろうな。嫌な予感に頬を引き攣らせていると、桂は真面目そのものの顔で口を開き。
「己の欲望のみを優先させて人の身体を思うままに蹂躙し、あまつさえ相手には髪の一本さえ触れさせてやらぬとは何と言う非道だ!身も心も獣に成り果てたか!」
「誰がだァァァア!!」
「銀時ィィィ!!お前、トシを弄んだのか!?トシはああ見えて純でウブなんだぞ!それを…ッ許さん!」
「だから違ェつってんだろーがァァァ!!なんでそう思考がブッ飛んでんだテメーらは!バカだからか?バカだからなのか!?」
ああ、ここにちゃぶ台があったら、前方伸身宙返り二回ひねりで着地させるぐらいの勢いでひっくり返してやるのに。
イライラと足を踏みならしながら、人の話を聞かない大ボケ二匹にも聞こえるような大声で――銀時は、怒鳴った。
「普通に考えろ!さっきのアレは、どう見てもアイツが俺に片想い的な感じだっただろーが!!」
そう、怒鳴ってしまってから。
ジッとこちらを見詰める二匹の視線に、はたと我に返って。
己が今、口にした言葉の意味を反芻して。
――つい先程までここにいた男の、表情と台詞を、もう一度、思い出して。
「…………マジでか」
銀時は、意図せずして発掘してしまった思いも寄らぬ秘事と――
……その事実に思ったよりも嫌悪感を抱いていない自分に途方に暮れて、ポツリと呆然たる声を漏らしたのだった。
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……で、銀ちゃんは人間に戻ってもこの時の事が気になって気になって土方に会うと挙動不審に陥る、と。
そんでもって、土方は自分の片想いを本人には完璧に隠してるつもりだから、銀さんの不審な態度の理由がわからなくて色々悩む、と。
ぎんひじばんざい。