アラザン
キラリと光を反射した小粒な銀色に、一瞬、目を奪われてしまったのだ。
昼間の往来で急に立ち止まった土方の背に、後ろの通行人がぶつかる。文句を言おうとしたらしいその男は土方の制服を見て口を噤み、
そのままそそくさと立ち去った。
土方はそんな男になど気付きもしない様子で、ふらりと一歩踏み出した。
と、今度は別の人影にぶつかる。
己の注意力の散漫さに流石に呆れ、「すまない」と口を開こうとして土方は固まった。
その理由は、一つには畏怖や遠慮の欠片もない冷たい視線に出会ったから。もう一つにはその視線の持ち主が顔見知りだったから。
さらには。
「どこに目ェ付けてるネこの汚職警官。こんなとこにボサッと突っ立ってたら邪魔アル。どくヨロシ」
「………」
それが、土方が今しがた思い浮かべていた人物と関わりの深い相手だったからだ。
傘をさしたチャイナ服の少女。隣にはメガネの少年がいて、少女の口の悪さに慌てている様子であった。
土方は内心で少し焦って、さり気なくその子らの周囲に視線を配った。
(…いねェか)
彼らの保護者である白髪頭の姿が見えないことに土方は安堵した。
今あの男と顔を合わせるのは、間が悪いことこの上ない。
「銀ちゃんならいないネ。喧嘩相手なら他を当たるヨロシ」
神楽は土方の視線の意図を察したらしく、冷たくそう言って土方の側を通り抜けた。
「すいません土方さん」
新八が軽く頭を下げてそれに続く。
彼らが、先程自分が目を奪われたものへと近付いていくのに気付いて、土方は少しドキリとした。
「新八、ここアルヨ」
「どれどれ。…うわ。ここは無理だよ神楽ちゃん」
神楽の指差す店のショーケースを覗き込んだ新八が、ちょっと眉尻を下げた。
見たのは多分、並んでいる品物の値段だろう。
無理と言われても立ち去る気にはなれないらしく、神楽は顔をくっつけるようにしてショーケースの中を覗き込んでいた。
「だって銀ちゃん、いつも涎が垂れそうな顔でこの店見てたネ」
「…涎が出るほど食べたいのに見てただけだったってことは、つまりお金が足りなかったんだよ。きっと」
このお店は流石にツケは効かないだろうし、と新八は溜息を吐いた。
そりゃそうだろうと土方は心の中で相槌を打った。何せ、その店はそこそこ高級な洋菓子店だ。「ツケ」という発想をすること自体が
おかしい。
「諦めよう、神楽ちゃん。しょうがないよ。コンビニとかで…」
「嫌アル。ここがいいアル」
「でも…うーん、そうだな。ショートケーキとかなら…」
「嫌アル。これがいいアル」
そう言って神楽が指差したのは、ショーケースの端にでんっと鎮座している大きなホールケーキ。
土方は思わず咥えた煙草を落としそうになり、新八はひくりと頬を引き攣らせた。
「あのねェ神楽ちゃん!お金が足りないって言ってんでしょーが!そんなん買えるわけないでしょ!」
「やる前からできないって決めてかかるから、お前はいつまでたっても新八なんだヨ」
「お金がなかったら買えないのは当たり前だろ!っつーか、新八という存在を全否定するなと何度言ったら判るんだ!」
「何でも金、金って、嫌な世の中アル」
「世の中の問題じゃねーよ!たとえゲームの世界でも物を買うには金が必要だよ!」
新八の怒鳴り声などどこふく風で、神楽はショーケースの中を見つめ続けている。
更に何か言おうとした新八も、そんな神楽を見て困ったように口を噤んだ。そして哀しげな顔をする。
「やぁお嬢ちゃん、このケーキが欲しいのかい?」
店先の気配に気付いたらしく、奥から壮年の男性が顔を出した。様子からしておそらく店主だろう。
にこりと二人に笑いかけ、新八が否定する前にケーキの説明を始めてしまった。
「これはおいしいよ〜。マスカットのクリームとチョコレートムースを、アーモンド風味のスポンジで挟んでるんだ。その上にフワッフワ
の生クリームをかぶせてね。飾りつけは…」
「い、いやでも、こんな立派なケーキ、予約の品物じゃないんですか?」
思わずごくり、と唾を飲み込んでしまった新八が慌てて説明を遮ると、店主は「いやぁ」と困ったように笑って頭を掻いた。
「実はコレ、急にキャンセルされちゃってね。困ってたんだ。よかったら安くしとくよ」
「マジでか。じゃあこれで足りるアルか」
すかさず、神楽がズイッと片手を差し出す。その上に乗っている小銭を見て、店主は目を泳がせ、神楽と視線を合わせぬままショーケース
の一角を指差した。
「えーと、こっちのショートケーキとかどうかな。美味しいよ」
「オイ待てヨ。欲しいのはこっちアル」
「神楽ちゃん」
ムッと唇を尖らせてホールケーキを指差した神楽を、新八が苦笑して止める。いくら安くしてもらったとしても、千円足らずでホールケーキ
が買えるはずはないのだ。特にこんな上等な店では。
「仕方がないよ。諦めて、ショートケーキにしよう」
「………嫌アル」
小さく呟いた神楽に、新八はまた困ったような哀しげな顔をした。
土方はそれを、少し離れたところで煙草をくゆらせながら見守っていた。
立ち去れなかった。
神楽が指差したケーキが、先程自分の目を奪ったものだった、ということがその原因の一端である。
真っ先に迷いなくそれを指された時、まるで自分の心を覗かれたようでギクリと足が固まってしまったのだ。
…しかし原因はそれだけではない。
土方には、判っていた。判ってしまったのだ。
貧乏暮らしの彼らが何故、こんな店にケーキなど買いにきているのか。
新八がどうして、神楽の我侭に怒るだけでなく困った顔をするのか。
神楽がどうして、そんなにもあのホールケーキにこだわるのか。
それはきっと、今日が。
「誕生日ケーキは丸いケーキじゃなきゃダメアル!」
やはり。
神楽の言葉を聞いて土方は煙草を踏み消し、ゆっくりと足を踏み出した。
「オイ店主、いくらだ」
子供ら二人は弾かれたように振り返った。土方がまだ近くにいるとは思っていなかったようだ。
突然かけられた声に店主は驚いたようだったが、客と見てすぐに値段を応える。土方は内ポケットから財布を出して、札を数枚
抜き出し店主に手渡した。
「…なんでお前が買うアルか。嫌がらせアルか」
自分が買えないものを目の前でポンと買われたのが悔しいのだろう。神楽が目くじらを立てる。
土方はそれを無視して釣銭を受け取ると、リボンをかけるか、という店主に首を横に振った。
「オイ聞いてるアルか!団子にマヨネーズかけて食うヤツにケーキ食べる資格なんてないネ!」
「誰が俺が食うっつった」
店主から大きな紙袋を受け取った土方は、それをそのまま新八の前に差し出した。
「え?…土方さん?」
「誕生日なんだろ。アイツの」
持ってけ。そういうと、新八は晴天の霹靂、という顔で土方を見返した。
土方は顔を逸らして新しい煙草を咥えた。
今日が銀時の誕生日なのは知っていた。
本人に聞いたわけではない。二週間ほど前に、山崎が何を思ったのか何気なく伝えてきたのである。監察がくだらないことばっか調べて
んじゃねェと殴り飛ばしたが。
誕生日、なんて。
聞かれてもいないのに自分から告げるような関係でもないし、教えられてもいないのに自分から祝ってやるような関係でもない。
要は、「言い出した方が負け」という関係なのだ。
山崎に聞いてから、いつ言い出すか、と待っていた。
十日前になり、一週間前になり、三日前、前日、そしてついに当日になっても何も言ってこないことに何故か無性に腹が立って、なら
祝ってなどやるものか、と土方は決心したところだった。
そもそも祝うような歳でも間柄でもねェし、アイツだって俺に祝われたいとか思ってねェんだろう。そう思って。
…そのはずだったのに。
ショーケースの中でキラリと光を反射した小粒な銀色に、目を奪われてしまった。
真っ白なそのケーキを見て咄嗟にあの男の顔を思い浮かべ、幸せそうにそれを頬張る顔を想像して。
それからもう一度ケーキに目を戻して、自分の発想にひどく狼狽したのだ。
いたたまれなさに逃げ出すようにして歩き出してぶつかった相手が、銀時本人でなくて本当に良かった。土方はそう思った。
「本当に、いいんですか?」
確かめるようにおずおずと聞いてくる新八に、土方はほんの少し苦笑を漏らして頷いた。
不本意だが、もう認めるより仕方がない。
あの時、アラザンの小さな銀色から瞬時にあの男を想起してしまった時点で、俺の負けなのだ。
祝ってくれと言われてもいないのに、祝ってやりたいと思ってしまった。
惨敗だ。
アイツが自分から誕生日を告げる気がないのなら、俺は何も知らないふりで、ガキどもがアイツを祝うのを手伝ってやろう。
…多分そのくらいが、俺達にはちょうどいいのだ。
「俺が金を出したってのは、言うなよ」
あ、と思い出したように釘を刺した土方に、新八は当惑したように瞬いた。
「え、でも、僕らのお金じゃこんな立派なケーキ買えないってことぐらい、銀さんだって判るでしょうし…」
「急に予約がキャンセルになって処分に困ってたらしいって言や、納得するだろ」
「けど…」
「いいから」
尚も何か言おうとする新八を、土方は鋭い眼光を向けて遮った。
まるで脅すように、有無を言わせぬ低い声で告げる。
「絶対に、言うな」
「わ、判りました」
迫力に押されたようにカクカクと頷いた新八に、紙袋を押し付ける。
そのままその場を立ち去ろうとすると、神楽に呼び止められた。
「ニコ中」
振り返ると、ずっと不機嫌そうに土方を睨んでいた神楽が、右手を突きつけていた。
「コレやるネ」
その手には酢昆布の赤い箱が握られている。
新八が心底驚いたような顔をして少女と酢昆布の箱を見比べていた。
「あ?」
「いいからとっとくアル」
眉を顰める土方の手に酢昆布の箱を押し付けて、神楽は踵を返した。
「私、借りつくるの嫌いネ」
フン、と鼻を鳴らして歩き出す。新八は土方に改めて頭を下げてから彼女の後を追った。
また今度マヨネーズおごりますから!と、肩越しに振り返って言う。
それに軽く手を上げて、土方は近くの壁に寄りかかった。
あの子らはきっと、土方が自分達のメンツを立ててくれたのだ、と思ったのだろう。
実際は、土方にはそんなつもりはなかったのだが。
煙草の煙を深く吸い込んで、溜息とともに吐き出す。
子供らに恩を売ったようになってしまったことに少し罪悪感がよぎるが、まァいい。
何としても、銀時にアレが自分からのものだと知られるわけにはいかないのだ。
誕生日を祝う事に関する意地だとか見栄だとか羞恥だとか、そういうのとはまた別の問題で。
土方は、遠ざかっていく二人の背中を眺めやった。
正確には、新八の手に提げられて揺れている大きな紙袋を。
あれの予約がキャンセルされた事情など知らないし、知りたくもない。
だが。
真っ白な生クリームをかぶせられ、銀のアラザンとホワイトチョコレートの白バラだけで飾り付けられたそのケーキは、おそらく
ウェディングケーキと呼ばれるものであったはずだから。
神楽にあのケーキを手渡された銀時の表情を予想して、土方はくくっと喉を鳴らした。
ーーー完
実はジミーは銀時の差し金だったり。