左手の指先
呑みに出掛けた先で真選組の副長さんに鉢合わせして。
お互いに顔を顰めて喧嘩して、なんやかんやで最終的には一緒に呑んでました……と、ここまではよくある話。
いつもと違っていたのは、二時間ほど呑んだ後。
厠に行きたくなって席を立った俺の腕を、アイツが突然掴んだのだ。
――それが、異常のはじまり。
「……え?なに?」
非常に鈍い反応しか返せなかったのは、俺も結構酒が入っていたせいでもある。
だけど、軽くは振りほどけないような力を込めて俺の腕をしっかと掴んでいる土方の意図がさっぱり分からなくて戸惑っていた、というのが最大の要因だ。
え、なに、コレ。座ってなきゃまずかった?今立ち上がったら何かダメなわけ?中途半端に腰を上げた体勢で、土方の顔と、掴まれた腕とを交互に見遣る。
すると土方は、右手で俺の腕を掴んだ状態のまま左手の猪口をちろりと舐めて、恨めしそうな横目をこちらに流した。
「…………帰んのか」
「え」
ぽつりと呟かれた声に間抜けに聞き返す。
そうすれば土方は、実に悔しそうな顔をしてこちらを睨んだ。
いや違うよ今のは別に、お前が言い難い事をわざと聞き返してもう一回言わせてやろうとか、そういう意図はまったくないからね。
ただ、一瞬ほんとに言われた事の意味が分からなくて、その一瞬後には意味は理解したけど今度はお前の口からそんな言葉が出てきた事にびっくりしすぎて、まともな返事ができなかっただけだからね。
頭の中を怒涛のように言い訳が巡ったけれど、そのどれもが音声となって口から出ることはなかった。
まずは質問に答えなければ、と、それだけが唇を動かして。
「帰らねェ、よ……厠」
「……そうか」
ぼそぼそと答えれば、土方はパッと腕を離した。
同時に、顔もパッと明後日の方向に逸らされる。
酒のせいなのか、耳がほのかに赤くて。こちらに目を向けずに猪口を傾けるその横顔は、己の早とちりを恥じているように見えた。
どうしちゃったの、お前。
呆然としながら、俺はとりあえず厠へ向かった。
小便してたら大の方ももよおしちまって便座に腰を落ち着けるはめになった。
スッキリして席に戻ってきたらカウンターにお銚子が一本増えていて。持ち上げてみたら空だったもんだから、おいおいオメーこれはペース早すぎじゃねーのって驚いて思わずツッコむ。
そしたら猪口を片手に持ったまま寝そうになっていた土方は、ハッと目を開けて、それからまた俺の腕を掴んだ。
「いや、帰らねェから。厠から戻ってきたとこだから」
カウンターに手をついて立っている俺の姿勢が、酔っ払いの目には帰ろうと席を立ったところみたいに見えたんだろう。そう思って今の状況を教えてやれば、すぐに手を離すかと思われた土方は、何故かちょっと不満げに唇を歪めて俺の腕を引いた。
座れ、ということらしい。
何なんだ、と思いながら腰掛ければ、土方の右手はまたパッと俺の腕から離れた。
「…………ほんとに、厠だったんだな」
「は」
「遅ェから、嘘ついて帰ったのかと思った」
拗ねたような口調に唖然として隣の男を見ると、男の表情は意外と普通で、いつも通りの無愛想な表情で猪口の酒を舐めていた。
ほんのり色づいた唇から覗く赤い舌が、いやに艶めかしかった。
ろくに会話もせずに十数分が経った頃。
土方の身体がぐらりと傾いだ。
慌てて肩を支えてやれば、ふと気付いたように体勢を直して。
そして勢いあまって、今度は反対側に倒れそうになった。なんて危なっかしい酔っ払いだ。
「ひーじかーたくーん。呑みすぎじゃねー?」
「うっせー。オヤジ、同じヤツもう一本……」
「もうやめとけって」
溜息まじりに身体を支えて、椅子にきちんと座り直させてやる。
店の親爺には冷酒の代わりに水を頼んで、ついでに新しいおしぼりも出してもらった。
あれ?なんで俺コイツにこんな親切にしてんの?なんて疑問がチラッと頭を過りながらも、深くは考えない事にしておしぼりを額に当ててやる。
すると土方は、閉じていた目をうっすらと開いて。
酒を過ごしたせいか何なのか、ちょっぴり潤んだ瞳をこちらに向けた。
「……俺は、疲れた」
「はあ」
「沖田が壊した店に謝りに行くのも、気絶した近藤さんをお妙さんちまで引き取りに行くのも、幕府のジジィどもの嫌味を聞き流すのも、天人の特使とやらの無理難題に応えるのも」
「…………」
「俺は今日は、疲れたんだ」
掠れた声で零された台詞は、常のコイツにはあり得ないほど弱々しくて。
ああ、本当に大変な一日だったんだな、と想像がついた。
それだけじゃなくて。
コイツ、いつも本当に頑張ってんだな。いつもは弱みなんか見せねェけど、こんな風に酔いつぶれちまうくらい疲れも愚痴も溜まってんだな、と。労るような気持ちすら覚えた。
俺がコイツにだぜ。信じらんねー。
でも、ついそんな事を思っちまうぐらい。その日の土方は、弱って見えたんだ。
だから、俺は緩く笑って土方の肩を叩いた。
「そーかい、お疲れさん。大変だったな」
「そうだ。大変だった。疲れてる」
「カタコト!?マジで疲れてんだなオイ……」
苦笑して、左手でぽんぽん、土方の右肩を叩いてやれば。
……そうだ。疲れてる……だから、と。低く呻くような声が、微かに耳に届いた直後。
土方の肩に置いた俺の手に、土方の左手が重ねられて。
俺の左手は、土方の体温にサンドイッチされた。
「だから、帰んな」
土方の左手の指が、俺の指の間に滑り込んでくるようにして。
キュ、と弱い力で指を挟み込まれて、俺は何故か心臓のあたりがそわそわした。
さっき、強い力で腕を掴まれた時よりも、ずっと。
弱い力で指を挟まれて、そわそわした。
どうしよう、コレ。どうしたらいいの、コイツ。
困って迷って、とりあえず、何言ってんのオメー、と軽いツッコミを入れてみたらば。
土方は俺の左手をサンドイッチしたまま、つまり左手で自分の右肩を抱えるような不自然な体勢のままで、ずるずるとカウンターに突っ伏した。
そんな体勢じゃ左腕がカウンターに挟まれて痛いだろうに、それでも俺の指を、離さないで。弱々しい力の癖に、離さないで。
「かえ……ん、な……」
聞こえるか聞こえるかの微かな声音でそう言い残して、土方は完全に眠りの世界へ旅立った。
俺は左手の指先に温もりを感じたまま。腰を僅かに浮かせたり、また下ろしたり、視線を彷徨わせたりして、結局座ったまま土方の寝顔を眺める体勢に落ち着いた。
体勢は落ち着いたけど、心臓のあたりはまだそわそわしていた。
「おや、土方さん寝ちゃったのか。銀さん、もうお開きにするかい?」
カウンターの内側から、店の親爺に声をかけられて。
俺は右手で空っぽの猪口を弄びながら、いや、どうしよう、と首を傾げた。
「帰んな、って言われちまったし」
隣の寝顔をぼんやりと見詰めながら、やっぱコレ帰ったらダメなんじゃね?と思っていたら。
店の親爺は笑い声を上げて、熱いお茶を一杯出してくれた。
「バカだな銀さん、そりゃ傍にいてくれって意味だよ」
お茶飲んで酔いが醒めたら、連れて帰ってやんな。
温かな笑顔でそう言われて。
心臓のあたりのそわそわは、いつの間にかドクドクへと取って代わっていた。
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一周年企画リク、「無自覚に甘える土方さんにどきまぎ銀さん」
リクいただいてから何年も経っておりまして……もうご覧になってらっしゃらないかとは思うのですが、本当に申し訳ございませんでしたァァァァ!
素敵なリクエスト、どうもありがとうございました!