「I LOVE YOU を訳しなさいバトン」
●ルール
その昔「I LOVE YOU」を夏目漱石が『月がキレイですね』と訳し、
二葉亭四迷は『わたし、死んでもいいわ』と訳したと言います。
さて、あなたなら「I LOVE YOU」をなんと訳しますか?
もちろん「好き」や「愛してる」など直接的な表現を使わずにお願いします。
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一.
この辺に花屋はあるか。
助手席の男にそう聞かれた時、山崎は不覚にも一瞬ほうけてしまった。
江戸郊外での公務からの帰り道。車の窓から見える景色は、山の中とは言わないまでも緑が多い。人家も決して多くはないこんな場所にそんな店があるはずがなかろうというのも勿論だが、むしろそれよりも、男の口からそんな単語が発せられたこと自体が意外で。
ハンドルを握ったまま、思わず左を向いて横顔を眺めること一秒強。開け放った窓に左肘をまかせて車外を眺めていた男が、ふと視線を寄越して「オイ、前」と呆れ顔で言うまで。山崎は返事をすることさえ忘れていた。
あ、すいません。軽く謝罪して前方に向き直った山崎に、助手席の男、土方は、それ以上何も言わずに視線を外に戻す。
昔ならここで怒鳴られていただろうな。山崎はそう考えて微苦笑を浮かべた。
この上司の直属に配置されて早や十数年。土方は、そろそろ三十路も半ばを越える。
若かりし頃に額に重たくかかっていた前髪は後ろにかき上げられ、日々の苦労の現れなのか、耳の後ろには白髪が数本。
普段の表情や語気は昔に比べれば随分丸くなった(ただし、そう感じるのは真選組結成当時からの長い付き合いの者だけらしい)けれど、厳格に隊士を率いる「鬼の副長」は未だ健在で。むしろ平素が少し和らいだだけに、公に見せる顔は凄みを増したとも思える。
――その、彼が。
花屋に何の用だろうか。
長らく彼に直属している身でも、やはり判らぬ事というのはあるものだ。何となく楽しい気分になって口角を上げる。
この辺には花屋は無いと思いますけど、と正直に告げれば、土方は窓の外を眺めたまま、そうかと短く応えた。
「……墓前に、供えようかと思ってな」
数秒の沈黙の後、ポツリと呟かれた答えに。
――ああ、そうか。ようやく山崎は気付く。
ミツバさんの墓はこの近くだ。
十年ほど前。若くして天に召された沖田の姉は、唯一の肉親である総悟がいつでも参れるようにと、故郷の武州ではなく江戸に程近い土地に埋葬された。
ごちゃごちゃした都会の空気では姉上に毒だと、郊外の緑が美しい場所を選んで。
確か、次の三叉路を左に曲がった先の丘の上だ。何度か近藤とともに手を合わせに来たことのある山崎はそこを知っていた。
そして。土方があれから十年、一度も墓へ参っていないのも、知っている。
もう一生行かぬものと決めているのかと思っていたが、心境の変化でもあったのか。
それとも、何か報告したいことでもできたのだろうか。
黙って車を走らせていれば、土方がまた、静かに続ける。
「赦してもらえるとは思っちゃいねェが、懺悔させてもらうつもりだ」
…今更だけどな。そう言って柔らかに苦笑した土方の表情は、以前からは考えられぬほどに穏やか、だけれど。
瞳の奥には、未だ消えない強い自責の念が宿っていて。
十年前と重なるその色に、山崎は思わず口を開いた。
「…アンタ、そういうとこは相変わらずバカなんですね」
その言葉に。
土方は一瞬キョトンと目を瞠ってから、みるみるうちに眉間に皺を寄せて剣呑なオーラを立ち昇らせた。
「んだとコラ山崎テメェ…」
「あ!すいませんすいません間違えました!バカじゃなくて、えーと、困ったところというか呆れたところというか…」
「どれにしろ悪口だろうが上等だコラァ!」
昔より威圧感の増した声色で怒鳴られて、山崎は首を竦めながら三叉路を左にハンドルを切った。
途中に白百合が自生している場所があったはずだから、そこで一旦停車しよう。そんなことを考えながら。
――『相変わらずバカですね』
山崎から土方への I LOVE YOU
二.
風通しのよい丘の上。
人家が並ぶ通りを少し山側に逸れて、緩やかな石段をのぼった先に、その小さな墓地はある。
土方は一人、数本の白百合を手に石段を踏みしめていた。
山崎は下に停めた車で待っている。
左右の緑がつくる木陰は、石段を上り切ったところでサッと開ける。
まぶしさと吹き抜ける風に少し目を細めてから、土方はゆっくりと墓地に足を踏み入れた。
そして。決して立派すぎず控えめに、しかしさり気なく一番見晴らしのよい場所に据えられた、小さな墓石に歩み寄る。
手入れの行き届いたそれは、十年の歳月を経過した今でも美しく立っていて。
そこに眠る人の人柄ゆえだと、ごく自然に土方はそう思った。
正面まで歩み寄って、足を止める。
「……来るのが遅くなって、悪かった」
数秒じっと見詰めてから発した第一声は、思ったよりもするりと口をついて出て。
同時に胸のうちに広がった温かさに、土方はつい、キュッと眉根を寄せた。
まるで懐かしい人と顔を合わせて、便りがないのを詫びたかのような。
申し訳ないと言いながらも再会を歓んでいる、あの感覚。
――どの面さげて。
どこまでも手前勝手な自分に、旧交を懐かしむ資格があるとでも思っているのかと。
そう、胸中に湧いた温かさを無理やりに抑え込もうとしている自分に気付いて、土方は苦笑した。
……まったく、アイツの言う通り。俺はいつまで経っても相変わらずだ。
手の中の百合を墓前に供えようとして、乾いた水鉢が目に入る。そういえば手桶も柄杓も用意して来なかったと己の武骨さに苦笑を深めた。
そもそも、あの妙に気の回る部下がいなければ、花の一つも持参できなかったのだ。
パサリ。折り採ったそのままの百合を無造作に置いて、不躾ですまねぇなと墓に語りかける。
「毎年、隊士の誰かを死なせちまってるってのに、墓参りの一つも満足にできねぇ」
相変わらず、バカな男だよ。俺は。
そう言ってほんの微かに眉尻を下げ、土方は口端を緩めた。
山崎にそれを言われれば、今も昔も問答無用で殴り飛ばしているけれど。
彼が自分の何を指してバカと言っているのかは。今は、ちゃんとわかっている。
……わかるように、なった。
「十年もかかってようやく、俺はお前の背中が見えるところまで来れたらしい」
己の弱さと、それ故の狡さを。あの時の自分は承知しているつもりでいた。
けれど、実際には何もわかってなどいなかったのだと。
少し目を開きさえすれば、眼前に広がっていたはずの別の道を。ずっと手を差し伸べて待っていてくれた得がたい人を。見もせずに背を向けた愚かさに、本当の意味で気付けたのは呆れるほど後になってからで。
今となっては湧いてくるのは自嘲や慙愧よりも、当時自分よりずっと大人だった相手への、畏敬と謝意。
――謝ったところで罪が消えるとは思わないけれど。
「…あの頃の俺を悔いることを、お前は許してくれるか?」
赦しを請うでなく、ただ悔やみ惜しむことを。
己の過ちを過ちとして、抱えていってよいかと問えば。
「ダメよ、許さないわ」と。
コロコロと涼やかに笑う声が、空の上から聞こえた気がした。
…ああ、お前はきっとそう言うのだろうな。土方は瞑目する。
振り返るなと、彼女は行った。
私を置いて行くのだから、選んだ道を貫き通せと。
だから。土方があの時の選択を否定することは、きっと。彼女にとっては何よりもの侮辱なのだろう。
謝るな。悔いるな。振り向くな。
彼女の優しさは、いつも厳しい。
ならば自分は、その厳しさに応えよう――それが唯一、自分にできることだから。
山崎あたりに聞かれたらまた「バカですね」と言われそうなことを考えて、土方は穏やかに口角を上げた。
――『悔いることを、許してくれるか』
土方からミツバへの I LOVE YOU
――『いいえ、後悔なんて許さないわ』
ミツバから土方への I LOVE YOU
三.
石段を下りたら、そこには真選組の公用車ではなく一台の原付が停まっていた。
土方は足をとめて煙草を咥え、おもむろに火を点ける。
シートに横向きに腰掛けている男がこちらを振り向くのを待って、煙を吐き出しながら土方は問うた。
「なんでテメェがいる」
「ちょ、やめてくんないそのストーカーを見るような目やめてくんない。通りがかりに呼び止められただけだっつーの」
抗議にしては緩い口調で応えた男は、よっこいせ、と呟きながら腰を上げてこちらに向き直る。
両腕を懐手にした白い着流し。ゆったりと開いたその胸元からは黒い洋服が覗いていて、おや、懐かしい恰好だな、と土方は思った。
和洋折衷の服装は今日び珍しくもないけれど、一昔前からそんな恰好をしていた男は、最近ではゆるりと和装でいることの方が多くて。下に洋装を重ねてブーツを履くのは、身体を動かす予定がある時や、原付で遠出をする時ぐらいのもの。
どうやら通りがかったというのは嘘ではないらしいと、土方は今も昔も変わらぬ遭遇確率の高さに内心で少し苦笑した。
そして。この通りがかりをわざわざ呼び止めたお節介を目で探して、近くに車がないことに眉を顰める。
…余計な気を効かせて、離れて待っているのかと思ったが。
「オイ、山崎は」
「そういえば俺今日午後から非番だったんで、後はよろしくお願いします旦那。だ、そうだ」
「……車で帰ったのか」
「おお、悠々と運転してったぜ」
笑い含みの声音で返ってきた答えに、土方は額に手を当てて溜息を吐いた。
確かに、アイツのシフトは今日の午後から非番だった。現在時刻は十四時半。事前にひとこと言ってあったとはいえ、超過勤務ではある。…が。
江戸まで車で二十分はかかるこんな場所で、徒歩の上司を置き去りにするとはいい度胸だ。
「後でシメるか」
「俺もそれに一票。ったく、仕事帰りの人間捕まえて勝手なこと言いやがってよォ。なんなのアイツ。何年経っても地味なくせに強引さだけガンガン増してね?」
「同感だ」
煙草をふかして苦い顔をすれば、銀時は一笑して、懐手の両腕を袖に通す。
原付のハンドルに引っ掛けてあったヘルメットを投げて寄越すのを片手で受け取って、土方は煙草を携帯灰皿で揉み消した。
未だに喫煙マナーが向上しているとは言い難い土方だが、さすがに、墓前に続く道に吸殻を捨てる気にはなれない。
「こんなとこで何の仕事だ」
「農家の手伝い。収穫期で人手が足りねぇんだと」
仕事帰り、という言葉を捉えた問いには、さらりとした答えが返ってくる。
なるほど、先程からいつにも増して気怠げなのはそういうわけかと土方は得心した。
収穫期の農家。それは結構な重労働だろう。まして、以前のように三人ではなく、一人で万事屋稼業を営んでいる現在の男には、尚更。
原付に歩み寄りながら、少しだけ日に焼けたようにも見える顔を眺めると。銀時は土方の視線に応えるようにひょいと肩を竦めた。
「いやホント疲れたよコレ。若いもんはみんな都会に出ちまったからっつって、ここぞとばかりにこき使われてよー。なにしろ銀さん頼りにされちまってっから」
「はっ、四十のおっさんが若いもんのくくりに入ると思ってんのか」
「まだ四十じゃねぇよ!ってか四十でも依頼主のジジババどもにとっちゃ充分若いもんだからね!まだまだ現役だよ、俺も、もう一人のオレも」
「そーかい」
チラリと視線を俯けた台詞をさらりと流してやれば、銀時は一瞬の間の後、つまらなそうな感心したような面持ちで顎を撫でた。
「お前ほんと可愛げなくなったよなァ」
「そんなもん元からねぇよ」
「いやいや、昔のお前はもうちょっとこう、あれだ。アホだったよ」
「喧嘩売ってんのかテメェは」
「そんなモン売るほど若くありまっせん」
そう言って、軽くポンとシートを叩いた銀時に。まだまだ現役なんじゃねーのかよと笑いながら、土方は銀時の後に続いてシートの後部に跨った。
「お客さんどちらまで〜?」
「そうだな、とりあえず江戸まで頼まァ」
江戸の何処に連れてってもらうかは追い追い考えるわ。
ふざけた口調の銀時にそう応えれば、りょーかい、という返事とともに、ブロロ…と古くさい音を立てて年代物の原付がゆっくりと走り出す。
(……やっぱり、何も聞かねぇんだな)
すぐ目の前にある白髪の後ろ頭を見詰めながら、土方は、胸の内に呟いた。
あの石段の上に何があるのか、おそらく銀時は知っている。
ごく僅かな時間だったけれど銀時はミツバと面識があった。今日も、仕事帰りにこの上に寄るつもりだったのかもしれない。でなければこんな本通りから外れた場所はそうそう通りかからないはずだ。
…そして、土方が今までミツバの墓に参ったことがなかったのも、銀時は知っているはずだった。
ならば。十年も経った今になってここへ足を運んだことに、当然何らかの意味を忖度しているだろうに。
コイツは昔からこうだったな。
土方は苦笑う。
知り合った頃から既に、こんな風に、口を出すべきところと噤むべきところを上手く推し量る男だった。
…それでも昔は、他人に踏み込みすぎたくないという或る種の臆病さも併せ持っていた気がするけれど。最近のコイツにはそれも無い。
ただゆっくりと原付を走らせて、こちらの話しやすい状況を作ってくれている。
山崎はせっかく気を効かせて機会を作ってくれたけれど。土方に話すことがないならば、別にそれでいいと言うのだろう。
――さて、何をどう言うべきか。
後頭部を見詰めて、土方は唇を歪める。
以前より少し短くなった髪は相変わらず天パで好き勝手に跳ねてはいるが、短い分、だいぶすっきりとしていて。
初めてこのくらいの長さになった時、何故今まで切らなかったのかと疑問に思ったものだが。どうやら髪の重さで少しでも天パが伸びないかと望みをかけていたらしいと知って大笑いしたのは、もう随分と昔の話だ。
「…生憎、俺ァ変わっちゃいねぇよ」
「んー?」
ポツリ、紡ぎ出した台詞には、気のなさそうな声で相槌が返ってくる。
仕事後の適度な倦怠感を漂わせる背中から、気安い空気が感染してくるのを感じて土方は目を閉じた。
「相変わらず馬鹿で阿呆のままだ」
「まあ、俺はバカとは言ってねーけど」
「山崎に言われた」
「あー…」
さすが、よくわかってんじゃんジミー。
銀時は緩く破顔して、そのまま言葉を続ける。
「何しろ、あんなイイ女フッといてこんなオッサンと2ケツしてんだもんなァ。そりゃバカだよお前」
「まったくだ。…ミツバにも、そう言っておいた」
さり気ない銀時の台詞に、これまたさり気なく応えれば。
銀時からは珍しく、本当に珍しく、虚を衝かれたような沈黙が流れた。
銀時とこんな間柄になって、もう何年経ったか。
墓参りにも来ていなかった土方は、当然ミツバに報告などもしていなくて。
土方が言わない以上、おそらく銀時も他の誰かも、敢えてミツバに告げることはなかっただろう。
隠す必要があったわけでも、報告を義務だと感じたわけでもない。
土方が誰かと添うことをミツバが裏切りと咎めるとは思えないし、銀時が土方の態度を、ミツバへの未練だと穿っているとも思えない。
今になってまだそんな風に思うのは、むしろ二人に対する侮辱だろう。
――だったら。なぜ今、敢えて報告したのかと言われれば。
銀時はやはり口に出しては聞かないが、沈黙にこそ尋ねられているようで。
以前の自分は聞かれないのをいいことに口を閉ざしていたけれど。それではあまりにもおんぶにだっこだと、最近では聞かれずともなるべく答えるようにしている。
数秒、言葉を探して首を捻ってから、土方は口を開いた。
「…深い意味はねぇ。ただ、言わねぇと俺の気が済まなかった、だけだ」
墓の前に佇んで故人を偲んでいた時、最期の記憶の中に過った顔。
言うべきか言わざるべきかと、迷ったのは少しの間だけ。気付けば口に出していた。
ただ単純に、昔よりは自分の本音から逃げずにいられたら、と思ったのだが。
墓前でそんなことを語られて、ミツバがどう思ったかはわからない。
――結局はまた、自分の身勝手だ。
そして。
「……ったく、テメェってヤツぁよ」
銀時はボヤくような声で呟くと、ハンドルから片手を離してガシガシと頭を掻いた。
こうして身勝手を赦してしまうヤツに囲まれているから、俺はいつまでも甘えてばかり。
…なんて、とんだ責任転嫁。
こういうところが甘えだと謂うのに。土方の口元が苦くほころぶ。
時ばかりが飛ぶように過ぎて、なかなか進歩のない自分。
…いつか、コイツやミツバと、同じ目の高さでものを見れるようになるのだろうか。
彼らの後塵を拝していることに、過剰なまでの焦りと劣等感にせき立てられることはなくなったけれど。
ふわふわ揺れる銀髪をじっと見詰めながら、土方は、片手でトンと銀時の腰あたりを小突いた。
「万事屋、スピード上げろや」
「あァ?おま、コレ何年乗ってると思ってんだ。ご老体だぞ労れバカヤロー」
「大丈夫。まだまだイケる。コイツはやればできる子だ」
「お前が俺の原チャの何を知ってんだァァ!」
ぶつぶつと文句を言いながらもスピードを上げた銀時に、土方は口角を上げる。
そうだ。まだまだ力はあるのだから、ご老体なんて嘯いて出し惜しみしてもらっては困る。
だって、俺は立ち止っているコイツに追い付きたいわけではないのだ。
待っていてほしくなどない…生来の負けず嫌いは、十年経っても消えずにひょっこり顔を出す。
今も昔も、ずっと自分の前を歩き続けているコイツらに。自分の足で、肩を並べられるところまで――いつか。
(……六十ぐらいまでにゃ、辿り着きてぇんだがな)
そんな歳まで生きていることを想像するようになった自分に。
土方は銀時の肩に額を乗せて、くっくと肩を揺らした。
――「ただ、俺の気が済まねぇだけだ」
土方から銀時への I LOVE YOU
――「ったく、テメェってヤツはよ」
銀時から土方への I LOVE YOU
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男は三十路からが勝負!