風邪というのは厄介だ。
江戸の町は近頃急に冷え込んで、季節の変わり目のお約束のように、風邪ウイルスが猛威をふるっている。
坂田銀時も例に漏れず、発熱で和室に伏せっていた。

今回は、神楽はうつる前に志村家へ避難させた。
同居人のいない万事屋は昼日中だというのにやけに静かで、チクタクと振り子時計の音だけが淋しげに響いている。
ゲホ。坂田は咳き込んで――せきをしてもひとり、なんて呟いてみた。

薬は飲んだ。
新八手製の卵粥も食べた。
このままよく寝れば、きっと明日には熱は下がっているだろう。

天井の染みを見るともなしに見詰めながら、坂田はぼんやりと考える。

独りで、身体が動かせなくて、時間があると。
ついつい、くだらないことを考えてしまうもので。

……例えば。

五年ほど前に知り合って、四年ぐらい前に惚れてしまって、数ヵ月前にようよう想いを告げた相手のことであるとか。

「……げっほ、ごほ」

そいつは、坂田が今風邪で寝込んでいる事など知りもしない。
知らせていないのだから当然だ。
そもそも、普段からそう頻繁に連絡を取り合っているわけでもない。風邪ひいちゃった、など、わざわざ報告する要もないだろう。
看病してほしいとか、見舞いに来てほしいとか、そんな事をねだるような間柄でもなし。

「…………はー……」

言えば、きっと。
あの男は様子を見に来るのだろう。
巡回のついでだとか嘯きながら、いかにも気の無いふりをして。
粥を作ったりだとか額を冷やす布を変えたりだとか、そんな献身的な事は何一つしないだろうけれど。それでも多分、俺がいつも通りの軽口を叩けば安心したように瞳の奥を緩めて。しばらくの間、煙草も吸わずに傍に居てくれるに違いないのだ。

これはおそらく、妄想なんかじゃなくて限りなく現実に近い推測。
むず痒くて口の端が緩む予想図、ではあるけれど。
……だけどやっぱり、奴には知らせずにサッサと治してしまおうと思う。

毎日忙しく働いているあの男に、風邪などうつすわけにはいかないから。
副長さんが発熱で倒れる姿など、見たくない、し。

「はは、は……っけほ」

自分も大概だ。

うつしたくない。
煩わせたくない。
あの優しい男に、余計な心配などかけたくない……のに。

あの男に似合わぬ柔らかな声をかけられたら。
常に無い、気遣わしげな瞳で見られたら。
ひんやりとした指先で、そっと額に触れられたら。

いや、なにも特別なことなどいらない。


アイツの顔が見られたら、風邪なんて1秒で治ってしまう気がする、なんて。


自分はいつの間に、こんな恥ずかしい思考回路の持ち主になってしまったのだろう。
ぜんぶ熱のせいだ、風邪菌の仕業だと思うことにして。坂田は己の色ボケた独白に赤面した顔を隠すように掛け布団に埋めた。


本当に、風邪というのは厄介だ。

熱で意識が鈍ってさえいなければ、玄関前にガサリと置かれたビニール袋の音に、気付かないはずがなかったのに。




巡回中に万事屋の従業員二人と往き合って、万事屋の主が床に伏せっていると聞いた。
流行りの風邪とのことで、それほどひどい症状でもないらしいが。熱と咳に悩まされているという。
……そう世間話のように聞かされただけで、見舞いに行ってやれと言われたわけじゃない。

それなのに何故。
自分は今、万事屋の玄関前にいるんだろうか。

(…………迷惑、だよな)

発熱で寝込んでいる時に来客、など。
いや、あの男がこちらを客として遇することはまず無いだろうが、それにしても他人に応対するのは億劫に違いない。
看病を頼まれた、とかならともかくとして。

「…………」

咥え煙草を揉み消して、数秒の逡巡。
結論は簡単に出てしまって、土方は溜息とともにビニール袋を玄関先に置いた。
中身は冷えピタと林檎。
インスタントの粥も買ってこようかと思ったが、志村が卵粥を作ったらしいからそれはやめておいた。

普段から、そう頻繁に連絡を取り合うような仲じゃない。
五年越しの片想い――だと思っていたら、驚いた事に数ヵ月前、向こうから想いを告げられたりしたのだけれど。
それから関係性が何か変わったのかと聞かれれば、何というか、身体的な接触が増えましたとしか答えられない程度の間柄だ。
いや、決して仲が悪いわけじゃなく。いやまあ仲は悪いんだけど、本当は悪くなくて。

……と、まあ、そんな感じのぐだぐだ感だから。
今回も、風邪をひいたなどという報告が本人から寄越される事は無かった。

別に、他の人間から世間話として聞かされた事が不満なわけじゃない。
あの男が自分の体調などを声高に主張するタイプでは無いことは分かっているし、自分とて、風邪をひいたからといって相手に知らせなどしない。

――ただ。
ただ、本人に知らされてもいないのに、寝込んでいる人間のところへ押し掛けるのは気が引ける、と。それだけの話だ。

「…………はー……」

自分も大概だ。

迷惑だろうから。
億劫だろうから。
自分が居たらあの男は何だかんだで気を遣うだろうから、独りでゆっくり休ませてやった方がいいと思う……のに。

少し掠れた声でもいいから、野郎の軽口を聞いて。
いつにもまして気怠げな目がこちらを向くのを見て。
その熱の高さを、己の掌で確かめて。

いや、それが叶わなくても。


アイツの顔を一目見て、安心したいと思ってる、なんて。


自分はいつの間に、こんな腑抜けた感情に巣食われてしまったのだろう。
土方はビニール袋の中の林檎に視線を落として再度溜息を吐いてから、思い切るように踵を返した。



ああ、本当に。

恋というのは、厄介だ。




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Aさんお誕生日おめでとうございました。