「近藤さん、ちょっといいか?」

陽光さわやかな、澄んだ空気の朝。
朝の会議を終えて幹部たちが各々の仕事へ向かう中、土方は広間を出ようとする局長の背を呼び止めた。

「総悟も。少し時間を貸してくれ」

イヤホンを両耳に当てようとしていた一番隊長へも声を掛ければ、総悟は一瞬意外そうな顔を見せたものの、抗う様子はなく広間に留まった。イヤホンも懐に仕舞っている。
これが少し前だったら、存外な素直さに戦慄して、何を企んでいるのかと勘繰ったところだろう。土方はそう思って内心で少し笑った。

ドSでサボリ魔で手を焼かされていた若き隊長は、今や家庭を持つ身。つい先日、想う相手と幸せな式を挙げて、昨日まで三日間の宇宙旅行に行ってきたところだ。
たった三日しか非番にできなかったのを花嫁にも申し訳なく思ったものだが、総悟は文句を言う事もなく、予定をはみ出しもせずにきちんと昨日の夜に地球へ戻ってきた。更には、屯所の外に構えた新居から遅刻もせずに会議の席へ腰を下ろした。
総悟が自ら、時間通りに朝の会議に参加するなど。真選組結成以来、何度あっただろうか。

自覚、というものであろう。総悟ももう、子どもではない。
然して重要な案件も無かった形ばかりの会議の間、居眠りする様子も無かったのを思い返して口の端を緩める。

……そして、これならば、と。
土方は決意を新たに、二人へ座布団を勧めて、己はその正面へと正座した。

例え組織の根幹に関わる協議であろうが胡座で向き合ってきた仲で、今、あえて膝を揃えてみせた意味を、近藤は正しく悟ったらしい。
刹那の間だけ僅かに見開いた目を、そっと細めて。近藤はゆっくりと、土方の真向かいに座した。
総悟も黙って、その隣に座る。正座してみせたのは、こちらに倣ったのだろうか。本当に、ひとつ階段を上るだけで人は大きく変わるものだ。

ならば自分も、変われるだろうか。
いやそもそも、これは階段を上る事になるのだろうか。
ひょっとしたら、一段下がる事になるのかもしれない。もしくは、一歩踏み出したその先が滑り台になっていて、後は落ちていく一方なのかもしれない。
――けれど、落ちていったその先も……きっと、悪いものでは、ない。

土方はひっそりと微笑むと、腰から鞘ごと刀を引き抜いて脇に置いた。
そして両手を、膝の前へつく。
背は真っ直ぐに腰を折って、顔だけを確りと上げて、斜め下から近藤の瞳を見上げる。

「――近藤局長。真選組副長として、ひとつ、頼みがある」

凛と、それでいて穏やかに。
静かな声音を紡ぎ出せば、近藤はそこから先の言葉を既に予想しているように、ゆったりと笑った。

「ああ。何だ?聞かせてくれ」

歳を重ねて重厚になった、それでも人を安堵させる温かさを失わない声を、好きだと思う。
話す事を躊躇わせないその器の深さを支える事に、己の一生を捧げると。ずっと前から、そう決意している。
土方は微笑んで視線を逸らさず、次の言葉を口にした。

「屯所の外に寝床を持って、通いで仕事がしたい」

土方の台詞に、近藤の表情は変わらなかった。
ただ、ほんの僅かに、口角を緩めてみせた。
総悟はじっと口を噤んだまま、近藤の隣から真っ直ぐな視線を注いでいる。

土方は畳に手をついたまま、近藤の瞳を見据え、総悟へ顔を向け、それからまた近藤へと視線を戻した。
否とも諾とも言わぬ彼らに、こちらがもう一言続けるのを待っているのだと察して、土方は、息を吸う。

「万事屋と、暮らしてもいいか?」

緩く笑みを刷いて、そう問うた。

近藤は眉尻を下げて、くしゃりと笑った。

武装警察の大将とはとても思えないそんな表情につられて、つい、こちらも破顔してしまえば。
近藤の隣で、総悟が眉根を寄せて唇を歪めてみせた。

「気に食わねーなァ」
「総悟?」

問い掛けたのは近藤だ。驚くでもなく、咎めるでもなく、ただ単純に意図を訪ねる声色。
近藤のそんな口調が良かったのだろう。総悟は本音を隠そうともせず、素直に口を尖らせてみせた。
別に、今更アンタの色恋沙汰が気に食わねェとか言うつもりはありやせんぜ。まあそれはアンタも分かってんでしょうが、と前置いてから、総悟は言う。

「今まで誰に何言われようがそんなそぶりも見せやがらなかったくせに、何でィ。まさか俺が一人前になんのを待ってたとでも言うつもりですかィ」

総悟のその言葉に土方は肩を竦めた。なるほど、今このタイミングで、というのが、一番隊長殿の気を損ねたわけだ。
そりゃあ、近藤にならばともかく、土方に保護者面をされたのでは総悟は堪らないだろう。文句のひとつも言いたくなるに違いない。
土方は小さく笑ってから、そんなつもりじゃねぇよ、と総悟に向き直った。

「お前の独り立ちを待ってたんじゃねェ。俺ァ、アイツが独りになるのを待ってたんだ」

そう言えば、総悟はちょっと目を瞠ってから、拍子抜けした表情で口を閉ざした。
もう不満は無さそうだと察して、土方は二人の顔を見る。

「近藤さん、総悟」

何気なく呼びかけたら、未だかつてないほど柔らかな声になって、自分でも少し驚いた。

「俺は、アンタらを家族だと思ってる。傲慢かもしれねェが、こっちで勝手にそう思ってる」
「俺もだよ、トシ」

間髪を入れずに返してくれる近藤に、じわり、胸の芯が温まる。

「……そう思わせてくれたことを感謝してるし、これからも、それは変わらねェ」

ほんの少しだけ俯いてそう続けてから、土方はもう一度、確りと顔を上げて近藤の瞳を見据えた。

「だけど、こことは別にもう一人、家族と呼びてェ男ができた」

秋空のように澄んだ近藤の瞳から、深海のように冴えた総悟の瞳へ、交互に、きちんと、視線を合わせてから。

「アイツを家族と、呼んでもいいか?」

一言一句、言い淀むことのないように。
躊躇しない事こそが、こと此処に於いて、最たる誠実さだと信じて、土方は明朗に伺いを立てた。

ほんの二秒、間を置いて、近藤が声を立てて笑う。

「俺たちが反対なんて出来ると思うのか?トシ」
「……アンタ、そういう狡いトコは昔から変わりやせんねィ」

総悟が肩を竦めてみせた理由は痛いほどに分かって、土方は苦笑した。
彼は昨日新婚旅行から帰って、今朝は新居から屯所へ通ってきたばかり。近藤はと言えば既に二児の父で、もう何年も前から屯所の外で暮らしている。
そんな自分たちに、土方が外で寝泊まりする事を止める権利があると思うのかと、彼らはそう言っているのだ。

……真っ当に、式を挙げた彼らが。
自らと同列に、己とあの相手の事を捉えてくれている事が、今更ながらに土方はありがたかった。
本当に、有難い事だと……改めて、思う。

「……ありがとよ」

今日、荷物を纏める。
そう告げれば突如として、ぶわりと近藤の瞳に涙が浮いた。

「うわ、やだコレ、何コレ。なんか急に淋しくなってきちゃったんだけどどうしよトシィィ」
「いやアンタ、さっきまで笑ってたじゃねーか」
「だから急にキタって言ってるじゃん!トシがそんな、お嫁にいっちゃう箱入り娘みたいな顔してるから!」
「だれが箱入り娘だ!」

思わず普段通りの口調で突っ込めば、近藤は何かの糸が切れたかのように両手で顔を覆ってむせび泣き。総悟はやってられないとでも言いたげに懐からイヤホンを取り出して、落語を聞きながら部屋を出て行った。
土方は溜息を吐きながら、膝行って近藤の背を叩く。

「ほら、近藤さん。俺ァ別に、これからも真選組にいるんだからよ。夜の間だけ余所に帰るだけだって」
「うん、うん。わがってるげどさァァァ」
「オイオイ鼻水ぐしゃぐしゃじゃねーか。しっかりしろって」
「うわあぁぁぁん、トシィィィィ!!」

がばり。抱き付かれて背中から倒れ込みそうになりながら、何とか持ちこたえて、土方は噴き出した。


さて。近藤が泣きやんだら、今日も仕事に精勤しよう。
一日の仕事を終えたら、身の周りの物だけ簡単に纏めて屯所を出ればいい。


この顛末を話せばきっと、あの男は、みっともなく狼狽えながらも二人分の夕食を作ってくれる。


そして明日からは、それが当たり前の日々になるのだ。




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ご結婚おめでとうございました。