「あ」
「げ」
居酒屋の暖簾をくぐって、カウンターに見知った顔を見付けて。
途端、お互いに顰めた顔。口から漏れるのは短い呻き。
咥え煙草の男の目が、普段の一割り増し瞳孔開いてこちらを睨みつけ。
銀時はあからさまに「うんざり」という顔をして、それを見返した。
これは最早、条件反射。
素面が酔っ払いに勝つのは難しい
「奇遇だね土方君、一人で飲んでんの?俺もこれから気持ちよく一人酒しようと思ってたとこなんだよ。だから出て行け」
「ふざけんな俺は今飲み始めたとこなんだよ。お前が出て行け。店を変えろ。そして二度と来るな」
暖簾をくぐった位置で淡々と言い放てば、土方はシッシと追い出すように手を振った。
銀時はヒクリと頬を引き攣らせる。
「おいおーい、何言ってんのこの人?言っとくけど俺はこの店の常連だからね。俺を追い出したりしたらお前の方が親父さんに出入り禁止くらうからね」
「毎回ツケで飲んでく質の悪い客を追い返してやってんだ。逆に感謝されるんじゃねェの?」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねェよ!俺が溜めてんのは甘味処のツケだけだ!」
「自慢することか!」
実際は、言うほど常連というわけでもないのだが。
しかしいくら気に食わない相手がいるからと言って、ここで踵を返すのは銀時のプライドが許さない。
…というか、気に食わない相手だからこそ引き下がりたくない。
銀時は引き攣った笑顔のままズカズカとカウンターに歩み寄って、土方から席を一つ隔てた椅子を引いた。
「大体何でテメェがこんなトコにいるわけ?高給取りは高給取りらしく、もっとイイお店にいったらどうですかー。庶民の寛ぎの場を侵害するんじゃねェよ」
「俺は幕府高官の接待に付き合わされた帰りだ。あんな肩凝る店でメシ食わされりゃ、こういう気安い店で飲みたくもなるっつーんだよ」
「接待だァ!?高級料亭ですかコノヤロー!テメェら俺達の税金使ってそんな高い店行きやがってふざけんな!」
「どっちにしろ文句しかねェんじゃねェかテメェは!つーか座ってんじゃねェよ!出て行けつってんだろ!」
一つ離れているとはいえ、間に誰もいない席に腰を下ろした銀時を見て、土方の眉が吊り上る。
銀時はそんな土方にチラと目をやっただけで、何事もなかったかのように店の親父に声をかけた。
「オイ親父、熱燗一本」
出て行ってやる気など毛頭ないという銀時の態度に、土方の眉間の皺がぐっと深まる。
土方は咄嗟に怒鳴りかけた口を閉じてカウンターに向き直ると、徳利に残っていた酒を注ぎきってグイと飲み干した。
「親父、こっちも一本追加だ」
空になった銚子を振って見せれば、ピクリ、銀時が米神の辺りをヒクつかせる。
一瞬剣呑な目付きで土方を睨みつけたが、何も言わずに一つ咳払いをすると、わざとらしく明るい声をカウンターに投げかけた。
「あー親父、やっぱり二本つけといてくれる?一本じゃすぐ無くなっちまうから」
ビキ、と土方の額に青筋が立った。
「俺は三本つけといてくれ」
「あ、俺やっぱ四本で」
銀時の方を見もせずに土方が注文を直せば、同じく目線を正面に固定した銀時の声が被せるように続く。
「……………」
ギラリ、と。
無言でぶつかる視線。険悪に散った火花。
徳利を手にどうしたものかと迷惑そうな顔を浮かべている店主に、二人は同時に向き直った。
「「 親父!もう燗はいいから、日本酒一升、瓶で!! 」」
そんなわけで、会って二分で火蓋が落とされた飲み比べ。
決着は、意外とあっさり着いた。
「おーい、ちょ、お前しっかりしろよ。重てェんだよコノヤロー」
酔い潰れた土方の肩を担いで、銀時は夜道を歩いていた。
本来なら銀時と互角に飲めるはずの土方が、今日に限っては銀時がまだ素面のうちに突っ伏したのだ。
それもそのはずだ。
今夜の土方は、勝負を始める前に既にあの店で熱燗を一本空けていて。
お偉いさんの接待に付き合わされた帰りとあっては、多少なりとも気疲れもあっただろうし。
その上、どうやらその接待の席でも幾らか聞こし召していたようで。
「バカだろお前バカだろ。負けるに決まってんじゃんそれ」
「上等だコラ。誰がお前なんかに負けるか」
「いやもう明らかに勝負ついてるから。そういう台詞は一人で真っ直ぐ歩けるようになってから言え」
「上等だコラ」
「いや全然上等じゃないから。それ反対側に倒れそうになってるだけだから」
ぐらりと傾ぐ身体を引き戻して、銀時は眉を寄せた。
店の親父に「知り合いなら連れて帰ってくれ」と言われて、仕方なく抱えて出てきた訳なのだが。ほぼ同じ体格の、しかも力の抜けきった男を
抱えて歩くというのは結構な重労働だ。
しかし。
(捨ててくわけにもいかねーしなァ)
ハァ、と吐いた息が白い。
雪が降るほどの冷え込みではないが、それでも充分寒い夜だ。
こんな季節に酔っ払いを路上に放置などしたら、下手したら凍死してしまう。そんなことになったら銀時は、未必の故意だ何だと罪に問われかねない。
コイツが凍えようと知ったこっちゃないが、逮捕されるのは御免被りたいものだ。
これが夏なら、迷わず捨てていくのだけれど。
…いや。
たとえ夏でも、放ってはおけなかったかもしれない。
銀時は傍らの男にチラリと目をやって、自らの考えを改めた。
(…だってコイツ、隙だらけだもんよ)
足元ふらふらで、一人では立つこともままならず。
口を開けば「上等だ」としか出てこないし。
腕を引けば簡単に倒れこんで身を任せてきて、支える手を離したら今にも崩れ落ちそうで。
寒さも感じないのか、着流しの胸元は豪快に肌蹴っぱなし。
(…こんな状態じゃ何されても抵抗できねーっつーか、むしろ何されても文句言えねーっつーか)
対テロ特殊武装警察のナンバー2なんて大層な肩書きを持っている人間の、このていたらく。
これを一人で放置するには、凍死以外にも様々な危険が思い当たってしまって。
…仕方がない。
自宅の「万事屋銀ちゃん」の前で立ち止まって、また溜息を一つ。
屯所まで抱えてくのはメンドクセーし、うちに転がしておいて明日の朝に迷惑料でも請求すればいい。
銀時はそんなことを考えて、土方の身体を抱えてカンカンと自宅へ続く階段を昇った。
「おらよっと」
「う…」
神楽を起こさないようにと気を付けつつ玄関をくぐり、担いでいた身体を居間のソファに降ろすと、土方はそのままドサリと身を横たえた。
水…と呻く声に、銀時はへーへーと台所に向かう。
この相手にこの扱いは出血大サービスどころの話ではないが、酔っ払いに勝手に動き回られると返ってこちらの仕事が増えるだけだ。
「ホラ、水」
コップに汲んできた水をテーブルに置いて、ソファに転がる土方の横にドカリと腰を下ろすと、その身体を乱暴に引き起こす。
すると一旦身を起こした土方はそのまま、何やら呻きつつ銀時の胸に凭れ込んだ。
おいおいホントに大丈夫なのかコイツ、と銀時は呆れる。
外にも内にも(?)敵がいっぱいな仕事をしているのだから、もっと警戒心とか緊張感とかあっても良さそうなものだと思うのだが。
酔った土方は、銀時がちょっと目を疑うほどに無防備だった。
あんな簡単に挑発に乗って。
酒量のセーブもできないで。
平素から天敵扱いしている人間の前で、こんな前後不覚の状態になっちゃって。
「副長さんがこんなんでいいのかよオイ。俺ちょっと心配になってきたんですけど」
ハァ、と溜息とともに銀時が呟けば、土方は酔いでトロリとした目を銀時に向けた。
「心配だぁ?」
「あぁいや、お前がじゃなくて、俺達市民の平和がね」
独り言のつもりだった言葉に反応されて、銀時はちょっと焦って訂正を加える。
社会の秩序を守るはずの警察のナンバー2が、自分の酒量の限界もわきまえられないんじゃね〜、などと呆れたように言ってみせれば、
土方の顔は心外そうに顰められた。
「ナメんじゃねェ。俺だって酒量のセーブぐらいできる」
「お前、この状態でそれを言うか?」
銀時は間髪入れずに突っ込む。
酔っ払いの言葉を真面目に取り合うものではないと判ってはいるが、突っ込まずにいられないほどに土方の台詞は矛盾に満ちていた。
少なくとも、銀時の胸に身を預けつつ言う言葉ではないはずだ。
しかし、土方は銀時の突っ込みにますます心外そうな表情を深め、意外としっかりした口調でこう続けた。
「自分がザルじゃねェってことぐれェ判ってる。酔うと頭も身体も使い物にならなくなるのも知ってる。だから隊士全員での忘年会だろうが
幕府高官に付き合わされて酒を強要されようが、限界以上には飲まねェように気を付けてんだ。俺だって自分の立場くらいわきまえてるからな」
土方の主張に、銀時はちょっと眉を顰めた。
「…そりゃご立派、と言ってやりたいところだけどな。全然説得力ねェよお前。現に思いっきり酔っ払ってんじゃねェか」
今日だけじゃねェだろ?お前、俺と飲んでる時って大抵潰れるじゃねェか。まァいつもは俺も酔っ払って記憶飛ばしてっから詳しい事は知らねェけどさ。
でもお前が俺と同じくらい酔ってるってことぐらいは判ってるぜ?いつかの花見の時だってベロベロんなって、最終的には自販機の上で寝てたし。
「それのどこがどう気を付けてるってんだよ」
過去に数度おこなわれた飲み比べの記憶を思い起こしてそう言えば、土方はムッとしたように唇を引き結び…数秒の沈黙の後に、ポツリと
呟いた。
「お前のせいじゃねェか」
「…は?」
パチリ、と瞬きした銀時が心底訳が判らないという声で問い返すと、下から恨みがましい視線で銀時を睨み上げていた土方は、悔しみ恥じるように
眉を寄せて視線を落とした。
「お前が横にいなけりゃ…」
ボソボソと呟かれた台詞は消え入りそうな小ささで、俯いた目元は、酒のせいかほんのり赤く染まっている。
見たことのない土方の表情に驚いて、銀時は目を瞠った。
土方は顔をさらに俯かせ、重たい前髪に表情を隠して、独り言のように言葉を紡ぐ。
銀時は我知らず息を詰め、その吐息のような声に耳を傾けた。
「お前じゃなきゃ、こんな…」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………アレ?」
長い沈黙に訝しんで覗き込めば、そこには、スヤスヤと寝息を立てている男の顔があって。
「…ちょ、待てコラ」
銀時は思わず、だだ広い部屋に独り言を響かせた。
酔い潰れるほどに酒を過ごしたのは俺のせいだって?
それって、なに。俺が隣にいると、「真選組副長」って立場とかブッ飛んじまうってこと?俺との勝負しか頭に無くなって?
俺じゃなきゃ…、何?
こんな隙だらけの姿さらすのは、俺が横にいる時だけだとでも言いてェのか?
ちょ、何だよ。それ。
銀時は呆然と、自分に凭れて眠る男を見下ろした。
と。
月明かりに浮かび上がったその姿に、寸の間、息が止まる。
いつも眉間に深く深く刻まれている皺がとれた安らかな寝顔。
頬に影を落とす睫毛がやけに長くて
首筋に当たる髪はサラサラ、しっとり。
思わずスル、と横髪に手を滑り込ませれば、髪だけでなく肌もサラリと手触りが良くて。
そのまま滑らせて耳に触れれば、ん、と鼻から息を抜いて土方が身じろいだ。
ドクリ、と銀時のどこかが音を立てた。
土方の半開きの口から零れる吐息が、銀時の鎖骨付近にかかる。
深い呼吸に上下する胸元は、相変わらず豪快に肌蹴ていて。
覗く白い肌が酒のせいでほんのり朱に染まっているのが…いやに、淫靡。
『こんな状態じゃ何されても抵抗できねーっつーか、むしろ何されても文句言えねーっつーか』
先程自分が考えたことが唐突に頭に蘇って、銀時は柄にもなく狼狽えた。
言っておくが、あの時「何されても〜」などと考えた銀時が思い浮かべていた事態は、攘夷浪士どもに暗殺されるとか、スリや追剥ぎに遭うとか、
ドS王子に恥ずかしい写真を撮られるとかそういうことだ。
いやまぁ確かに、どっかの変態野郎に襲われて強姦されても知らねーぞ、とかもチラッとは考えたが。その思考は頭の中の一割にも満たなかった。
当然だろう。だって土方は男だ。
それなのに。
今現在の自分の頭の中は、ソレが九割を占めている。
しかもその想像の中で「変態野郎」の役割を担っているのは…銀時自身、だ。
…イヤ。
イヤイヤイヤイヤ!
ナイ!それはナイ!
「おいコラ起きろマヨラー警官!重ェんだよ!」
ぶるると頭を振った銀時は、自分に凭れている土方を引き剥がしにかかった。
今、引き剥がさなければマズイことになる。
即刻コイツから離れて和室にこもるなり飲み直しに出かけるなりしなければ、何か大変な事態になる!
それは、確信めいた予感だった。
それなのに。
「…ん、ぅ…」
「ーっ!?」
土方はうっすらと焦点の合わぬ目を開けると、身体を押し返そうとする銀時の手を振り払い、スルリと、まるで抱きつくような形で銀時に凭れ直した。
その上、片手に銀時の着流しを絡めとって、ようやく安心したように目を閉じる。
あまりのことに、銀時は振り払われた腕を宙に浮かべたまま固まった。
(なななななにしてんのコイツちょっとォォォオ!?)
これではまるで。
俺になら何をされてもいいと言っているみたいではないか。
それとも、俺なら何もしねェと安心しきってるのか。
…どっちにしろ、それはオカシイだろう。
普段「寄るな触るなテメェなんざ大嫌いだ」というスタンスで接している相手に、こんな。
こんな、無防備、に。
「……………」
知らず、ごくりと唾を嚥下して、恐る恐る顔を覗き込めば。
土方の口元は、微かに笑みを浮かべているようで。
思わず身体を退きかければ、土方の手に掴まれた着流しに引き止められる。
(ど…)
銀時の背を、ザッと汗が伝った。
(どうしろってんだコノヤロォォォ!)
屯所まで送るのもメンドクセーし、翌朝に迷惑料でも請求してやろうと思った、だけ。
酔っ払いに勝手に動き回られるより、こっちから世話焼いてやった方が楽だと思った、だけ。
なのに。
今となってみれば、この状況は双方にとって非常に危険なものにしか思えなくて。
銀時はしばらくの間、浮かべた手を下ろすことすらできずに硬直していた。
ーーーー完
一万打企画リク第二弾!
「土方さんが酔っ払っちゃって、銀さんが介抱する話」というリクでした。
…あんまり介抱してないですね…(汗)
しかも、確か「銀土で」というリクだったと思うのですが、未満でごめんなさい。
そしてなんか、前回のリク文と傾向が似てる…。ワ、ワンパターンすみませ…っ
あああ、謝ることばっかりだ(泣)
リク文はリクエスト下さった方限定でテイクアウトフリーでございます。
こんな物でよろしければ、お納め下さいませ!