※この話は小話「跡」の続編(銀時サイド)です。


ここ数日の江戸の気候は、急速に春に向かっている。
朝夕はまだ冷え込むが、昼間はちょっと走っただけでも汗ばむような陽射し。

それにもかかわらず。

今日、久々のオフに万事屋を訪れた土方の服装は、黒の着流しに…マフラー。
特別寒がりというわけでもないはずなのに、そんな不自然な格好。


その理由を、知っている。


ライン


坂田銀時と土方十四郎は、所謂恋人同士である。
と言っても、ラブラブ甘々絶好調、なんて間柄ではない。
はっきり言って、恋人同士だということが俄かには信じがたいような関係だ。
顔を合わせれば軽口を叩き、何かとくだらない喧嘩ばかり。
…銀時にしてみれば、土方の律儀な反応が面白くて、というのが本音だったりするのだが。

そう。
実のところ、銀時は確かに、それはもうきっぱりと、土方に惚れている。
その真っ直ぐな瞳も魂も身体も全部、自分だけのものにしてしまいたいと思うほどに。
そんなこと本人に言ったことはないし、これからも言うつもりはないし、死んでも口にする訳にいかないと思うのだけれど。
何故って、それは。

土方十四郎という男には何よりも大切なものが一つあって、それが自分ではないということが判っているからだ。
真選組、以外のものに囚われることを自らに許さない。
そもそも自分とこういう関係になるのにだって、相当な葛藤があったのだろうと銀時は知っていた。

だから、独占欲なんてものを見せてはならないと。
ずっと自分に言い聞かせて、必死に抑え込んできたのだ。

(…っつーのに、あのヤロー…)

わしゃり、銀時は片手で髪の毛を掻き回す。
昨年の夏の出来事が頭に思い浮かんで、それが銀時の眉を顰めさせた。


あの日。万事屋にやって来た土方は、あろうことかノースリーブの洋服姿。
銀時が周囲にも本人にも気付かれないようにと、密かに刻み込んでいた執着心…腕の付け根のキスマーク、を、惜しげもなく晒して。
「偶にはお前の所有印見せびらかして歩くのも悪くねェ」なんて爆弾発言。

あまりのことにプチンと切れ跳んだ理性。
丸見えな位置に跡を落として、あまつさえ「お前は俺のモンだ」なんて禁句まで言ってしまった、のだけれど。


今日の土方の、季節外れのマフラー。
アレは、もし首筋にキスマークを付けられたら、という用心だ。

万事屋の引き戸を開いて現れた土方を見た瞬間に、銀時はそれを察した。

そりゃあ、そうだ。副長さんが首筋にキスマークなんて付けて朝帰りしたら、隊士達に示しがつかないだろう。
あの夏の事件の翌日だって、持参していたらしい白いシャツ。きっちり首元までボタンを留めて帰ったのだから。

泣く子も黙る真選組の鬼副長が、誰かの所有印を堂々と晒すなんて色ボケたマネ。やっぱりするはずがないのだ。


うん、判っていた。
その方が土方らしいと思う。
だからコレっぽっちもショックなんて受けていませんよコノヤロー。

…なんて。
せっかく訪ねてきた土方を一人居間に残して、茶を淹れるなんて口実で台所に引き篭もっている自分が言っても、説得力は皆無かもしれないが。

銀時は火にかけたヤカンを目の前にして溜息を吐いた。


あの日は八月も終わろうという頃で、それから涼しく寒くなる一方だったから。
沸き上がる感情のままに跡を残しても、厚着が自然に隠してくれた。
だから土方も止めろと言わなかったし、殊更に隠そうとする素振りも見受けられなかった。
…だが。三月も終わりに差し掛かって、そうもいかなくなってきたという事だ。

仕方ない。そろそろ跡は控えめにしてやろう。
ガシガシと後ろ頭を掻きつつ、銀時はそう考えた。
それは、相手の立場を慮って、なんて殊勝な気持ちだけではない。

このまま銀時が首筋に跡を付け続ければ、多分。
いつまでもマフラーなんてものをしている訳にもいかない土方は、それでも一度煽るようなことを言ってしまった手前、跡を付けるなとも言い出せず。
結果的に、ここを訪れる時の服装を変える。
夏に首元まで隠していても不自然でない服装…
即ち、真選組の隊服に。


シュウゥゥ、とヤカンが蒸気を吹き出し始めたことに気付いて、銀時は慌てて火を止めた。
そしてそのまま首を垂れる。

(…情けねーな、オイ…)

自分の思考に、呆れた溜息が漏れた。


土方の隊服姿は嫌いじゃない。あの男によく似合っていると思う。
アレを着ていてこその土方だ、という気もするし、あのカッチリしたストイックな制服を暴いていく、というのも結構燃える。
だけど。

偶のオフに自分の家を訪ねている時ぐらい。
真選組から、ちょっとだけ離れていてほしい。なんて…

(どんだけ、だよ。俺…)

こんなこと、土方本人には口が裂けても言えない。

自分の中に唯一絶対のものを持っているあの男に、その「唯一」の外にいる銀時が、こんな強烈な独占欲を見せたりしたら。
困惑するか、疎ましがるか。どちらかだと思うから。
あの夏の日、銀時に跡を落とされて満足そうに笑んでいた土方だが。アレはきっと、銀時が見せた執着心や独占欲が嬉しかったというよりは、「いつも意地張り合っている相手を手玉にとってやった」的な笑みだったんだろうと思うし…ああチクショー。


悩ませたいわけじゃない。
土方から真選組を取り上げたいわけでも、決してない。
だから言わない。見せない。

…それに何より、悔しいではないか。
未だに自分の名も呼ばないような相手に、こちらばかりが、そんなどっぷりハマッてます、なんて。


そうだ。土方は未だに、銀時のことを「万事屋」と呼んでいた。
下の名前はおろか、苗字でさえまともに呼ばれた記憶が無い。

自分は土方の制服姿にすら苛立つというのに。
向こうは銀時を頑なに屋号で呼ぶ。
つまりは、そういうことだろう。

明らかに引かれた一線。
だから銀時も、土方を下の名前で呼ばない。


踏み込まない。踏み込ませない。
土方のその態度を非難することもせず、むしろ迎合しているのは。
多大な意地と過剰な見栄と。
そして、「そういう男だからこそ惹かれたのだ」という…惚れた弱み、の為せる技。


沸いた湯を80℃まで冷ます。
こんな丁寧な茶の淹れ方、普段はしない。要は時間稼ぎだ。
お湯と一緒に頭も冷やして、いつも通りの「自分らしさ」を取り戻すための時間。

居間に帰ったら、普段と同じ怠い顔で「マヨ警官」とでも呼びかけて。
今夜は、着流しで隠れる場所にだけ跡を付けよう。



「…んとき…」
「―っ!?」


思考に沈み込んでいたところに、ふいに台所の戸口から聞こえた声に、銀時は弾かれたように振り向いた。
そこには土方が顔を覗かせてこちらを見ている。
銀時が遅いので様子を見に来たのだろう。そもそも普段は、わざわざ茶を淹れるなんて言い出しもしないのだ。不審に思ったのかもしれない。

(…ってイヤ、そんなことはどうでもよくて…っ!)

「…今、なんつった?」
「あ?」

銀時は内心の動揺を押し殺して、努めて平坦な声で聞き返した。
今。聞き間違いでなければ、コイツは。
じわりと掌に汗が滲む。


今、コイツは。
とんでもなくさり気なく、爆弾発言をしなかったか。
引いていたはずの一線を、あまりにあっさりと跳び越えなかったか。


背中に緊張の汗を伝わせながら、銀時はじっと土方の顔を窺った。

すると土方は、「あ?」と不審そうな声を漏らして首を傾げ、パチリと瞬き。片手に持っていたビニール袋をひょいと持ち上げ…


「…金時豆の煮物買って来たけど、食うか?」


何でもないことのようにそう言って。一瞬呆然とした銀時の顔、不思議そうに見詰めて。

…かと思えば、耐え切れなくなったかのように逸らした顔。ぶふッと押さえた口から漏れた息。
ついには身体を二つに折って、くっくくく…と抑えきれない声とともに震える肩。

ちらりと上げられた目に宿る、悪戯が成功したガキのような、満足そうな笑み、に。

「〜〜〜っ」

既視感。


(っのやろォォ…ッ)


確信犯再びかコンチクショウ…!


あの夏の日に見せた笑みと同じ。
銀時はくらりと眩暈を感じた。
また、手玉にとられた。
…ひどくねーか、コレ。

「テメェなァ…!」

ギラリ、と本気の眼光で土方を睨みつける。
土方が銀時の内心の鬱屈をどこまで知っているのかは判らないが、少なくとも、名前を呼ばれないことを気にしているのは知っていたのだろう。
でなければ、こんな悪戯を仕掛けてくるはずがない。

(人がお互いのためを思って、必死にテメェが引いた一線守ってやってるっつーのに…)

この仕打ちはあんまりだ。
そう思って、抗議してやろうと口を開いた矢先。

「ああ、悪ィ悪ィ。で?食わねェのか?銀時」

再び落とされた爆弾。

初めてこの男の口から聞くその響きに、真っ白に吹き飛ぶ頭。勝手に熱くなる頬。
それを見てまたニヤリと笑みを深くする土方、に。

今度こそ、銀時のどこかがプチンと音を立てて切れ跳んだ。

「くそ…っ!テメェ、十四郎って呼ぶぞコノヤロー!」

踏み込まない。踏み込ませない。触れもしない。
悩みたくなくて、悩ませたくなくて、口にすることも憚っていたラインの存在。
それなのに、テメェがそんな軽い悪戯心で破ってくるんだったら。俺も知らねーぞ!?いいのか!?…なんて。

それこそ、清水の舞台から飛び降りるぜってなつもりで。最後通牒を突きつけるような思いでそう叫んだ。

…のに。
土方から返ってきたのは。

「………………呼べばいいじゃねェか」
「へ?」

長い沈黙の後にポツリと零された、予想外の呟き。
斜め下に逸らされた顔、黒髪の間から覗く耳は…真っ赤…

って、オイ。コレって何。まさか。
まさか…

「…へェ。いいんだ。…十四郎?」

脳裏に過ぎった閃きを試そうと、銀時は口端に笑みを浮かべてそう呼びかけた。
殊更にゆっくり。一字一字がきちんと土方の耳に入るように。

すると、ピクリと僅かに跳ねた土方の肩。耳は更に鮮やかに赤く染まる。

(マジでか)

銀時は持ち上がる口角を抑えられず、口元を手で覆った。
今まで聞いたことのなかった響きに頭が真っ白に吹き飛んだのは、どうやら自分だけではないらしい。
…と、いうことは。

一線を越えてしまったことを、土方は拒絶していない。それどころか。
歓迎しているようにも取れる、台詞と態度。

「十四郎」

もう一度、そう呼べば。土方の肩がまた震える。
湧き上がってくる浮かれた気分に緩む口元を押さえていると、俯いた土方から押し殺した悔しげな呟きが漏れ聞こえた。

「…くっそ、狡ィぞテメェ…」
「は?いやいや!お前が言うかそれ!?」

土方の台詞に、銀時は思わず声を上げる。
一度ならず二度までも、あんな狡い手で人を揶揄ってきたヤツに言われる覚えはない。
言外にそう訴えれば、土方は突如、ガバリと真っ赤な顔を上げて叫んだ。


「うるせェェア!俺が小狡いことしなきゃいけなくなってんのは誰のせいだと思ってんだァァァ!」


その言葉に。
銀時は固まった。


日本語というのは不思議なもので、「誰のせいだ」は「お前のせいだ」とほぼ同義だ。
それは、つまり。

あの夏の日。何気ない振りで跡の見える格好をして、銀時を慌てさせたのも。
今日、わざと紛らわしい単語を発して銀時の反応を窺ったのも。
「銀時のせいで」そういう行動を取らざるを得なかったのだ、と。

「テメェがもう少し判りやすけりゃ、俺だってなァ…!」

真っ赤な顔のまま続けられた土方の台詞に、銀時は更に唖然とする。

つまり。
銀時の見せる独占欲や執着心が、判りにくいから。
果たして何を思ってあんな場所に跡を付けていたのか。名前を呼びたい呼ばれたいと思っているのか否か。
それが判らないから。ああいう小狡い手を使って反応を確かめてからでなければ、身動きが取れなかったのだと。

そう、言っているのか。この男は。


(嘘だろオイ、それって…!)

銀時の頭の中で、ほとんど完成に近かったジグソーパズルがバラリと崩れ、そこから全く違う絵が急速に組み上がっていく。
その新しい絵には。今まであんなにはっきりと引かれていたラインが、どこにも見当たらない。


呼ばれたくないのだろうと思っていたから、呼ばなかった名前。
見せたら困るだろうと思っていたから、見せなかった独占欲。
なのに、なんてこった。

こちらが独占欲を見せないから、あちらも踏み込んで来れなかったんだなんて。

踏み込んじゃいけない一線なんて、向こうは端から引いたつもりもなくて。
お互いに、お互いが線を引いていると。思い込んでいただけだなんて。


ああ、もう。

そんなとこまで似なくていいっつーのに。



銀時はガリガリと頭を掻き回した。

口を噤んでギラリとこちらを睨みつけている土方に一歩、大きく近付いて抱き寄せれば。
一瞬暴れかけた土方は、銀時の腕の強さに驚いたように抵抗をやめた。

心の命ずるまま、何の遠慮もなく、強く強く抱き締める。
コレが、ありもしないラインを打ち消す方法だと、今知った。

急がば回れとか行ったのは誰だコノヤロー。回り道してばっかじゃ全然辿り着かねェ、どころか、返って変な障害物が生まれんじゃねーか。
一直線にダッシュがやっぱ一番早ェんだよ。
変な遠慮なんか、二度とするか。

「…十四郎…俺テメェのこと、すげー好きみてェ」

…みたい、とか付けるぐらいの逃げは許してほしい。
遠慮とかじゃなくて、アレだ。恥ずかしいんだよコノヤロー。
そんな気分で、耳元に陳腐な台詞を吹き込めば。

「―っ、それ、人前で呼んだら殺すからな!」

なんというかコイツらしい、素直じゃない返事。
でも、大いに照れているらしいことは全身から伝わってくる。

ああ、そうだ。
コイツがキスマークを隠したがっていたのも、隊士への示しだとか真選組副長としての立場だとか、そういう小難しいことではなくて。

ただ、気恥ずかしかったんだな、と。
どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。



嫉妬に駆られて穿った見方をしていただけ、だなんて。
俺も相当キてんな、と銀時は思った。





------完

と、いうわけで。
黄純さまからの一万企画リク「普段意地を張ってばかりだからこそ、『好き』とか『名前呼び』とかに過剰反応してしまう銀土」でした。
あの、全然リクに添ってなくてすいませ…っ(土下座)

「跡」が好きだとおっしゃっていただいたのに甘えて、続編にしてしまいました。
すすすすいません…!

「ちゃんとリクに添って書けコノヤロー」ということでしたら、書き直しますのでどうかご遠慮なくおっしゃって下さいませ!