せんせい


ジングルベル、の曲も聞こえてこない裏通り。
提灯の明かりを横目に色褪せたのれんをくぐれば、予想通り男女連れなど一組もいない小さな店内。
おう、いらっしゃい銀さん。親爺の声に片手を挙げて、銀時はカウンター席に腰掛けた。

「寒ィな親爺、熱燗くれや。あとホッケ」
「はいよ。銀さん、今日は子どもたちはいいのかい?」
「ちょ、子持ちと誤解されるような発言やめてくんない。俺ァまだ華の独身だからね」

ちょっと顔を顰めてみせれば、店主は大げさなまでに笑う。華の、とは恐れ入るね。楽しそうな口調に失礼なと文句を返しながら、銀時は手渡された温かいおしぼりで顔を拭った。

「ぱっつぁんの実家でクリスマス会やってきたとこ。ガキはそのままお泊まりだよ」

端的に答えて、つきだしの小鉢を引き寄せる。南瓜の煮物、そぼろあんかけ。お妙の家で一応晩飯は食べてきたけれど、食卓の大半がダークマターだったから口に入れられたものは限られている。
店主は銀時の台詞にそうかいと目を細めて、じゃあ明日の朝までに枕元に行かなきゃな、サンタさん。なんてとんでもない事を言ってくれた。

「だーから、俺はアイツらの父親じゃねーから。くだんねーこと言ってねーで熱燗さっさとしろよ」
「へいへい。そう言いながらちゃんと何か用意してるんだろ?まったく、素直じゃないねェ」
「オイコラ親爺、あと三秒で熱燗よこさなかったら今日は親爺のおごりな」

こっ恥ずかしい話題を引っ張る店主を気怠い目で一睨み。肩を竦めて引っ込むのを見遣って、パキンと割り箸をわる。
南瓜をひょいと口に放り込んで咀嚼すれば、舌に甘みが広がって思わず目を細めた。

「ぷはぁっ!オヤジ!生、もう一杯!」
「オイオイ、呑み過ぎじゃねーのか?」

横合いから飛んできた酔っぱらいの明るい声と、それを呆れがちに諫める声。
何気なく目を向ければ、カウンターの反対の端で男が二人、生ジョッキを傾けていた。

「バカヤロー、これが呑まずにいられるかってんだ!」

やけ酒のようにも聞こえる台詞だけれど、張り上げた声には暗い陰りは微塵も無くて。どうやら嬉しい酒であるらしいと周囲に知らしめている。
昇進、就職……いや今日この日付だ。ひょっとしてプロポーズでも成功したかね、と。
他人の銀時がそんな想像まで巡らせてちょっと口の端を緩めてしまったのは、男の声音が喜色を突き抜けて感動すら滲ませていたからだ。
店主も子細は知らぬながらも微笑ましさを感じたようで、相好を崩しながらジョッキと枝豆を差し出している。酔っぱらいの連れの男が驚いたように礼を述べているところを見ると、枝豆はサービスのようだ。

横目で様子を眺めていた銀時は、おや、と目を瞬いた。
二人連れの男は、双方ともに袴姿。
そして双方ともに、腰に刀を佩いている。
廃刀令の敷かれているこのご時世、江戸で刀を持つ者は限られている。幕臣か、攘夷浪士か。しかし見たところ、二人の男は幕臣にしてはガラが悪い。それでは攘夷浪士かといえば、銀時の目にはそれも違うように見えた。

はて、と銀時が軽く首を傾げていれば。
だから呑み過ぎだってと掛けられた声に、酔っぱらいはダンッ!と勢いよくジョッキを置いて隣の男に詰め寄った。

「だってよォ、お前、副長がだぞ!?あの副長が!」

――ああ、なるほど。

酔っぱらいのその一言で、銀時は納得して視線を正面に戻した。
いつの間にか供されていた熱燗を猪口に注ぐ。
馴染みの顔ではないし私服だから気付かなかったけれど、彼らは真選組の隊士であるらしい。道理でガラが悪いはずだと、チンピラ警官と悪名高い特殊武装警察の面々を思い出して笑いを堪えた。
……12月24日、なんて日付けには、浮かれた街の警備でお忙しい彼らだけれど。数名の隊士を呑みに行かせてやれるくらいには、今年のクリスマスは平和であるらしい。

よかったじゃねーか。胸のうちで、真選組随一の多忙さをほこる男へ語りかける。
お前も今頃は、人心地ついているのだろうか。
それとも、彼らを呑みに行かせてやるために、お前はまだ人一倍働いているのだろうか。
どちらかと言えば後者が正解に近い気がして、くすりと笑いながら猪口を持ち上げた。

背を丸めて熱燗に口を付ける銀時の横で、酔っ払いの明るい声はまだ続いている。

「俺は今日、副長に、初めて!初めて褒められ……!」
「あーはいはい。もう耳にタコができるわ」

興奮した様子でカウンターを叩く男へ、連れの男は顔を顰めながらも親しげに背を叩いた。
よかったな、と。そんな台詞が声に出さずとも聞こえるようで。酔っ払い男はじわりと双眸に涙を溜めて、新しいジョッキをぐいと呷る。

「あの、あの副長が……っ、俺を名指しで、よくやったって……っうおおおお!」
「うるせーよ!ったく……まあ、あの人はたまーに不意打ちで褒めてくれっからなァ……たまんねーよな、ああいうの」

はあ、と溜息交じりに零した連れの男に、酔っ払いはガバリと顔を上げて。いつだ、お前はいつ褒められた、入隊何年目だ、俺は五年目だぞこれからはお前なんぞよりもっと役に立ってもっとあの人に褒められて云々と、さすが酔っ払いとしか謂えぬ勢いでまくしたてた。
これには隣の男も苦笑いで、べしり、軽く頭をはたく。

「お前なァ、そんな浮かれてっと、次の討ち入りあたりでバッサリ斬られて死んじまうぞ」
「死なねーよ!!」

呆れ返ったという口調で呟かれた台詞に、しかし返された即答は思いのほか強くて。
そして酔っ払いとは思えぬほどに芯の通った声だったものだから、店内の視線は一瞬、その男に集まった。


「副長はなァ!俺が任務果たして、生きて戻った事を褒めてくれたんだよ!だから俺は死なねーよ!生きて……っ最後まで生きて局長と副長を護んだよ!」


ジョッキを置いた手で、腰の刀を掴んで。
まるで酔いも醒めたかのような澄んだ瞳で、彼は、言った。

「……副長は、護るのは局長だけでいいって言いそうだけどな」

隣の男は、そう答えながら。
それでも、馬鹿にした空気は、そこには欠片も無かった。

――ああ。

銀時はカウンターの木目に目を落として、そっと微笑んだ。

あの隊士は、当人がのたまう通りに。
きっとこの先、簡単には死なぬだろう。


特別な誰かに褒められた記憶は。
甘やかに人を縛るルールになるのだ。


静かにカウンターに置かれたホッケは、想像していたよりも大きくて。
視線を上げれば、上物だろうと店主が笑う。
そうだな。一人じゃ食いきれねーかも、って独り身への嫌味かコノヤロー、なんて軽口を叩けば、余ったら誰かさんに持って帰ってやんなと訳知り顔で言われてしまった。
……たぶん、店主が想像しているのは新八と神楽の顔だろうけれど。

銀時は箸の先でホッケの身を崩しながら、己を甘く縛る記憶に想いを馳せた。


目を閉ざせば、瞼の裏に浮かぶのは焼け野原。
地面に突き刺さる刃こぼれした刀に、重なるように転がる、冷たい骸。
白っぽい曇り空を飛び交うカラスの群れ。
――そして、やわらかな色の長髪と、ゆったりと笑んだ唇。

はじめて、この銀髪に温かな手で触れて。
はじめて、鬼と呼ばれた童に微笑みを向けて。
はじめて、あの人が褒めてくれたのは。決して綺麗なものとは謂えぬ俺の生き様だった。

屍の間をさまよって、死人から物を盗り、命ある者には怯え。
泥と死臭に塗れて――それでも、生き抜いてきたこと、を。


『たいしたもん』だとひとこと、あなたが評してくれたから。

俺は今でも、不様でも生きることにしがみついています。


――先生。

胸のうちで、呼びかけるのは。もう声など届かないところに居る遠い人。
猪口の中の水面にその面影を探すようにじっと見詰めて、口を開かぬままに語りかける……なんて、似合わぬ事をしている自覚はあるけれど。

先生。
あの日、屍の中に立ちすくむ童を振り返り歩み寄って、薄汚れた身体を背負ってくれた、あの温かな背中とは似ても似付かないけど。

先生、アンタのおかげで今日まで生きてきた俺は。
ひたむきに前へと走り続けることで、泥の中に這いつくばっている悪ガキどもを立ち上がらせて、追いかけさせるような。そんな毅い背中に遇いました。

なあ、先生。
俺があの背中を護りたいと思うのは傲慢だろうか。
俺に護られるような相手ではないと……知っているけれど。

だけど、せんせい


ただ数歩先を往くことで人を生かす背中に。
二度も出逢えた事実を、奇跡と、呼びたいのだ。


今度は。今度こそは。
あの背をこの世界から、失わせたくないのだ。


知らぬ間に瞑っていた瞼を上げて、猪口に残った酒を一気に呷る。
コトリとカウンターに置くと同時に、心地よいほてりが身体に満ちた。

――さて、どうしようか。銀時は緩んだ頬を隠しもせずに考える。

例えば、今。
あの隊士の携帯を借りて電話したりしたら、アイツは怒るだろうか。
いや、隊士の方が怒られてしまうかもしれない。
せっかく褒められたと歓んでいる隊士を叱らせてしまうのは気の毒だ。

じゃあ、店の電話を借りようか。
ホッケが思ったよりも大きくて独りでは持て余しているのだと言ったら、あの男は呆れながらも呑みに来てくれるかもしれない。

ああ、呑みたいな。アイツと、呑みたい。
今日がクリスマスだからどうというわけじゃないけれど。


今、無性に。

『上等だ』と弧を描く、お前の唇に触れたいのだ。


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あまーーい!!(当社比)