近頃の天気は移ろいやすい。
屯所を出た時には確かに晴れていたのに、何だか薄暗くなったな、と思っている間に勢いよく降り出した雨に土方は慌てた。
幸いなことにすぐ駆け込める距離にちょうどいい軒下があったから、大して濡れずには済んだ…けれども。
不幸なことに、そこにはもう一人、雨宿りにきた男がいたのだった。



flavor



「げ…」
「…くそ、またテメェか」

顔を見合わせて、互いに呻き声。
忌々しいと言わんばかりの土方の口調に、そりゃこっちの台詞だと銀時は返した。

まったく、どんな確率だ。

顔を合わせれば喧嘩ばかりの相手と何故だか頻繁に出くわしてしまうこの現実に、思わず苦笑い。
ガリガリと頭の後ろを掻いた銀時に、土方も同じ気持ちだったのだろう、イライラとした仕草で咥えていた煙草を踏み潰した。
少しの距離とはいえ雨の中を走ってきたのだ。その煙草は既に消えかけているようだったけれど。

胸ポケットに手を突っ込んだ土方がフと気付いたように顔を歪める。ああ、アレがうっかり最後の一本だったんだな、と銀時は察した。
黙って横目で眺めていれば、胸元から引き出された手がグシャリとケースを握り潰す――案の定、だ。

チッと小さく舌打ちをして、土方の目が忙しなく周囲を見渡す。
自販機を探しているのだとは容易に想像がついた…の、だが。

目的の物を発見した男がすぐさま雨の中へ踏み出して行こうとしたのは、流石に予想外で。銀時は思わず声を掛けた。


「オイオイ、バカだろお前バカだろ。雨やむまでの間ぐらい我慢すりゃいいだろーが」
「できるか。俺は今すぐ煙を吸いてぇんだ」

にべもなく即答した土方に呆れ返って、銀時はハアァとこれ見よがしな溜息を吐く。
ヘビースモーカーなのは知っていたが、これほどとは。

「あのなァお前…今時な?発電所だって火力を抑える時代だよ?空気を汚さないクリーンエネルギーを皆が考えてる御時世に、お前はいつまでも有害煙モクモク撒き散らしやがって。環境保護団体に訴えんぞコノヤロー」
「俺一人の吐く煙で地球環境がどうこうなるわけねーだろアホか」

やる気のない口調ながらも喧嘩を売るように言ってやれば、土方は軒の外へと踏み出しかけていた足を止めて銀時を振り返った。
しかし、よほど煙草が手元に無いのが気になるらしい。銀時をギロリと睨む目も、時折チラリチラリと自販機の方を向いている。
銀時は再度溜息を吐いた。

「その『自分一人ぐらい』っつー考えが今まさに地球を滅ぼしつつあんだよ。塵も積もれば山となるって言葉を知らんのか?」
「積もり積もったツケの山に押し潰されてるやつに言われたかねェな」
「ったく、ああ言えばこう言う。めんどくせー男だなオイ」
「それこそテメェにだけは言われたくないんだけど!」

ようやく普段の調子で噛み付くように怒鳴った土方に、銀時はビシリ、指を突きつける。

「とにかくテメーは煙草吸いすぎなんだよ!あとマヨもかけすぎだ!」
「アァ!?今マヨ関係ねーだろ!」
「いや関係あるね!お前の横にいると鼻がバカになるっつー話だよ!ヤニ臭かったりマヨ臭かったりよォ。その証拠に俺は今、初めてお前から煙草とマヨ以外の匂いを感じ…」

売り言葉に買い言葉、いつものように多少無理矢理にでも難癖をつけてやるつもりで言った台詞に、我ながら引っ掛かるものを感じて銀時は途中で言葉を止めた。

――煙草とマヨ、以外の匂い。
大して意識もせずに放った言葉だったが、嘘ではない。本当なのだ。

土方から、何かが薫ってくる。

「……んだ?この匂い。なんか…」

首を傾げて呟いた銀時に、土方はピクリと反応すると、先程までこちらを睨んでいたのが嘘のように軒の外へと目を向けた。

「ああ、小降りになってきたな。じゃあな万事屋」
「ちょちょちょ、待て待て!全然小降りになってねーし!」

あからさまにこの場から逃げようとする土方を、銀時は咄嗟に呼び止める。
声で止めたぐらいでは立ち止まりそうにないことを直感的に悟って、ガシリとその手首を捕まえた。

逃がすわけにはいかない。

銀時がそう思ったのは、土方の怪しい態度が気になったからだけではない。


――何故なら、その、匂いは。


「甘ぇ…オイお前、なんか甘い匂いしねェ?それも花とかじゃなくて食べ物系の…所謂あの、スウィーツの香りがすんだけどお前」
「気のせいだ。糖分の取り過ぎで鼻までパーになったか」
「いやいや気のせいじゃねーよ。この吸い寄せられるような香りは気のせいじゃねーよ。何だよコレすげー美味そうなんですけど何の匂い?」
「な、ちょ、嗅ぐなァァァ!!」

掴んだ手首を引き寄せ、スカーフの辺りでクンクンと鼻を鳴らした銀時に土方が絶叫する。
しかし銀時の耳には、土方の叫び声など何処吹く風だった。
それほどまでに、甘い。
…それも、ただ甘ったるいだけじゃない。実に美味そうだ。

「バニラ…生クリーム?…だけじゃねぇな、焼菓子っぽい感じも…」
「だあぁぁ!離れろ変態!」
「誰が変態だコノヤロー。あースゲェ、焼きたてのケーキと生クリームとフルーツの匂いが混ざったみてーな…やべ、よだれ出てきた」
「紛れもねェ変態だろうがァァァ!テメ、野郎の胸元に顔埋めて匂い嗅いでる自分の姿をいっぺん客観的に見直してみろやァァ!」

頭上から降ってくる声が本気で鳥肌を立てているのを感じて、銀時は初めて、自分の現状の異様さに気付く。
――確かにコレは、絵的にオカシイ。

匂いの誘惑を断ち切って土方の胸元から顔を離した銀時は、ゴホンと咳払いをすると、バツの悪さを誤魔化すように土方を睨みつけた。

「お菓子の家から出て来たみてーな匂いさせてるテメーが悪いんだろうが。何だよコレ、ケーキ屋の店内で長時間張り込みでもしてたのか?どこの店だ教えろ」
「してねーよ!何で俺がケーキ屋張り込まなきゃなんねーんだ!」
「オイオイ誤魔化そうったってそうはいかねーよ?テメーから漂ってくんのは相当に腕のいいパティスリーの匂いだ。隠れた名店を人に教えたくねーって気持ちは判るけどな、マヨネーズバカのお前に食われるよりも糖分王の俺に食された方がそのパティスリーも幸せ…」
「誰が人に教えたくなくて隠してるだァァ!テメーと一緒にすんじゃねェ!」

ケーキ屋なんか行ってねぇっつってんだろーが!
声を荒げて怒鳴った土方に、銀時は目を細める。

「じゃあこの匂いは何だよ」
「そ…れは、アレだ、あの所謂…コ、コロン…?みてーな…」
「目ぇバタフライなみに泳がせながら言われて誰が信じるか。生憎なァ、こちとら人工香料と本物の菓子の匂いの区別ぐらい付くんだよ!ナメんなコノヤロー!」
「お前その嗅覚もっと有意義なことに活用しろやァァァ!」

ああぁもう、とストレートな黒髪をわしゃわしゃと掻き回した土方は、ギラリ、鋭い双眸を銀時に向けると、ヤケになったような声音で叫んだ。


「生まれつきだ!」


「……あ?」

言葉の意味が理解できなくて、銀時はパチリと瞬いた。
そんな銀時の様子に土方は一瞬グッと息を詰めたが、更にヤケクソめいた声色で言葉を重ねる。

「だ、から…っコレは俺の生まれつきの匂いだっつってんだよ!」
「は…ぁ?イヤイヤイヤ……え?」

もう一度首を傾げた銀時は、笑い飛ばそうとして失敗し、マジマジと土方を見詰めた。
…コレは、冗談を言っている顔ではない。

「煙草は、最初はこの匂い誤魔化すために始めたんだよ…くそ、何でこんなことテメーに言わなきゃなんねーんだ」

苦々しい顔で土方はボソボソと早口に続ける。
勿論、今はもうそれだけの理由で吸ってんじゃねーけどな、と言葉を締めくくった土方に、銀時は数秒の沈黙の後に半ば呆然としながら問いかけた。

「つまりお前、それが生まれつきの…体臭?ってことか?何それ。お前はシュークリームの中から生まれた妖精さんか」
「誰がだ。俺が妖精さんに見えるんなら眼科に行け」
「いやお前、いい歳した男が妖精さんとか…ぷぷっ」
「テメーが言ったんだろうがァァァ!!」

簡単に激昂する土方に、銀時は不意を突いて手を伸ばした。

「マジで?オイ、マジでコレお前の匂いなの?」
「ひっ!な、ちょ、離れ…っ」

腕を掴んで引っ張り、バランスを崩した土方を後ろから抱き締めるようにして耳元に鼻を近付ける。

「うわ、ホントだすげぇ。服の上からより肌から直接の方が匂いが強ぇよ。スゲーくらくらするぐらい甘ぇよ…じゅる」
「オオオイィィ!!だから今の状態を客観的に分析してみろっつってんだろーがこの変態ィィィ!」
「砂糖120g、牛乳大さじ1、卵4個、バター40g、薄力粉…」
「ぎゃああぁぁ!おおお俺を分析すんなァァァ!!」

もはや怯えの滲む声を上げて土方は暴れた。
…が、しかし。背後から抱え込む銀時の腕は異様な力で、僅かに緩むことすらない。


ここで初めて、土方は、銀時から放たれる空気が常と違うことに気付いた。


「あー…やべぇ、もう我慢できねぇ…なァ、ちょっと舐めてみていい?」
「――!?…や、やややめ、え、ちょ、ふざけん…ッヒィ!」

信じがたい台詞が耳元に囁かれて、土方は一瞬思考を停止させかけた。
我に返って暴れた時には既に遅く、ベロリと首筋から耳裏にかけて舐め上げられる。

「甘ぇ…ちょ、お前の肌、甘くね?」
「んな訳あるか!気のせいだ!」
「じゃあコレ何?匂いマジックってやつ?味覚って匂いに結構影響されるって話だしなァ…うん、やっぱ甘ぇよ…」
「うァッ!や、やめろって、も…っ」

今度は耳から顎下にかけて走る濡れた感触にゾワゾワと背筋を粟立たせながら身を捩るも、やはり銀時の怪力は緩む様子がない。
本格的な焦りを感じる土方の耳に、隊服の襟に顎をかけた銀時がイラついたように呟くのが聞こえた。

「くそ、邪魔だな……オイ」

背後から締め付ける腕が緩んだと思ったら、体を反転させられ、正面からガッと襟を掴まれる。

それを左右に割り開くようにしながら、銀時は。
完全に座った目で――土方に、命じた。



「脱げ」



その、銀時の瞳に。

完全にイッちまってる色を見て取って。土方は己の血の気が音を立てて引いていくのを感じた。

――ああ、何てこった。
俺の特殊な体質は、コイツの眠っていた何かを呼び起こしてしまったらしい。




「しょ、正気に戻れ万事屋ァァァ!!」




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一周年企画リク、お題「煙草」でした。
大きくリクから逸れましたごめんなさい…!

土方の煙草が、何かの匂いを誤魔化すためだったらいいな、とか思ったらこんなことに。
銀ちゃんが変態くさくてすいまっせんでした(笑)

リクエスト下さった方、どうもありがとうございましたー!