深く考えたわけじゃなかった。

ただ、長かった今年の冬を越えて、ようやくやってきた春の陽気に。
らしくもなく長閑な気分になって、川沿いの土手に腰を下ろした……その場所で。
ちょうど隣に生えていたものに、なんとなく気をとられた。

それだけだったのに。


ダンデライオンのこどもたち


「うっわーオイオイなんですか?鬼の副長さんがロマンチシズム?似合わねーにもほどがあんだろ。ちったァ我が身を振り返れ」
「……なんだテメー」

だしぬけに背後からかかった声に、土方は即座にビキリと青筋を立てた。
振り向かなくてもわかる。この、人を馬鹿にしきった口調と台詞は、あの男のものだ。
じろり、春の陽気に似合わぬ非好意的なな眼光を肩越しに投げれば、案の定。そこに立っていたのは万事屋の坂田銀時。
相変わらず死んだ魚のような目をして、相変わらずうさんくさい笑みを口元に浮かべて、片袖脱いだ右手を懐に突っ込んで腹を掻いている。

嫌な相手に会った。

せっかく麗らかな日和に凪いでいた気分をあっさり霧散させられて、土方は忌々しく眉間に皺を寄せた。

「チ…ッ、真っ昼間っからフラフラしやがって。しょっぴかれてーのか」
「ちょ、なにこの横暴官憲。昼間に公道歩いたら罪になるんですか?日中フラフラ罪とかあるんですか?だったらてめーは川沿いセンチメンタル罪だろうが逮捕すんぞコノヤロー」
「アァ?警官に向かって逮捕たァいい度胸だな。つーか何だその罪状は」

互いに理不尽な難癖をつけるのは毎度のこと。
しかし坂田の今の台詞は不可解にすぎて、土方は眉を顰めた。
――誰がセンチメンタルだ。誰が。

「仮にも鬼とか呼ばれてる男が、こんなところで仕事さぼってロマンチスト気取りですか?ったく、そんなんでギャップ萌え狙おうなんざ考えが甘ぇんだよ。黒蜜かりんとうより甘ぇな!」
「だから誰がいつロマンチスト気取ったってんだァァァ!言っとくがセンチメンタリストも気取った覚えねぇぞ!」

ビシリと指を突きつけての物言いに、訳の分からん言い掛かりも大概にしろと怒鳴り返す。
すると坂田は一瞬キョトンとしたように土方を見て、それからわざとらしく、一歩ひいてみせた。

「え、なにおたく、ひょっとして無自覚?うわ。ナイわ。ドン引くわ」
「よぉぉし意味はわからねーがその喧嘩買ってやる刀抜きやがれ」

ひく、こめかみ辺りを引き攣らせて土方は刀に手を掛けた。
何か知らないが馬鹿にされていることだけは判る。それで充分だ、斬り捨ててやる……そんな胸中を隠しもせずに土手から腰を上げようとすれば、相手は土方の剣呑なオーラなど軽く受け流して、ただ呆れたように肩を竦める。

「わたげ」
「あ?」
「綿毛、いじってたの、気付いてねぇの?」

そう言って坂田が顎で示したのは、土方の傍らに生えているタンポポ。咲いた時期が早かったのか黄色い花は既に落ちて、真っ白な綿毛を茎の先端に付けている。
土方はそれを見下ろして、パチリと一つ瞬いた。

……確かに自分はついさっき、コレに目をとめた。それは間違いない。
だが、触っていただろうか。そう言われればそんな気もする。
しかしそれは、別に。

綿毛を見下ろしたまま土方が考えを巡らせていると、頭上から降ってくるのは、またわざとらしくも大げさに人を馬鹿にした声音。

「あのな、ふわふわしたもんをチョイチョイつついてりゃ可愛いと思ったら大間違いだから。大の男にそれやられても引くだけだからね。しかもそれが無意識とか、うわ気持ち悪ッ!」
「うるせェェァア!誰も可愛げなんざ狙ってねぇっつってんだよ!無意識でもねェ!」

咄嗟に怒鳴り返してから、土方はすぐに後悔した。
可愛げなど狙っていないことは言うまでもなく確かだが……無意識でない、ことは、ない。
そもそも、そんなものに触っていたことすら、言われるまでは意識の上になかったのだ。それは要するに、所謂ひとつの、無意識、というヤツだろう。

坂田の言い様に苛立ってつい、口が動くにまかせてしまったが。じゃあ何のつもりだと突っ込まれると非常にマズイ。土方は眉間に皺を寄せて口を噤む。
しかし。やはりと言うべきか、坂田という男はこういう突っ込みどころを逃す人間ではなくて。

「へぇ?じゃあ言ってみろよ。副長さんは何のために綿毛なんか触ってたんですかァ?」

腹の立つ口調で問いただされて、土方は、ぐ、と言葉に詰まった。
自分が綿毛に触れた記憶は、会話しているうちにだんだんとハッキリしてきた。が、その理由は「なんとなく」としか表現できないもので。
ただ、その白さが、何か心にひっかかった。それだけだ。

しかしここまできたらもう後にはひけない。万事屋に糺されて前言を翻すなど、負けを認めたも同じだ。冗談ではない。
土方は必死の心持ちで己の頭の中を探った。
己が、タンポポの綿毛に手を伸ばす。その事に何の違和感も感じさせないもっともらしい理由が、何か一つぐらいあるはずだ――何か。

「それは…、その、アレだ。テ、テメェの髪に似てたからだ」
「…………は?」

追い詰められた状態で、チラリと脳裏を過った答えに飛びつくように口を開けば。

坂田はポカンとして目を見開き。
土方は、ああ、コレだ、と。咄嗟のこじつけにしては上出来な理由に、ほっと落ち着きを取り戻した。

「このフワッフワしてんのがテメェの天パみてーでムカついたから、潰してやろうと思ったんだよ」

せいぜい嫌味に聞こえるように言い放って、フンと鼻を鳴らしてみせる。
そうだ。これならば、何もオカシくない。
真っ白でフワフワ揺れる綿毛は、まさに坂田の白髪天然パーマを想起させるにふさわしいものだ。この男と犬猿の仲である自分がコレを見てイラつきを覚えたとしても無理はないだろう。

――ああ、ひょっとしたら、本当にそうだったのかもしれない。

土方は自分の台詞に、どこか納得できるものを感じて胸のうちで頷いた。

よくよく思い出してみれば――なんとなく心にひっかかったのは、その白さだけではなかった。
フワフワとふくらんだ形、柔らかそうな見た目。ぜんぶが、土方の意識をチリリと刺激したのだ。

風に揺れる綿毛を見て、きっと自分の脳裏には万事屋の顔が浮かんだのだろう。それで無意識下にムカついて手を伸ばしたに違いない。
考えているうちにそんな気分になってきて、土方は口角を引き上げた。
苦し紛れの言い訳は、意外に真実を言い当てていたようだ。

これで文句はないだろう。いや文句はあるかもしれないが、少なくともロマンチスト呼ばわりされる筋合いはなくなったはずだ。
とりあえずそのことに満足して、どうだ、とばかりに坂田を見る。
誰の頭が綿毛だ、天パ馬鹿にすんじゃねーぞ。そういう類の罵声が返してくるものと思われた坂田は……しかし。


「……へえぇ〜、あ、そう。いやいや、なんだ。それならそうと早く言えっつーの」


呆気にとられた様子から立ち直ると、一転してニタリと、実に嫌な笑みを浮かべ。
土方は背筋に走った悪寒に顔を引き攣らせた。

ここで坂田が面白がるように笑う意味がわからない。だが、この種の笑みを土方は見慣れている。己の部下である生粋のドSがよく見せる顔で、その後には、十中八九ろくな台詞が続かないのだ。
――そしてこういう予感は、残念なことに、外れた試しがない。

多大な警戒とともに坂田を見返せば、坂田はやれやれと肩を竦めると、仕方ねーヤツだなとでも言いたげな腹の立つ表情で……あろうことか、こう、言い放った。

「俺の髪を触りてぇなら素直にそう言えよ」
「……はァ!?」
「まァ俺も鬼じゃねーから?誠心誠意お願いされりゃァちょっとぐらい触らせてやらんこともねーよ?1分5千円な」
「どこのボッタくりおさわりパブだァァァ!いやそれ以前に!なに訳わからんこと言ってんだテメェはァァァ!」

あまりのことに咄嗟に立ち上がることすらできず、座ったままの体勢で土方は頓狂な声を上げた。
言うにことかいて何をバカな。冗談にしてももう少しマシなものがあるだろう。半ば唖然として坂田を見上げる。

しかし当の坂田は、今しがた突飛なことを言い出した男とは思えぬほどの涼しい顔。

「俺の髪だと思って綿毛いじってたんだろ?そんなに触ってみたかったんだろーが」
「だ…っ、何を聞いてたんだテメェはその耳は飾りか!?ムカついたから押し潰してやるつもりだったっつっただろうが!触りてぇとかじゃねーよ気持ち悪ィ!」

突如かけられたとんでもない嫌疑を全力で否定しているというのに、坂田は土方の抗議などまったく意に介さず。
逆に宥めるかのようにひらひらと手を振られる。

「またまた、下手な誤魔化しはやめといた方がいいぜ土方くん。そんなもんお前アレだよ、冷蔵庫から消えたシュークリームの行方をお母さんに聞かれて、生クリーム付いた口で『知らない俺じゃない』って主張するようなもんだよ」
「テメェと一緒にすんな。俺は生クリームなんざ付けねぇ!」
「生クリームじゃなくてマヨネーズだとかそういう細かいことはどうでもいいんだよ。ったく、シューの中身までマヨとか、お前それは洋菓子に対する冒涜だぞふざけんなコノヤロー」
「テメェこそマヨシュー馬鹿にすんなアレこそ至高のデザートだ……って、何の話だァァァ!」

逸れていく話題をとりあえず修正してから、土方はイライラと髪を掻き回した。
いや待て、ひょっとして修正しない方がよかったんじゃないのか。俺が万事屋の髪をどうこうとかそんな異次元の会話に戻るよりは、マヨとスイーツのミスマッチの妙について講義を一席ぶった方がよほど有意義だ……現実逃避か、そんな考えがつらつらと頭を巡る。

そもそも、どうしたらそんな発想になるのだ。俺はただ、綿毛からお前の髪を連想したと言っただけなのに。

やっぱりコイツの考えることはわからねぇ。頭痛を覚えて眉間を押さえていると、頭上から振ってきたのは呆れきったような坂田の声。

「ひーじかーたくーん……お前、自分がどんな顔で綿毛触ってたか分かってんの?」
「……は?」

思わぬところをつかれて、土方は額から指を離して顔を上げた。
どんな顔って、そんなこと。
触れていたことすら無意識だったのだ。わかるはずがない。
戸惑う土方に大仰な溜息をついて、坂田は気怠げにのたまう。

「切なそーな目ぇしちまってよォ、おそるおそるっつー感じで手ぇ伸ばして」
「な」
「指先が触れただけで目尻緩めて、そーっとやさしーく撫でながら口元ほころばせてたくせに」
「そ……っな、バ、テテテテキトーこいてんじゃねぇぞテメェェェェ!!」

ガバリ、ついに土手から立ち上がって土方は叫んだ。

言うにことかいて、何を、バカな。冗談にしてももう少しマシなものがあるだろう!
先程とまったく同じことを先程よりも強く心の内に叫んで、パクパクと口を開閉させる。

「嘘じゃねーよ。そもそも、そうでもなきゃロマンチシズムだのセンチメンタルだの言い出さねェっつーの」
「テ、テメェの言うことなんざ信じられるか!俺がそんな顔してたっつー証拠でもあんのかコラァ!」
「あるぜ」

我ながら無茶だと思った詰問に自信満々に返されて、まさか写真でも撮ってやがったのかと一瞬血の気がひく。
……が、さすがにそんなことはなかったらしい。坂田は、懐から出した右手で土方の傍らを指差した。

「その綿毛」
「……コレが、どうした」
「ちょっとでも形が崩れてるか?一粒でも種が落ちてるか?」
「――!」
「潰すつもりで触ってた?バカ言ってんじゃねーよ。綿毛なんかちょっとの風で飛んでくんだぞ?相当やわらかく触らなきゃポロッポロ落ちるに決まってんだろーが」
「ぐ……っ」

思わず言葉に詰まって、土方はグッと唇を引き結んだ。
何か、何か反論をと思うが、言葉が出て来ない。
タンポポの先端で揺れる綿毛は確かに、少しの刺激ですぐに零れ落ちそうな危うさを醸していて。それなのに、まんまるいその姿にはどこにも欠けたところがないのだ。

万事屋の言うことは、筋が通っていると認めざるを得ない。
だとすれば。

己が綿毛に触れる時に万事屋の髪を想起していた。その記憶も、もはや否定しがたい。
……だと、すれば。


導き出される結論は――なんだかものすごく、恥ずかしいことになりはしまいか。


なんてこった。
坂田が浮かべた嫌な笑みの意味がようやくわかって、土方は頭を抱えた。


「ん?やっと認めましたか土方くん?じゃ、言ってみろ。触らせてください坂田様って言ってみろ。跪いて言えたら触らせてやるよ。1分1万円で」
「さり気なく値上げしてんじゃねェェェ!誰が言うか!認めねぇ、俺は認めねぇぞ!誰がテメェの髪なんかそんなもん……!」
「オイオーイ、この期に及んでまだ悪あがきですか?やだねー諦めの悪い男は。ハゲを認められずにバーコードで無理やり隠してるオヤジぐらいみっともねーよ。さっさと諦めてスキンヘッドにしろ」
「うるせェェェァア!!てめぇにそんなこと言われる筋合い、ね…ぇ……?」

完全優位の上から目線で畳みかける坂田に逆ギレ半分に怒鳴り返した土方は、ふと、或る違和感に気付いて言葉半ばで口を噤んだ。


待て。何かオカシくないか。

何故コイツは、これほど強情に認めさせようとするのだ。


普通、切ない…認めたくはないが、切なそうな目でやわらかくタンポポの綿毛なんか触っている男に遭遇したとして。
そいつに、「お前の髪に似てたからだ」とでも言われたとしたら。
……ドン引きだ。間違いなく。自分なら10メートルは後ずさる。

それなのに。コイツはほんの少しの間、呆気にとられていただけで、それから後は一貫して揶揄い態勢。
オカシくないか。いや、オカシイだろう。

じと、と顔を眺めれば、坂田は何気ないふりで耳をほじる。

「あん?なんだよ。高ぇって?ったく、高給取りのくせにケチケチしやがって。しょうがねーな、5分5千円にまけてやるよ」
「…………」

……なんだ。
土方は胸中に呟いて、すとん、と肩の力を抜いた。

目の前の坂田は、表情や口調こそいつも通り、やる気も興味も感じさせないダラけたムカつく態度だが。
今、その口からさり気なく吐かれたのは、普段のコイツならめったにしないほど大幅な「譲歩」。
……それはむしろ、食い下がってる、とも受け取れてしまうようなもので。

そこから安易に想像できてしまう一つの答えに、土方は脱力感と可笑しさに噴き出しそうな気分を抑えた。


土手のタンポポの綿毛などからこの男を連想して、無意識に指を伸ばしていたらしい自分は、確かに相当イタいし恥ずかしい、けれど。


川沿いで物想いに耽っている自分に突っかかって問い詰めて、得た答えに満足そうに、髪を触らせようとしているこの男も。

――充分すぎるほど、恥ずかしいだろう。


「……万事屋」

どかりと土手に座りなおして、深く息を吐いてから静かに呼びかければ。急に落ち着きはらった声を発した土方に虚を衝かれたのか、坂田は一瞬の沈黙の後に、…なんだよ、と探るような声音で応える。
コイツでもこんな風に動揺を垣間見せることがあるのかと、なんだか楽しい気分になって土方は笑った。
屈託なく笑ってやれば、坂田の目がほんの僅かに、見開かれる。

――ああ、テメェだって、そんな顔をするくせに。

自分のことは棚に上げて、人にだけこっ恥ずかしいことを認めさせようなんざ狡い男だ。

「本当に……お前みたいだよな。コレ」

綿毛を落とさぬように慎重な手付きでタンポポを折り採って、目の前に掲げる。
ようやく認める気になったと思ったのか、じっとこちらを見詰める坂田を横目にチラリと見遣って。


至近距離から思いっきり、綿毛に息を吹きかけた。

ブワリ、白い毛が一斉に舞い飛んで、後に残ったのは虚しくまっさらになった茎とガク片。


「ハゲちらかせ、天パ」

茎だけになったタンポポをポイと放り投げて立ち上がる。
ちょ…っ、なに不吉なことしてんだテメェェェ!!と、叫んで髪を押さえた坂田に、土方はまた、笑った。

簡単に認めてたまるものか。
コイツが誤魔化していることを、こちらだけが言われるがまま、先に認めるなんて冗談じゃない。

――どうせ、すぐに。
互いに認めざるを得なくなる。


春風に飛ばされた綿毛は、着地する場所を選ばない。
たとえ降りたところがアスファルトのひび割れの中だとしても、そこにしぶとく根を張り花を咲かすのだ。

青帝の陽気に浮かれた心は、とんだ種を落としていったらしい。
こんな野郎同士の間に芽生えるのが、あの可愛らしい黄色い花だとはとても思えないけれど――

きっと近々、無視できない何かを咲かすのだろう。


さて、どんな禍々しい見た目の植物だろうか。空に流れていった綿毛の行方を目で追いながら、そんなことを考えて笑えば。
隣に佇む聡い男は、土方の表情から何かを感じ取ったのだろう。同じように空に目を遣って、ゆるく笑った。


深く考えていたつもりはなかったけれど。

真っ白でふわふわで、川沿いの土手なんて場所でひときわ目立っていたアレから自分が想起したのは。
そういえば、この男のこういう、気怠げだけどやわらかい表情だった、と。


自分の思考の恥ずかしさに気付いた土方は、すべてを春のせいにして目を逸らした。




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春のせいにして目を逸らしているのは私です。
ああ恥ずかしい。

というわけで、一周年記念リクエスト「銀さんの天パをもふもふしたいけど恥ずかしくて言えない土方さん」
……を書くつもりで玉砕したものでした!
すいません小池さま……いつもの恩を仇で返すこの感じorz
いつかリベンジしたいです。