第十二訓 下手な演技でも必要な時がある
「波長が変わりました!」
山崎の言葉に、車内に一気に緊張が走った。
一堂の視線が受信機の画面へと集中する。発信機の位置を表す紅点は画面上の一点にピタリと留まって、チカチカと忙しなく瞬いていた。その明滅の間隔は先程までより明らかに短い。
ウィルスを発見した、という合図である。
土方が屋敷内に運び込まれてからまだ一時間足らず。予想していたよりもずっと早い展開に、山崎は感嘆の声を上げた。
「すごいですね。副長、意外と監察に向いてるかもしれませんよ」
「俺ァずっと前から、あの人の適職は副長なんかじゃねェって見抜いてたぜィ」
沖田が平然たる顔で頷く。
その微妙な曲解に山崎が何か言うよりも早く、沖田は助手席の窓を開けて表通りに待機する隊士を手招いた。
「土方のヤローから合図があった。近藤さんに伝えな」
駆けつけてきた隊士に、発信機の位置を書き込んだ屋敷図を手渡す。
緊張した面持ちで頷いて去っていく隊士の後姿を見送って、沖田は車内に向き直った。
「問題が無ければすぐにでも突入するんで、旦那も今のうちに屋敷の図面でも頭に叩き込んどいて下せェ」
「へーへー」
面倒くさそうな表情で耳をほじる銀時に、沖田はニヤリと笑いかける。
「旦那ァ、せいぜい派手に頼みますぜ。俺たちは名目上、テロリストを拿捕するために仕方なく屋敷に踏み込むってことになってるんで、アンタが暴れてくれなきゃ突入することもできないんでさァ」
「…ったく、そんな危ねェ役割を一般市民にやらせるなっつーんだよな。テメーら、俺の身の安全はキッチリ保証しろよコノヤロー」
「嫌だなァ旦那。一般市民だなんてそんなご謙遜を」
「謙遜じゃねェよ!正真正銘の純然たる一般市民だよ!お前それはアレか?遠回しに安全は保証しませんって言ってんのか!?」
眉を跳ね上げた銀時の抗議は、しかし沖田の爽やかな笑顔にあっさりと跳ね返された。
「真選組副長の彼氏を一般市民とは言わねーんで」
「か…っ!」
「ここは一つ、愛しの土方を救出するためだと思って粉骨砕身協力して下せェ」
誰が彼氏だ。何が愛しの、だ。
反射的に叫びかけた銀時は、すんでの所で口を噤んだ。
さっきからこの手のことを言われて怒鳴る度に、意味ありげな含み笑いを零されて腹が立つこと山の如しなのだ。ここは一つ落ち着いて、冷静に返さなければ。過剰反応は沖田の思うツボだ。
「…おい、言っとくが、俺は突入したら真っ先に神楽を探すからな。お前らの副長なんて知ったこっちゃねーから。お前らで責任持って救出するなり抹殺するなり勝手にしろや」
可能な限り冷めた声でそう言うと、沖田は山崎と顔を見合わせ、二人揃って珍しい物でも見るかのように銀時を眺めた。
「…いや、それはまァ、もともとそのつもりだったんですけど。勿論」
「嫌だな旦那、あんなの軽い冗談じゃないですかィ。なに真面目に返してんでィ。このくらいサラリと流すか軽くノリツッコミでもかましてくれねーと、旦那らしくもねェ」
「…………」
その通りだ。
銀時はワシワシと髪を掻き回した。
そんな銀時に沖田が笑みを深くしたところへ、車外から声がかかる。
見れば、先程の隊士が息を切らせて助手席の窓から顔を覗かせていた。
「隊長!」
「おう、何かあったかィ」
沖田の視線が自分から離れたことに、銀時は少なからず安堵を感じて深く息を吐いた。
座席に凭れて瞑目する。
自分らしくない、なんて。
言われるまでもなく判っている。
だけどそれは、神楽と定春の身を案じて心がザワついているせいだ。そのせいでちょっとした変調をきたしているのだ。
他に理由など無い。
…ないったら、ない。
「屋敷の主人が外出しました。小型の運送車を二台の乗用車で挟む形で門を出て行ったので、何かを運び出したものと思われます」
「何か…?おい、ウィルスじゃねェだろうな」
「運送車の種類を見た限りでは、積荷がウィルスである可能性は低いそうですが…」
銀時の懊悩をヨソに、助手席の窓では報告が進められている。
チラリと振り返った沖田の視線を受けて、山崎は首を横に振った。
「発信機にはずっと動きはありません」
土方の位置を示す紅点には動きがなく、点滅のスピードも速いまま。突入を促す合図に変化はない。
自分の目でもそれを確認した沖田は、車外の隊士に一つ頷いてみせた。
「では、やはりあの運送車はウィルスとは関係ないと見て良さそうですね」
「土方のヤローが何かミスしてやがるんじゃなければ、そういうことになるねィ」
「もし副長が不測の事態で身動きがとれなくなっているとしたら、それこそ一刻も早く突入して救出しませんと」
そう言った隊士の顔には、僅かに焦燥が滲んでいる。
普段は煙たがられているらしい土方だが、芯のところでは隊士達に慕われているのだということが、こういう些細な反応で判る。おそらく土方が拉致されたという知らせを聞いてから…あるいはこの作戦を知らされてからずっと、隊士達は気が気でなかったに違いない。
当然だ、と、新八は思う。
たった一週間足らず生活を共にしただけの自分すら、無事でいてほしいと切に祈っているのだから。
新八はチラリと横の銀時を窺った。
「知ったっちゃない」なんて心にも無いことを。
土方はこんなところで傷を負ったり、まして命を落としていい人じゃない。この数週間、誰よりも近くにいた銀時がそれを一番知っているはずなのに。
先程から銀時の気を焦らせているのが神楽や定春の安否だけでは無いことは、傍から見ればこんなにも明らかなのに。
この期に及んで、いつまで意地を張る気なのかと新八は溜息を吐く。
その溜息に何かを感じ取ったのか、銀時は無言のまま、新八の後頭部をパシリとはたいた。
「何にせよ、タコ商人が屋敷からいなくなるのは好都合だ。頭がいねェうちにチャッチャと叩いちまおうぜィ」
「はい!既に全隊、突入の体勢は整っています。沖田隊長も一番隊の指揮をお願いします!」
「おう。すぐに行く」
意気込む隊士に頷いて、沖田は多少改まった顔で車内に向き直った。
「というわけで、いよいよでさァ旦那…と、メガネも行くんだったかィ?」
「はい」
沖田に目を向けられた新八は、緊張の面持ちで頷く。
本来の予定では新八は屋敷への突入には関わらないはずだった。だが、神楽が危ないというのに自分だけが安全な場所で待つことなどできない、という必死の訴えの末、銀時とともに突入する権利を勝ち取ったのだ。
銀時は少しだけ困った顔をしたが、結局は新八の気持ちを無下にしなかった。
「アンタら二人は俺らを中に引き込むことに成功したら、あとはチャイナを探して下せェ。ウィルスと土方さんのことは気にせずこちらに任せてくれて構いやせん」
「だーから!そんなん当たり前だろ!さっきも言ったじゃねェか。誰がそこまで面倒見るかっつーんだよ」
「………なら、いいんでさァ」
「オイなに今の間。何が言いたいんですかコノヤロー」
「いえ、別に」
じゃあ頼みましたぜ、と笑顔で言い置いて、沖田は滑るように車を出て行った。
車に残された三人に、しばしの沈黙が訪れる。
山崎は車外と受信機の画面に交互に視線を向け、新八は緊張で浅く乱れる呼吸を整えようと深く息を吸い込んだ。
銀時は座席に凭れたまま沈思していたが、やがて、何かを確かめるようにゆっくりと口を開いた。
「…なァ、ジミー」
「山崎です。何ですか?」
「さっきアイツ、タコ商人が屋敷にいねェのは好都合だとか言ってなかったか?」
銀時がそう言うと、山崎は一瞬表情を消した。
数秒の間の後に、静かに口を開く。
「…はい。言いました」
「なんで?逮捕するんじゃねェの?」
「………」
銀時が重ねて問えば、山崎は今度こそ沈黙した。新八が首を傾げる。
「そういえばそうですよね。タコ商人が屋敷にいればウィルス兵器の所持で現行犯逮捕できるけど、不在の時に踏み込んだら、親玉を逃がしてしまうことになっちゃうんじゃ…」
「…逃がすんだよ」
「え?」
耳に飛び込んできた小さな呟きが上手く理解できなくて、新八はパチリと瞬いた。
見ると山崎はこちらを向いてはおらず、車外に視線を固定したまま口を動かしていた。
「タコ商人のことは、逮捕しないんだ」
「そんな!?何でですか!?」
思いがけぬ言葉に新八は腰を浮かした。
山崎は表情を変えずに、フロントガラスの向こうを見詰めている。
「今回の僕らの目的はウィルスの存在を世間に公表することだからね。商人の逮捕までは必要ない」
「でも、ウィルスを売買するような悪徳商人でしょう!?放っておくんですか!?」
「天人の大物商人を逮捕なんかしたら、真選組が危ないんだよ」
淡々と言った山崎に、新八は一瞬言葉を失った。
…それは確かに、土方が最初から言っていたことだ。しかしその問題を乗り越えるために、TV局と手を組んだのでは無かったのか。先に世間を味方に付けてしまえば幕府は真選組を処罰できなくなると、そういう作戦だと思っていたのに。
新八の表情から言いたい事を感じ取ったのだろう、山崎は微かに苦笑を漏らすと、体ごと新八に向き直った。
「確かにウィルスを発見する場面を生放送してしまうことで、幕府は公には真選組を処分できなくなる。堂々と処罰なんか下したら、自分達がウィルスの売買に関わっていたと宣言するようなものだからね」
だが、ウィルスの発見も生放送も偶然の産物だ、なんて話を信じるはずがない。真選組の策動だとすぐに気付くだろう。
それを不愉快に思わない連中ではない。
山崎はそう説明した。
「表向きに処分できない分、彼らは余計に僕らを目障りだと思うだろうね。……だから、裏の処置が取られる」
「裏の…?」
「例えば、局長の暗殺」
さらりと言われて新八は息を飲んだ。
山崎の目は淡白な口調に反して深刻な光を帯びており、それが冗談でも何でもないことを語っている。
「そういうことを防ぐためには、こちらは幕府上層部に全面的に反抗ようという気は無いんだ、ということを最大限アピールしなきゃいけない」
「なるほどな。つまりタコ商人を逮捕しねェってのは、幕府のご機嫌取りか」
銀時の低い声に、山崎は静かな表情のまま頷いた。
強引な捜査でウィルスを世間に公表した上、幕府の御用商人を逮捕した、とあれば、真選組は最早「百害あって一利なし」。幕府の邪魔と判断されて裏の処罰が下ることは間違いない。
だが、商人を故意に見逃せば。幕府に与える損害は減る。
そうすることによって、上層部に無言の交渉を突き付けるのだ。
人類をおびやかす行為は容認できないが、幕府の利益を必要以上に害するつもりはない、というギリギリのライン。
…この交渉ならば、おそらく、通せる。
「…で?屋敷で見付かったウィルスは『部下が勝手にやったこと』とでも言うのか?タコ商人は与り知らぬことで、入手経路も一切不明、ってか」
「公式な発表はそうなるでしょうね」
皮肉な銀時の台詞に、これもあっさりと山崎は頷いた。
そこに現在の幕府が抱える深い深い闇の一端を見た気がして、銀時は眉を寄せた。
彼ら真選組は、いつもこの闇を背中に感じているのだ。
――煉獄関の時も。
銀時は彼らに知り合って一年目の秋の出来事を思い出した。
天導衆が絡んでいると言われる人殺しの闘技場に乗り込んだ時。翌日の新聞には『違法賭博闘技場、鎮圧』という文字だけが踊っていて、幕府の上層部が関わっていた影など一片も無かった。
全ての罪は三下に被せられ、幕府はむしろ『闇社会への思い切った捜査を許した英断』と讃えられていたぐらいだ。
あの時、「一番でかい魚は逃がしちまった」と沖田は言っていたが…きっとそれは、土方が故意に逃がすように仕向けたのだろう。
真選組を存続させるために。
「軽蔑しますか?」
フイに耳に飛び込んで来た声に、銀時は思考の淵から浮かび上がった。
見ると、山崎が真っ直ぐな眼差しでこちらを見詰めている。
それは理解を求めるでもない、かと言って自嘲するでもない。静かで穏やかな、微苦笑にも似た表情。
「……いや」
銀時は首を横に振った。
「お前らが自分の命惜しさだけでそういうことやってんなら、軽蔑するけどな」
「ただ永らえるためだけの命なんて、真選組隊士は惜しみません」
「…知ってるよ」
山崎の即答に苦笑を漏らす。そう答えることは判っていた。
銀時は真選組隊士の一人ひとりに対してそれほど理解が深いわけではない、が。
彼らにその精神を叩き込んだ男を、知っているから。
護るために、生きる。
真選組が江戸を護り続けるためには、組織そのものを潰すわけにはいかないのだ。
不愉快な思いをしても。理不尽に晒されようとも。護る刀を失わないために、敢えて泥を被って。
けれど完全には屈せず、ギリギリのラインで権力とせめぎ合い。
手を出せない腐った実もいつかは斬り落としてやると、常に虎視眈々と狙っている。
アイツはそんな男だ。
死ぬことよりも魂が折れることを恐れて剣を振るってきた自分の目には、時々ひどく不自由に映るけれど…
それでも。アイツの魂が歪んでいると思ったことは一度もない。
向いている方向は自分と違えど、背筋の伸びきった男だと知っている。
だから、自分は――
「山崎さん」
「何だい、新八君」
新八から掛けられた声に山崎は振り向いた。
山崎を正面から見据えた新八は、ニコリと微笑む。
「もし、この先どこかでタコ商人とバッタリ出会うようなことがあったら…僕らが貴方達の代わりに、思いっきりブン殴っといてあげますから」
…ね、銀さん。
そう言われた銀時は肯定はせず、しかし否定もせずにフンと鼻を鳴らした。
そんな二人を、山崎は少し驚いた顔で見比べて…それから、ありがとう、と微笑んだ。
「その時は僕らは警察として、暴行犯を取り逃がすことに全力を尽くすよ」
「要は職務怠慢じゃねェか。イイのか?副長にどやされても知らねーぞ」
「副長は怒りませんよ」
怒ったとしても、それは口だけだ。
断言してしまってから、山崎はクスリと笑った。
普通ならば。土方は怒るだろう。
大物天人に暴行を働いた人間を取り逃がしたりしたら、上がうるさい。たとえその天人が気に食わない相手であったとしても、土方は感情で仕事を左右するような人間では無かった。
だけど。
暴行犯が彼らだと知ったら、土方は何だかんだ言いつつ見逃す気がする。
それは山崎の予想であり…期待、でもあった。
山崎もまた、煉獄関のことを思い出していた。
当時、副長の命で密かにあの闘技場を調べ上げたのは自分で。突然予定を変更して摘発すると言われて一番驚いたのも自分だった。
土方には「沖田のバカが隊服着たまま突っ込んでっちまったから」と言われたが、その説明にはどうにも消化不良なものを感じていて。踏み込んだ場所に見知った顔を見付けた時、山崎は驚きと同時に奇妙な納得を覚えたのだ。
彼らの何かが、副長を動かしたに違いないと。
それは微かな違和感。
しかし、悪くない違和感だった。
近藤勲の率いる真選組を護ること。その一点しか頭に無い男。
副長がそんな人間だから、その下に立つ隊士達は迷いなく刀を振るえるのだけれど。
…けれど。
偶には他のものに目を向けてもいい。…でなければ、人として大切なものを何か一つ失ったまま、彼はいつか潰れていく。
山崎はそんな気がしていた。
今は亡き沖田の姉の姿が脳裏に過ぎる。
準備不足のまま予定外に踏み込んだ煉獄関の一件は、結果として松平と近藤に迷惑をかけた。それを土方が密かに悔やんでいたことを山崎は知っている。
だが、後悔する必要は無いと言いたかった。…真選組が潰されるまでには至らなかったのだから、偶にはあんなことがあってもイイではないか。
あの時の衝動的に動いた土方を、山崎は好ましく思っているのだ。
全身全霊を懸けて真選組を護ることと、他に何か大切なものができることは、決して矛盾することではないと。
私情に心を捕らわれることが、必ずしも「悪」ではないのだと。
――俺はそれを、早くアンタに気付いて欲しいんですよ、土方さん。
山崎は少しの間だけ目を閉じて、すぐに開く。
そしてピンと背筋を伸ばし、窓の外を指し示した。
「さァ、準備が整ったみたいです。突入して下さい」
ガシャァァアン!!
「何事だ!」
「侵入者です!塀を乗り越えて窓から…!」
「そちらの屋敷内にテロリストが逃げ込みました!危険ですので避難して下さい!」
「ちょっと待て貴様ら、勝手に屋敷内に…」
「非常事態です!市民の安全を護るのが我々の役目ですので!」
「待て!オイ!」
「逃がさんぞテロリストォォォ!!」
閑静な高級住宅地に窓ガラスが割れる音が響き渡り、次いで怒声と足音が入り乱れる。パトカーのサイレンに屋敷の私設警備の警報音が混じって、現場は一気に騒然となった。
混乱に乗じて強引に門扉を開け放った真選組隊士が次々と屋敷内に突入していく。その後ろには、マイクを持った女性リポーターとカメラ機材を抱えた男達が続いていた。
『ご覧下さい!天人の某商人の豪邸に侵入したテロリストを拿捕せんと、真選組の隊士達が果敢に飛び込んで行きます!すごい迫力です!我々は危険なので退っているようにと言われたのですが、皆様に真実をお伝えするためには、ここで引き下がるわけにはいきません!思い切って後を追ってみようと思います!』
興奮した面持ちながらも滑舌を乱すことなくまくしたてるリポーターは、確か花野という名前だっただろうか。さすが本職は台詞回しが上手いと山崎は走りながら感嘆の念を覚えた。
…それに引き換え、うちの連中ときたら。
周りを見回して溜息を一つ。
「テロリストを逃がすな」「屋敷の住人の安全を護れ」と馬鹿の一つ覚えのように唱え続ける台詞は、見事なまでの棒読みだ。いくら普段の任務で演技力が必要とされるのは監察だけだと言ったって、コレはあまりにもひどい。
大半は本気で演技が下手なだけだが、一部、特に幹部連中はそうではない。
テロリストの拿捕、なんていうのは単なる建前。なにも一生相手を騙しきらなければいけないというわけではなく、せいぜいウィルスの元に辿り着けるまで押し切れればいいだけの話…それを判っていて、わざと手を抜いているのだ。たとえ茶番でも迫真の演技をしてやろうというほどの熱意は無いらしい。
そしてここにも、やる気のない人間が一人。
「オーイみんなァ。テロリストはその先の渡り廊下の横の階段の裏に逃げたぜーィ」
わざとらしいにも程がある台詞を平坦に言う声に、山崎は思わずズッコケそうになった。
指示通りの場所に直行し、あっさりと隠し扉を発見してぶち破って行った一番隊の後を追って、先頭を走る沖田に追い付く。
並走しながら、山崎は潜めた声で苦情を述べた。
「沖田隊長!もうちょっと熱の入った演技して下さいよ!」
「まかせろィ」
ジャキン
頼もしい返事とともに一番隊長が構えた物体を見て、山崎は顔を引き攣らせた。
「あああ!そういう熱の入り方じゃなく…!」
「死ねテロリストォォォ!」
ドカァァァン!
沖田の肩から放たれたバズーカは、ある部屋の扉を見事に爆破した。
咄嗟にその部屋と屋敷の図面を見比べて、山崎は絶叫する。
「ちょっ、隊長ォォォ!今モロに発信機の位置狙ったでしょ!」
「なんでィ。ウィルスがそんな簡単に流出するような保管の仕方されてるわけねェだろ。バズーカ当たったぐらいで壊れやしねェよ」
「いや、そうじゃなくて副長が…!」
壊れます。
そう言いかけた山崎の声は、ぶち抜かれた扉に飛び込んでいく隊士達の足音に掻き消された。
ややあって、扉の内側に興奮した叫び声が響く。
「局長ォ!これは!」
「おおォォ!?こ、これは!恐ろしい速度で空気感染する最凶最悪のウィルスではないか!どうしてこんな物がこんな所にィィィ!なんてことだ!テロリストを追っていたら大変なものを見付けてしまったァァァ!」
「………局長……」
モロに台本そのままな近藤の声が聞こえてきて、山崎はガックリとうなだれた。
沖田とともに部屋に踏み入ると、積み上げられた白い箱が目に入る。その表面に記されたウィルスの型番も。
その前には箱を慎重に包囲する数人の隊士と、箱を指差して台詞を叫ぶ近藤。そして、その姿を映すTVクルーと、マイクを握り締めてリポートする花野アナの姿があった。
作戦通り生放送されているらしいことを見て取って、山崎はとりあえず安堵の溜息を吐いた。
「まァ、上手くいきましたね」
「予定通りだねィ。残る問題は万事屋のチャイナ娘と…」
沖田はそこまで言って、廊下から響いてきた声に口を噤んだ。
「オイ、神楽はどこだ!夜兎の娘だよ!答えやがれ!」
聞き覚えのある声で、しかし聞いたこともない切羽詰った声色。
目を向ければ、部屋の入口近くで銀時が一人の天人を締め上げている。山崎は慌てて駆け寄った。
「旦那すみません、カメラに入っちゃうんで少し声を落として下さい…チャイナさん、いないんですか?」
「…ああ、どこにもいねェ」
低く呻くように漏らした銀時の顔は、常の彼らしくなくあからさまに焦燥を浮かべていて。これは本当にマズイ事態なのだと山崎は目を瞠る。
銀時の横に立つ新八は、唇を切れそうなほどに噛み締めていた。
聞けば、屋敷内の怪しい部屋は既に隈なく見て回り、それでも見付からないので屋敷中を探し回ったのだという。お前の酢昆布食べちまうぞと叫びながら駆け回っても何の音沙汰も無いらしく、新八曰くそれは相当なオオゴトなのだそうだ。
「シメても吐かないんですかィ?」
沖田が歩み寄り、銀時に胸倉を掴まれている天人の顔を覗き込んだ。
その沖田の目に薄ら寒いものを感じたのだろう。天人は色を失って、ブルブルと首を横に振った。
銀時は黙って顔を顰め、新八は重い溜息を吐く。
「ダメなんです。誰に聞いても、ここにはもういないって答えるだけで…」
「ここには?…じゃあ、どこかへ運び出されたってことですか?」
山崎は眉を顰めた。
屋敷はずっと真選組隊士が包囲していた。運び出されたのなら、隊士の誰かの目に留まったはずである。
しかし、神楽が定春とともに塀を乗り越えていってから、屋敷には人の出入りはほとんど無かった。
門を出て行ったものと言えば、たったの一台…
「例の運送車…!?」
「おい、その車の行方は追跡してねェのか!?」
「すいません、全勢力をウィルスの確保と土方さんの救出に注いだので…」
山崎は首を横に振った。下手にタコ商人の後をつけて、ウィルス確保の前に相手に警戒心を抱かせたくなかったのだ。…が、こうなると追跡しなかったことが悔やまれる。
こういう微妙な判断は、普段は全て土方が下しているのだ。土方とて決して完璧な智将ではないが、彼がいない穴はやはり大きい。
「で、その土方さんはどこ行ったんでィ」
「…っ!?そうだ副長!どこですか!?まさかさっき沖田隊長が放ったバズーカで吹き飛んだんじゃ…!」
「マジでか。やったぜィ」
「言ってる場合かァァァ!」
沖田の台詞にツッコみつつ、山崎は慌てて室内を見渡した。土方の姿は見当たらない。
おかしい。発信機は確かにこの部屋で光っているのに。
山崎が携帯型の受信機に目を落として疑問と焦燥の色を浮かべた、その時。
「……トシ…?」
部屋の中央に佇んでいた近藤が訝しむように眉を寄せ、一点を見詰めて呟いた。
その視線の先を追って、山崎は息を飲んだ。
ウィルスの箱の裏。
目立たぬ位置に隠すようにしてテープで厳重に固定されている、持ち主のいない発信機。
「局長、それ…!」
山崎の声を受け、ベリベリとテープを剥がして発信機を摘み出した近藤は、険しい表情で辺りを見渡した。
「トシのやつ…!」
部屋内のどこにも土方の姿がないことを確認して、隊士達は蒼ざめる。
土方が発信機を身に付けていない、というのは想定外の事態だ。発信機を敵に発見されて壊されるという可能性は考えていたが、この状況から見て、土方は明らかに自らの意志で発信機をここに残している。
何故、そんな。
土方は作戦外の行動をとってまで、一体どこへ行ったのか。
山崎は弾かれたように銀時に目を遣った。
彼らは屋敷内を隈なく探したと言っていた。ならば土方も、屋敷内にはいないということか。
…ここで、一つの可能性が山崎の脳裏に浮かぶ。
見付からない神楽。
自ら姿を消した土方。
二人ともどうやら屋敷内にはおらず、屋敷から出て行った車は一台。
符号は一致する。
それは普通に考えるならば強引すぎる結論だが、今、否定するにはあまりにも大きな可能性だった。
土方は神楽とともに、もしくはその近くにいる。
彼女の身を救おうとして、自らの意志でこの場を離れたのだ、と。
「銀さん…!?」
ガツリ、という音に振り返った新八は目を瞠った。
銀時が壁に拳を叩きつけていたからだ。それも壁がへこむほどに、思いっきり。
その目は、怒りとも悲痛ともつかぬ色を湛えて揺れていた。
(…っの、バカ…!)
銀時は口に出さずに罵った。
グッと眉を寄せ、きつく目を閉じる。
「俺は神楽を探す、テメェらの副長なんか知ったこっちゃねェ」という自分の台詞は。
…逆に言えば、「テメェらも神楽のことは気にするな」ということになる、はずだった。
そうやって自分は、一線引いた関係を守るつもりだったのだ。
他の誰でもない、あの男のために。
たった一つのものに命を懸けている男。
他に何か大切なものができそうになると、我が身ごと削ぎ落とすようにしてそれを切り捨てる男なのだと知っていた。
切り捨てた後に、一人痛みを堪えて泣くことも。
私情に捕らわれて任務に支障をきたすことが、彼にとって一番の恐怖だということも。
それなのに、まるで仲間に向けるような柔らかい眼差しを、神楽や新八に向けるのを見てしまった。
この自分にさえ、さり気ない優しさを垣間見せることを知ってしまった。
漂う親密な空気に。土方がこちらに抱きかけている好意に、気付いてしまった。
頑なに認めようとしなかったのは、なにも無駄な意地のためだけじゃない。
惹かれている、なんて、本当は誰に言われるまでもなく自覚していた。
何とも思っていない野郎を抱き締めてドキドキするほど自分は節操なしではないし、高鳴る心音の意味することに気付かぬほど、鈍くもバカでもない。本当は。
とっくの昔に惹かれていて…だからこそ、認められなかった。
真っ直ぐに前を見据えるあの男の瞳を、惑わせたくなくて。
何だかんだ言って優しいアイツが、余計なものを天秤にかけて苦しむ様を見たくなくて。
俺はテメェなんか嫌いだと。仲間なんかじゃねェ、増してそれ以上でもねェ。いつでも見捨てていい存在なんだと。
そう思わせたくて。
無理矢理に自分の感情を捩じ伏せて。徐々に軟化していく空気に気付かないふりをしていた。
なのに。
「っ…なに、やってんだよ、バカヤローが…っ」
この場に発信機だけを残して、おそらく単独で神楽を救うために追っていったのだろう土方を思い浮かべて。
銀時はギッと奥歯を食いしばった。