「盛況ですね」

人混みを縫うように歩いて、屋台の並びが途切れる位置で立ち止まる。
通行人の邪魔にならぬように路の端に寄って佇めば、同じように隣に佇んだ山崎が感嘆の声を上げた。
今日は江戸一番の夏祭り。屋台の数も、行き交う人数も桁違いだ。
土方は胸ポケットから煙草のケースを取り出すと、一本抜き出しながら不機嫌に応えた。

「ああ。警備しにくい事この上ねーな」
「ちょ、副長、情緒ってもんが……あだっ」
「何が情緒だ。俺達ァ遊びに来てんじゃねーんだぞ分かってんのかコラ」

バシ、のんきな部下の後頭部を叩いてから煙草に火を点ける。
祭りが盛況なのはそりゃあ結構なことだが、大勢が集まる場所にはトラブルが付き物だ。警備を担当する立場としては、混雑は厄介なものという認識の方が強い。
逆にあまりガラガラなのも警備の人間が目立ってしまうから避けたいのだが……贅沢を言うならばそこそこの人出が一番だ。

「いやそれは分かってますけど……あ」

後頭部をさすりながらまだブツブツと呟いていた山崎が、言葉途中に声を上げる。
何事かとは聞くまでもない。山崎と土方の目の前で、人混みから弾き出されるようにして小さな女の子が転んだのだ。
可愛らしい祭り浴衣に身を包んだ女の子は、歳の頃はいくつだろうか。子どもと接する機会の少ない土方は外見から年齢を判ずるのが不得手なのだが、背丈は土方の腰より低いように見えた。

「大丈夫かい?お父さんかお母さんは?」

地面に膝をついたまま泣き出したその子どもに、山崎が歩み寄ってしゃがみこむ。任務中に無防備な、と思わないでもなかったが、土方の目にもその幼子がテロリストの一員には見えなかった。女子どもを使って油断を誘う手口も確かにあるが、これは違うだろう。
転んで泣いているのに保護者らしき人間が近付いて来ないところを見ると、迷子だろうか。女の子は山崎の言葉に反応して顔を上げたが、しかし瞳からは未だにぼろぼろと涙を零してしゃくりあげている。

「おとうさ……、ひっく、りん……っご、あめ」
「りんご飴?買いに行ってるの?」
「つくってるの!」
「ああ、香具師のお嬢さんなんだね」

ひっく、うっく、としゃくりあげる幼子の背中をさすりながら、山崎は浴衣についた砂を払ってやっている。
面倒見が良いのか、退屈な警備を抜ける口実が出来たと喜んでいるのか。まあ両方だろうなと土方は推察する。
土方自身はたとえ厄介な仕事であろうとガキの世話よりはマシだと思うタイプだが、どうやらこの部下は違うらしい。

「怪我はないみたいだね。立てるかい?お父さんの屋台の場所は……」

女の子を立ち上がらせてキョロリと周囲に視線を巡らせた山崎は、ふと、彼女の髪の毛が乱れているのに気付いて柔らかく頭を撫でた。
肩に届くぐらいの黒髪には、浴衣の柄に合わせた赤い花の飾りが付けられている。人混みに揉まれたせいで斜めにずり落ちかけているそれを髪から抜き取れば、幼子の顔はますます歪んだ。
その花飾りが何という名の花を模した物なのか土方は知らないが、大きな赤い花びらは可愛らしく、女の子の容姿に良く似合っている。きっと両親がこの日のためにと用意してくれたものなのだろう。

――こんな時、存外植物に詳しいあの男がいたとしたら、さらりと花の名を口にしてみせて幼子を驚かせるかもしれない。

不意に脳裏の隅で銀髪の男が裾を翻して、土方は少し煙で咽た。
咽てから、ああ、ガキの前で煙草はマズかったかと気付いて渋々揉み消す。人混みの警備というのはヘビースモーカーにはなかなかにキツイ任務だ。

「――長……副長?」
「あ?……なんだ」

山崎の声に我に返って、土方は己が数秒ほど意識を余所へ飛ばしていた事に気付いた。
少々気不味い思いを隠して不機嫌な口調で問い返すと、地味だけれど図太いところのある部下は、上司の口調など気にも留めぬ様子で片手を突き出してみせた。

「櫛貸してください」
「…………はァ!?持ってねーよ!」

一瞬、何を言われたのかを理解しかねて口を噤んだ土方は、突き出された掌が求めているものを解するや頓狂な声を上げた。
櫛。何故に、櫛。いや何故って迷子の娘の髪を梳いてやるためだとは分かるが、それを何故俺に求めるのだ。当然の如く眉を吊り上げた土方に、しかし山崎は逆に目を丸くする。

「ええ!?なんで持ち歩いてないんですか!」
「なんで俺がそんなもん携帯してなきゃなんねーんだ!」

責めるような口調で言う部下を蹴り飛ばそうとして、子どもが見ている事を思い出して辛うじて思い留まる。苛立ちを持て余して舌打ちをした。
まったく何なんだ。山崎ならば、土方がそんな道具を持ち歩く質でない事ぐらい充分に知っているだろうに。

「仕方ないなァ」

蹴れない代わりに怒気を込めた視線で睨み付けると、山崎は腹の立つ台詞とともにで肩を竦め、隊服の上着を探って何やら取り出した。
それがプラスチック製の櫛である事を見て取った土方はヒクリと頬を引き攣らせる。

「あんじゃねーか!つーかお前、櫛とか持ち歩いてんの!?」
「監察ですから。急な変装のために必要な道具は、まあ一通り」

怒鳴る土方に平然と応えて、少女の正面にしゃがみこんだ山崎はスルスルと櫛で乱れた髪を梳く。
はーい、可愛くなーれ、なんて戯けたまじないのような台詞に次第に笑顔になっていく子を見て、毒気を抜かれた土方は深く溜息を吐いた。

「ったく……なんで持ってるもんを人に借りようとすんだテメーは」
「そんなの柘植の櫛の方が綺麗に梳けるからに決まってるでしょう」

それは、何気なく。
当然の疑問として口を衝いた言葉に、これまた当然のように即答されて土方は固まった。

「…………いや、え?」
「よーし、完成っ」

狼狽えた声を漏らす土方にはお構いなしで、綺麗に梳かした髪に赤い花の飾りを挿して山崎は笑ってみせた。ありがとー、とちょっぴり照れくさそうな幼子の声が右から左に耳を通り過ぎていく。
……なんだ。今さっき、アイツは何と言った。
柘植の櫛、と、そう言わなかっただろうか。

「じゃあ俺、この子のお父さん探してきますんで」
「って、待て、ちょ、テメ、さっきの」

少女を連れて歩き出そうとする山崎を慌てて呼び止めるも、呼び止めて何を言うべきなのか、上手く頭が回らない。
――柘植の櫛、という単語に心当たりが無いわけではない。
むしろ、心当たりがあるからこその動揺だ。
その言葉を聞いた瞬間にポンと脳内に浮かんだ半月型の櫛は、土方の自室の箪笥の奥にずっと仕舞われている。
適当に放り込んだまま忘れているとかではなく、確かにそこに在る物として、土方の意識の一部を占めている。

(……い、いや、だからって)

山崎は、土方がアレを常時携帯していると思っていたのだろうか。
あんな女物の品を、常に懐に忍ばせているとでも。
冗談じゃない、何という誤解だ。土方は羞恥と屈辱に眩暈を覚えた。その誤解が何から繋がっているかが手に取るように分かってしまうからこそ、ひどく不本意だし、居た堪れない。
テメー妙なこと考えてんじゃねーよボケがあんなもん持ち歩くわけがねーだろうが、いや別に大事にしてるとかじゃなく!そもそも持ち歩く必要なんてねーだろうが!
思い付く限りの抗議の台詞を並べ立てようとした土方の声はしかし、不意に背後を指差した山崎に遮られた。

「ところで副長、アレは放っておいていいんですか?」
「あ?」

怒鳴りかけの中途半端な口の開きのまま振り返れば、山崎の指の先には、のんびりとした風情で屋台を覗き込んでいる栗色頭。

「おばちゃん、焼きそば一つ。お代はあそこの目付き悪ィのが払うぜィ」
「総悟ォォァァア!!」

飄々とした声と口調は紛う事なく真選組一番隊長のもので、土方は条件反射のように怒声を上げた。

「仕事中に買い食いしてんじゃねェ!しかも何ちゃっかり俺に払わそうとしてんだコラ!俺はテメェの母ちゃんじゃねーんだよ!」

駆け寄ってバシリと頭を張れば、沖田は後頭部をさすりながら然して痛くもなさそうな顔でこちらを見上げる。

「ひでーや土方さん。副長と言えば親も同然、隊士と言えば子も同然だろィ」
「大家みてーな言い方すんな!テメェみてーな店子を住まわせた覚えはねェ」

無茶な理屈をのたまう部下をイライラと一蹴するが、自由気ままな男は注文を撤回する事もなくサラリと焼きそばを受け取った。
店主がじっと視線をこちらに向けてくるので、仕方なく硬貨を数枚手渡す。テメェ後で払えよと凄んだが、焼きそば代が手元に返ってくる見込みは限りなく低い。
土方はイライラと胸ポケットに手を当てた。煙草が吸いたい。ガキは山崎に連れられて行ったからもう吸ってもいいだろう。

「なにカリカリしてんですかィ。クリスマスイブに休みとれなかったOLですかィ。うちはそういう仕事なんだから仕方ないだろィ我慢しろや土方ァ」
「誰がOLだァァァ!!つーかテメェにだけは言われたくねー台詞だなオイ!」

苛立っているのを理不尽に詰られて思わず怒鳴り返す。
沖田の悪態にまともに腹を立てるのは体力の浪費だと分かっているのに、それでも毎度怒ってしまうのは自分が馬鹿なのか、それともあちらの挑発が上手いのか。
このままでは総悟の思う壺だと深呼吸をした土方は、少し低い位置にある青年の顔をジロリと睨み下ろした。

「別に俺ァ祭りだろうがクリスマスだろうが休みたいなんざ思わねーよ。テメーと一緒にすんな」
「そうなんですかィ?そいつァすいやせん。俺はてっきり」

意識的に落ち着いた声を発した土方に、沖田はひょいと肩を竦めて言い放った。

「アンタらには、クリスマスより夏祭りの方がハードルが低いかと思ったんですがねィ」

――何気ない言葉に声を失って固まるのは、今日、コレが二度目だ。

「…………何の話だ」

土方は胸ポケットから取り出した煙草を一本咥えた。カチリ、マヨ型のライターを擦る。カチ、カチリ。なかなか点かない。
沖田はそんな土方の手元を見て笑うでもなく、さも呆れましたという顔をしてみせる。

「さすがは土方さんだァ。こんなファミリー向け健全イベントにすら誘えないなんざ、一体どんだけ低いハードルから始めれば乗り越えられるんでィ。ニワトリだってもうちょっと高く飛べますぜィ」
「だから何の話だ!」

突っ込まぬ方が良いと頭では認識しているにもかかわらず、口は勝手に同じ台詞を繰り返す。
ああ畜生、なんだコレは。土方が背中に嫌な汗をつたわらせたところで、後背から救いの声が響いた。

「トシ!総悟!どうだ、様子は」
「近藤さん」

大らかな笑顔とともにやって来たのは、我らが大将だ。
今日の警備の責任者が本部テントから出て来てしまっている事に少々眉を潜めつつ、話題を変えられる事に安堵して土方は微かな笑みを浮かべた。沖田も気が削がれた様子で近藤に向き直っている。

「どうも何も、平和なもんですぜィ」
「そうだな、うん。今日ばかりは攘夷浪士どもも祭りを楽しんでるのかもしれんなァ。というわけでトシ、隊士たちに順番に自由行動の時間を与えようと思うんだが、どうだろう」
「は?」

沖田の言葉にウンウンと頷いた近藤は、土方に向かってにこやかにのたまった。
まるで半ば決定事項かのように告げられた突拍子もない案に、土方の目が点になる。

「やっぱり近藤さんは話が分かるねィ。どこぞの仕事バカとはえらい違いでさァ」
「いやいや自由行動って何だよ、修学旅行か!近藤さん、俺達ァ遊びに来てるわけじゃ……」

即座に賛意を示した沖田の台詞に我に返って、土方は慌てて声を上げた。
何故仕事中に自由時間なるものを設けなければならないのか。確かに今のところ不穏な事態は起こっていないが、だからと言って警備の人間が気を抜いてどうする。
真っ当な意見を述べようとする土方を、近藤は片手を上げて遮る。

「考えてみろ、トシ。俺達は確かに、こういう時こそ気を抜かずに警戒しなけりゃならん立場だ。だけどな、祭りの楽しさを己の身で味わってこそ、この町を、この笑顔を護りたいという気持ちが熱く燃え上がるものだと思わんか?」
「…………お妙さんでも見かけたのか?」
「うっ!」

やけにキリッと真面目な顔つきをしているのにピンときて呟けば、熱く語っていた親友は途端に言葉に詰まり、次いで情けなく表情を崩した。

「だぁぁってェェー!俺だってお妙さんとお祭りでイチャイチャしたいよ!射的でお妙さんの欲しいぬいぐるみを撃ち落としてキャーステキ!って言われたいよ!」
「アンタの額が撃ち抜かれて周りがキャー人殺し!って騒ぐ光景なら想像できる」
「頼むトシ!一時間だけでいいから!お前も銀時んとこ行っていいから!」
「一時間っつっても、大将がいねェのは………………あ?」

あまりにも自然に続けられた言葉に、土方は一瞬聞き逃しかけて、固まった。

――三度目、だ。
今日、周囲の人の何気ない台詞に声を失うのは。

傍らでは、いつの間にか少女を送って戻ってきたらしい山崎が、「あ、それハッキリ言っちゃうんですね」などと訳の分からない事を呟いている。
その横では沖田が焼きそばを頬張りながら、感情の読み取りにくい瞳でこちらを見詰めている。
近藤は、土方が何故固まっているのかがまるで分からぬという面で、キョトンと目を瞬いている。

「あれ?トシ?どうかした?」
「……いや、あのな、近藤さん。アンタ何を」

くらくらと立ちくらみのような感覚に額を押さえて、疲労の滲む声で近藤に発言の撤回を求めようとした、その時。

「あ!いたアル!」
「いましたよ銀さん!ほらあそこ!」

聞き覚えのある声が……決して嫌いではないけれど今はあまり聞きたくない声が耳に届いて、土方は咄嗟にその場を逃げ出したくなった。
とは言え突然走り出すわけにもいかず木偶のように佇んでいると、案の定、今は最も聞きたくなかった男の声が続けて聞こえてくる。

「いや、いたから何だよ。祭りの日に警備の警官見たって面白くも何ともありませんけど?綿菓子がマズくなるだけだっつーの」
「いつまでそんなヘタれたこと言ってるアルか。さっさと行って手の一つや二つ繋いで来るヨロシ」

うんざりした口調、面倒くさそうな声。
しかしそれがただのポーズである事を、土方はもう知っている。
知っているからこそ、振り向けない。顔を見てしまえば、あの男が気だるげに装った態度の裏に隠しているものを感じ取ってしまう。演技の奥に潜んでいる本音を、もう、見抜けるようになってしまった。
だから、見たくない――正面から顔を合わせるのが、何と言うべきか、とにかく居た堪れない。

しかし振り向かなければ振り向かないで、沖田に好き勝手に揶揄される事は目に見えている。
土方は細く長く息を吐くと、ぎこちなく後ろを振り返った。
十歩ほどを隔てた先、思い浮かべた通りの銀髪が、夜店の明かりに照らされて橙色に染まっている。

「手ぇ二つって何だよ、両手繋げってか?セッセッセのヨイヨイヨイですか?つーか神楽ちゃん、銀さんのこといくつだと思ってんの?この歳でお手て繋ぐとかお前……」
「だったらそのままホテルにでもシケこんで既成事実つくってこいヨ」
「ば……っ」
「あ、ほら銀さん、土方さんこっち見てますよ!」

銀時を挟んで両側から背中を押しているメガネとチャイナの目がこちらに向いて、土方は思わずビクリと肩を揺らした。
志村の声につられたのか銀時も視線を上げて、土方と目が合った瞬間に、ビタリと固まった。

「ほら土方さん、ダーリンがお待ちですぜィ」
「トシ、お前は今から一時間……いや、二時間自由行動でいいぞ!」
「いってらっしゃい副長。頑張ってくださいね、色々と」

土方の背後から、三人三様の口調で声がかけられる。沖田は完全に面白がって。近藤は純粋な善意で。山崎は、激励と苦笑と同情が混ざり合った声音で。
俺は仕事中だ、自由行動時間なんて必要ねェという本気の訴えは、その場にいる全ての人間に見事に聞き流された。

「いや、だから、人の話を……っ」
「ちょ、オイ、押すなっつって……!」

焦燥と当惑に塗れた頭で必死に口を動かすも、紡いだ言葉は周囲に届かず。
ただ、同じように焦りと困惑に満ちた声が、ガキどもに背を突き飛ばされている男から聞こえるだけ。


土方はとうとう、ブチリと勘忍袋の緒を切った。



「「――ッ、いい加減にしろお前らァァァァ!!」」



期せずして一言一句かぶってしまった怒号のせいで、一層背中を押されるはめになるとは、露知らず。



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周りに後押しされすぎて逆に進展できない二人。