チロリ、と鼻先に冷たさが掠めて。煙草を吸う手の袖に白いものが張り付いているのを見付けて。
そこでやっと、雪が降っていることに気付いて、土方は夜の空を見上げた。

武州にいたころは、雪の降る空なんて見ただけで判ったものだが。
江戸の夜空は、天高くそびえるターミナルの照明と夜の街のネオンサインで妙に明るいから。星なんてほとんど見えなくて、晴れているか曇っているかさえよく判らないのだ。


白と黒、白に白


12月24日の深夜。土方は制服姿で一人、歩いていた。
見廻り中である。
今日明日、世間はクリスマスだ何だと浮き足立っている。こういう日には、はしゃぎすぎたバカが騒ぎを起こすことが多い。
それにもともと異国の文化だ。こぞって浮かれている世間に「天誅」を下そうと考える攘夷浪士もいるかもしれない。
所謂、特別警戒態勢というヤツだ。
…ただし、個人的に。
真選組の他の面子は、只今屯所でクリスマスパーティー中である。

土方はフワリと煙草の煙を宙に漂わせた。

真選組に盆も正月もクリスマスもあるものか、と土方は考えている。むしろそういう時期こそ忙しいのだ。
しかし局長である近藤は、隊士たちにも人並みにそういう行事を楽しませてやりたいと思っている。
土方は、それを無理に止める気はない。
局長がそういう人間だから隊士は付いてくるのだし、だからこそ、ヤツらもいざという時にきちんと動けるのだ。
たとえ宴会の最中でも、土方が出動を命じれば多少バタバタしつつも態勢は整う。それで構わない。

褒賞や休暇は局長の口から。
厳罰や激務は副長の口から。
それで、いい。


ネオン街を通り抜けたところで道端に立ち止まって、土方はしばしの間、煙草をふかした。

(…そろそろ、屯所に帰るかな)

携帯の画面をチラリと見ると、時刻は零時を回っていた。着信はない。今のところ大きな事件は起こっていないようだ。

騒ぎが起きそうだと事前に目を付けていたところは粗方見て回ったが、どこでも大した事態は起こっていない。 質の悪い酔っ払いを引き立て、はしゃいで人混みに花火を投げ込もうとした阿呆を踏みつけた。その程度だ。
攘夷浪士のアジトがあるという噂のある辺りは特に丹念に見て回ったが、不穏な気配は感じられなかった。 ひょっとすると、真選組の副長が目をギラギラさせて歩いているのを見て、今夜の行動は自重したのかもしれない。

そして今。
桂らしき男が出没するという噂のあるかぶき町を見て回ったが、問題の男は見当たらなかった。
まあ、もともとその噂というのが「風俗店の呼び込みをしている男が手配書の人間に似ている」という信じがたいものだったのだから、 土方もそれほど期待して探したわけでは無かったのだが。

それなのに。

わざわざこの場所を見廻りの最後にまわして、ネオン街を何度も往復して。
それでもまだ立ち去れずに、立ち止まって煙草をふかしているのは、何故だろうか。

(アホらし…)

土方は深く煙草の煙を吐き出した。


この町があの男のテリトリーだからだ。なんて。
考えるまでもなく、判っている。
…それを、認めたくないだけで。


会いたいなどと思っているわけでは無いのだ。
「今日この日に」会いたいと思っているわけでは、もっと無い。
ただ…会えるかもしれない、と。そう思ってしまったことは確かだけど。

(…まったく、バカバカしい…)

土方がちょっと自嘲して、いい加減に帰ろうと足を踏み出しかけた時。
背後から聞こえた声に、一瞬息が止まった。

「何してんの、お前」

いつもの、怠い声。

詰めた息を悟られぬようにゆっくりと吐き出して、土方はいつも通りの不機嫌な顔で振り返った。
そこにいるのは、いつもの白い着流しの上に上着と赤いマフラーを身に付けて立っている、銀髪の男。
その瞳は平素と同じ気怠い色を浮かべて、土方を見ていた。

「年末特別警戒中だ」
「警戒してるようには見えねーんだけど。思っくそボーッとしてるように見えたんですけど。だってお前、声かけられるまで俺に気付かなかっただろ」
「…うるせェ。テメーこそこんな時間に何してんだ」

お前のことを考えてたからだ、などと言えるはずもなくて、舌打ちして話を逸らせば、銀時はひょいと通りの向かいのコンビニを指差した。

「今日クリスマスだろ?ウチの大食い娘の枕元に置く肉まんを買いに」
「プレゼントが肉まんかよ」

即座に呆れた突っ込みを入れつつ。
…ああ、やはりそうか。と、土方は微かに口角を上げた。


やっぱり、コイツにはあのガキどもと一緒に過ごすクリスマスが似合っていて。
そして自分には、こうして真選組の仕事に費やすクリスマスが一番似合っている。
判っていたことだし、何も残念に思うことはないと。本心からそう思うのだけど。


その一方で、まァ会えたからいいか、なんて思っている自分がいて、その発想に自分を殴り飛ばしたくなった。


「ちょ、何その貧乏人を哀れむような目やめてくんない。言っとくけど肉まんはアイツの希望だからね。本人が肉まんが欲しい言ったんだからね。じゃなきゃ俺だって肉まんなんかじゃなくてあんまんにするわ!」
「似たようなもんじゃねェか!」
「全然違うわァァ!あんまんは餡子で甘いけど肉まんは甘くねェだろーが!何にでもマヨかけて食う味音痴には判らねェかも知れねーけどなァ!」
「甘いか否かの区別しかできねェ舌してるヤツに言われたくないわァァ!」

そのまま、いつもの不毛な怒鳴り合いに発展しかけた会話は、吹き抜けた冷たい風に遮られた。
同時に身を震わせて、寒ッと思わず呟きが漏れる。

「…もう、何でもいいからさっさと買ってってやれよ」

興が冷めたという声で言って土方が立ち去ろうとすると、その腕が銀時に掴まれて引き止められた。
不審に思って振り返ると、銀時はちょっと困ったような顔をしてポリポリと頬を掻いている。
あのさァお前…と、軽い溜息とともに、腕を掴んでない方の手が土方の肩に伸ばされた。

「そんな姿でウロウロしてんの放っといたら、寝覚めが悪ィだろーが」

そう言って、肩やら頭やらをパシパシと乱暴に叩かれて初めて、土方は自分の身に雪が降り積もっていることに気が付いた。
トサリ、と肩から落とされた雪の量に、少し目を瞠る。

「お前って、さァ」

銀時は土方の頭の雪を払いつつ、フッと苦笑した。

土方は、いつもこうなのだ。
自分の身体が冷え切っているのに、肩や頭に積もった雪を払いもしない。
風邪をひくとかそういうことを考えようとしないのだ。

いつだって自分を顧みない。
職務のために、仲間のために、自ら損な役回りを引き受けて。危険も憎悪も一身に背負って。
まるで自分の身など振り返る価値もないとでも言うように。
…それなのに。いや、それ故にと言うべきか。
自分の身にできた傷を隠すのはすごく下手で。満身創痍なその姿は、返って周りの心配を煽るのだ。

闇に溶け込むような黒髪と黒服のせいで、降り積もった雪が目立つように。


銀時の苦笑から言いたいことが何となく察せられて、土方は頭に触れる銀時の手をどかそうとするのをやめた。
はっきり言葉にされなくても判る程度には自覚がある。自分は随分と周りに気を遣わせているのだろう。この身に降りかかる雪はいつだって、自分で払い落とす前に誰かの手によって落とされるのだから。
それは近藤の温かい掌であったり。沖田の投げ付けてきた雪玉であったり。
もしくは…

「自分に無頓着なのはいいけど、そんなお前のこと心配するヤツもいるんだぜ?ゴリラとかゴリラとか。あと…」

…お前とか、か?

そう言おうとしたが、やめた。
肯定されても否定されても微妙な空気が流れるだけだ。
わざわざ聞く必要もない。
土方は黙って、銀時に雪を払わせた。

「…そういうヤツらのために、ちったァ…」

土方の雪を粗方払い終わった銀時は、そこで言葉を切ってガリガリと頭を掻いた。
その先に続けられる予定だった言葉も銀時が言い淀んだ理由も推し量ることができて、土方は薄く笑った。


言われなくても、本当は判っている。周りの人間のことを大切に思うなら、その人たちのために、自分自身のことも大切にするべきだということ。

しかし、頭で判っていても直せないから性分というのだ。
自分を大切にする、など、自分にはどうにもできそうにない。
…ならば、せめて。

「もう少し上手く隠せってか?」

ちょっと口端を上げてそう言えば、銀時は途端に顔を少し顰めて、深い溜息とともに呆れた声を吐き出した。

「そうじゃねェっつーの。ったく、どうしてお前はそういう考え方しかできねーのかね…。大体、これで上手く隠されたりしたら、ますます周りの立つ瀬がねェだろーが」

俺の立つ瀬が、とは言わねェんだな、やっぱ。
…などと意地の悪いことを考えながら、土方はフンと鼻を鳴らした。

「お前に言われたくねーよ」

そう言えば、銀時の瞳が一瞬だけ揺れた。
すぐにそれは、いつもの怠い目に戻ってしまったのだけれど。
お前には関係ない、と言われたと思ったのだろうなと考えて、それでコイツがああいう傷付いたような目をすることを意外に思いつつ、土方は銀時との距離を一歩詰めた。

「テメェは人のこと言えねェだろうが」

誤解を解くように言い直せば、銀時の表情が不審げに変わる。
そして。

「こっちの台詞だって言ってんだ」

そう言って、土方が手を伸ばして銀時の髪に手を差し入れれば。


パサリ。


白銀の髪の隙間から雪が落ちると同時に。


銀時の目が、見開かれた。



…コイツは、ずるい。
土方は銀時の髪の間にスルリと指を滑らせつつ、眉間に皺を寄せた。

白くてフワフワの髪の中には、白くて冷たいものが思ったよりもずっとたくさん、隠されていた。
土方の頭に降り積もっていた量とそう変わらない。
ただ、土方の黒髪や黒服と違って、元から白くてボリュームのある頭をしているから目立たなかっただけ。

この野郎はそういう男なのだ。

人のことを言えないくらい、いつも誰かのために自ら泥をかぶっているくせに。
ふざけた言動でフワフワのらりくらりと、その痛みを緩く包み隠して。

土方はキュッと悔しげに目を細めた。
銀髪に紛れ込んだ雪の中には、毛糸の手袋にくっついてダマになった雪のように、なかなか取れないものもあって。

…こんな風に、しつこく纏わり付いてじわじわと身体を冷やしていく痛みに、今までずっとコイツは一人で耐えてきたのか、と。
そう思ったら訳もなく悔しくて、土方は奥歯を食いしばった。
自分だって、つい先程まで気付かなかったのだ。銀時が頭を掻いて、そこからハラハラと雪が舞い散るのを見るまで。


上手く隠されたら立つ瀬がないと言ったのは、テメェじゃねェか。
それなのに、お前はそうやって隠すのか。


髪に絡み付いた雪は、指先で挟みこんでじっと待てば、じんわりと溶けていった。
しかし雪はその間にも降り積もってくる。

キリがない。

土方が舌打ちすると、横から当惑したような声が聞こえた。

「…オーイ、土方?」

気付けば銀時の顔が随分と近くにあって、土方は目を瞠った。
…どうやら、雪を落とすのに集中するあまり、自ら銀時の髪に鼻先を寄せる格好になっていたようだ。
思わず手を止めて至近距離にある銀時の顔を見返すと、銀時は苦笑して土方の瞳を覗き込んだ。

「オメー、判ってる…?」

俺がひょいと腕を回すだけで抱きしめられちゃうような距離に、自分から入って来ちまったってコト。

そう言いいながら、銀時は土方を抱きしめようとはせずに。右手でそっと、土方の髪に新たに積もった雪を払った。
その仕草に。

土方はカッと熱くなった。

気を抜いて近付いたことを指摘された恥ずかしさだとか。
優しく触れてくる手への羞恥だとか。
それよりも何よりも。

土方の隙を指摘しながらその隙に付け入ろうとしない銀時の、「余裕です」とでも言いたげな態度と。
銀時の手はいとも簡単に土方の雪を払うのに、自分の手が銀時の雪をなかなか落とせないことが。
やけに、悔しくて。

「え、ちょ、土方…?」

土方は左手で銀時の右手を掴むと、ヒタリと自分の左頬に添わせた。
冷てェな、なんて呟きながら、そのまま擦り寄るように頬を滑らせて…銀時の親指に、唇を押し当てる。
ピク、と頬に当てた手が一瞬強張って、銀時が目を見開いた。

「万事屋…」

じっとその目を見据えて低い声で呼べば、ごくりと動いた銀時の喉。

「ひじ…」
「お前、これから肉まん買って枕元に置くとか言ってたよな」
「…あ?」

自分の名を呼びかけたのを遮って早口で言うと、銀時はキョトンと目を瞬いた。

「言ったけど…?」
「でも肉まんだったら、チャイナが起きる直前に置いて温けェうちに発見された方がいいよな?」
「……まァ、そうだな」

答えながら、土方の意図するところに気付いたらしい。口角に笑みを滲ませた銀時に、察しのいい野郎だと土方は内心で苦笑った。
コイツの勘の良さのせいで、俺はいつも心の内を読まれてばかりで。それが悔しいから、偶には予想を裏切ってやりたくなるのだ。
…しかしここはお望み通りに言ってやろう。

「じゃあ、今から明け方まで、俺に付き合え」

紡いだ言葉は、やはり銀時の予想通りだったようで。
それでも一瞬嬉しそうな顔をした銀時は、その喜びを誤魔化すかのようにニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

「随分と積極的なお誘いだな」
「あァ?付き合うのか、付き合わねェのか」
「積極的っつーか高慢だよコイツ。女王様だよ」

うわー、とわざとらしく身を引いてみせる銀時をじろりと睨めば、「いやいや、喜んでお付き合いさせてもらいますよ女王サマ」なんてふざけた台詞が返ってくる。
土方は軽く溜息を吐くと、踵を返して銀時を促した。


「よし、じゃあ行くぞ。健康ランド」


「………は?」


今度こそ目を点にした銀時を見て。
土方は、してやったりと顔には出さずにほくそ笑んだ。


「んだ、付き合うっつったじゃねーか」
「いや、言ったけど。何で健康ランド?いつかのサウナ勝負の続きでもする気かテメーは」
「別にサウナが目的じゃねェよ。この時間にやってる銭湯なんてあそこぐれェのもんだろうが」
「いやいや、だから何で銭湯?風呂じゃねェだろ今は。この雰囲気は風呂じゃねーよ。いや風呂も必要っちゃ必要だけど主目的じゃねーだろうが」
「うるせェよ。俺の主目的は風呂だ」

さっさと歩き出した土方の背を追いつつ言い募る銀時に、土方はぐるりと向き直って言い切った。

俺は、今。

「お前に頭から湯をぶっかけてやらなきゃ気が済まねェ」


そう言えば、銀時は一瞬だけ呆けたような顔をして。
それからゆっくりと自分の頭に手を当てると、そのまま下を向いてわしゃわしゃと後頭部を掻き回した。
パラパラ。雪が、舞い散る。
…参ったねどーも、なんて小さな小さなぼやきが聞こえてきたような気がして、察しが良すぎるのも困りもんだな、と土方はニヤリ、笑った。

普段、自分の身を顧みないヤツほど。
周りにさり気なく想われ、気遣われているのだと知ると、どうにも居たたまれない気分になるのだ。
決して嫌な訳ではないのだけど。むず痒いような、恥ずかしいような、悔しいような…ただ嬉しいだけでは済まない、この感覚。

俺がいつもどんな気分でお前らに気遣われてるか思い知ったか、なんて。

妙な意趣返しが成功した気持ちよさに込み上げる笑いを堪えていると、銀時が頭を掻く手を止めて、いつものおちゃらけた顔を上げた。

「お前それ、髪が濡れてぴったりストレートっぽくなった俺に惚れ直しても知らねーぞ?ヤバイから入浴中の銀さんマジ男前だから。文字通り水も滴るイイ男にお前メロメロだよ?」
「…フン、こっちの台詞だ。テメェこそ水も滴る俺に惚れ直すなよ」

一瞬、湯に濡れた銀時の姿を想像してしまって。それを誤魔化すように軽口を叩いたのだが。

「……………」
「……オイ…?」

黙って見詰め返されるのが気まずくて声をかければ、銀時は「あー」とも「うー」ともつかぬ呻きを漏らしながらまた頭を掻いた。
そして。

「わり、想像しちまったら何か、ヤベェ…。うん、ヤバイよコレ…」
「あ?」
「もうさァ、風呂が目的でもいいから、やっぱ…」

ふいに首に手を回されて引き寄せられる。
急に近付いた顔。銀時の唇が土方の耳に触れんばかりに寄せられて。


「…ホテル、行こうぜ」


吐息とともに吹き込まれた低い声に。

普段なら怒鳴り返すか舌打ちでもするはずのところ。


不覚にもくらりとして、土方は銀時の背に手を回した。




ーーー完

この後ホテルに行って案の定お互いの入浴姿にくらくらきちゃった二人は結局お風呂エッチになだれこむのだと思われます。マル。

メリークリスマス!!