「うお、寒…っ!」

警察庁のビルを一歩出たところで、土方は吹き抜けた風に思わず身を竦ませた。
慌てて空を見上げるが、目に入ったのは星空。雪の降る気配は無さそうだが、それにしても寒い。
――当然か。もう八時だ。
土方は隊服のポケットから携帯を取り出すと、時計の表示を見て嘆息した。
吐いた息は途端に真っ白になって、余計に気分を滅入らせる。

(話長ぇんだよあのオッサンんんん…!)

土方は胸中に毒吐いて、今しがた出てきたビルの最上階を睨み上げた。

彼は今日、警察庁の長官である松平片栗虎に些細な報告に来たのだ。
警察庁に着いたのは午後四時。資料を渡して、少し話して、五時にはここを出られるはずだった。
土方の本日の仕事はそれで終了…の、はずだったのに。

アポイントメントは前日にとっていたというのに、松平は不在。
聞けば、娘のクリスマスプレゼントを買いに出掛けたと言う。

頭痛を堪えながら携帯に電話を掛け続け、両腕に大きなプレゼントの包みを抱えて戻って来た松平に、ようやく面会できたのが午後六時。
それから、娘がデートだとか言って出掛けやがった、相手を抹殺しに行くから付き合えと言う松平を何とか制止し。どうにか目的の報告も終え、散々愚痴に付き合って、結局解放されたのはこんな時間。

「勘弁しろよ…ったく」

腕を組んで素手を寒気から守りながら、土方は溜息まじりに呟いた。
いつまでもここに突っ立っていても仕方ないと、とりあえず歩き出す。
こんなことならコートを着てくるべきだった。それに手袋も。指先が冷えきって感覚が無くなっては、咄嗟に刀を抜く際に支障をきたしかねないではないか。
今日は一日中晴天のおかげで、この時季にしては比較的気温が高かったのだ。だから、隊服だけでいいかと思ったのだが。

こんな時間までかかると誰が思う。
長官がクリスマスプレゼントを買いに行ってるなどと誰が思う。

「何がクリスマスだバカヤロー」

漏らした声は擦れ違ったカップルに聞こえたようで、チラリと振り返った女の視線を感じて土方は眉間の皺を深めた。

早く屯所に帰ろう。

白い息を深々と吐いて歩調を早める。
土方には別段、今日という日を誰かと共に過ごしたいという想いはない。屯所という名の家に早く帰りたいと望むのは、仲間の顔を見たいとかではなく、ただ単に暖をとりたいがためだ。
……ひょっとしたら、我らが大将は、ケーキやらシャンパンやらを用意して自分を待っていてくれているかもしれないが。
祭り好きの局長の顔を思い浮かべて土方は一瞬そう考えたが、すぐにその考えは打ち消した。あの人のことだ。今夜はきっと想い人のところへ押し掛けているのだろう。それが容易に予測できてしまうのも、少々問題だけれど。

――そういえば。

ふと脳裏を過ったものに、土方は足を止めかけて、すぐに歩みを再開した。
内ポケットから煙草を取り出して、火を点ける。

そういえば、局長の想い人には、弟がいた。
なかなかしっかりした少年だが、まだ年若い。それに姉と随分仲が良かったはずだ。とすれば、今頃彼らはクリスマスパーティー中だろうか。
パーティーとなると、あの少年と仲の良い少女も、当然のように輪に加わっているはずだ。
であれば、その少女の保護者的存在である男も、

(……アホくさ)

土方はそこで肩を竦めて思考を中断した。
パーティーが、ではない。
自分の思考展開が、実にアホらしい。

そんな迂回しなくても、志村妙から直接あの男に思考を飛ばしたとて何らオカシくないのに。
わざわざ尤もらしい連想ルートを辿ってみせること自体が、その存在を特別意識していることの現れのようで。

(いかんいかん。寒いとロクなこと考えねぇな)

すべての責任を気温に被せて、土方は首を横に振った。
フワリ、夜空に向けて煙を吐き出す。
煙草を挟んでいる指先が軽く震えているのを感じて、コイツはまずいなと視界の端の自販機に歩み寄った。
缶コーヒーでも買って温まらなければ、指も頭も使い物にならなくなってしまう。

――だって、そうだろう。

近藤の想い人から、瞬時に志村家のクリスマスパーティーを連想して。
そこに混ざって子供らを優しい目で見ているアイツを想像して。

……ああ、そんな姿がやっぱり一番似合うな、なんて。
思い浮かべた光景に何故だか温かい気分になっただなんて。

脳の回路が寒さで狂ったとしか思えないではないか。

苦々しく口元を歪めながら、自販機に百二十円。
パッと赤く点灯したボタンのライト。ホットのブラックッコーヒーを選んで指を伸ばす。
かじかむ指がボタンを押そうとした矢先。後ろから聞こえた声に、土方は振り返った。

「……あ?」

振り返った状態で、パチリ、瞬く。

聞こえたと思ったのは、先程まで考えていたあの男の声だ。
……だが、土方の視界に映る人間は、寄り添い歩くカップルや大きな紙袋を手に家路を急ぐ中年男性。そして、店頭でケーキを売るサンタクロース。
少年と少女を連れた男の姿などどこにもない。

(……気のせい、か。寒ィな)

後半の一言は、果たして気温に向けてのものか自分に向けてのものか。
やれやれと嘆息した土方は、ゴトンという音に我に返った。
慌てて振り返れば、ボタンランプが消えてピロピロとチャチなルーレットを回している自販機。どうやら余所見している間にうっかりボタンを押してしまったらしい。
取り出し口を覗き込んで土方は一つ舌打ちをした。
予想はしていたが、案の定押し間違えている。転がっているのは買おうと思っていたコーヒーの隣のカフェオレだ。

缶を取り出した土方は、表示を見て更に顔を顰めた。微糖ぐらいなら飲む気でいたが、これはコーヒー飲料だ。しっかりと甘味が加えられている。
さてどうするか。缶を握って指先を温めながら、土方はもう一度舌打ちをした。
別に甘くても飲めないわけではない。ただ、あまり好きではない。こんな寒空の下で飲むのだから、できれば好きな味のもので身体を温めたいものだ。

まぁいい。たかが百二十円だ。節約家に眉を顰められそうなことを考えて、土方は再度自販機に硬貨を入れた。赤いランプが点灯し、今度は間違えずに無糖コーヒーを選ぶ。
ゴトンと音を立てて転がり落ちた缶コーヒーを取り出して……土方はそこで漸く、困ったことに気付いて眉を寄せた。

このカフェオレを、どうするべきか。

まったく、本当に脳が麻痺しているらしい。土方は自らに呆れかえった溜息を吐いた。

(カイロ代わりにしてもいいが……)

隊服のポケットはそれほど大きくない。缶飲料を入れて歩いたら邪魔でしょうがないだろう。
この場に置いて行くか。しかし、中身が丸ごと残っているものを捨てるというのも気が引ける。
ならば。

つらつらと考えながら二つの缶で暖をとっていた土方は、ふと或る一点に目を止めた。

ケーキ売りのサンタクロース。
この寒空の下、独り、道行く人に声を掛けている。

(ありゃ寒ィよなァ……)

ごくろうなこった。
胸中に呟いて、少し考える。

ああいう売り方をするのは、コンビニやあまり大きくないケーキ屋だ。有名パティスリーはあんな呼び込みをしなくても人は来る。
売っているのはきっとイチゴと生クリームのオーソドックスなケーキだろう。
味はそこそこ。そして値段も手頃。

――志村家のパーティーで食卓に並ぶのは、ああいうところで買ったケーキじゃないだろうか。

そう思った、途端。
じわり、また湧いてきた正体不明の温かい感情に、気付けば土方は足を踏み出していた。


「おい」
「……へ?」

歩み寄って声を掛ければ、サンタクロースは客引きらしからぬ返事をした。お前、ここは勢い込んでいらっしゃいませっつーとこじゃねぇのかよと土方は思ったが、自分の風体がとてもケーキを買いに来た人間には見えないであろうことを思い出して苦笑する。
もとより、ケーキを買うつもりはない。いらっしゃいませと応対されても気まずいだけだ。

「寒い中ご苦労さん。やるよ」

簡潔にそう言ってカフェオレを差し出せば、サンタは目を丸くした。
そりゃそうか、と思いながら、半ば強引に押し付ける。

「飲みたくなかったらカイロ代わりにでもしな」
「は?ちょ…え?」
「間違えて買っちまって処分に困っただけだ。じゃあな」

一方的に言って踵を返してから、まるでベタな言い訳のようだと気付いて口端を歪める。どれだけ言い訳に聞こえようと事実なのだから如何ともしがたいのだが。
おそらく思い切り怪訝な顔をしているであろうサンタの方は振り向かず、土方は足早にその場を立ち去った。


寒いだろうが、もう少しその場所で。
アイツのように、金は無いくせに情は両腕に余るほど抱え込んでしまっている人間のために。
普段の食卓にプラスするささやかな特別を、手の届く値段で提供してやってほしい。

――なんて。

缶コーヒーで温まったというのに、脳回路の故障は未だ治らないらしいと。
土方は少し、笑った。



「……えーと?」

一方サンタクロースは、遠ざかる背中とカフェオレを困惑顔で見比べていた。

「なんですかコレは。罠?ひょっとして下剤入りかあのヤロー」

矯めつ眇めつ缶を眺めて呟かれた失礼な台詞は、土方が聞いたら激昂するより先に驚愕の声を上げそうなもの。

「いや……ありゃ多分、俺だって気付いてなかったよな。アイツ大丈夫なの。あんなんで副長やってけてんの」

ベリ、とつけ髭を剥がしてポリポリと頬を掻いたのは、土方のよく知る顔。
坂田銀時は、土方の背が消えていった方角を眺めながら、コキリと首を傾けた。
確かに寒さに参っていたところだし、温かい差し入れは非常にありがたい。ありがたいのだが。

「なに?アイツ、一般市民にはあんなに優しいわけ?マジでか?」

信じらんねーなオイ。気怠い声で銀時は呟く。
そういえば、定食屋の夫婦とかとは穏やかに会話していたような気がする。

(……俺は初対面でいきなり斬りかかられたんですけど。え、何この差。俺だって善良な一般市民だぞコノヤロー)

銀時はそこまで考えてガシガシと頭を掻いた。
それは仕方がない。桂と一緒にいた時点で、あの時の自分は限りなく黒に近かったのだ。それは、わかっているけれど。

「なーんか面白くねーなーオイ」

ボヤいて、プシリ、缶のプルトップを開ける。
先程は罠かと疑ってみせたが、あの男がその手の細工をする人間でないことは判っている。これが沖田がくれたものだったら飲むのを躊躇うが。
甘いカフェオレを啜りながら、銀時は再びチラリと土方の去った方角へ目を向けて、すぐに目を逸らした。

まあ、いい。

自分はこれから、バイト上がりにこのままの恰好で行かなきゃならないところがあるのだ。サプライズ銀サンタ。ヤツらの驚く顔が目に浮かぶ。
余計なことに気を取られていないで、さっさとノルマ分のケーキを売ってしまわなくては。


「……どうせなら買ってけっつーんだ、あのバカ」

鬼の副長さんもこんな日ぐらい、肩の荷おろしてゴリラどもとケーキつついてりゃいいんだ。
何の気なしにそう思ってから。

強引にケーキを取り分けられて文句を言いながら、滅多に見せない柔らかい色を瞳に浮かべるあの男を、想像して。

銀時は思わず、少し笑った。




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何だかんだで両想い。コイツらさっさとくっつけばいい。
メリークリスマス!微妙な話ですいまっせん!