土方十四郎が失踪して一ヶ月が経った。
一週間前の非番の日。夕方に出かけたまま帰って来ない副長に、夜番の隊士は珍しくも朝帰りなのかと思いつつ門衛を交代した。
しかし朝礼の時間になっても土方は現れず。
携帯も通じないまま昼が過ぎ、夜になり、また朝が来る頃には屯所は大騒ぎになっていた。
すわ、攘夷浪士の襲撃でも受けたのかと。
市中を極秘裏に捜索すべく緊急隊首会議を開いていた真選組の面々は、副長室を覗いた隊士の報告によってそれを中止することになる。
部屋主のいない副長室の文机には、些末なものまで完璧に片付けられた事務書類と、数ヶ月先まで作成された勤務割り当て表が残されていた。
真選組副長土方は、誰にも目的を告げることなく、自らの意志で消息を断ったのだった。
「旦那ァ、あのヤローから何か聞いてないんですかィ」
団子屋の店先で、真選組の一番隊長が咥えた串を揺らしている。
隣に座る銀髪の男は、常の通り気怠げな表情で団子を咀嚼していた。
「お前やゴリラが聞いてないモンを、俺が聞いてると思うのか?」
土方が失踪した事実は最初のうちこそ秘匿されていたものの、二週間を越えたあたりでマスコミに嗅ぎ付けられた。
真選組副長行方不明の報に一時世間はざわついたが、機に乗じてテロを起こそうとした攘夷浪士を真選組が立て続けに未然捕縛したため、江戸の町は今は表面上の落ち着きを取り戻している。
沖田は咥えていた串を離して、指先でくるくると弄んだ。
「俺や近藤さんに言わねェことだからこそ、旦那には言ってる可能性があるんじゃないですかィ」
あのヤローの場合は。
面白くもなさそうにそう言った沖田に、銀時は声を立てずに苦笑した。
「あー…ま、それはそうかもしれねェけど」
でも俺ァ知らねェよ。銀時は静かな口調で答えて茶を啜る。
沖田はチラリと横を窺って、諦めたように湯呑みに手を伸ばした。
「…俺は、俺なんかよりもずっと何か聞いてそうなヤツを一人知ってるけどな」
店先の人の往来を眺めながら、銀時が呟く。
沖田は湯呑みを傾けながら、温くなってしまった茶に少し顔を顰めた。
「俺も知ってまさァ」
コトン、と縁台に湯呑みを戻し、軽い溜息を一つ。
「でもアイツは、言わねェと決めたことは何がなんでも言わねェんで」
既に一度は問い詰めたのだという響きを感じ取って、なるほどなと銀時は肩を竦めた。
沖田も同じように、ひょいと肩を竦める。
「ありゃあ、旦那と同じくらい食えない男でさァ」
揶揄するような口調に微かなほろ苦さを含ませて沖田がボヤく。と、銀時は僅かに心外そうに眉を寄せた。
「俺はあそこまでじゃねーと思うんだけどな」
「向こうでも多分、同じこと思ってますぜィ」
沖田は笑って立ち上がると、ご馳走様でさァ、と抜け目なく勘定を押し付けて団子屋を立ち去った。
「山崎」
「はい?」
屯所の廊下で呼び止められて山崎は立ち止まった。
振り返った先には、十番隊長の原田がじっとこちらを見詰めている。
「お前、本当に知らねェのか」
その質問には目的語が抜けていた、が。
山崎は充分に理解して肩を竦めた。
「知りませんよ」
「…………」
即答した山崎を原田はしばらくの間黙って見詰めていたが、やがて諦めたように溜息を吐いた。
「…お前がそう言うなら、言わねェんだろうな」
たとえ知っていても。
言外に込められたその言葉に、山崎は苦笑する。
だから知りませんって、ともう一度言ってから、少しだけ疲れたように眉を下げた。
「そんな、皆して俺にばっか聞きにこなくても…」
「他に誰に聞けってんだ?」
「普通に考えたら局長でしょう?副長とは真選組結成以前からの古い付き合いなんですから」
「局長や沖田隊長には言わねェだろ。あの人ァ」
原田は苦味の成分が八割の苦笑を浮かべて顎を撫でる。
副長が黙って姿を消すなどという非常事態。その異常さ故にこそ、推測できることも多少はある。
…おそらく、近藤局長や沖田隊長には特に知られたくない。そういう事態が出来したのだ。
何があったのか。何が目的なのか。
この現状では何も判らないが。
それでも判るのは、あの男が真選組を裏切るなんてことはあり得ないということ。
そして、厄介事を一人で引き受けようとする男だということだ。
…ったく、勘弁してくれよ副長。原田は心の中でボヤく。
真選組の誰一人として、土方を犠牲にして自分が生き延びたいなどと思う者はいないのに。
汚れ役を一身に買って出るのは、そろそろやめていただけないものだろうか。
「…山崎お前、今度副長に会ったらちょっと説教しといてくれ」
「だから居場所なんて知りませんって」
そう言って困ったように笑う男の言葉を、原田は欠片も信じてはいなかった。
――たとえ土方が本当に何も言ってなかったとしても。
この男が何も知らないはずは、無いのだ。
「山崎」
暗がりの中から、呼ぶ声がする。
「はい」
いつも通りの声音で返事をすれば、返ってくるのは沈黙。
まるで廃墟のようなボロい長屋の一室は、戸を閉め切っても立て付けが悪く、隙間から細く光が漏れ入ってくる。
その明かりのおかげで辛うじて輪郭の見て取れる人影は、じっと座ったまま、再び声を発した。
「…山崎」
「はい」
同じ台詞に同じ応え。
そして返ってくるのも、また沈黙。
山崎は、その人影が言いたいことに予測が付いていた。
その上で言われるのを待っている。
返答は、既に用意できていた。
「山崎、俺は自分からは放さねェ。だからテメェが放せ」
「……放しませんよ」
三度目の呼びかけの後に放たれた予想通りの言葉に、山崎はゆったりと笑んで応えた。
この暗がりでは表情などは見えやしないだろうけれど。それでも目の前の男の纏う空気がピリリと張ったのが、山崎には手に取るように判る。
「…このままでいたら駄目なことくらい、お前だって判ってんだろ」
「はい」
「いつか取り返しのつかねェ事になることぐらい、テメェなら充分判ってんだろうが!」
「判ってます」
徐々に緊迫感を増していく空気に気付いていながら、まるで意に介さないように一つ一つ即答を返していく。
「判ってんなら見切りを付けろ。俺と手を切れ」
「切りません」
「…山崎!」
あっさりと、それでいて確かな意志を感じさせる声で断言すれば。黒い人影はついに身じろぎして、低く抑えた声で鋭い怒声を発した。
いつもならその声で首を竦めて退いてみせるのだけれど…今日だけは、引き下がってあげるつもりはない。
「アンタが俺を放すまでは、俺はアンタから離れませんよ」
その言葉に。
ぐっと黙った真っ黒な人影は、激怒の気配を放ってこちらを見詰めた。
部屋の暗さに隠れて表情は見えないけれど…怒った顔の奥に、泣き出しそうな瞳を宿しているのだということを、俺は知っている。
見えないのを良いことに、山崎は深い微笑みを返した。
ええ、その通りです。貴方は正しい。
このまま放さずにいれば、近い将来、面倒な事態に巻き込まれることは目に見えている。
…だけど、知っていますか、土方さん。
俺はアンタほどには、その事態を恐れてはいないんですよ。
自分から俺を突き放す気が無いというならば…むしろアンタこそ、そろそろ覚悟を決めて下さい。
俺を巻き込む、という覚悟を。
――俺はもういつでも、準備はできているんですから。
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中途半端なシリアスですいまっせん。
実はコレ、イロガミさん宅から勝手に頂いてきたポッキーゲームバトンでした。
「おいコラてめぇ早く放せよ」
「いやお前が放せって」
「このままいったらヤバイことぐらいわかってんだろーが」
「そりゃわかってるけど……実は俺、お前ほど嫌がってねーから。むしろ望むところだから」
「え」
…というアレね。解説付けなきゃわからないようなバトン回答ってお前(笑)