よびな
去っていく夏の後ろ姿が見えるような、初秋の夜。
銀時が一人、行きつけの飲み屋で温めの燗を舐めていると、見知った男が暖簾をくぐって現れた。
カウンターに腰掛けている銀時と目が合うと、その男…土方は、いつものようにぴくりと眉を寄せた。
「よ」
「………」
片手を挙げて隣の席の椅子をひいてやれば、土方は黙って歩み寄り、そこに腰を下ろす。
それを横目で見て、銀時は相手に見られぬようにそっと笑った。
口喧嘩を経ずに隣り合って座れるようになったのはいつからだろうか。
少し前までは、どこかで顔を合わせるたびに「出ていけ」「いやお前が出ていけ」という問答を繰り返していたように思うが。
所謂「コイビト」という関係に収まってからは、流石にそんなことも無くなった、ような気がする。少なくとも頻度は減った。
まあ、目が合った瞬間に条件反射のように顰める顔は、お互い相変わらずなのだが。
銀時の胸中での苦笑に呼応するように、土方はフンと鼻を鳴らした。
「店で飲む金があるとは驚きだな万年金欠症が」
「なんだオイ。ナニいきなり喧嘩売ってくれちゃってんのお前?俺が万年金欠なのはお前らが税金搾り取ってくからだろうが!金返しやがれ
この税金泥棒ども!というわけで今日はお前のオゴリな」
「どういう理屈だコラ!」
この軽口の叩き合いも相変わらず。
所詮自分達には、黙ってお雛さんのように仲睦まじく並んで座っているなど、できない相談なのだ。
でもこの方が俺達らしい…そう思いかけて、銀時は首を傾げた。
オカシイ。
何がおかしいって、土方から続く言葉が発せられないのだ。いつもならば、「ろくに税金払ってないヤツに言われたくねェな」とか、
「つーか払ってんのかニートの癖に。あ、消費税か?」とかいうムカつく台詞が放たれるはずなのに。
土方はただ一言返しただけで、肘をカウンターにつき、額を手で覆って溜息を吐いていた。
「あれ?なにお前、なんか今日疲れてねェ?何かあったのか?」
尋ねれば、土方はその体勢のまま、苦々しげな声を発した。
「……いや、総悟がな…」
出てきた名前に、銀時は一瞬で納得した。
なるほど。またあのサディスティックなガキに何か手を焼かされたわけだ。
「副長さんも大変だなぁオイ」
くっくと笑ってからかうように言えば、土方はもう一度溜息を吐くと、諦めたように苦笑した。
「副長がどうのは関係ねェよ。アイツは昔からああだからな……総悟は」
総悟、は。
その言葉を紡ぎ出す、薄く笑みをはいた口元に、銀時は一瞬目を奪われた。
そういえば。
銀時は悟られぬように何気ないふりで、土方を観察する。
そういえば、コイツが下の名前を呼び捨てにするのって、あのサドガキだけじゃないだろうか。
そう気付いた途端、胸の中に何とも言えぬ不愉快なものが渦巻いて、銀時は顔を顰めた。
何だかんだ言いつつも、あの少年の話をする時の土方の瞳は、優しい。
もちろん本気で腹を立てていることも、胃を痛めるほど苛付いていることもよくあるのだが、それでも。
「総悟」と呼び捨てにされた名には、どこか親密さが籠もっていて。
とても自然に、ああ、大切なのだな、と思わされるのだ。
…いや、それが悪いと言わない。むしろ良いことだと思うし、微笑ましいとすら思う。思うのだが。
「…イ、オイ万事屋、聞いてんのか」
そう。
問題はコレなのだ。と、銀時は心の中で舌打ちをした。
お付き合い、をするようになって早や数ヶ月。それなのに、この呼び方はずっと変わらぬまま。
コレだけはどうもいただけない。銀時はそう思っていた。
仮にも恋人を屋号呼びって、そりゃねェだろ。
いや確かに、俺もコイツのこと下の名前で呼んだりしないけどさ。でもそれはアレだろ、今更っつーかさ。いや別に照れるとかそういうんじゃ
ねェよ?ねェけど、ホラアレだよ。コイツが呼ばねェのに俺だけ名前で呼ぶとか、なんかムカつくじゃねェか。
大体、前に一回トシっつってみたら即行全力で拒否されたしね。それでもなお挑戦できるほど厚い面の皮は持ち合わせていないわけよ俺は。
果敢という言葉は時に無謀とも言い換えることができるんだって、もうとっくに知っちゃってる歳だから。いくらジャンプ好きでもその辺の
現実は弁えてっから。
てか、俺はそれでも「土方」って、一応本名の一部で呼んでんじゃねェか。なのに。
「万事屋?お前なにボサっとしてんだ」
何なのコイツ。なんでそんな頑なに屋号呼び?
…あのガキのことは、親しげに「総悟」と呼ぶくせに。
銀時は黙って目の前の焼き鳥を頬張り、そのままガジリと串を噛んだ。
面白くない。
「オイ?」
「あーはいはい。総一郎君がどうしたって?」
訝しんで眉を寄せる土方に、銀時は不愉快な気分にまかせ、やる気のない声で応えた。
沖田の名をわざと間違えるのは、ささやかな、本当にささやかな抵抗だ。
しかし。
「誰だよそりゃ。総悟だっつってんだろ」
呆れたように返された言葉に、銀時の不機嫌は更に煽られた。
なんだよソレ。俺の名前はまともに呼ばないくせに、俺がアイツの名前正しく呼ばねーのは嫌ってか?なにそれ不公平じゃね?理不尽じゃね?
銀時は焼き鳥串の先を咥えて、ユラユラと揺らした。
先端が潰れてささくれ、同時に腹の中もチクチクしてきたような気がして、仕方なく串を皿に置く。
つーかなんだよコレ。まるで俺がお前に名前呼んでもらえなくて拗ねてるみたいなさァ。
バッカおめ、違ェよ?コレはお前、アレだよ。副長という立場にありながら無意識にあのガキを贔屓にしている節のあるお前に、忠告という
意味を込めて親切心で…
胸中に呟いた台詞が、土方への反駁というより自分への言い訳にしかなっていないことに気付いて、銀時は小さく舌打ちをする。
何だよコレ。何してんの俺?一人でイラついて一人で…
冗談ではない。
これではまるで、自分ばかりがこの男にハマってじたばたしているみたいではないか。
ナイ。それは、ナイ。
んなコトあってたまるかァァァ!
…こうなったら、せめてコイツも同じ気分にさせてやる。
銀時は微妙に屈折した決心を固め、わざと楽しげな声を出して土方の話を遮った。
「そういやウチでも、神楽がな」
神楽、という部分を殊更に強調して言ってから、はたと気付く。
そういや神楽ってアイツ、苗字なくね?名前で呼んだからって新密度も何もなくね?
しまった、新八にしときゃ良かったか。そう考えてちょっと口を噤むと、土方は急に話題転換をした上に突然言葉を途切れさせた銀時に、
不審そうに声をかけた。
「チャイナがどうした」
ああ、そうか。
銀時はその声に光明を見出して、考え込んでいた顔を上げた。
土方は神楽を、そう呼ぶのだ。
それなら。
これでやっと意趣返しができる、と、銀時は口角を上げて土方に向き直った。
「チャイナじゃねーよ。神楽だ」
「総一郎」を訂正した時の土方の声の調子を真似して、呆れたように言ってみせる。
それはもう、皮肉を目一杯込めて。神楽に対する愛情が、土方に嫌と言うほど見えるように。
しかし。
「…はァ?」
何を今更、という顔で問い返されて、銀時は浮上しかけた気分が急降下するのを感じた。
そうか、そうだ。コイツは別に、俺が「神楽」っていうのを不愉快に思ったりしてないわけで。
つーかそもそも、俺に下の名前で呼ばれたことがないなんてことも、コイツは気にしてすらいなくて。
むしろ俺が誰をどう呼んでどう扱っているかも、コイツにとっては興味の対象外なわけか。
…ああ。それでは「チャイナ」を訂正されようが何されようが、気分など害さないはずだ。
結局、俺の一人相撲ですかコンチクショー。
銀時は急に虚しくなって溜息を吐いた。
土方は様子のおかしい銀時に眉をひそめつつ、いちいち問いただすのも面倒だと思ったのか、諦めたように会話を再開した。
「…まぁいいけどよ。で?神楽がどうしたって?」
溜息混じりに放たれた言葉に、銀時は勢いよく酒を噴き出した。
「ちょっ!おま、ナニ『神楽』とか呼んじゃってんのォォォ!?」
「はあァァ!?お前がそう言えっつったんじゃねェか!」
「言ってねェよ!つーか何だ?お前は言われりゃ何でもやるのか?何の疑問も持たず命令に従うだけの奴隷人形ですかコノヤロー!」
「誰が人形だ!てめっ意味わかんねーことばっか言ってんじゃねェぞ万事屋ァ!」
「万事屋じゃねェ!銀時だァァァ!」
叫んでしまってから、銀時は固まった。
土方は瞠目し、呆気にとられたように銀時を見返している。
しまった。あまりに予想外の事態につい口走ってしまったが、これでは「銀時と呼んでもらえないのが不満です」と言っているようなもの
ではないか。
ヤバイ。マズイ。これはダメだ。
銀時は背中にダラダラと汗を流して硬直する。
土方はそんな銀時を見詰めて口を開きかけ、何も言わずに、また閉じた。
…コレは、なんだ。アレか?
土方は目を見開き口を噤んだまま、ぐるぐると目まぐるしく思考を巡らせた。
銀時と呼べ、と言っているのだろうか。俺に?
実を言うと土方にだって、銀時を名前で呼んだことがない、という自覚はあるのだ。それはもうハッキリと。
呼びたくない、というわけでない。いやもちろん、呼びたいのかと言われれば全力で否定するのだが、しかしいつまでも「万事屋」と呼んで
いるのもどうだろう、という気持ちも無いこともないのだ。けれど。
「銀時」なんてそんなのは自分のガラではないし。いや恥ずかしいとかじゃなくて、なんか今更?って気がするっつーか。突然名前で呼んだり
したらコイツにどんな反応されるかわからねェし。いや、コイツの反応が気になるとかそういうんじゃなくて。だからその、アレだ。
察しろやコラァ!
…と、逆ギレしたくなるような心境で、土方は屋号呼びを続けているのだ。
何の気負いもなく「銀時」と呼んでしまえる近藤の性格をうらやましく思ったことも、実は一度や二度ではない。
それを。
呼べっつってんのか?呼んでいいのか。呼んじまうか。今ここで流れに任せて言っちまえば、今後もなしくずしにソレで行けそうだしな。
つーか逆に、今を逃したらもうきっかけなんか無い気がするし。よし。いや待て「よし」じゃねーだろ。今のは単なる流れの上での発言で
あって、どうせコイツにはそんな深い意図なんかねェ。冷静になれ。
ぐちゃぐちゃに乱れつつある思考を整えようと、土方は銀時から目を逸らし、猪口に残っていた酒で口を湿らせる。
…そうだ。俺が「神楽」つった時のコイツの反応を思い出せ。もしここで呼んでみて「なに『銀時』とか言っちゃってんのお前!?」とか
言われてみろ。もう目も当てられねェ軽くトラウマになる、多分今後一生呼べねェ。
土方は目を閉じて結論らしきものを見出すと、黙ってこちらを見つめ続けている銀時に向き直った。
「…で、お前は結局何が言いたいんだ。万事屋」
葛藤の末にそう言えば、銀時は糸が切れたようにガクリとテーブルに突っ伏した。
「……オイ?」
「………いや、別に?何でもねーですよコノヤロー」
完全にやる気を無くした様子で徳利を傾ける銀時を見て、ひょっとして選択を誤ったのかと土方は戸惑う。
しかし。
「オイ」
「何でもねーっつってんだろ」
そっぽを向いて言下に否定されれば問いただしようもなく、土方は仕方なく、正面に向き直って猪口に酒を注いだ。
銀時はそんな土方を横目で見て、そっと溜息を吐く。
何コイツ。何なのホント。何でそんな頑なに屋号呼び?
気付いてねェのか?それとも気付いててあえてソレ?何それ鬼畜じゃね?さすが鬼の副長ってかコノヤロー。
苛立ちを口にすることもできず、銀時は黙って杯を傾けた。
土方も、迷うように口を開いてはまた閉じ、を繰り返しつつ、徳利を傾ける。
飲み屋のカウンターに、奇妙な沈黙が訪れた。
もしかしてお雛さんが黙って並んでんのは、あれはアレ、ひょっとして仲睦まじいんじゃなくて。
こーんな、言いたくても言い出せないモヤモヤ抱え込んで、目も合わせられずに正面向いてんのかね、なんて。
ありえないことを考えて、銀時はまた溜息を一つ。
桃の節句はまだまだ何ヶ月も先だけれど。
こんな初秋の夜に、とんだ雛人形もいたものだ。
…さて、どうやってこの状況を打破しようか。
カウンターに並んで座って、正面を向いたまま。
二人は次に発する言葉を探して、長いこと黙り込んでいた。
ーーー完
おまけ
「……おい…その、…ぎ、」
「!?」
「銀杏の季節だよな。そろそろ」
「それがどうしたァァァ!」
ぷらちなそうるの とか 様へ捧げる相互記念小説。
「わかりづらくヤキモチを焼く銀さんと、気付かない土方さん」
というリクエストでした。
すすすすすいまっせん(土下座)
銀さんの「総一郎君」呼びが、わかりづらい嫉妬だったらいい、と…
そう思っただけなんですほんの出来心なんです今は反省しています
(ならアップすんなや)
とか様に限り、
お持ち帰り転載返品焼却処分、
その他なんでも可ですので!