酒は飲みすぎると大変なことになるから気を付けろ
「うううう……ダメだ。ダメだわコレ俺もう死ぬかも」
「なァに言ってんだい銀さん。二日酔いで人は死なないよ」
午前九時の江戸の町。
商売熱心にも早くから暖簾を上げている甘味屋の店先で、縁台に座り込んで男が呻いている。
店主は他に客もいなくて暇なのか、それとも店先で酔っ払いに吐かれでもしたら堪らないと思っているのか、うなだれる白髪頭の横に立って呆れたように見下ろしていた。
「いや違ぇよコレはただの二日酔いじゃねーよ。だってオカシイもん。すげー気持ち悪いもん」
「二日酔いってそういうもんだろ」
「頭もガンガンするしよォ」
「だからそういうもんだろ。ったく勘弁してくれよ銀さん、なんで二日酔いの朝に甘味屋来てんの」
溜息まじりの店主の声に、銀時は顔も上げずに答える。
「決まってんだろ。なんか道端で目ぇ覚めて、歩くのがツラくなってきたとこで甘味屋の看板が目に入ったんだよ」
「それでフラッと立ち寄られて店先で死なれたんじゃかなわねーよ。ほら、とっとと帰んな。朝帰りじゃ嬢ちゃんたちも心配してんだろ」
再度の溜息とともにトン、と肩を小突かれて、銀時はようやく顔を上げた。
死にそうな半目でじっと空を睨んでいたかと思うと、ふいに息を吸い込んで。
「新八!神楽!」
「?」
「わりぃ、おれ死んだ」
「ワンピースごっこやってる余裕があんなら帰れェェェ!」
へらりと歪んだ口元は、某人気漫画の有名シーンを真似て笑おうとしたのだろう。しかし二日酔い男のそれは、海賊王になる男のものとは似ても似つかない半死人の笑顔だ。
店主に怒鳴りつけられて、銀時はすぐに下手な笑顔を放棄して頭を抱えた。大声はひどく頭に響く。
「あー……もうダメだわホント。親爺ィ、冥土の土産に団子一皿奢ってくれや」
「……二日酔いの時によくそんなもん食う気になるね銀さん」
「甘味はいつ如何なる時でも別腹なんだよ」
「まぁ、甘味屋としては嬉しい言葉だけどさ」
「あ、イチゴ牛乳もよろしく」
「置いてねーよそんなもん!つーか団子も奢らねーぞ!そういうことはせめてツケを払ってから言いやがれこのトントンチキ!」
言い放って店の奥に引っ込んでいった店主の背を見るともなしに見送って、またぐったりと項垂れた。
世知辛ぇ世の中だなオイ。呟きながら、ガンガンと痛む頭をぐしゃりと両手で抱える。
こんなに苦しんでいる人間に好物の一つも恵んでくれないなんて、ケチな男だ。
注文もせずに縁台を貸してもらっている恩を仇で返すような事を考えていると、ガタリ、縁台が揺れて銀時は呻いた。
戻って来た店主が、銀時の心を読んで縁台を蹴飛ばしたのだろうか。
……そう思ったのはほんの一瞬。横合いから聞こえた声に、誰かが隣に腰掛けたのだと気付く。
「親爺、団子一皿」
――いや、誰か、ではない。
その声に嫌というほど聞き覚えのある銀時は、眉間に皺を寄せてうっそりと顔を上げた。
チラ、と半目を横へ流せば、案の定。
隣、というには少々広く間をとって腰を下ろしているその男は、泣く子も黙る真選組の鬼副長殿。
こちらを向きもせずに通りを睨んでいる不機嫌な横顔に、銀時は条件反射のように非好意的な声を投げかけた。
「なんですか?朝っぱらから武装警察さんがこんなところで。サボり?市民の税金使ってサボりですかコノヤロー」
「うるせぇ。団子ぐらい自費で払うわ」
「ってことはナニか?団子以外のもっと高ェもんは領収書切るってことかこの税金泥棒が!みなっさァァァん!ここに市民の敵がい…ってェェェ…」
ズキン。大声を出した途端、頭を殴られたような痛みに銀時は勢いを削がれて首を垂れた。
頭上で土方が訝しみ、次いで納得した気配を感じる。たったこれだけの動作で二日酔いと察したのだろうか。さすがと言うべきか、勘の良いことだ。
嫌味の一つでも飛んでくるか。ならばどう返してやろうか。いやむしろ機先を制すべきか。
常に顔を合わせれば喧嘩ばかりしている間柄だ。自然とそこまで考えて口を開きかけたところで、やってきた第三者の声に遮られた。
「へい団子一皿、お待ち!」
カタン、と二人の間に置かれたのは、みたらし団子が二串。
正確には二人の中間ではなく確実に土方寄りに置かれたそれに、銀時の眉がピクリと跳ね上がる。
「オイオイどういうことですか?なんで俺が頼んでも出さねーのにコイツが言ったらすぐ団子もってくるわけ?常連を大事にしねー店は潰れるぞコノヤロー」
「生憎とウチは金払ってくれる客を大事にしてるんでね」
銀時にとってみれば至極当然な抗議に、店主から返ってくるのはこれまた至極もっともな返事。
そっけない店主の態度に、銀時はわざとらしく深い溜息を吐いた。返す言葉もない、という言葉は銀時の辞書にはない。
「ったく、金、金ってよォ。考えてみろ、甘味屋にとって一番大事なことは何だ?食ったヤツにうめぇって喜んでもらうことだろーが。コイツなんかアレだよ?どうせマヨかけて食うんだよ?そんな凌辱を受けるぐらいなら俺に食われた方がこの団子も幸せだっつーの。テメェも甘味屋なら団子の気持ちを考えろ!」
「うるせぇぇぇ!もっともらしいこと言ってタダで団子せしめようったってそうはいかねーぞ!」
二日酔い男のものとは思えない流れるような台詞に、店主は苛立ち半分呆れ半分の怒声を返してまた奥へ引っ込んでいった……今日は本当に、奢ってくれる気はないらしい。
いつも何だかんだ言いながら団子一本ぐらいゴチソウしてくれる店主も、ついに愛想がつきたのだろうか。それとも、二日酔いの銀時の胃腸を慮っているのか。おそらく後者だろう。かぶき町の人間は、口は悪いがお人好しが多いのだ。
ホント、気ィ遣わなくてもいいのによ。
常人より少し丈夫な胃と、常人を遥かに凌ぐ甘味への執念をもつ銀時は、店主の背を見送ってぼやいた。
確かに胃は酒で荒れているが、何故か団子は食べたい。吐き気も感じるが、みたらしなら食べられる気がする。我ながら呆れたことだ。
だが、身銭を切って食べるほどには懐も温かくないし空腹でもない。仕方ない、今は諦めるか。ようやくそう思い至って視線を膝元に戻す……と。
その途中で視界の端に映ったものに、銀時はピクリ、動きをとめた。
それは縁台の上。つい先程よりも確実に、銀時の側に近付いている団子の皿。
「……何コレ」
見間違いでなければ、この皿は隣の、マヨラー警官が注文した団子だ。
それが何故、手つかずで自分の脇に押しやられているのか。
こちらに食べる金が無いと知っていての嫌がらせか。不信感と不機嫌を丸出しにして低く問えば、返って来たのは短い応え。
「やる」
「は?」
意外、の一言に尽きるその返答に、銀時は文字通り目を丸くした。
聞き間違いかとマジマジその横顔を見詰めれば、…んだ、テメェが食いてェっつったんだろうが、と、こちらも不機嫌な声音で応えられる。
「いやそうだけど……なに?どういう風の吹きまわしですかコノヤロー」
まぁくれるっつーなら貰うけどね。返さないけどね。
サッと団子の皿を引き寄せながら銀時は首を傾げた。
――オカシイ。
この男が、この自分に、自ら率先して甘味を奢るなど。その一事でも天変地異に近いが、それより何より。
……今日のコイツは、やけにおとなしくはないだろうか。
そもそも、土方が何も言わずに銀時の隣に座ってきたことからしてオカシイのだ。普段ならばお互いの姿を目にとめた途端に顔を顰めて無視を決め込むか、それとも何かしらインネンをつける場所を探して嫌味を飛ばすかの二択。そういう間柄だというのに。
「……昨日」
「あ?」
訝しむ銀時に応えるかのようなタイミングで、土方がポツリと口を開いた。
こちらを見ようとしない横顔に何かを躊躇しているような様子を見て取って、怪訝に眉を顰めつつ続きを促す、と。
「悪かった、な」
その口から出てきた予想外な一言に、銀時はパチリと目を瞬いた。
謝罪……いや、どちらかというとコレは、礼の言葉、だろうか。
――どちらにしろ、まったく心当たりがないのだけれど。
(昨日、ね)
何気ないふりで団子の串を口に運びながら、内心で少しばかりの焦りとともに首をひねる。
実を言うと銀時は、昨日の夜の記憶が、かなり大きく抜け落ちているのだ。
宵の口に居酒屋の暖簾をくぐって、イイ気分になってきたところで調子にのって二軒目へハシゴした。そこまでは、覚えている。
だが、それまでの間にコイツに会った覚えはない。……とすれば、土方の言う「昨日」とは、二軒目で飲み始めてから今朝道端で目覚めるまでの間、ということになる。
なるほど。ゆうべ自分は、コイツに会ったのか。
……で、何があったのだ。
どうやら今日の土方の奇妙なおとなしさは、昨夜の出来事に起因しているらしい。
しかし生憎と、銀時の脳内にはいくら探ってもその記憶は見付からなくて。
さてどうするべきか。もっちゃもっちゃと団子を咀嚼しながら、虚空に視線を泳がせる。
「あー……まァ気にすんなよ」
とりあえず、当たりさわりのない返事を銀時は選んだ。
だってコイツが礼を言うなんて余程のことだ。他の相手ならばいざ知らず、この自分に対して、など。相当な逡巡の末に口にしたんだろうに、それを今こっちが覚えてないなんて言ったら逆ギレされそうな気がする。
ここはひとつ、何気なく流して済ませておこう。そう決め込んで二本目の団子を手にとる。
謝られるか礼を言われるか、どっちにしろ悪い事をしたわけじゃ無さそうだから、思い出せなくてもそんなに害は無いだろう。
……何したんだろう俺。
「……なァ」
「んぁ?」
何となく心に引っ掛かりを覚えたまま団子に食いつこうとしたところで、声を掛けられて銀時はチラリと視線を横向けた。
見れば、土方の窺うような、探るような視線とかち合う。
――その目に。
言い知れぬ嫌な予感を覚えて、思わずガチリ、前歯を串に食い込ませた。
「お前……慣れてんのか?」
何が?
そう問い返しそうになったのを団子とともに呑み込む。まだ咀嚼が充分でないうちに喉に流し込んでしまって、呼吸を塞いだそれに一瞬、死ぬかと思った。
息を詰まらせて黙ってしまった銀時をどう思ったのか、土方はツイと視線を逸らして、どこか言い訳がましく続ける。
「いや、なんつーか、妙に手慣れてやがったから……」
ちょっと待て。本当に何をした俺。
土方の言葉に聞き逃しがたい響きを感じて、銀時はここで初めて本格的に青ざめた。
――ひょっとしてひょっとすると、昨日の俺は。
何か決して忘れてはいけないことを。もしくは、決して思い出してはならないようなコトを、やらかしたんでは、なかろうか。
それが何かは……ハッキリ言って思い出したくないし、できれば考えたくもないのだが。
「ひょっとしてテメェ、そういう仕事もしてんのか」
「え」
思考からの逃避を許さぬかのように土方に横目で睨めつけられて、銀時はヒクリと頬を引き攣らせた。
そういうって、どういう。
気になるけど聞きたくない。相反する心情に、視線がフラフラと宙を泳ぐ。
「ま、まァ、依頼があれば…?」
「…………ヘぇ」
とりあえず適当にぼかして応えれば、少しの沈黙の後に複雑な声音の相槌が返ってきて。
ちょっと待ってナニその間ナニその微妙な声色!ダラダラと背中に汗を流しながら、銀時はチラリ、土方の様子を窺った。
土方の表情は、一見したところでは不機嫌そのもの。
だけど何だかんだ言って長い付き合いだ。銀時にはその顔が、目が、ただの不機嫌ではないことが手に取るようにわかる。わかってしまう。
今のその顔は不機嫌を装って、何か別の感情を隠しているもので。
その目の奥に宿っているのは、大いなる逡巡だ。
少しの推測を交えて言うならば……彼がこれから言い出そうとしている事に対しての、躊躇と葛藤。
「なら……また、頼んでもいいか」
何度か開きかけた口を閉じた末に、意を決したように吐かれた言葉に。
ピシリと音を立てて銀時は固まった。
「普段はそういう店に行くんだけどな。ここんとこ忙しくて行けねェっつーか、行くのが面倒っつーか……」
オイオイオイ待て待て、ちょ、いやいやいや!
固まったまま、頭の中でグルグルと益体の無い台詞が回る。
そういう店って、やっぱりアレか。所謂そういう感じの、アレか。
だとしたら、今コイツが言ってることってのは、つまりその。
今日出会ってから、土方は何ひとつとして具体的な事は言っていない。
……けれど、どれだけ目を逸らそうとしても思い当ってしまう、一つの答え。
いやまさか、と思いつつ、でもソレ以外に考えられるコトが、無くて。
本当にこの推察で正解なのか。
確かめるのが怖い気もするが、そこを確認しなければ話が進まない。
ここは一つ、カマをかけるかと銀時は口を開いた。
確認して正解だったらどうする気なのか……その答えはとりあえず、保留、にして。
後になって冷静に考えてみれば、何故「話を進めようと」したのか。
本当に嫌な予感しかなかったのなら、それ以上何も聞かずに断るべきだった、のに。
「なに?そんなに俺、ヨかった?」
ハマッちゃった?なんておどけて聞けば。
不本意そうにキュッと顰めた眉。
フイと視線を逸らして、どこか悔しそうに、顔を歪めて。
「…………まァ、悪くは、なかった」
苦々しげに、だが、聞き間違えようもなくそう呟いた。
――意地っ張りで負けず嫌いでプライドの異常に高いコイツが、こんなことを言うなんて。
それはもう、すげーヨかった、というのと同義だ。
……って。
(ままままマジでかァァァァア!!)
決定的になった事実に、銀時は声にならない絶叫を上げた。
――なんてこった。
昨日の俺は知らぬ間に……文字通り、ヤッちまった、らしい。
マジでか俺。何してんの俺。
混乱を通り越して呆然と押し黙ってしまった銀時に、土方が微かに眉を顰める。
「……ダメか」
「え、や、ダメじゃねェけど」
ってダメだろ俺ェェェ!何言ってんの?何言ってんの!?
土方の声音に引き退がろうとする気配を感じ取って、咄嗟に己の口を突いて出た言葉に銀時は驚愕した。
ここでダメだと言えばまだ取り返しがつくのに。何を勝手な返事をしているのかこの口は。
「じゃあ」
「あー、また依頼する気になったらウチ来れば?」
ナニ誘っちゃってんの俺ェェェ!?
混乱した頭を置いてけぼりにして進む会話に、銀時の背をダラダラと焦燥の汗が伝い落ちる。
口喧嘩では負けたことがない、考える前に動く己の減らず口。感情の見えにくい覇気のない目。動揺を見せまいという意地っ張りな性格。
すべてが今は、裏目に出ていて。
「次、頼む時は電話する」
「おー」
カタリと静かな音を立てて縁台から立ち上がった土方は、それだけ言うと背を向けて歩き去った。
大荒れの胸中とは裏腹に、銀時は気怠い返事でその背を見送った。
――見送って、しまった。
諾の応えを、追いかけて取り消すことも、せずに。
黒い隊服の背中が角を曲がって消える頃になって、ようやく。
銀時は固まっていた身体をぎこちなく動かして、のろのろと上げた片手でグシャリと天パ頭を掻き乱した。
なんか、これ、アレか。
……セフレ成立、みたいな感じ?
オイ、オイオイオイ。
「いいのか俺!?どうすんだ俺ェェェエ!!」
「うわ!なんだよ銀さん!」
突然叫び出した銀時に甘味屋の店主が驚いて皿を落としたけれど。
今の銀時には、陶器の割れる音すら耳に入らなかった。
「あれ?副長、肩平気そうですね。昨日までガッチガチだったのに」
「ああ、ゆうべ揉んでもらってだいぶ楽になった……って何でテメェそんなこと見ただけで判るんだよ気持ち悪ィな」
「ちょ、気持ち悪いって!肩回したり首鳴らしたりする回数が明らかに減ってますもん気付きますよ!」
「気持ち悪ッ!つーかむしろ怖いわ!」
「人のことストーカーみたいに言わないで下さいよ!コレは監察の職業病みたいなもんですから。で、整体行って来たんですか?」
「いや、プロじゃねェんだけどプロ並みっつーか……アイツ、マッサージ屋でも開業した方が儲かるんじゃねェかな」
「へぇ?」
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よっぱらって副長の肩を揉んだ銀さん。
ありがちな行き違い。
土方の躊躇いようが、単に「宿敵に肩揉みの依頼をするなんて」というものなのか、
それとも、「銀時に触れられる」ことに、或る種特別な躊躇があるのか。
そのあたりが気になるところですな。