十七.五訓(花見後)
妙な夢を見た。
夢の中で土方は、一本の道をただひたすら真っ直ぐに進んでいた。
前だけを見据え、何の迷いもなく。
歩き続ける土方の眼前を、ふいに一筋の銀色の光が横切った。
気紛れな蜻蛉のようにスイスイと体を揺らしながら、時折強く輝く光。
捕まえようと手を伸ばせば、その光はするりと腕の間を抜け。
あっという間に空高く舞い上がると、ふわりと広がって、白く輝く雲になった。
その雲はやけに美しくて。
ずっと見ていたいと思う反面、白銀の光が自分の手の届かないところに行ってしまったのが何だかとても悔しくて。
土方は焦がれるように右手を空に伸ばし、それを掴み取るフリをした。
すると。
指を擦り抜けるはずの白銀の雲は、何故かあっさりとその手に掴めてしまった。
驚いて手を引き寄せ、開いてみれば。
掴んだはずの雲はいつの間にか、ベタベタと甘ったるい匂いを放つ綿菓子に成り代わっていた。
白銀の光の正体が、もともと綿菓子だったのか。
それとも、雲が土方に掴まれるのを拒否して、身代わりに綿菓子を寄越したのか。
どっちにしろ土方はひどく腹が立って、硬くなるほど握り締めたそれを地面に叩き付けた。
すると地面に落ちた白い固まりは急速にモコモコと膨らみ。
巨大な白い犬へと姿を変えると、土方に跳びかかった。
目の前が白一色に覆いつくされ、のしかかられて息ができない。
もがいて、暴れて、蹴飛ばしても剥がれなくて。
本格的に呼吸が苦しくなった土方は、渾身の力を込めて突き飛ばした。
…そこで目が覚めた。
「…っぶはっ!!」
ぜー、はー…布団の上に半身を起こした土方は、荒く息をついた。
なんつー夢だ。
意味が判らない上に、マジで苦しかったぞオイ。
喉元に手を当て、深呼吸して息を整える。
夢の中の出来事でこんなに息が乱れているなんて、寝ながら実際に息を止めていたのだろうか。
…うわ、あぶねェな俺。
ふー、と大きく息を吐くと、横から他人の声が聞こえた。
「…いったた…」
驚いて弾かれたようにそちらを向けば、沖田が尻餅をついた格好で後頭部をさすっていた。
その膝の上には、枕が一つ。
蕎麦殻の枕は中央付近がぺこりと凹み、白いマクラカバーには妙に皺が寄っている。
土方はヒクリと頬を引き攣らせた。
「…なにしてんだ総悟テメェこんなとこで…?」
総悟は土方に低い声で問いかけられて、わざとらしく明後日の方向に目線を逸らした。
「モーニングコールでさァ」
「うそつけェェェ!どんなモーニングコールだ!目が覚めたら別世界か!冥土からの呼びかけかコラァァ!!」
息苦しさの原因を悟った土方は沖田を怒鳴りつけた。
寝てる人間の顔に枕…なんて古典的な暗殺方法だ。だが洒落にならない。もう少しで本当に死ぬところだった。
「副長の寝込みを襲うたァいい度胸だ…切腹の覚悟はできてんだろうな」
「やれやれ…とんだ被害妄想だァ。アンタ一回病院いった方がいいですぜィ」
「んだとコラァァァ!!」
牽制のつもりで引き寄せた刀を、土方はあっさり抜き放つはめになった。朝から血圧が急上昇だ。
俺はいつか、こいつにストレスで殺されるかも知れない。半ば本気でそう思う。
そんな土方の内心を知ってか知らずか…いや、ほぼ確実に知ってのことだろうが、沖田はけろりと言葉を返した。
「アンタが寝ながら苦しそうな顔してたんでねィ、俺はただ、その苦しみから解放してあげようと思っただけでさァ」
「永遠に、か?」
「ええ、ついでにこの世の一切の苦しみから、永遠に」
「…上等だ」
ビキビキと青筋を浮かび上がらせながら刀を構えなおした土方に相対しながら、沖田はまるでその切先が見えないかのように、暢気に首を
傾げた。
「それにしても鬼の副長ともあろうお方が、寝所に忍び込まれても全く気付かずに爆睡とはねィ…」
たるんでる、言外にそう言われた気がして、土方はぐっと言葉に詰まる。
確かに、床の直ぐ側まで忍び寄られても目を覚まさないなんてどうかしている。沖田だからまだ行き過ぎた冗談で済んだものの、本物の
暗殺者だったら大変な事態になっていた。
こんな隙だらけの人に副長は任せられねェ…そういう類の嫌味が投げ付けられるだろうと予想して反論の言葉を探していると、沖田は予想に
反して、興味深そうに土方の顔を覗き込んだ。
「しかも寝ながら百面相。面白くてしばらく観察しちまいやしたぜ。一体どんな夢見てたんでィ。」
「………………」
どんな、夢。
土方は思わず言葉に詰まった。
夢の内容は覚えている。
支離滅裂で脈絡もない、意味不明な夢だった。
しかし。
その夢が暗示するものに、土方は心当たりがあった。
認めたくもない心当たりが。
自分でも認めたくないものを人に話すのはもっと嫌で、土方は口を噤む。
さて沖田に何て答えたものか…そう考えこむ間も無く。
沖田はどこからともなく取り出した拡声器を廊下に向けて構えていた。
「みんなァァ聞いてくれーィ!土方さんが年甲斐もなく、人に言えないような淫夢を…」
「違うわァァァ!!総悟てめっ、ちょっと黙れコラァァァァ!!」
本日も副長の怒鳴り声で、真選組の一日は始まるのだった。
「あ、副長!おはようございます!」
「おう」
土方が朝食を摂りに食堂に入ると、既にそこは隊士達で賑わっていた。
隊士の挨拶に軽く返事をしつつ、近藤の姿を見付けて土方はそちらのテーブルに向かった。
「おはよう近藤さん」
「おう、おはようトシ。今朝も派手だったな〜」
にこにこと笑顔で近藤が言うのは、朝方屯所内に響いた土方の怒号のことである。
沖田に起因する土方の怒鳴り声に起こされる、なんてことは、真選組隊士にとって最早珍しい事でもなんでもなかった。
多少は迷惑に感じることもあるが、大半の隊士はもう慣れ切っている。
目覚ましみたいなもんだ、という強者までいるような状態だ。
そもそも、怒鳴っている人と怒鳴られている人がアレとソレである。文句を言おうなどと思える者は隊内には存在しなかった。
「毎度騒がせてすまねェな」
「いや?お前らのアレはラジオ体操の歌みたいなもんだろう。」
隊内で唯一、土方と沖田双方に鉄拳制裁を加えられる人物は、豪快にわははと笑った。
土方の表情は苦笑と渋面の間で迷ったように揺れ、最終的には疲れたような溜息を吐き出した。
朝食のトレイとともに向かいの席に着いた土方に、近藤は労わるような声をかける。
「なんだトシ、今朝はいつもより疲れてるみたいだな。今回は何があったんだ?」
「………いや、別にそんな」
「それがですねィ近藤さん」
「どぅあ!?」
突然、後ろから沖田の声が聞こえて、土方は思わず体を跳ねさせた。
「おお、おはよう総悟」
「おはようございやす近藤さん。…土方さん、何マヌケな声上げてるんですかィ」
「お前が気配殺して背後に立つからだろうがァァ!変な能力にばっか磨きかけやがって!」
「変とは何でィ、立派な戦闘能力でさァ。今朝といい、気配に気付かない土方さんに問題があるんじゃないですかィ」
「ぐ…」
土方を黙らせておいて、沖田は土方の右隣に腰を下ろした。
テーブルに置いた朝食は土方のメニューとほぼ同じ。白い御飯にワカメの味噌汁、鮭の切り身に卵焼き、シラスとほうれん草のおひたし、
そして沢庵。朝の定食は一種類だから、選り好みをしなければ同じメニューになるのは必然である。ただ一つ違うのは、沖田のトレイには
カップのプリンが一つ乗っかっているということであった。
「今朝?」
首を傾げる近藤に、沖田は鮭を突きつつニヤリと笑う。
「そうそう、今朝方のことなんですけどねィ、土方さんの枕元に忍び寄ったら、この人全く気付かずに爆睡してやして」
「おい、総悟」
「ほう、そりゃトシにしちゃ珍しいな。それで?」
「ちょ、近藤さん」
「爆睡しながら百面相してたもんだから、面白くてねィ。しばらく観察してたんでさァ」
「てめコラ、総悟!」
「ふんふん、そしたら?」
「近藤さんも!どうでもいいだろこんな話!」
「寝言と起きてから聞き出した話を総合するに、どうやら土方さんはイイ歳して淫…」
「それは違うって言ってんだろうがァァ!てか寝言って何だ!言ってねェよ!俺は断じて何も言ってねェ!!」
ガツン、と拳で机を叩きつつ怒鳴られて、沖田はうるさげに片耳を小指で塞いだ。
「土方さん、食事は静かに食べてくだせェ」
「そうだぞトシ。味噌汁がちょっと跳ねただろう」
「あ、すまねェ…ってそうじゃなくて!総悟テメェ、でたらめ言ってんじゃねェぞコラ」
少し声を落として横を睨めば、沖田は卵焼きを咀嚼しつつ、全く悪びれずに土方を見返した。
「じゃあ何の夢見てたんですかィ」
「…………」
「ホラ、そうやって黙るからいけないんですぜィ。人に言えないような夢だと思うのも当然でさァ」
沖田にピシリと指され、土方は「箸で指すな」と言っただけで口を噤んだ。
明らかに話題を逸らしたその態度は、沖田でなくても勘繰りたくなるというものだ。
沖田は益々興味深げに口端を引き上げた。
「言えないんですかィ?やっぱ淫…」
「それしかねェのかお前の頭ん中」
「じゃあ局長を暗殺する夢とか」
「そうなのかトシ!」
「んなわけねェだろ!」
こうやって態とあり得ない予想を並べ立てるのは、土方の口から真実を漏らさせようという沖田の手口だ。
それを判っている土方は静かにマヨネーズを搾り出し、もうこの話は終わりだと態度で示した。
こうなったら意地でも言わないつもりだ、そう見て取った沖田は、ひょいと肩をすくめた。
「なんでィ、つまらねェなァ…土方さんはノリが悪ィや」
「ノリが欲しいならカウンターで味付け海苔もらってこい」
「そのギャグ20点」
間髪入れない採点に、土方は思わずピキリと青筋を浮かべた。
「ほぉう…満点は?」
「一億点でさァ」
「億かよ!?なんだそりゃ偏差値いくつだ!」
「救いようのない赤点ってことでさァ」
「上等だコラ!」
「全然上等じゃないですぜ。むしろ下等生物」
「んだとテメェェェ…!」
ギリリ、と歯を食いしばる音とともに、土方の握り締めた箸がミシリと音を立てたのを見て、近藤が慌てて宥めにかかる。
「待て待て待て!トシ落ち着け!俺は満点は100点でいいと思う!」
「…いや、それにしたって20点じゃ赤点だと思うんだが……」
近藤のピントのずれた宥め方に土方は半ば呆れ、勢いを削がれた。
溜息を一つ吐き、何とか折れずに済んだ箸を持ち直して食事を再開する。
沖田はそんな土方を横目に、澄ました顔でパリポリと沢庵を噛んだ。
朝食の場で斬り合いに発展しなくて良かったと、周りの隊士は密かに胸を撫で下ろした。
まあ彼らの目の前に近藤がいる限り、そんなにひどい事態にはならないと判っているのだが。
隊士達にそう思わせることができるのが、近藤が真選組の大将たる所以である。
近藤は己の食事も再開しつつ、土方に人の良い笑みを向けた。
「まあなんだ、トシ。もし悩みがあるなら、俺はいつでも相談に乗るぞ」
「……は?」
白米を口に含んで、土方は目をパチリと瞬かせた。
悩み…って、一体どこからそんな話に繋がったのだ。
何か聞き間違えたかと横を見ると、沖田もキョトンと近藤を見ていた。
「近藤さん、何の話ですかィ」
モゴモゴと口の中で鮭と白米を噛み合せつつ、沖田は問うた。
食べながら喋るな、と言いながら、土方も目線で近藤に問いかける。
すると近藤は少し困ったように頬を掻いた。
「いやだからな、トシが隠し事する時って、大抵何か一人で悩んでる時じゃないか。夢にまで見るほど気になってることがあるなら、
偶にゃあ俺達に相談してくれても…」
「な…」
ばつが悪そうに言う近藤の台詞に、土方は思わず言葉を失った。
さっきの夢の話?で、この人はそんなことを。
俺が一人で悩んでいると?
夢にまで見るほど、気にかかっていると?
なんて人の良い…いや、つーか…
…俺は気になっているのか?
夢にまで、見るほど…アレが………
「いや、ナイナイ!そんなんじゃ全然ねェから!ただ今朝の夢があまりにも支離滅裂で馬鹿らしくて!」
「そのうえエロくて根暗でヘタレな、口にするのも恥ずかしい深層心理の表れだったもんだから!」
「そうそう、それで言う気になれなくて…って誰がだ!」
ついノッてしまってからギラリと横を睨む。
しれっと沢庵の最後の一切れを口に放り込む沖田を見ながら、土方は苛々と味噌汁を口に含んだ。
全く、こいつが横にいる時は油断大敵だ。
近藤はそんな二人の様子など見ていない様子で、顎に手を添えて何やら考え込んでいた。
「夢にまで見る…隠したい…支離滅裂…エロくてヘタレな深層心理…」
「おい待て近藤さん」
聞き逃しがたいものが思考材料に含まれているのに気付いて、土方は味噌汁碗を手にしたまま声をかける。
しかし近藤には聞こえていない。
何でコイツら人の話聞いてくれねェんだろう、と、諦め混じりで土方は再び味噌汁を啜り、ワカメを咀嚼した。
すると突然、近藤は思いついたという仕草をして身を乗り出した。
「そうかトシ!恋煩いか!!」
ブバッ!
あまりのことに、土方は思わず味噌汁を噴き出した。
「うわ、汚ねェなァ」
「な、ななななん…!」
「あれ、違ったかトシ?」
首を傾げる近藤に、土方は胸倉を掴んで額をぶつけんばかりに鬼の形相を近付けた。
「違う。断じて違う。それだけは絶対にあり得ねェ。今度そんな変な事言いやがったら、たとえ近藤さんでも許さねェ」
「おおおおおう。わかった、悪かった」
土方から発せられる圧力に、近藤は驚き慌てて頷いた。
それを確認して、土方は手を離して椅子に腰掛けなおし、台布巾で飛び散った味噌汁を乱暴に拭いた。
横から沖田の「さァ何と言ってからかおうか」という視線を感じるが、それは見ないフリ。
無言で威圧のオーラを発して、沖田を牽制する。
沖田はそんな土方の様子を察し、ひょいと肩をすくめて食事を再開した。
深く突っ込むのはやめたらしい。
土方は内心でホッと一息ついた。
「あの、ここいいですか」
やっと静けさの戻ったテーブルの奇妙な沈黙を破ったのは、一人の隊士の声だった。
見れば、監察の山崎が朝食のトレイを手に、当惑したように近藤の隣に佇んでいる。
「山崎おめェいい度胸してんなァ」
沖田が感心したような声を発した。
局長、副長、一番隊長の三人が揃いぶみのテーブル、それも副長の不機嫌オーラによる静寂が漂う場に自ら加わりに来るなど。
こいつは無神経か大物のどちらかだ、とでも言いたげな笑みを沖田に向けられて、山崎は顔を引き攣らせた。
「いや俺だってできればこんなとこ座りたくないですよ。でもここしか空いてないんだから仕方がないじゃないですか」
見渡すと確かに食堂は満員で、空いている席はこのテーブルの角、近藤の隣にして沖田の向かいに一席あるのみである。
朝から最悪の選択肢しかなかった山崎に、しかし沖田は哀れみの視線を向けるでもなく、左隣の土方に話しかけた。
「聞きましたかィ土方さん、こいつ局長の隣を『こんなとこ』言いましたぜ」
「切腹だな」
「ええええ!いやちょっと!」
慌てる山崎に、近藤がまぁまぁ、と笑いかけて椅子を勧めた。
局長に椅子をひいてもらって、山崎は恐縮しつつ腰掛ける。
相手が幹部だろうと平隊士だろうと、近藤の接し方が変わることはない。誰にでも平等で、気さくである。近藤の人望が厚い所以だ。
だから山崎も、決して近藤の隣に座りたくないわけではなかった。問題なのは、向かいの隊長と斜向かいの副長である。
山崎はこっそりと溜息を吐いた。
「こんな時間に来るのが悪ィぜ。寝坊でもしたのかィ」
そんな密やかな溜息もしっかりと聞きつけ、沖田はくすりと笑って尋ねた。
「ええまあ、少し」
「ほぉ〜う、いい身分だな山崎」
「いやだって俺、昨日も夜遅くまで副長の命令で捜査してたんですよ!?」
土方の一瞥を受け、山崎は慌てて抗弁する。
不機嫌な副長にかかっては些細なことでも切腹を言い付けられかねない。
しかし今日の土方は、山崎の予想を上回る低気圧を纏っていた。
「で?」
「はい?」
鋭い目付きのままただ一音で返され、山崎はたじろいだ。
「捜査してた、なんて偉そうに言うからにゃ、何か掴んできたんだろうな」
「ああ、それは…」
答えようとした山崎の頭を少しの躊躇がよぎる。
掴んできたこと、は、あるにはある。しかし。
今この場で報告するのはどうだろう。
局長も沖田隊長も同席しているテーブル、不機嫌な副長。それに報告の内容。
今コレを告げるべきではないと、山崎の勘は警鐘を鳴らしている、のだが。
報告できることがないと言えば職務怠慢と叱責を受けることも、残念ながら目に見えていた。
仕方がない。
「先日宇宙海賊春雨を沈没させた二人の侍の件ですが」
ピクリ。
その言葉を聞いた土方の眉が、一瞬跳ね上がった。
「二人のうち一人は桂だっていうアレかい?」
「なにか新しい情報でも入ったのか?」
近藤と沖田はちょっと首を傾げた。先日と言っても、春雨の船が沈没したのは数週間は前の話だ。今更とまでは言わないが、予想外な
話題である事は確かだった。
土方はただ黙っている。
「はあ、副長の命令でですね、桂の片割れの侍の情報を集めてたんですが」
「なるほど、春雨の船を沈没させたとなると只者じゃないだろうしな」
「桂の片割れとなると、攘夷運動と関わりがある可能性もあるしねィ。それで?」
何か判ったのかい、と促す沖田に、山崎は頷いて言葉を続けた。
「直接の目撃情報はあまり手に入らなかったんですが、ここのところ春雨が二人の侍の首を欲しているそうで」
「ほう」
「それがですね、一人は桂で、…その、もう一人が…銀髪の」
パシィッ!
山崎の台詞は、土方が箸を置いた音に遮られた。
「山崎、ご苦労だった。その件はもういい」
「は、はい」
土方の低い声に山崎は頷きかけたが、沖田はそこで話を終わらせようとはしなかった。
「銀髪っていうと、アレかい、例の」
「総悟」
地の底を這うような土方の声は、明らかにその話を打ち切ることを命じていた。
しかし。
副長の意思は、別方向からの悪意のない声によって阻まれてしまった。
「そうか、あの万事屋か!うん、アイツならあり得ない話でもないな」
近藤の台詞に、山崎は副長の周囲に冷たい炎が燃え上がるのを感じた。
「近藤さん、俺はもう仕事始めっから。先行くぜ」
「ん?おう」
ひとこと言い捨てて立ち上がろうとする土方を、沖田が遮った。
「なんでィ土方さん。山崎に報告促したのはアンタじゃないですかィ」
「うるせェ。あの野郎の話なんか聞きたくねェんだよ胸クソ悪ィ」
ギラリと振り返った土方の目は、まるで本日の不機嫌と不愉快の全ての根源を目の前に突き出されたかのように発火寸前の色を放っていて、
それまで低く呻くような声に抑えられていた感情が今にも爆発しそうなその様子に、ああ、こりゃ下手な事言うと怒鳴られるな、と、山崎は
そう判断して首をすくめた。
が、しかし。沖田はその爆弾に、欠片の逡巡もせずに火をつけた。
「やれやれ、それが本音ですかィ。個人的な感情で報告を蔑ろにするたァ、とんだ公私混同だ。一度や二度負けたくらいで根にもつなんざ…」
「うるせェェァア!!負けてねェよ!断じて負けてねェ!誰があんな野郎に負けるかァァァ!!」
ついに感情剥き出しで怒鳴った土方の声に、周りの隊士は少し身を固くした。
火をつけた当人である沖田と、不思議そうな顔をした近藤だけが、土方の怒号を全く気にしない体で座っている。
さすがだよなァ、と山崎は変なところで感心した。
そんな周りの様子をヨソに、近藤は土方にストレートな疑問を投げかけた。
「しかし、トシは何でそうアイツに突っかかるんだ?確かに胡散臭い野郎だが、悪いヤツじゃないだろ?」
「どこが!?」
間髪を入れずに土方にテーブルごしに詰め寄られて、近藤は軽くのけぞった。
「い、いや、どこがって…。トシ、お前こそアイツの何がそんなに気に食わないんだ?」
「どこが?そんなもん全部に決まってんだろうが!つーか、なんで近藤さんは怒んねェんだよ!」
怒る?俺が?何に?そう首をひねった近藤が尋ねるよりも先に、土方は続けて怒鳴った。
「どう考えてもあの野郎アンタをバカにしてんじゃねェか!自分の許婚に男が言い寄ってんのに何だあのダルい目!近藤さんなんか眼中に
ねェって言ってんだろ!?ストーカーなんか恋敵にすらならねェってんだろ!?もう決闘する気も起こらねェってんだろあの天パァァァ!!」
ああそういうことか、と口を開こうとした近藤は、更に続く土方の言葉に遮られた。
「しかも近藤さんが警察だってのも初めて知ったような顔しやがって。俺が近藤さんはウチの大将だっつったの覚えてねェのか!?それとも
俺が真選組だってのも覚えてねェのか!?どこまで無関心だアウトオブ眼中だ、何だあのダルい目!」
一度溢れ出した感情はもはや奔流となって止まらず、ほとんど独り言のような状態になって土方の口から飛び出し続ける。
「俺のルールだとか何とか格好つけて言いやがるから、近藤さんを卑怯な手で負かしたのにも深い意図があってのことと思ってたってのに
…全ては俺の早とちりか?眼鏡違いか!?つーか何だあのダルい目ェェェ!」
「とにかくダルい目が気に食わないみたいですね」
「眼中にない、ってトコもポイントみたいだぜィ」
ガツン、と机を叩いた土方を眺めながら、山崎と沖田は感想を述べ合った。
ここまで感情をぶちまけられると、もう返って面白い。もっとも沖田はいつだって土方で楽しんでいるのだが。
近藤は一人、ビビるでも面白がるでもなく、まァまァ、と土方を眺めた。
「心配するなトシ。アイツはお妙さんの許婚なんかじゃないんだ。店の他の子に聞いたんだが、お妙さんは結婚の予定なんかないらしい」
「へェ、そうなんですかィ?」
「おう。あの男が万事屋とかいう稼業をやってることはお前らも聞いただろう?どうやらお妙さんはそれで、アイツに許婚のフリを頼んだ
らしいんだ」
だから大丈夫だ!と、冷静に考えれば何が大丈夫なのか判らないことを明るく言って、近藤は豪快に笑った。
「さすが近藤さんだァ、そんな嘘吐いてまで拒否されてたんだって事実をものともしてねェ」
沖田は独り言のように呟くと、プリンの蓋をペリ、とはがした。
その瞬間、土方の身体がピクリと震えた。
「……俺の…」
「はい?」
「俺の前でその甘ったりィ匂いのするモンを食うんじゃねェェェ!!」
今日一番の大声で怒鳴り、土方はそのまま食堂を出て行った。
あーあ。その後姿を見送って、山崎は溜息を一つ。
山崎退お手製・真選組裏局中法度…別名上官対策、項目一つ追加だな。
『副長の眼前で甘味を食すべからず』
これは多分期間限定だろうけど…うーん、早く期限が切れて欲しいものだ。
甘いものが好きな隊士は結構いるのだ。
「どうしたんだ?トシは」
ぽかんとしている近藤に、沖田はさあねィ、と素知らぬ顔でプリンをぱくり。
「副長、最近オカシイですよね」
「あの人がオカシイのはいつもだろィ」
甘いプリンを舌で蕩かせながらの辛口のコメントに、山崎は思わず苦笑する。
「万事屋の旦那のことだって、ちょっと前までは珍しくあんなに好意的だったのに」
そう。
局長を卑怯な手で負かしたという銀髪の侍が、隊士全員の殺意の対象となった時。
「俺が直接見てきた。アイツは無闇にウチに仇なすような人間じゃねェ。お前らは手ェ出すな」
と言って隊士達を静めたのは、他ならぬ土方だ。
土方が真選組の外の人間を「認める」という態度を示したことに、隊士達は少なからず驚いたのだった。
それに。
春雨の船を沈めた侍を調査するよう命じた時も。
山崎は土方の表情に、予感と期待が綯い交ぜになったようなものを感じていた。
「只者じゃねェから」「調べておいて損はねェ」という言葉は建前で、本当はただ気になっているだけなのだ、ということも。
「外見的特長だけでも掴んで来い」と言ったその口が、本当は「例えば髪の色とか」と続けたかったのだということも、知っている。
そういう観点を持って調査したからこそ、銀髪の侍、という情報に辿り着けたのだから。
なのに。
「何なんでしょうね。あの手のひらの返し方」
「まるでアイドルに対して勝手に抱いていた幻想を破られて逆ギレする中二男子みたいだねィ」
沖田は土方の出て行った戸口を見詰めながら、スプーンについたカラメルをぺろりと舐めた。
(恋煩い、ね…)
先程、近藤が発した言葉を思い出す。
「似たようなモンかもしれねェなァ」
こりゃまた、からかいがいのあるネタを提供してくれたもんだ。
沖田の表情に不穏なものを感じて、山崎は思わず少し身体を退いた。
「…隊長…また何か企んで…」
言いかけて、やめる。矛先がこちらに向いては堪らないし、沖田が土方に関して何も企んでいない時の方が珍しいのだ。愚問というものだろう。
沖田はそんな山崎の胸の内を正確に察したようで、フッと笑った。
「山崎、お前も人のこと言えないんじゃねェのかィ」
「え?」
予想外の言葉に目を丸くした山崎だったが、次の言葉に顔を引き攣らせた。
「お前なんで花見の場所取りサボッたんでィ」
うぐ、と山崎は言葉に詰まる。沖田は、真選組と万事屋の花見の場所がかちあってしまった、あの日のことを言っているのだ。
あの騒ぎは元はと言えば、山崎が場所取りをサボッてミントンに興じていたことに端を発する。
「それはラケットが俺を呼んで…」
「ミントンは場所取りしながらでもできるだろ」
「………」
「なんでわざわざ持ち場を離れたんでィ」
たらり、山崎の背を汗が伝った。
読まれているのだ。この人には。ミントンの影に隠れた意図を。
引き攣った笑みを浮かべて黙り込んだ山崎の隣で、話の見えない近藤が首を傾げた。
「どういうことだ?」
「俺が思うにですねィ、山崎は場所取り中にあの万事屋連中が向かってくるのを見て、わざとその場を離れたんでさァ」
「んん?なんでだ?………ああ、そうか!」
黙ったままの山崎の顔を見て、近藤はポン、と手を打ち合わせた。
「そうでさァ」
沖田はニヤリと笑みを深める。
「山崎のヤツは」
「俺とお妙さんを引き会わせるようとしてくれた訳だな!さすがは山崎、気がきくな!」
「…………」
近藤の言葉に、沖田は思わず口を噤んだ。
山崎は乾いた笑い声を上げる。
「…はは、まぁそんな感じです…」
引き会わせようとした、というのに間違いはない。
真選組の外の人間に、あんな風に想いを馳せる副長を初めて見たから。
会えたら喜ぶんじゃないか、なんて。思ってしまったのは確かだ。
会った早々喧嘩を始めたのは予想外だったが。
「…ホント、山崎は上司思いだねィ」
見透かしたようニヤリと笑う沖田に、山崎は力ない笑顔で応えた。
本当は土方のことだけではなくて、沖田が池田屋で張り合ったチャイナ服の少女を気にかけていたことも、山崎の頭にはあったのだが。
そのことは言わないでおこう、と、山崎は黙って卵焼きを口に運んだ。
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