※刑事裁判について深い考え、ご意見をお持ちの方は、ご覧にならない方が精神衛生上よろしいかと思われます。





「被告人を無罪とする」


法廷に響く厳粛な宣告。

だが、俺を打ちのめしたのは、その判決自体ではなく。



直後に目にした、奴の表情だった。




an unexpected conviction




「あれ?土方検事じゃありませんか」

その男が声をかけてきたのは、裁判所を出た土方が帰路を歩き始めたところだった。
ワックスで無理矢理撫でつけられ、それでもあちこちに跳ねている天然パーマ。それも見事な銀髪。趣味の悪いネクタイに赤縁メガネ。
どこからどう見ても胡散臭いその男の襟には、あろうことか弁護士バッヂが光っている。
しかし土方は驚かなかった。…その程度の驚きは、初対面の時にとっくに済ませている。

坂田銀時。
男の名である。

およそ弁護士には見えないこの男は、残念なことに正真正銘の弁護士で、そして検事である土方が今現在訴追している被告の弁護人であった。
法廷での公判はまだ行われていない。しかし、公判前の整理手続きで何度か顔を合わせていた。
第一印象は最悪。
格好からして胡散臭い上に、態度もいい加減でやる気が見えない。その上に口が悪く、こちらの苛立ちを煽るような言動を繰り返す。
この男に弁護士ですと言われて、即座に信じられる人間が何人いるのか。そんなことすら思わされた。

そのくせ。昨今の法曹界では、コレが「やり手」として秘かな注目を集めているのだから…

(タチが悪ィ)

土方は一言、苦々しく胸中に吐き捨てた。
目の前の男を見る目付きは、隠しようもなく非好意的である。


――実を言うと。土方は坂田と直接面識を持つ前から、あまりいい感情を持っていなかった。



坂田の名を初めて知ったのは数ヶ月前。
土方の上司である近藤が、無名の弁護士に敗れた、と聞いた時だった。
公判が始まるまでは、検察の言い分がほぼそのまま通るだろうと目されていた事件。だが最終的に被告に言い渡されたのは、求刑よりも遥かに短い懲役年数と執行猶予。
そんなバカな、という思いで公判記録を調べた土方は、眉間に深く皺を寄せた。

一見筋が通っているかに見える坂田の弁論は、しかし。
近藤の人のよさに付け込み、巧みに弁を操って揚げ足をとり、担当裁判官の判断の癖を見抜いて、その場にいた者を口先三寸で丸め込んだ。土方の目にはそうとしか見えないもので。
事の真実如何に関わらず、口八丁で雇い主に有利な判決を導く。自分の一番嫌いなタイプの弁護士だ、と。心の底から嫌悪したのだ。
…それなのに。

当然上訴するものだと思っていた近藤は、早々に上訴しない旨を宣言し、判決は確定。
何故、と詰め寄った土方に、近藤は笑ってこう言った。

「トシも、アイツと一回争ってみれば判るさ」と。


だから。
今回の訴訟の弁護人が坂田だと聞いた時、土方は心が沸き立った。
近藤さんの仇をとってやる、という意気込みが半分。
残りの半分は、近藤の言葉の意味を知りたい、という思いだった。

…の、だが。



「どうも、坂田先生。お疲れ様です。それじゃあ」

土方は冷たく言い放つと、背を向けて歩き出した。
何度会っても、この男の印象は第一印象から全く好転しない。それどころか悪化の一途を辿っている。
公判前手続きで顔を合わせる度に、いちいち神経を逆撫でする台詞を吐いてくるのだ。これで好感を持てという方が無理な話である。
近藤さんはきっとコイツに何か騙されたに違いない。土方は最早そう判断していた。

少なくとも、自分が好きになれるタイプの人間ではない。
まして、仕事を終えて帰ろうとしている時に、プライベートで会いたいと思える相手ではない。
土方は必要最低限の挨拶だけ口にして、その場を立ち去ろうとした。
…ところが。

「ちょ、待て待て、待てっつーの!」

背後からの声とともに肩を掴まれ、ひくり、土方のこめかみ付近が引き攣った。
嫌々振り返れば、坂田が呆れたような顔をして立っている。

「あのさァ、その態度はちょっと無いんじゃありませんか?土方先生」

軽く咎めるような口調で言われ、土方は頬が引き攣るのを抑えて淡々と言葉を返した。

「今日は貴方とお会いする約束はしていなかったはずですが」
「いやいやいや、約束してなかったら話もしないってどんな社会性の無さだよ。そんなんじゃ世の中渡っていけませんよ」

――あなたと話すことなんて何もありませんから。
そう言いかけたのを辛うじて堪える。いくらムカつく相手だろうと、そこまで言ってしまうのはマズイだろう。大人として。
…向こうは既に敬語すら崩れ始めているのだから、こちらだけがそんな気遣いをするのは馬鹿らしいような気がしてならないが。

「…何か御用ですか?」

内心の苛立ちを隠しもせずに、盛大に迷惑そうな顔で溜息混じりに問うてやる。
しかし坂田は気にした風も無くヘラリと笑って、左手でクイ、とグラスを呷るジェスチャーをしてみせた。

「今日はもうお仕事終わりなんでしょう?飲みに行きませんか?」
「……………」

コイツには神経というものが無いのか。

眩暈すら感じて土方は押し黙った。
会話さえ拒否するようなオーラを出している相手を、どうして飲みに誘おうなどと思えるのだ。

…いや、そもそも、それ以前に。


眉間に皺を寄せて見返すと、坂田は何の疑問も持たないかのように平然と返事を待っていて。
その様子に、土方は呆れる以上に訝しさを覚えて、にべも無く断りかけた口を噤んだ。

オカシイ。何なのだコイツは。

そもそも、自分を飲みになど誘うこと自体がオカシイだろう。二人で飲もうなんて、どう考えてもそんな関係ではないのだから。
ただ数度、仕事で顔を合わせただけ。
しかもその時の雰囲気はかなり険悪。

(――大体、俺は…)


「………何故ですか」

グッと眉を寄せたまま、低く、探りを入れるように尋ねる。
すると坂田はパチリと瞬いて、思いがけぬ事を聞かれたとでも言うように肩を竦めた。

「何故って…飲みに誘った理由ですか?それは、まァ、今日は飲みに行こうかと思ってたところに土方先生を見かけたんで。知らない仲でも無いし、これからもしばらく公判とかでお世話になりますから、親睦を深めとこうかなー、みたいな感じですけど?」
「…親睦って」

軽く言われたことに眉を顰める。
弁護士と検事が親睦を深める必要なんかあんのか。いや、別に殊更いがみ合う必要は無いと思うが、しかし。
どうにも意図が読めなくて胡乱な目を向ける。と、坂田はわざとらしく、驚いたように目を瞠った。

「え、ひょっとして土方先生、警戒してます?俺が土方先生を酔わせて被告に有利な情報を引き出そうとしてるとでも?そんなまさか。『鬼検事』ともあろう方が、お酒の席で口が軽くなっちゃうなんてこと無いでしょう?アレ、違うんですか?実はお酒弱いとか?」
「な…」

バカにされている。
それがありありと判る口調で畳み掛けられて、土方は一瞬言葉を失った。

ちょっと待て。何だコイツは。
…いやホントに。マジで何なんだコイツは…っ!?

元来あまり丈夫でない土方の堪忍袋の緒が、今にも切れそうな音を立てる。

そこへ、更に重ねられた坂田の声。

「ああ、最後まで素面でいられる自信が無い?それとも俺に上手く誘導されて口が滑っちゃうことを恐れてます?…へぇ、驚いたな。公判ではあんなに冷徹で強気な人が、プライベートだと意外と臆病…」

――ビキリ。

「誰が怖がるかァァ!上等だ、飲みにでも何でも行ってやろうじゃねェか!」

思わず敬語も忘れて言い返してしまってから。
そうですか、とニヤリと笑う坂田の顔が目に入って。


…しまった、と思った時には、既に遅かった。






(何でこんなことに…)

居酒屋のカウンターで生ビールを傾けながら、土方は鬱々と胸中に呟いていた。
当然のように、隣では坂田がビールを呷っている。

(…今日は珍しく早く帰れるはずだったのに)

何が哀しくて大嫌いな弁護士と酒を酌み交わさなければならないのか。
ハァ、と土方は溜息を吐いた。
見え透いた挑発に乗ってしまった自分を心の底から呪う。
これこそ、まさに坂田に「上手く誘導された」というやつではないか。
情けない。
こんな失敗は自分らしくなかった。

検事としての土方は、冷静冷徹で名が通っている。
如何なる相手でも隙を見せず、弁論は苛烈にして明快。
その仕事ぶりは、『鬼の検事』と異名をとるほど。だと言うのに。

(そうだ、そもそも俺は…)

フと。先程も疑問に思ったことを思い出して、土方はチラリと隣に目を向けた。
坂田は、何のために自分を誘ったのだろう。
友人を誘うような気軽さで声をかけて。
挑発までして半ば無理矢理連れてきたのだから、何か裏があるのだろうと身構えていたというのに…何の変哲も無い居酒屋で、普通に生ビールを頼んで意味の無い乾杯をして。
その口から零されるのは、他愛も無い世間話ばかり。
これではまるで、本当に親睦を深めようとしているかのようだ。
…そんなはずが無いのに。


そうだ。坂田が自分とただ酒を酌み交わして親しくなろうなどと、そんなことを考えるはずがない。
今までにこの男と友好的な会話など交わした試しがないし、それに、そもそも。

自分は…弁護士界では随分と、嫌われているはず、なのだから。


『鬼検事』土方十四郎。
その二つ名は伊達ではない。
土方が訴追を担当した裁判は99%以上の確率で有罪。…まぁそれは、この国の刑事裁判の有罪率自体が99.9%に上るのだから、土方だけがどうという話では無いのだが。
彼の場合、特筆すべきは有罪判決が確定するまでのスピードだった。
逮捕・勾留から起訴に至るまでの期間が一般の検察官よりも短く、その上、一審で有罪を勝ち取った後、被告側に上訴されることが異常に少ない。
冷徹で苛烈な土方の弁論に、被告が上訴する気力を挫かれるためだ、と言われていた。
…さらに。勾留期間が短いのは、苛酷な取調べに被疑者が堪えられずに自白するからだ、とも。

最近では、「土方検事が取調室に入れば、ものの5分も経たずに被疑者の歔欷が聞こえてくる」なんて噂まで流れるようになっていて…

「アレにかかれば、無罪の人間も有罪にされてしまう」というのが、弁護士界における土方の評価となっていた。
そこに含まれる感情は当然畏怖だけではなく…それを上回る、嫌悪と軽蔑。

――そういう視線に、土方は慣れていた。

自分自身は恥じるようなことをしているつもりは無いし、どんな敵意の眼差しを向けられようが萎縮する気は無いのだが。
ただ、嫌われている、という自覚があるだけだ。好かれたいと思っているわけではないから、取り立てて哀しんでもいなかった。

しかし。


「いやー、やっぱ仕事上がりのビールは美味いね。アレ、土方先生、飲んでます?」

コイツは一体何を考えているのだ。

土方を『鬼検事』と呼んでおきながら、その隣で普通に飲んで普通に喋って、普通に…笑って。
いくら弁護士らしくないとは言っても一応弁護士の端くれなのだから、こちらに嫌悪の眼差しの一つもくれるべきではないのだろうか。
…いや、敵視してくれと言うのも変な話なのだが。

土方は妙な居心地の悪さに眉を顰めてジョッキを傾けた。
好かれたいとは思っていないが、嫌われたいと思っているわけでもないのだ。普通に接してもらえるなら、それはそれでありがたい。
だが。この状況はオカシイ。
坂田は自分を嫌っている。それは間違いないはずなのだ。初対面の時に向けられた視線は確かに非好意的で、それは坂田が土方に関わる噂を聞き及んでいることを物語っていた。
…なのに、何だコレは。

グビ、と一口、喉を鳴らしてビールを流し込んで、土方は溜息を吐いた。
訳が判らない。

「…ンセー、土方センセー、ちょ、聞いてる?」
「は?…いえ」
「うわ、堂々と聞いてない宣言したよこの人!ちょっとオイ勘弁しろよ、それじゃ俺一人で喋ってたことになるじゃん。ものっそ淋しい人みたいじゃん」
「店の親父さんにでも聞いてもらったらどうですか」

ぺらぺらと喋る坂田に冷淡に返せば、坂田は眉を寄せて不本意そうな顔をした。

「はぁ?何言ってんだよ。お前に聞いてもらわなきゃ意味がねーんだってコレは」

酔っているのか、先程から怪しかった敬語が完全に取り払われている。
しかしそれを不愉快に思うよりも先に、発言の内容が引っ掛かって土方は坂田に顔を向けた。

「…私に?何かお話でも?」

やっと本題か。やはり何か聞き出したいことがあったのだ。と、土方は気を引き締めた。
坂田は酔っているように見えるが、演技かもしれない。油断は禁物だ。
今度の公判に関する何かを聞こうとしてくるに違いない。それ以外で、坂田が自分を飲みに誘う理由など無いはずなのだから。
ピン、と気を張り詰めて言葉を待てば、坂田はヘラリと笑って言った。


「うん。俺さ、アンタのこと、気に食わねー検事だと思ってたんだわ」


ピキリ。

唐突かつ直球すぎる暴言に、土方のこめかみが思わず引き攣った。


「被疑者に拷問まがいの尋問して嘘の自白させて、弁護側に反論を整える時間も与えずに一気に有罪に持ち込む、被告に罪を被せることしか考えてねェ、俺の大っ嫌いなタイプの検事だと思ってたんだけど」
「…俺も、事の真実を顧みないで口の巧さだけで雇い主に有利な判決を導く、アンタみたいな弁護士が大嫌いだよ」

もう敬語はいいだろう。土方はガラリと口調を変えて坂田を睨み付けた。
ここまで歯に衣着せずに言われて黙って聞いていられるほど、自分は大人しい人間ではない。
喧嘩を売る気なら買ってやる、そんなオーラとともに低い声で言い返せば、坂田は呆れと苛立ちが半々で混ざったような表情でガリガリと頭を掻いた。

「あーもー、『だけど』っつっただろーが!人の話は最後まで聞けや。検事だろーが!」

ぞんざいな口調で言われて、土方はヒクリと頬を引き攣らせながらも一応口を噤んだ。
…お前も口のきき方を考えろや。弁護士だろうが。と、心の中でだけ言い返しておく。
坂田は土方が沈黙したのを見てから、今更言葉を選ぶかのように視線を彷徨わせて、ゆっくりと口を開いた。

「…まあ、アレだ。裁判ってのァ、どんだけ早く双方が納得できる答えを出せるかってのが、一番肝心なとこであってだな…」
「アンタに法学の講義を求めた覚えは無いんだが」
「だーかーらァ!最後まで聞けっつーの!」

つい苛立ちが口をついて出てしまって、また坂田に怒鳴られる。
テメェがまどろっこしい話し方をするからだろうがハッキリ言えや、と、先程「口のきき方を考えろ」と思ったことを忘れて土方は額に青筋を浮かべた。

坂田はそんな土方を見て一つ溜息を吐くと、カウンターに向き直ってビールのジョッキを手に取った。
ぐい、と一口飲んで息を吐き、気を取り直したように落ち着いた口調で喋り始める。

「最近調べて知ったんだけどさ…お前の担当した訴訟、上訴が少ないだけじゃなくて再審請求もほとんどねェだろ」
「……それがどうした」

急な話題に、土方は眉を顰めた。

上訴とは、まだ確定していない判決に対して不服を申し立てることだ。判決の告知後、14日以内に上訴が無ければその裁判は確定となる。
それに対して、確定した裁判に判決の取り消しと再度の審理を求めることを再審請求と言う。裁判確定後に被告が無罪である新証拠が発見された場合など、無辜の救済のために用いられる制度だ。
土方の担当した訴訟は、坂田の言う通り上訴も再審請求も少ない。『鬼検事』と恐れられる理由の一端であることは先ほども述べた。
…だが、それが何だというのだ。改めて文句でも言うつもりか。

ジロリと横目で睨み付けると、坂田は正面を向いてビールを傾けつつ、土方の方を見もせずに、言った。

「だからさ、それって、その場の雰囲気で被告を萎縮させて上訴させない、とかじゃねェってことだろ?後々じっくり考え直して調べ直しても文句が出ねェ、適正な判決だったっつーことだろうが」


何気なく放たれた言葉は予想外で。
寸の間、土方は言葉を失った。


「取調べの方法にしたって、普通は勾留期間が長いことで被疑者は精神的に疲弊すんだよな。で、早く解放されたくて嘘の自白しちまったりさ。…それがお前の場合、逮捕から終局までがすげェ早い。コレって、被疑者だけじゃなくて、裁判に関わる全ての人間にとってありがてェことなんじゃねェの?」

それは、土方が今まで人に言おうとはしなかった…しかし己の内に言い聞かせるようにしてずっと保持していた、訴訟に対する信念をズバリと言い当てていて。
思わず、無防備に瞠った目を坂田に向ける。

坂田はビールの泡を見詰めながら、この男には不似合いなほど穏やかな声で言葉を紡いでいた。


「取調べ室から聞こえてくる啜り泣き、つったって、なァ…。その涙が怨嗟か慙愧か、畏怖か恐怖か、憤懣か感謝か…なんて、部屋の外にいる人間には判らねェわけだし」

確かに、被疑者を泣かせてしまったことは数多くあるが、それは必ずしも恐怖や怒りの涙だけでは無かった。
…それを指摘してきた人間が片手で数えられるぐらいしかいないのも、また確かなことなのだが。

「実は相当な数の被疑者、情状酌量で起訴猶予してんだろ?法廷でのお前のイメージが強すぎて、あんまりそういう話聞かねェけど」

当たり前だ。自ら取り調べて、本当に起訴するべきだと思った人間しか起訴していない。被告として法廷に立たされるのがどれほど重いことか、自分はわかっているつもりだった。
…誰でもかれでも起訴して有罪に導く検事、というような評価を受けていることも、知っているが。


不本意な噂を耳にしても、特に反論しようとは思わなかった。外野に何を言われようが当事者たちが納得していればそれでいいのだ。
時に口さがない言葉をぶつけられることもあったが、持ち前の厚顔で無視してきた。
皆に好かれたい、なんて可愛らしい思考の持ち主ではない。それに土方の所属する地方検察庁は、もともと上司の近藤がお人よしで名が知れているのだ。自分の過剰に厳しいイメージはそれとバランスが取れて、むしろ好都合だとすら思っていた。
だが。


思いがけぬ坂田の台詞に、心の奥の方がジワリと溶かされていくような感覚を覚える。
理解されないことに、誤解を受けることに、唾棄の眼差しを向けられることに…屈託など感じていないと、自分でそう思って疑っていなかったのに。
弁護士から…坂田の口から掛けられた穏やかな声に、ドクドクと脈が速まって。微かに痺れる指先が泣き出しそうな感覚を訴えている。

…こんな、バカな。


狼狽える土方には気付いていない様子で、坂田は言葉を続けていた。
アンタって損なタイプだよな。誤解されやすいっつーの?…まァ俺も実際アンタに会って話して、提出してきた資料見たりするまでは、噂を鵜呑みにして誤解してたんだけど、さ。
…などと軽い口調でポンポン言い放ちつつ、それでもどこか温かさを感じさせる話し方で。

「…噂ってやっぱ、当てになんねェよなァ…」

伝聞証拠は証拠にならねェって、頭に叩き込まれてるはずなのにな。
呟いて、ほんの少し自嘲気味の笑みを零した坂田は。
ビールのジョッキをコトリと置いて、眼鏡のレンズ越しにやけに柔らかい瞳を土方に向けて。


「俺はアンタの訴追、嫌いじゃねェよ。土方検事」


そう言って、笑った。






その夜。土方は仕事場に取って返して、今までに坂田が弁護した公判の資料を手に入る限り、ひっくり返すようにして調べていた。
先の近藤との裁判。
それ以前の、諸々の刑事事件。

資料を読み進めるうちに一本のはっきりとした筋が見えてきて。土方は天井を仰いで目を閉じた。


坂田の弁護は。
舌先三寸、口八丁で、その場の雰囲気を自分のものにして。裁判官の判断のクセを見抜いて、有利な方向に丸め込む。
そういうものであることは、やはり確かなのだけれど。
…でも、その裏に。

検察官が汲み取りきれなかった被告人の情状だとか。
明確な証明をするのは難しいけれど、確かに存在する無罪の主張だとか。
そういうものが、必ず隠れていた。

疑わしきは被告人の利益に、なんて謳いながらも、現実は有罪判決が下されやすくなっているこの国の刑事裁判。たとえ真実無罪でも、正攻法でその判決を得るには十年以上かかるなんてこともある。
…その十年は、被告人にとってどれだけ重いことだろう。

坂田はそれを、舌先で法廷の空気を牛耳ることで回避しているのだ。
明確で順序立った証拠を揃えるという過程よりも、下される判決の内容に、常に視線を注いで。


(…近藤さんが言ってたのは、コレか)

フゥ、と息を吐いて、土方は椅子に身を沈めた。
自分が憤った近藤の敗訴。だがその裁判の中で近藤はきっと、何か見逃していた事実に気付かされたのだ…坂田によって。
求刑より遥かに軽い刑が下されても、上訴の必要が無いと。その判決が適正だと。そう思えるほどに。


やり方は決して真っ当なものではないけれど。
その末に導き出された結論はどれも見逃されかけていた真実を救い上げている、坂田の弁護。
…それを支えているのは、きっと。

坂田の中に存在する一本の芯。
他人にどう評価されようと揺るぐことのない、彼なりのルール。


「…同じじゃねェか」

周囲の目よりも当事者の納得を。迅速で適正な判決を求める姿勢。
俺と、同じ。

(……いや)

呟いた直後に、土方は首を横に振った。
違う。同じではない。

訴訟に臨む志には似通ったものを感じるが…坂田の弁護は、検察という官僚機構に縛られている自分よりもずっと自由で。
その瞳はずっと鋭く、本当に大切なものを見極めている。
そうと認めるのは悔しいけれど。


俺は坂田の表面的な部分だけ見て嫌悪していたというのに。
坂田は俺の内なる信念や、自分でも気づいていなかった屈託までも、見抜いたのだから。

――やはり向こうの方が、一枚も二枚も上手なのだ。




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