五月晴れの空の下。

それは突然だった。



この身勝手な感情の名を



「うわああぁぁぁあ!?」
「あだだだだだ…っ!」

どさがさバキッ!
派手な音を立てて、万事屋の三人は急な斜面を転がり落ちていた。
何故、なんて、さっぱり判らない。
つい先程までは、いつも通りの昼下がり。彼らは普通に道を歩いていたはずだった。それも、山道でも急な坂道でもない。左右に店が立ち並ぶ江戸の町だ。
それが、何だコレは。
ふいに足元が抜ける感覚がして、気が付いたら斜面に放り出されていたのだ。

「うぉっ!…と、ぐぇっ!げふっ!」

どさり。やっと平らな地面に辿り着いたと思ったら、息を吐く間もなく二人の子供が腹の上に折り重なって銀時は呻き声を上げた。
あちらこちら擦り切れて痛む身体。咄嗟に文句の言葉も出てこず、寝転がったまま呆然と周りを見渡す。
横たわる銀時の左手側には、たった今転がり落ちてきた急斜面。ゴツゴツとした地面に所々、雑草やら大小さまざまな樹木やらが根を下ろしている。
右手には鬱蒼とした林。背の高い木が生い茂って暗く、どこまで続いているのか先が見通せない。
そして、頭から足の方向に伸びているのは一本の道。舗装などされていない、ただ少し平らにされただけの土の地面。
所謂、山中の一本道。

パチパチ。どうにも状況が把握できなくて目を瞬いていると、腹の上に乗っていた二人が我に返ったようにゴソリと身を起こした。

「いたたた…って、えええぇ!?何ですかコレ?どうなってるんですかコレェェ!?」
「銀ちゃん、ココどこアルか?何が起こったアルか?」
「…そんなん俺が聞きてェよ。お前ら、俺に聞けば何でも解決すると思うなよ…っと」

ボヤきつつ起き上がれば、ズルリどしゃ、新八と神楽は地面に滑り落とされた。頭から落ちたらしい神楽がガバリと立ち上がって抗議する。

「銀ちゃん痛いアル!もうちょっと丁寧に下ろすヨロシ!」
「うるせーな。お前らがいつまでも乗っかってんのが悪いんだろーが!こっちの身にもなれ!お前ら重いんだよブゴホッ!」
「レディに向かって何てこと言うアル!」
「顔面に蹴り入れてくるヤツをレディとは呼ばねーんだよ!」
「ちょ、二人ともやめて下さいよ!喧嘩してる場合ですか!?とりあえず現状を把握しましょうよ!」

そのまま続きそうな二人の言い争いを、新八が慌てて遮った。まったくこの二人は、明らかに異常な状況にあるというのにまるで普段通りだ。
図太いというか無神経というか、アンタらがそんなんだから僕が「話進行役」とか言われるんだよ。絶対必要なポジションなのにオイシイ思いはほとんどできない合コンの幹事的な役割なんだよチクショー。
文句を言いたいのをグッと堪える。ダメなのだ。ここで新八がそんな怒りをぶつけてしまっては、本当に話が脱線して戻って来れなくなってしまう。

「あの、ホントに何なんですかね?なんか落とし穴にハマッたみたいな感じでしたけど…」
「街中で落とし穴に落ちたら、辿り着いた先が山ん中でしたー、なんて話聞いたことねェよ。どんだけアグレッシブな落とし穴?」
「そうですよね。どうみてもココ、江戸の地下とかじゃ無さそうですし…」

必死に現状の異常さを訴える新八の言葉に、三人は改めて周りを見渡した。確かに。江戸には地下都市も発達しているが、ここはどうにもそういった場所には見えない。
土の地面。作り物ではない生きた植物。それに何より、見上げれば頭上には空がある。枝の間から覗く五月晴れの空が。
どこをどう見たって、人工の空間などではない本物の山の中としか思えなかった。

「落とし穴じゃないとすると…」
「ワープか!ワープゾーンを踏んだアルか!」
「いや神楽ちゃん、それはいくらなんでも」
「あり得るな」
「ええ!?マジですか銀さん!?」

苦笑して否定しようとしたところを頷かれ、新八は声を裏返らせて銀時を顧みた。
そんなバカな、という視線で見られた銀時は、しかし至極普通の表情で肩を竦めてみせる。

「天人の技術だったらワープゾーンとかあってもオカシくなくね?確かターミナルだって宇宙にワープするようなもんだろ」
「…ああ、そういやそうでしったけ」

何でもないことのように言った銀時に、新八は拍子抜けしたように頷いた。
言われてみればその通りだ。ワープなんてそんなゲームみたいなこと、と思ったが、天人技術と言われてしまえば納得できる。宇宙船があるならワープゾーンがあってもオカシくない…それが江戸の町中に普通に存在するものかどうかは別として。
きっとアレだ。誰かの宇宙船に積まれていたワープ装置が故障して暴走したとか、どこかの天人が悪戯気分で仕掛けたとかそういうことなんだろう。何故だか知らないが、自分達はそういうイレギュラーな事態に巻き込まれやすい体質なのだ。

「それに、ホレ。見ろあの空」

納得してしまいかけている新八に追い討ちをかけるように、銀時はピシリと人差し指を立てて頭上を指差した。

「宇宙船の一つも飛んでねェ。こんな綺麗な青空、今の日本じゃ江戸から相当離れた田舎でなきゃ拝めねーぞ。一瞬でそんな遠方まで来るなんざ、ワープでもしなきゃ無理だろ」
「わ、本当ですね。僕こんな綺麗な空、初めて見たかも」
「江戸の空は晴れててももっと白っぽいネ」
「だろ?空気が澄んでねェとこうは見えねーんだよ。最近は田舎でも空が霞んでっとこ多いからなァ。こんなとこ今じゃ滅多に……」

…見られない。そう言いかけた銀時は、フと微かな違和感を覚えて眉を顰めた。
改めて空を見上げ、ゆっくりと一つ深呼吸する。

雲ひとつない空の色。吸い込んだ空気の味、匂い。
江戸どころか、今や田舎でも滅多に味わえなくなった感覚。
――懐かしい。
これは、まるで。

「銀さん?どうかしたんですか?」
「……いや…何つーかココ…」

どこか見知らぬ土地に来たというよりは、まるで昔に戻ったようだ。
銀時がそう言おうとした矢先であった。


「何だお前ら」

突如、割って入った声に三人は驚いて振り返った。
見れば、いつの間に来たのか、一人の少年が少し離れた場所から胡散臭そうにこちらを見ている。
地元の子だろうか。年の頃なら十を越えるぐらい。肩を過ぎる程度の黒髪を後頭部で束ね、腕を組み眉を寄せて睨みつけてくる。幼いながらもスッキリとした顔立ちは、いかにも同年代の女の子にモテそうな感じだ。ちょっと笑顔を振りまけば年上のお姉さまにも大人気に違いない。

しかし今、彼のその顔には愛嬌や可愛らしさといったものは欠片も無く、代わりに不信感と警戒心に彩られていた。

「あ、いや、僕らは…」

あからさまに不審者を見る目を向けられて、新八が咄嗟に声を上げる。慌てて弁明しようとして、ふと口を噤んだ。
弁明と言ったって、何をどう言えば良いのだろうか。こんな山の中で突っ立って話し込んでいる見たことのない三人組、なんて、土地の子どもから見たら怪しさ大爆発に違いない。ただ「怪しい者じゃありません」と言っただけでは信じてもらえるはずがないし、かと言って、江戸を歩いていたらワープゾーンにハマッてココに来ました…などと言ったら、警戒心を解くどころか逆に不審者決定な気がするのだが。
どうしよう。困った顔で隣を見上げると、銀時は何気ない顔でパリパリと首の後ろを掻いていた。

「あー、俺らちょっと道に迷ってんだけどさ。山下りるにはどっち行きゃいいんだ?」

なるほど、これならまァ自然だ。嘘も吐いていない。
これだけの言葉で納得してくれればいいけど…と、新八はそっと少年の様子を窺う。
少年は胡乱げに眉を寄せたが、銀時の言葉を一応は信じたのだろう。少し警戒を緩めた冷めた目で銀時を見返した。

「…はっ、何だ。いい歳して迷子かよ」

バカにしたように鼻で笑われて、しかし銀時は平然と胸を張る。

「人は誰しも、いくつになろうと自分の進む道を探し続ける旅人なんだよ」
「その歳で人生の迷子ってもっとダメじゃねェか」

嘯いた銀時に間髪入れずに返してから、少年はクッと笑った。
だがすぐに笑みを収め、ジロリと三人の顔を見渡す。子供らしい不躾さと子供らしくない鋭さを併せ持つ視線に睨め付けられて、新八は思わず気圧されて唾を呑み込んだ。どこかで見たことがあるような迫力のある瞳。

やがて少年はフッと息を吐くと、肩を竦めて踵を返した。

「ついてこいよ。とりあえず里に出られればいいだろ」

振り向いて言った少年の言葉に、三人は顔を見合す。どうやら害は無いと判断してもらえたらしい。
新八はとりあえず胸を撫で下ろした。不審者扱いされるのと案内してもらえるのとでは雲泥の差だ。

「助かりましたね」
「おー、とりあえず人里に出られれば何とかなるだろ」

新八の安堵の台詞に、銀時は頷いて歩き出した。さっさと先を進んでいく少年の後を追う。新八と神楽もそれに続いた。
よっぽどの田舎でなければ、人里に出れば江戸に戻るための手段が何か見付かるはずだ。…尤も、この澄んだ空から考えれば、ここが「よっぽどの田舎」である可能性は大いにあるのだが。

…まさか絶海の孤島とかじゃねェだろうな。
銀時は微かな不安を覚えて少年の背に声をかけた。

「おい、ここはどこなんだ?」
「山の中腹。十五分ぐらいで里に下りられるぜ」
「いや、そうじゃなく。何つーかホラ、町の名前的な」
「ハァ?…お前そんな根本的な迷子なのか?さすが人生に迷ってるだけあるな」

呆れた顔で振り返った少年に完全にバカにした口調で言われて、銀時はピクリとこめかみ付近を引き攣らせた。

「何言ってんの?迷ってねェよ。旅人だっつってんだろ」
「一緒だろ」
「全然違うわァァ!迷子は決めたはずの道を見失うけど、旅人は敢えて道を決めずに出発するんだよ!オメーの辞書には浪漫って言葉がねェのか!?」
「何が浪漫だ!要は無計画なだけじゃねェか!最終的に他人に現在地聞いてんのは同じだろ!」

歩きながら口論をヒートアップさせていた銀時は、ふと、子供相手に同レベルで喧嘩していることに気付いて口を噤む。
…コイツは一体いくつなんだろうか。ガキらしからぬ口達者っぷりだ。ひょっとしたら見た目よりも年嵩なのかもしれない。
ムカつくけれど手ごたえのある掛け合いは、誰かを相手にした時と似ていると銀時は思った。具体的に誰とは思い出せないが。

銀時が改めて年齢を推し量っていると、少年は口論に疲れたのかハァと溜息を吐いた。

「ここは武州の田舎だ。お前ら、どっから来たんだよ」

武州。
少年の言葉に、銀時と新八は視線を交し合ってホッと息を吐いた。
それなら江戸の近所とは言えないまでも、そう滅茶苦茶遠方というわけでもない。列車も通っているし、旅をして来たと行っても不審がられない程度の距離だ。
まるで昔に戻ったかのような澄んだ空気にどんな辺境まで来てしまったのかと戦々恐々としていたのだが、これならば案外楽に帰れるかもしれない。
新八は肩の力を抜いた笑顔で少年に答えた。

「江戸だよ」
「………江戸?」

そりゃあ大した迷子だな、という類の嫌味が返ってくることを予想していた銀時は、急に足を止めた少年に虚を突かれてたたらを踏んだ。
振り向いた少年は戸惑ったような、探るような目付きでこちらを眺めている。
江戸、と声を出さずに唇だけでもう一度呟いてから、少年は固い声で問いかけた。

「…じゃあお前ら…天人、見たことあんのか」
「え?」

予想外な質問に、三人は一瞬呆けて言葉を失った。
確かに、江戸の町には天人が多い。だがそれがそんなに固い声で聞くほどのことだろうか。この土地には天人が少ないのか、それともあの聞き方からして、この子は今まで天人を見たことが無いのだろうか。

「えーと…見たことあるっていうか…」

新八は瞬いて神楽に目を向けた。
神楽は傘を肩にかけ、胸をそらす。

「私が天人アルヨ」


神楽の言葉を聞いた少年の反応は、驚くほど大きかった。

目を大きく見開き、ズザッと後方へ後ずさる。
その瞳に浮かんでいるのは純粋な驚きと、あからさまな警戒と緊張。そして微かな恐怖に、隠し切れない好奇心。

「オイ、何アルかその反応」

神楽がムッと口を引き結んだ。
天人と言っただけで距離をとられたことを不快に感じたのだろう。不穏な雰囲気を漂わせる神楽に、新八はマズイ、と焦りを浮かべる。
しかし新八が何か言うよりも早く、銀時が神楽を片手で制し、双方を庇うように一歩前に出た。

「待て待て神楽。…あー、何お前、天人見たことねェの?」
「…あるわけねェだろ」

銀時の問いに、少年はグッと眉間に皺を寄せて低い声で答える。
懐かしい反応だな、と銀時は思った。
少年の態度は、銀時が子供の頃に初めて天人を見た人間と全く同じだった。

ここはそんなに田舎なのか。武州ならそんなことも無いと思うのだが、武州の中でも奥地なのだろうか。
そんなことを考えながら、銀時は固く身構えている少年に向かってヒョイと肩を竦めてみせた。

「別に取って食いやしねェって。確かにコイツは大食らいだけど嗜好は地味だから。オメーみてーなゲテモノ食うほど悪食じゃねェから」
「誰がゲテモノだァァァ!」

反射的に叫んだ少年は、銀時にニヤリと笑われてハッと口を噤んだ。

「何だよお前、食われてェのか?」
「…っ、そうじゃねェけど!」
「ゲテモノ扱いされて怒るなんざ、食べて欲しいとしか思えねーんだけど」
「違う!そうじゃなくて、俺はただ…!」
「残念だったなァ、俺ら三人とも人間食う趣味はねェから。お前がいくら食べられたくても食べてやれねーよ。なァ神楽?」
「当たり前アル。お前なんかより酢昆布の方が何百倍も美味しいネ」
「んだとコラァァ!っていや、違うぞ!別に食われてェわけじゃねェからな!」

また反射的に怒鳴ってしまってから、少年は慌てて言葉を付け加えた。大人びたガキだと思っていたが、動揺すると子供らしさが露呈するようだ。顔を真っ赤にして怒る姿は歳相応で可愛げがある。
銀時は表面は涼しい顔のまま内心で笑みを深めた。

少年は、怒鳴るうちに自然と銀時達との距離を詰めていた。天人に対する警戒と緊張などいつの間にか吹き飛んでいるらしい。…狙い通りだ。

続けて二言三言怒鳴り合ってから、少年は自分でも、天人である神楽と普通に口喧嘩をしていることに気付いたようで、戸惑ったように目を瞬かせた。
三人の顔を当惑した表情で見渡し、銀時と目が合うと、賢いことに上手く乗せられたと悟ったらしい。悔しげに唇を噛んで、気不味さを誤魔化すようにジロリと銀時を睨んだ。

「…おい、テメェも天人なのか?そういや変なカッコしてやがるし…」
「オイオイ、洋装イコール天人ってお前はいつの時代の人間だ?天人襲来が何年前だと思ってんですかコノヤロー」

銀時が苦笑すると、バカにされたと思ったのか少年はムッと眉を寄せた。

「五年前だろ。江戸がどうなってんのか知らねェが、こんな田舎じゃまだ洋服着てる人間なんていねェよ」


その言葉に、銀時たち三人はパチリと瞬いた。


「…え?いや…え?」
「何だよ」

戸惑った声を発する新八を、少年は不機嫌な顔で見返す。まるで、何もオカシなことなんか言ってねェだろ、とでも言うように。
いやでも、だって…と言いかけた新八は、銀時に襟首を掴まれて引き寄せられた。神楽も同様に引き寄せられ、三人で円陣を組むように顔を寄せる体勢になる。銀時は声を潜めた。

「…オメーらちょっと聞け。さっきから思ってたんだがな、ここはどうも空気が澄みすぎてる…まるで俺が子供の頃みてーな空気だ」

武州なんて江戸からそう離れてないというのにコレは妙だ。そう言ってチラリと視線を上に走らせる。
雲一つ無い青空。…普通なら、宇宙船の一つぐらい空を横切っていってもオカシくない場所のはずなのに。
新八は銀時の話にちょっと眉を顰めた。

「えーと、銀さんが子供の頃っていうと…」
「十五年前ぐらいだな」

天人がこの国に来てから数年が経過した頃。五、六年ぐらいでは、空気はそう汚れなかった。
昼寝をしながら見上げた空が澄み渡っていたのをよく覚えている……そう、ちょうど今頭上にある空のように。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ銀さん、それってまさか…」

ヒクリ。新八が頬を引き攣らせる。ここまでくれば銀時の言いたいことが充分に察せられて、しかし口に出すのを躊躇っていると、神楽が爛々と瞳を輝かせて身を乗り出した。


「タイムスリップアルか!」


そんなまさか。

当然のはずの否定文句が喉につかえて声にならず、新八は口を開閉させた。


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2へ続く

予定より短いところで切りました。話がほとんど始まってすらいなくてスミマセン。