土方の家は山を下りてすぐ、里の外れ。静かに流れる川を背にした小さな一軒家だった。


「オイ、客がいるのにお茶菓子の一つも出ないなんてどういうことアルか」
「ちょ、神楽ちゃん!」
「あァ?何が客だ!テメェらが行くあてねェっつーから仕方なく連れてきてやったんだろうが!」
「あああ!そうだよねゴメン十四郎君!わかってるから!神楽ちゃんの言うことは気にしないで…」
「行くあても無く山の中を彷徨っていたイタイケな少女に温かいもてなしをしてあげようって人情はお前には無いアルか!そんなんだから瞳孔が開きっぱなしになるネ!」
「んだとコラァァァ!!」

家に上がって早々、派手に口喧嘩を始めた二人に新八は頭を抱えた。
どう贔屓目に見てもコレは神楽の方が悪い。
止めてくれ、と見上げた先で、頼りの銀時は全くやる気の無い顔でダルそうに室内を見渡していて。新八は深々と溜息を吐く。
どうやら、彼らを止める役目は自分に一任されてしまったらしい。

(一応この場にいる唯一の大人なんだから、もうちょっと保護管理責任ってのを持ってほしいよなァ…)

そこまで考えたところで、フと気付いて新八は周りを見渡した。

唯一。
そう、唯一だ。

そういえば、いない。この場にいるはずの大人…即ち、土方の家族が。


土方少年の家に着いて、まず通されたのは玄関から入ってすぐの八畳間。
おそらく居間として使われているのだろうこの部屋は、新八達が足を踏み入れた時には誰もいなかった。
…いや、多分、この部屋だけでは無い。
風通しの良い日本家屋は、一つの部屋にいても家全体の気配を感じ取れて…
シンとした空気は、今、この家にいるのが自分達四人だけであることを告げている。

銀さんが周りを見渡していた理由はコレか、と新八は推察した。
土方の家に行く、と言った時点で、当然彼の家族に会うことになるだろうと予想していたのだ。
突然やって来た自分達を怪しまれることも覚悟していたし、どうにか頼み込んで泊めてもらえるようにしなくては、と頭を悩ませていたのだが。

留守なのだろうか。
所用で明日の朝まで帰って来ません、とかだったら、説明の労が省けて楽なのだけど。新八は都合の良いことを考えた。

「…えーと…十四郎君、お家の人は?」

言い争い続ける二人の間に何とか身体を割り込ませて、遠慮がちに尋ねる。
すると土方は、神楽と口論していた口を噤むと、急に表情を消してフイと顔を背けた。

「いねェよ」
「え…」

いない、とは、どういう意味か。
新八がそう聞く前に、少年は淡々と言葉を続ける。

「親父とおふくろは俺がまだ小せぇ時に死んじまって、顔も覚えてねェ。俺を育ててくれたのは兄貴と姉貴だ」

寸の間、言葉を失って新八は黙り込んだ。
そっぽを向いている少年の無表情な顔を見詰めて、ごくり、喉が鳴る。

「じゃあ、そのお兄さん達は…?」

恐る恐る尋ねてしまってから、聞いてはいけないことだったかもしれないと新八は狼狽した。
土方は先程「家の人は」という問いに「いない」と答えたのだ。…つまり。

「上の兄貴はずっと江戸に出稼ぎに行ってたけど、何年も前に連絡が取れなくなった。…多分、もう死んでんだろうな。下の兄貴は戦に行くっつって出てったっきり音沙汰ねェ。しばらく姉貴と二人で暮らしてたけど、その姉貴も二ヶ月前に死んだ。今、この家には俺一人だ」

この御時世にそんな事情は珍しくないと思ってのことか、土方はあっさりとした口調で答えた。
表情を変えぬその姿を見て…新八は黙って、キュッと眉を寄せた。

確かに、戦時中のこの時代、家族を早くに亡くしてしまった子供たちは少なくないと聞く。そういえば銀時も以前、「家族はいない」というようなことを言っていた。
かく言う新八自身も両親を早くに亡くしているし、神楽も片親はいない。それを考えれば、土方の口から語られたのはそれほど特異な事情というわけでは無いのかもしれない。
…けれど。

共に暮らしていた肉親を亡くして――まだ、二ヶ月。

ショックの大きさを考えれば、つい最近、と言ってもいい近さだ。
心に負った傷は、未だ塞がらずに痛みを訴えているだろうに。


「…なんだよ。同情ならいらねェぞ」

黙り込んでしまった新八にジロリと眼光を強めた少年を見て、新八は益々掛けるべき言葉を見失う。

…同情はいらない、とわざわざ口にすること事態が、その無表情が虚勢であると知らしめているようなものなのに。
それを判らぬほどに、この土方はまだ幼いのだ。
新八の知っている未来の土方は、こんなにも簡単に胸の内を悟らせてはくれなかった。


「…お前、今どうやって生活してんだ?」
「ちったァ蓄えがあるし、山に行きゃ食いモンもある。近所のオバサン連中が偶に飯持ってきてくれたしもするしな。…ま、そのうち、この家も出るけどよ」

言葉に詰まった新八の後を引き継ぐように問うた銀時に、土方は淡々と答える。
抑揚の無い口調が返って少年の心境を物語っているようで。新八は視線を彷徨わせた。

…家族が帰って来ない方が都合が良いとは思っていた。だけど、決してこんな答えを期待していたわけじゃない。
少年の触れられたく無いところに無造作に触れてしまったのだと、ツキリ、胸が痛んだ。
痛ましげな目で見詰めるのは、おそらく今の彼が最も望んでいないことだ。そう思うからこそ、何と言えば良いのか判らない。
見れば先程まで土方に突っかかっていた神楽も、流石に反応に迷ったように土方を見詰めている。

室内に漂った沈黙に土方は居心地悪げに身じろいだ。その瞳が、同情を咎めて微かに揺れる。
そんな少年の様子をじっと見据えて、銀時は静かな声を発した。

「…なァ」
「っんだよ!同情ならゴメンだって…っ」
「その近所のオバさんって、お茶菓子とかは持ってきてくれたりしねェの?」
「………は?」

思いがけぬ言葉に、土方は数秒の沈黙を経てからパチリと瞬いた。
新八が弾かれたように隣を見上げる。と、銀時は平素と全く変わらぬ表情でポリポリと首の後ろを掻いていた。


「いや俺、定期的に甘いもん摂らないとダメな体質なんだよね」
「アンタはもうちょっと空気を読めェェ!」


思わず全力で突っ込んでしまった新八に、銀時は小うるさげな顔をして気怠く言い返す。

「読んでるよそんなモン。速読なみのスピードで読みまくってるよ。速読法知らねーけど」
「それは単にページをパラパラめくってるだけだろうがァァァ!それで読めるのはパラパラ漫画ぐらいだよ!」
「世界ってのは総じて、一瞬一瞬の輝きを繋ぎ合わせたパラパラ漫画みてーなもんだよ」
「アンタの世界観なんか聞いてませんよ!」
「そうアル!銀ちゃんのペラペラの人生観なんか誰も興味ないネ!」

突如としてギャーギャーと騒ぎ始めた三人を、土方はちょっと呆気にとられた体で眺めた後、気が抜けたようにフッと溜息を吐いた。
虚勢にピリリと張りつめていた瞳が、呆れて小馬鹿にしたような視線に取って代わってこちらを見詰める。
それを横目で認め、銀時は気付かれぬようにそっと息を吐いた。



投げやりな態度の理由は、コレか。
銀時はそこに思い至って、僅かに眉を寄せていた。


仲間を大切にする分、外への警戒心が強い男。
…だが、コイツには今、護りたいものが無いのだ。


近しい者を失い、その先に出会う人の存在も未だ知らず。
ポッカリと心に空いた谷間のような空白。
もう自分には何も残されていないと。
何もかもどうでもいい、なるようになれ、と。そんな投げやりな考えが思わず頭を過りかける、空虚感。

――自分にも、覚えがある。


銀時はガシガシと頭を掻いた。
しまったな、と。後悔の呟きが胸の内に零れる。
「らしくない」態度の理由を確かめたいなどと、そんな安易な動機で踏み入っていい領域では無かった。

…何と言うか、ひどく気不味い。
銀時の知っている未来の土方は、弱い部分を他人に見せたがらない人間だ。
それなのに、こんな風に彼自身の預かり知らないところで、まだ幼く感情を隠しきれない彼を見てしまうなど。

まるで、意図せずして他人の秘密を覗き見てしまったような背徳感。

沸き上がった後味の悪さが思わず表情に出てしまって、銀時はそれを誤魔化すために、甘味は無いのかと重ねて所望してみせた。
アンタまだ言ってんのかという新八の罵倒は、わざとらしく聞き流す。

「…ったく、しょうがねェな。そういや今朝何か貰ったような気がするし、持ってきてやるよ」

呆れ返ったという表情で台所の方に消えていった土方の背を見送って、やっと束の間、肩の力を抜いた。


安易に踏み込んでいい領域では無い。それは判った。
しかしここまで来てしまったら、急にこの家を出ていくのは不審すぎる。
…と、すると。

あの少年とはあまり深い会話をせず、無難に一晩過ごして。思いがけず知ってしまった彼の過去は、見なかったことにする。
面倒だが、現時点で自分達が取るべき行動はそれしかない。

とりあえず、元の時代に戻ったら今日見たことは誰にも言うんじゃねェぞ、と。後で新八達に釘を刺しておかなければ。…わざわざ言わなくてもその程度の良識はあるヤツらだが、念のため。
…まったく、厄介なことになってしまった。
銀時は何度目かの溜息とともに、パキリと首を鳴らした。



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4へ続く

コマ切れでごめんなさい。次はもっと展開させます(土下座)