「おお!柏餅じゃねェかァ!でかした十四郎!」
「馴れ馴れしく十四郎とか呼ぶんじゃねェェ!」

居間に戻って来た少年の手にあるものを見て、銀時は弾んだ声を上げた。
ほらよ、と乱暴に卓袱台に置かれた皿の上には、餡をくるんだ白い餅が柏の葉に包まれて鎮座している。
爽やかで甘い香りに思わずピクピクと鼻が動く。知らず知らず口元も緩んだ。
しかし、それも束の間。

「でも、二個しか無いアルヨ」
「贅沢言っちゃダメだよ神楽ちゃん。十四郎君のを分けてもらってるんだから。ホラ、半分に割って四人で…」
「たったの二個じゃ私のお腹の百分の一も満たないネ」
「ああああ!ちょ、神楽ちゃん!何一人で二つ食べてんのォォオ!?」

ペロリ、と。まるで手品のように一瞬で皿から消え去った和菓子に、銀時は咄嗟に言葉すら失って硬直した。
…オイ神楽。俺の糖分を奪ったヤツは四分の三殺しだって前にも言わなかったか。言ったよな?
ヒクリ。顔を引き攣らせて、もぐもぐと幸せそうに動く頬を抓り上げるべく手を伸ばす。

だがそれは、土方少年の激昂の声に遮られた。

「オイお前、何してんだコラァァ!」

ガシャン、と卓袱台に手を付いて神楽を怒鳴りつける。眉を吊り上げて見事に瞳孔を開いているその表情に、ああ、やっぱりコイツとあの野郎は同一人物だな、と銀時は思った。
この少年は、大して柏餅に執着しているわけでは無いはずだ。持ってきた時の様子からして、「どうしても食べたい」という風情は感じられなかった。
それなのにどうして今、こんなに目くじらを立てているのか。
それは多分、柏餅を食べてしまったのが、先程から何かと口喧嘩を続けている神楽だからだろう。

自分が特に欲しく無い物でも、気に食わない相手に独り占めされれば腹が立つ。
いつもくだらない事で小学生並の喧嘩をふっかけてくる、大人の土方と同じだ。

銀時は神楽の頬を抓ることも忘れて、ガシガシと頭の後ろを掻いた。


節々で顕れる、大人の土方と少年の共通点。
彼らは確かに同一人物だと、その度に思い知らされる――のに。
それでいて。目の前の少年は幼さ故に、弱った心を隠しきれず。似合わぬ捨て鉢さを曝け出している。


(……全部見なかったことに、か…)

本当にできるだろうか、と、今更ながら銀時は自問した。
今日見たことを誰かに口外するつもりは欠片も無い。本人を前にしても、おくびにも出さない自信だってある。
…しかし。

自分の中の記憶は、消せはしない。
一度見てしまったものを完全に見なかったことにするなど、所詮は不可能なのだ。

改めて、他人の過去を覗き見ている罪悪感に眉を寄せる。
急に出て行くのは不自然だと思ったから、ここに残ったのだが…その判断は本当に正しかっただろうか。
多少不審に思われても、やはりさっさと出て行くべきでは無かったのだろうか。


銀時がそんな思考に沈んでいる間にも、土方と神楽は怒鳴り合いを続けていた。
新八が何とか割って入ろうとワタワタと二人を見比べては、時折助けを求めるように銀時に目をやっている。

「てめっ、なに一人で全部食ってんだよ!ちったァ人のことも考えやがれ!」
「うるさいネ!団子にマヨかけて食うやつにコレは勿体ないアル!」
「アァ!?何だよマヨって!」
「―――!?」


ザザザッと。
音がするほどの勢いで、万事屋三人は後ずさった。


信じられないものを見るような目で少年を見てしまった新八は、はたと気が付いたように、それでもまだ衝撃を隠し切れない声で、横合いの銀時に囁きかける。

「そ…そうか。この時代、マヨってそんな普及してなかったんですかね?」
「…おう。そういやそうだな。ったく、誰だよコイツにマヨなんてモンを教えたヤツは」
「せっかくだから、マヨなんて一生食うなって言っといてやるべきアルか」

大人の土方の異常なマヨラー度を思い浮かべ、げんなりとした表情でボヤいた銀時は……続いた神楽の台詞に、ゾクリと悪寒のようなものが背を駆け上るのを感じた。

…何だ?
己の内に突如沸き上がった感覚の意味するものが咄嗟に判らず、銀時は眉を顰める。

その感覚の正体を悟るより前に、新八の言葉に再度、背筋が粟立った。

「あ、それイイんじゃない?マヨネーズなんてマズイ食べ物ですよってこの子に刷り込んでおいたら、ひょっとしたら土方さんの異常なマヨ癖もマシになるかも」

――駄目だ。

何が、何故、駄目なのか。それすらも判らぬまま、銀時の頭に赤信号が点る。
これは悪寒というよりも、もっと切実な…焦燥感と、切迫感。

「了解ネ。それでいくアルヨ!」
「待て神楽!」

気が付けば考えるよりも先に口が制止の声を吐き出していて。その意外なほどに鋭い響きに、驚いた顔で見られた銀時は内心で少し慌てる。

制止してから、判った。
自分の背筋を粟立たせたものが何なのか。
…しかし、それをそのままストレートに言葉に出すのは、どうにも躊躇われる。

銀時は面倒くさそうな顔を取り繕うと、首の後ろを掻きつつ釈明の言葉を選んだ。

「…いや、なんかホラ、アレだ。あんだろーが、タイムパラドックスとか何とか」
「ああ、タイムスリップのせいで起こる矛盾とかそういうヤツでしたっけ?」
「そーだよ。もしここで下手なことやってコイツの未来が変わってみろ。大人のコイツと不本意にも腐れ縁を持っちまってる俺らにもどんな影響が出るか判んねーだろうが!」

早口で捲くし立てるように言い切った銀時の台詞に、新八は「なるほど」と頷きかけて、それから改めてハッと息を飲んだ。
…気付いたのだ。銀時の制止があれほど鋭かった理由に。
「俺達に変な影響が出ては困る」という主旨に聞こえる台詞の裏に隠された、真に懼れるべき事態に。

そう。銀時の脳裏を過ぎった危惧は、自分達自身に影響が出るか否かという、それ以前の問題。

銀時は頭を抱えたいのをグッと堪えた。


迂闊だった。
どうして今まで気付かなかったのか。



――今の自分達は、土方の将来を簡単に変えられてしまうのだということに。



マヨネーズも知らず。近藤や沖田や、ミツバの存在も知らず。まして真選組なんて言葉は欠片も頭に無い。
…この土方は、自分達が知っている彼に比べ、遥かに未完成で不安定だ。
強い瞳や交わす言葉からは、大人の土方と同じ空気を感じるけれど。

喩えるなら、何の支えも無く地面に立てられた棒。
それ自身が真っ直ぐで頑丈だから、今はどうにかバランスを保っているけれど。少しでも外から力を加えたら、きっと簡単にそちらに傾いてしまう。

その光景が容易に想像できてしまって、銀時は乾いた喉を唾で潤した。


未来を知る自分達が、他人の人生を好き勝手に操作するなんて傲慢だ。
たとえそれが気に食わない相手の、気に食わない部分であったとしても。

干渉してはいけない。
作り変えてはいけない。
それは、タイムスリップなんてものをしてしまった人間が守るべき、最低限のマナーだろう。


過去を覗き見てしまった罪悪感がどうとか、そんなことを言っている場合では無かったのだ。



「…すいません銀さん。僕らが軽率でした」

銀時の心の中を察したように、新八が神妙な顔をして小声で呟いた。
自分達は今、その気になれば…いや、その気が無くとも下手を打てば、大人の土方の存在自体を消してしまえる。その可能性に思い至ったのだろう。心なしか顔が蒼い。
神楽もまた事の重大さを薄々感じ取ったらしく、開きかけた口を噤んで考え込むような表情を見せた。
そんな二人に、銀時は目線で頷く。

「おい、何またコソコソしてやがんだテメェら。言いてェことがあんならハッキリ言えっつってんだろ」

突然自分から遠ざかって囁き交わし始めた三人組に、少年は当然ながら不機嫌な視線を向けている。
銀時は平然たる表情で彼に向き直った。

「ああ、協議の結果、お前が近所のオバサンとこ行ってもう一回柏餅もらってくるっつーことになったから。よし行け」
「誰が行くかァァァ!ふざけてんじゃねェ!」

勝手な言い草に怒鳴り声を上げた土方に、銀時は故意に大きく音を立てて舌打ちをする。
どかりと態度悪く畳に腰を下ろして、喧嘩を売るように顎を上げて尊大な台詞を返した。

「ったく、しょーがねェなァ。じゃあ早く何か代わりの菓子を出せ。こっちは糖分切れてイライラしてんだよ」
「ねェよ菓子なんか!こっちはテメェのその態度にイライラしとるわ!」
「あぁ!?菓子の常備が無いとかどういうことだコノヤロー!」
「どういうこともこういうこともあるか!何でそんなもん常備しとかなきゃなんねーんだ!」
「そんなもんとは何だァァ!糖分は地球を救うんだぞ!?おまっ、糖分常備してない家とか、ナイわ。マジでドン引くわ」
「こっちがドン引きだわァァァ!」

あまりの銀時の態度に、土方少年の額にビキリと青筋が立つ。

「そもそもテメェらが行くあてねェっつーから、親切でうちに連れて来てやったんだろーが!文句あんなら出てけ!」
「ああ出て行くね!こんなトコこっちから願い下げだボケェ!」
「ちょっ、銀さん!?」

売り言葉に買い言葉、という風情で断言した銀時に、新八が慌てて声を上げた。
そんな。いくら何でも、子供相手にムキになりすぎじゃないのか。
「出てけ」なんて台詞、土方が心底本気で言ったとは思えない。その証拠に少年は今、アッサリと立ち上がった銀時に虚を突かれたように固まっているではないか。それなのに。

「おら、行くぞテメーら」
「でも…!」

本格的に出て行くつもりの銀時の様子に、新八は戸惑う。
銀時はそんな新八の隣に立つと、土方に聞こえぬようにそっと声を潜めた。

「…これ以上ここにいたら、何が未来に影響与えちまうか判んねーだろ」
「あ…」

呟くように吐かれた銀時の言葉に、新八はパチリと瞬いた。
見ると、土方に背を向けた銀時は喧嘩を売るような表情を収め、代わりに遣る瀬無いような、仕方ないと諭すような顔をして新八を見ていた。


他人の過去を勝手に盗み見ることだけを問題だと思っていた時でさえ、この家に居ることを躊躇したのだ。
他人の未来を変えてしまう危険性に気付いた今、一刻も早くここから離れるべきだろう。
…たとえその方法が、喧嘩別れ、という後味の悪いものでも。


銀時の意図を理解した新八が、まだ迷う様子を見せながらも微かに頷く。
判ったなら、と目で促して、銀時は部屋を出るべく一歩踏み出した。
新八も重い足取りでそれに続こうとした、その時。

「…アイツ、このまま置いてくアルか」
「神楽ちゃん?」

それまでずっと黙っていた神楽が、僅かに逡巡しつつも明らかな抗議の色を込めた声を発したことに、銀時と新八は足を止めた。
振り返れば神楽は手にした傘の柄を握り締めて、何かに煩悶するように顰めた顔を俯かせている。

「私、ニコ中は嫌いネ。でも…」

そう前置きしてから、神楽は真っ直ぐに顔を上げて銀時の目を見詰めた。

「マミーが星になって、家に一人になった時……私、ずっと淋しかったアル。偶にパピーが帰って来た時は嬉しかったけど、また置いてかれた時は余計に辛かったネ」
「…………」

言葉以上のことを訴える、神楽の瞳。
銀時は黙って眉を寄せた。


判っている。

神楽と喧嘩をしている時の少年が、ただ怒っているだけではなく、その裏にどこか楽しげな空気を醸し出していたことも。
孤独の寂寥を抱える者にとって、くだらないことで怒鳴りあえる人間が隣にいることが、どれほど救われることなのかも。
ここで自分達が急に出て行ったりしたら、この静かな家に一人取り残された少年が、どんな気持ちになるのかも。

出て行くと銀時が宣言した時、一瞬だけ少年の瞳を横切った微かな揺らぎも。


判っているのだ。
――しかし、それでも。


「…あの、銀さん…もともと一晩だけって約束でしたし、もう少しだけここで過ごすっていうのは…ダメですか?その、土方さんの未来に影響を与えるようなことを言わないように気を付けてれば、一晩ぐらい…」

黙りこくってしまった銀時に、新八が恐る恐る声をかける。

今ここに留まったところで、ずっと居られる訳では無いのは新八も判っている。いつ元の時代に戻れるのかは判らないが、いつかは必ず帰ることになるはずだ。そうでなくてはこちらも困る。
だが、せめて一晩。このまま喧嘩別れするのでは無く、一晩楽しく騒がしく過ごして、そして気持ちよく別れたい。
この少年が、必要以上の寂寞を感じずに済むように。

言外にそう訴えられて、銀時はまた、ガシガシと頭の後ろを掻いた。

神楽や新八の言いたいことは判る。自分だってできればそうしてやりたいし、実は、そこまで簡単に未来が変わってしまうとも思っていない。
余計なことは何も見ざる言わざる聞かざるで無難に一晩過ごすぐらいなら、大丈夫なんじゃないかという気はしているのだ。

…ただ、問題は。

本当に何も言わずにいられるか、ということだ。

この少年にマヨネーズを知らないと言われて、あれほど顕著に反応を示してしまった自分達だ。いくら干渉しまいと注意していても、事あるごとに過去と未来の相違を見付けては目を瞠ることになるだろう。
その時にうっかり何か口を滑らせないと、何故断言できよう。


危険だ。
冷静に考えるならば、やはり自分達はここにいるべきではない。


――しかし。


あの幼さで背中に孤独を匂わせるあの少年を、ここで放り出して行けるのか、と問われれば。


…それもまた、否なのだ。


銀時は深く溜息を吐いた。

「…おいガキ」
「ガキじゃねェ土方だ。…んだよ、出てくならサッサと出てけばいいだろ」
「あん?オメー、十四郎っつったら怒ったじゃねーか。だからガキっつったのに」
「普通に土方って言やいいだろうが!」
「わがままだなコノヤロー」
「どこがだァァァ!」

だってお前、人のことは万事屋呼ばわりするくせに。
頭に浮かんだ台詞は口にせず飲み込む。
…こりゃ予想通り苦労しそうだと、胸中に苦笑い。

「いいから、台所に案内しろやガキ」
「だからガキじゃ…!って、アァ!?何だよいきなり!台所に何の用があるってんだ!」

唐突な言葉に眉を跳ね上げた土方に、銀時は平然と答えた。

「甘いモン探しに行くに決まってんだろ。考えたら家に甘味のストックが一個も無いとかあり得ないからねコレ。オメー実は隠してんだろ」
「誰が隠すかァァァ!テメェの基準で物を考えてんじゃねェ!」
「オイオーイ、俺を誤魔化そうたって百年早ェよ?バレバレだから。お見通しだから。後で自分一人で食うつもりで取ってあるんだろ?みみっちいことすんじゃねーよボケ」
「ボケはテメェだァァ!上等だ!そこまで言うなら勝手に台所探しやがれ!」

大人の彼と同じような喧嘩の買い方をして、少年は台所へと踵を返す。

「出て行け」という問答をしたことも、微かに漂わせていた寂寥も忘れたようなその背中を見て。
ホッと顔を綻ばせた新八と神楽に、銀時は肩を竦めてみせた。




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5へ続く