第一訓 瓢箪から駒が出たら一番驚くのは絶対に本人だ


「銀ちゃ〜ん、ひもじいアルよ〜」

今日も今日とて万事屋の居間に木霊するのは、十代前半の少女が口にするにはあまりに物悲しい台詞。
明るい茶色の髪を二つのお団子にまとめ上げた少女は、その小さな体を、大きな大きな白い犬にもたせかけて訴えた。

「ひもじいアルよ〜」
「うるせーよ神楽、お前一人が腹減ってると思ってんじゃねェ!お前には酢昆布があんだろ」

ソファに気だるげにもたれた青年は、見た目の年齢には不似合いな白銀の頭髪をわしゃわしゃと掻き乱しながら投げやりに言葉を放った。
神楽と呼んだ少女の方には目も向けない。
その目はTV画面に見入っているようで、その実どこも見ていない。まるで死んだ魚のように虚ろな目だった。

「ないアル!もう酢昆布一枚もないアルネ!」

がばり、と、神楽は身を起こしかけ、エネルギーを切らしたカラクリのようにヘタヘタと犬の背中に戻った。

「もう…米の一粒もないですよ。銀さん…」

ぼんやりとした、それでいて深刻な絶望を秘めた声が、居間と台所の境に佇む少年から発せられた。彼の目もまた、何も映していないかのように虚ろである。 彼の眼球は、目の前に掲げた貯金通帳が示す現実…即ち、ゼロという記号…に焦点を合わせることを拒否していた。
しかし、いくら視界をぼやけさせてみても、ゼロという数字は一向に他の数字に化けてはくれなくて。
少年、新八は絶望と焦燥にこめかみ辺りをひきつらせた。

「どーすんですか銀さん!このままじゃ僕ら全員飢え死にですよ!?アンタが真面目に働かないから!!」
「なんだオイ、俺のせいですかコノヤロー。お前だって従業員だろうが。つーか、ここは俺の家だぞ。お前ら働きもしねーで ウチでタダメシ食おうなんざいい度胸だ」
「仕事があったら働いてますよ!ってか、アンタこそウチの道場で散々タダメシ食ってたじゃないか!そのせいでいい加減にしろって 僕まで姉上に出入り禁止くらったんでしょ!どう考えてもアンタのせいだよ!」

貯金通帳ごと両手をバンッと机に叩きつけ、新八は青筋を浮かべて白髪頭に詰め寄った。

「仕事探しに行きますよ銀さん!もうこうなったら日雇いバイトでも何でも!ちゃんと働けよアンタ経営者だろ!!」

この店の!この万事屋の!!と、最後には悲鳴のような声を上げて鬼の形相を近付ける新八に、「万事屋銀ちゃん」の経営者こと 坂田銀時はビビるでもなくうるさげに顔をしかめた。

「怒鳴んじゃねーよ、エネルギーの無駄使いだ。生産性のないことするんじゃない。お前の燃費は一昔前のトラックか」
「極貧生活でここまで生き延びてんだから最新エコカー以上だよ!ガソリンスタンドに行くためには最後のガソリンを使い切ってでも 走る必要があるだろ!」
「ガソリンスタンドに着いても給油する金がないんじゃ、そこまで行くガソリンが無駄になるだけじゃねーか」
「人事みたいに言ってんじゃねーよこのダメ経営者ァァァ!」

机をちゃぶ台返しでもしそうな勢いで叫んだ新八は、精根尽き果てたようにその場に座り込んだ。

「ダメだ…餓死だ…僕は上司にする相手を間違えたんだ…こんな勤労意欲の欠片もない人にどうして付いてきちゃったんだろう…」

斜め下の床を見詰めて自らの人生を嘆き出した新八を見下ろして、銀時は深々と溜息を吐いた。

「オイオイ新八君…お前なに失礼なこと言ってくれちゃってんの?ちゃんと働いてるよ銀さんだって。この前も白フンに連れられて化け物 ランドで…」
「それはアンタが西郷さんを怒らせてタダ働きさせられただけでしょうが!金になる仕事をしてこいやァ!」

自慢げというには気だるさの過ぎる銀時の台詞は、即座に新八に遮られた。
「白フン」と「西郷さん」というのは同一人物で、ここ歌舞伎町で最強を誇るオカマのことである。銀時はとある事件で彼(彼女?)と知り合って 以来、うっかりと失言を繰り返して怒られては、オカマバーでのタダ働きという制裁をくらっていた。
ちなみに店の名前は「化け物ランド」ではなく「かまっ娘倶楽部」である。

「いや、違うんだって。確かに店で働いたのはタダ働きなんだけど、今回銀さんはもう一働きしたわけよ」
「え?そうなんですか?」
「ほんとアルか?」

意外中の意外、ともいうべき銀時の言葉に、本日始めて新八の形相が緩み、先ほどまで生ける屍の如しだった神楽までもが顔を上げた。
この自堕落な雇い主がまさか自分達の知らないところで自発的に働いていたとは。珍しいこともあるものである。明日は雨だろうか。
いや、その珍しい行為が依頼料、ひいては食料に繋がるのであれば、雨など軽いものだ。暴風雨ウェルカムだ。

「やだなァ銀さん。それならそうと早く言って下さいよ人が悪いな」
「銀ちゃん偉いネ!何があったアルか?どんな仕事だったアル?」

途端になごやかになって尋ねる二人に、銀時は頷くと、勿体ぶって腕を組み、目を閉じて語り始めた。

「おう、実はだな…」



曰く。
「パー子」という名のオカマに扮して店を手伝っていた銀時は、珍しくも多少真面目に仕事をしたため、 白フン…もとい、マドマーゼル西郷から早めにお許しをもらった。それどころか、お駄賃に少しなら店で 飲んでいっていいとまで言われた。

「銀さんアンタ、僕らがお腹を空かせてるのをヨソに一人で飲み食い…!?」
「人の話は最後まで聞けって」

で、パー子からいつもの銀さんの格好に着替えて店内に戻ると、いつの間に来たんだか、見慣れない従業員が いることに気付いた。しかもこれがあの店には珍しく、とんでもねー美人だ。絶世の、という言葉を付けても 過言ではない。興味を覚えた銀時はそいつに近付いた。

「うわ、今度はナンパアルか。サイテーアル」
「だーから、聞けっつーの」

銀時が興味を覚えたのは、その人が美人だったからではない。様子がどうもおかしかったからだ。酌やら何やら、 夜の蝶的な仕草はやたらと素人くさいのだが、周りを見回したり、出入りする客の顔をさり気なく確認したり する仕草はやたらと玄人くさい。
ははぁ、こいつはスパイ的な何かだな。
銀時はそう思った訳だ。
もしこの店の弱みを掴んで潰そうとか企んでる輩だったらコトだ。
そうだったら白フンに突き出して報酬をぶんどってやろう…そう考えた。
そこで、先手必勝とばかりに気配を殺して背後からそっと近寄り、声をかけたのだ。

「おい」
「!?」
背後をとられたことに驚いたのだろう。そいつは弾かれたように振り向いた。
白皙の肌に艶やかな黒髪と唇の紅が映え、長い睫毛に縁取られた少しキツめの切れ長の瞳は、目尻に薄く ひかれた朱色のせいか、いやに色っぽい。

(おいおい、コイツほんとに男か?)

オカマバーとはいえ、スパイ目的なら女が偽って潜り込んでいても不思議は無い、と、銀時は改めて観察 するが、自分と変わらない背丈と立派な喉仏を認めて、つい嘆息する。

(残念…女だったらスゲー好みなんだけどなァ)

自然とうなだれてしまった顔から上目で様子を窺うと、女…否、男は信じられないものを見たような目をして 蒼ざめている。
スパイとして注意深く辺りを窺っていたはずなのに、簡単に背後に忍び寄られたことがショックなのだろう。 正体がバレたかと蒼くなっているのかもしれない。
ここでいきなり逃げられては堪らないので、銀時は安心させるように笑顔を作った。

「あー…ネーサン、一杯つきあってくれねェ?」

そもそも、スパイ活動自体を咎める気は銀時にはない。この店に無関係な、ただの人探しとかなら捕まえても 金にならな…いや、捕まえる理由がない。
だからとりあえず、酒でも飲みつつ目的を聞き出そうとやんわりと話しかけたのだ、が。
男…と呼ぶのを躊躇うようなその美人は、綺麗な形の眉をぐっと寄せて一歩後ろに下がり、「何を企んでいる」 と言いたげな目をしてあからさまな警戒態勢をとった。

「ちょ、いや、いきなり背後とったのは謝るからさ、そんなあからさまに警戒すんなって」

とりあえず座って飲もうぜ、な?と宥めるようにいってみても、美人サンの眉間の皺は深まるばかり。こりゃ 背後に回ったのは失敗だったかと銀時は頭を掻いた。

「俺、坂田銀時ってんだけどー、金さえもらえば何でもやるっつー万事屋って商売やっててさ。で、今日はここの 用心棒的なことやってるワケ。アンタがどこの誰かは知らないけど、この店に危害を加えるつもりなら出ていって もらわなきゃなんねェ。でもそうじゃないなら、別に何も邪魔とかしねーから」

警戒心を解くにはまず自己紹介から、と、銀時は三分の一ほど嘘を混ぜつつ(オカマになってタダ働きして ましたーとかはあまり言いたくない)その他は正直に語ってみせた。
これは効果があったらしい。目の前の美人サンの表情は、警戒から徐々に困惑と疑念に変化していった。
よしよし、もう一押し。

「とりあえず座ろうぜ。立ってると目立つし」

そう促して手近なボックス席に入ると、ためらいつつも隣に腰掛けにきた。

「で、アンタ、名前は?」

いつまでも「美人サン」ではどうにもやりにくい。どうせ偽名を答えられるだろうが、なんにしても 呼び名があった方がいい、と、軽い気持ちで銀時は尋ねた。
しかし聞かれた方は何やら随分と考えるトコロがあったらしい。当惑しきった表情でさんざん躊躇った挙句、 やっと小さく口を開いた。

「ト……ト、シエ」

その声は作り声のようであったが女の声にはなりきれておらず、かといってわざとらしい甲高い裏声でもなく… 女にしてはハスキーな、セクスィボイスだった。

「そ、そう。トシエさんね」

(うーん、コレ男なんだよなァ。もったいねーなァおい)

内心で頭を掻き毟りつつ、外見は平静を装って銀時は頷いた。

「それでトシエさんは、この店で何を探ってたんだ?」

意図的に単刀直入に聞く。座る前の様子からして、遠まわしに聞けば聞くほど、トシエさんは警戒していく だろう。そう踏んでのことだが、やはり率直に聞けば答えるというものでもない。トシエは唇を引き結んで 目を逸らした。当然だが、そう簡単に仕事内容を漏らす気はないらしい。

「んじゃ、質問代えるわ。この店に危害を加える気、あるか?」
「そんなつもりはねェ…ありません」

今度は即答した。途中で敬語に切り替えたのは、なにも銀時を格上と見なしたからではないだろう。女の扮装 をしつつ堂々と男言葉で喋るのもどうかと思うが、女言葉を使うのには並々ならぬ抵抗がある…という葛藤から、 敬語に行き着いたらしい、と銀時は見た。どうやらこのトシエさん、本来はれっきとしたノーマル、かつ硬派 な男であるようだ。

(この店に危害を加えるつもりはないってのは嘘じゃなさそうだな)

つまり、こいつを捕まえても白フンから金は取れない。銀時はそう判断した。

「じゃあ…一応聞くけど、トシエさんの所属している組織は合法?違法?」
「極めて合法だ」

違法なら他から報酬が出るかも、とチラリと考えて聞いてみたが、それもあっさりキッパリと否定される。
敬語も忘れてムッとしたように睨んでくる瞳に、銀時は違和感を感じて首を傾げた。

(なんかこの目、どっかで見たような…?)

「わかったら、もう邪魔しないんですよね」

銀時が首をひねっている間に、トシエは冷たく言い置いて席を立とうとする。銀時は慌ててトシエの袖を掴んだ。

「ちょちょ、待てよなに勝手に話終わらせてんだコノヤロー」
「っ何…ですか!邪魔しないつったじゃないですか!」
「いや、邪魔しないって!邪魔はしないけど!」

苛ついたように振り返ったトシエに、銀時は自分でも思ってもみなかった言葉をぶつけた。

「邪魔はしないけど、協力ならするぜ」
「…………は?」

トシエがキョトンと目を見開く。銀時は自分らしくないことを言っている自覚があるため、きまり悪そうにポリポリと頬を掻いた。

「いや、さ。悪気は無かったとはいえ、俺、アンタの仕事の邪魔しちまったんじゃん?だからその分ぐらいは協力するって。 ホラ俺、万事屋やってるっつったろ?困ってるヤツに力を貸すのが俺の仕事でね」

いつもならここで依頼料〜とか言うトコなんだけど、今日はまァいいや。出血大サービスってことで。ラッキーだよお前ホント。
我ながらどういう気まぐれか、と内心自問しつつ、銀時はトシエにニッと笑いかけた。だがトシエは、あからさまにうさんくさそうな目線を こちらに向ける。お前に何ができる、と言いたげな視線だ。見くびられたもんだと銀時は笑みを深くした。

「トシエさんが探りたいの、二つ向こうのテーブルの天人どもだろ?」
「っな!?…んで知って…」
「わーかるって。だってさっきからずーっと気にしてるみてェだし。トシエさん、こういう仕事専門じゃないだろ?いや、並以上のレベルは あると思うけどさ、忍者と戦った経験のある俺から言わせてもらうと、慣れてなさげっつーか…コソコソすんの嫌いそーっつーか」

微妙に自慢を交えつつ正直な感想を述べると、トシエは悔しそうに顔を歪めた。自覚はあるが、素直にハイそうですと言えるほど 安いプライドの持ち主でもないらしい。
わかりやすいトシエの態度に、銀時はつい苦笑する。

「だからまァ、ここは銀さんの好意に甘えとけって」
「ってオイ、ちょ…!?」

銀時はトシエの腕をとって件のテーブル近くに引きずっていくと、気軽に天人の男達に声をかけた。

「よーお、ちょっとすいませ〜ん」
「あぁ?なんだお前?」
「いやあのさ、俺、そちらのテーブルのネーサン好みなんだ。トレードしてくんない?」
「は?」
「え?アタシぃ?」

天人に酌をしていた青ヒゲのオカマが、すっとんきょうな声を上げる。天人の男も、そしてトシエも、唖然として銀時を見た。

「ダメか?」
「いやどうでもいい…って、おいお前、変な趣味だな」

男は心底どうでもよさそうに言いかけたが、銀時の後ろに腕を引かれたトシエを見ると目を瞠り、銀時の顔をマジマジと見直した。
当然の反応である。ここのテーブルのオカマよりトシエの方が明らかな美人、というより、女にだってそうはいないだろうというほどの 上玉なのだ。この天人達の美意識が人間と似通っているとすれば、トレードを申し込むべきなのは逆に彼らの方だろう。

「そうか?ま、嫌なら別にいいんだけどさ…」
「いや待て待て!そのトレード、乗ってやる!ホラ行け!」

身を翻そうとする銀時に焦って、天人達は慌てて自席のオカマを押しやった。やだもう、なによォ、という抗議の声を聞き流し、空いた席に トシエを座らせる。地球人の趣味は未だによくわからんな、などと呟きつつ、トシエを見てニタリと相好を崩した。
トシエはちらりと銀時に目を遣ったが、すぐに天人達に向き直り、魅惑的な笑みを浮かべて酌を始めた。

「ちょっとパー子似の侍さん、アンタ見る目あるじゃなァい?」
「…それほどでも」

銀時はしなだれかかってきたオカマを連れてそのテーブルを離れた。
同じテーブルにさえついてしまえば、後はトシエの腕次第でどうにでもなるだろう。

…数十分後、酔いつぶれたらしい天人達を、「連絡を受けて迎えに来た」という風情で人間の男が二人、車に乗せて連れて行った。天人を車に 押し込んだ彼らがトシエに目礼したのを、銀時は横目で観察していた。
その直後、トシエは店から姿を消した。
「協力感謝する」と一言、擦れ違いざまに銀時に言い置いて…



『…で?』

話し終えた銀時に、新八と神楽は異口同音に続きを促した。

「いや話し終えた人に続きを促すっておかしくない?おかしいよなお前ら」

銀時は詰め寄った二人に押されるようにのけぞりつつ、抗議めいた台詞を返す。

「おかしいのはアンタですよ!まさかそれで終わりなんですか!?」
「今の話がどうやって食い物か、もしくは食い物に繋がるアルか!?」
「もしくは金、だよ神楽ちゃん!なに、今のはただの思い出話?近況報告!?」
「または『銀さん美人助けて感謝されちゃったよ〜』的なちっちゃい自慢話アルか!『もしかしてお礼にデートとか誘われちゃうかも〜』 的な電車侍ばりにイタイ期待でいっぱいアルか!」
「その電車侍ってもしかして僕のこと神楽ちゃん!?」
「待て待て待て〜い!ンなメガネ侍と一緒にすんな!俺はそんなイタイタしい期待なんかしてねェぞ!」
「お前ら人の傷口をほじくるなァァァ!!だったら何だってんですか銀さん!今の話のどこがどう、僕らの餓死阻止に繋がるんですか!?」

ゼェゼェと息を荒げつつ問い詰められ、銀時は宙に視線をさまよわせながら、それでも口調だけは堂々と答えてみせた。

「そりゃお前、銀さんは困ってる人を助けたんだぜ?ってこたー、今夜にでもトシエさんが一夜の宿を求めてやってきた上、俺らを竜宮城に …」
「あるかァァァ!なんか混ざってるし!」
「見損なったネ銀ちゃん!鶴と亀の区別もつかないアルか!いいアルか?その二つの間には九千年の差があるネ!同じ長生きでも雲泥の差ヨ!」
「そこはどうでもいいよ!大体その展開だと、銀さん最後には白髪頭のおじいさんですよ!?いいんですかそれで!?」
「心配いらないネ新八!銀ちゃんはもともと白髪頭アル!」
「ああそうか…ってそういう問題ィィ!?」

グシャグシャと頭を掻き回しながら怒鳴る少年と少女に、銀時は深い溜息とともに言葉を投げかけた。

「おいお前ら…元気がいいのは結構だけどなァ、ノリツッコミとかそういう高等テクを無駄に披露してっと…」
「何だっていうんですか!」
「何アルか!」

…ガス欠を起こすぞ。銀時がそう口にするよりも早く、身を乗り出して銀時に詰め寄っていた二人は、揃って机の上に崩れ落ちていた。



「もう嫌だ…何もしたくない…したくてもできない…」
「ひもじいアル…ひもじいアルヨ…銀ちゃんのバカァァ…」
「あー言わんこっちゃねェ…こっちまで腹減ったぜ…」

げんなりと、いや、げっそりと、万事屋の三人は机に突っ伏し、ソファにもたれかかって、盛大に腹の虫を鳴かせていた。

…ピーンポーン…

「ああもうダメアル…腹の虫にも限界が来て変な音立て始めたネ…」

ピーンポーン

「何?神楽コレお前の腹の虫なの?体内に玄関があるような音してんなァ」

ピーンポーン

「違いますよコレ明らかに玄関チャイムの音ですよ。誰か来たんですよ」

机に頬を押し付けた状態で、新八が溜息混じりに呟く。

「空腹の限界でもツッコミの習性は残ってるみたいだな」
「ついでにパシリの習性も思い出して応対に行くヨロシ」
「鬼畜かアンタらは…」

ぼやきつつも抵抗する気力も無いのか、新八はフラリと立ち上がった。

「どうせ新聞の勧誘かババァの家賃督促だ。戸開けて『金ならねェ!』っつって閉めちまえばいいさ」
「『食い物よこせ!』でもいいアルよ」
「はいはい…」

半分聞き流して、ヨロヨロと玄関に向かう。なんか本気で足元がおぼつかない。神楽の提案を実行したい気分だ。

ピーンポーン

「はいはァい…っと」

ああチャイムの音まで空きっ腹に響く…などと考えつつ、新八はカラリと戸を開けた。

「なんですかァ。今ウチお金無いんで、セールスなら諦めてくださ…」

あー情けな、と自分でも思う台詞を口にしながら顔を上げた新八が見たのは、

「……!?」

白皙の肌に、黒髪と紅い唇がよく映える、


「…万事屋の、坂田銀時に用がある…んですが」


切れ長の瞳の、美女だった。



「え…?」

しばらく呆然とする。

(銀さんに用事…って言ったよな。てことはお客さんだ。セールスじゃない。お通ししなきゃ。でもこんな綺麗な人が銀さんに何の用だろ? まさか依頼人じゃないよな。アレ?そういえばこんな感じの美人の話をどこかで聞いたような…?)

新八が黙っていると、黒髪美人は不審そうに眉をひそめた。

「オイ…いやあの、万事屋…サン、は、いないんですか?」
「あァいえ!いますいます!今呼びますね!」

美女の不自然な口調を気に留めることもできないほどテンパって、新八は応えた。なにしろ新八の周囲には、何故かロクな女がいない。外見は まァ良くとも、中味に問題があるヤツらばかりだ。やたら暴力的だったり色々、そもそも会話にならないことの方が多い。外見も中味のも 手放しで認めているのはアイドルお通だけ、という新八にとって、今目の前にいる美女は初めて接するタイプの女性と言ってよかった。
まともにチャイムを鳴らして玄関口で応対を求める、という当然の行為を当然のようにしてくれたことにすら、新八は妙な感動を覚えて いたのである。

「…?大丈夫、ですか?」

そんな新八の様子に、美女は少し首を傾げる。その反応もまた至極真っ当なもので、新八は心が浮き足立った。

「な、なんでもありません。大丈夫です!」
「なに騒いでるアルか新八、そんなにしつこい勧誘アルか…」

わたわた応える新八の後ろから、神楽がひょっこりと現れた。そして玄関に佇む美女を見て、呆けたように目を見開いた。「わァ」とも 「ふァ」ともつかぬ吐息が、その口からこぼれる。
その様子を見て、美女はまた眉を寄せ、首をひねった。

「オーイお前ら、何やってんだァ?」

奥から聞こえた銀時の声に、新八はやっとのこさ叫び返した。

「銀さん!銀さんにお客さんですよ!」
「客だァ?そんなもん来る予定ないけど?へ?もしかして依頼?」
「美人アル!結野アナより美人アルヨ!!」

神楽が叫ぶと、当の美女は驚愕したように目を瞠って一歩退いた。

「神楽お前ねェ…結野アナよりキレーな人がその辺にゴロゴロいるわけねーだろーが…」

神楽の言葉を端から否定しつつ、それでも僅かに期待を滲ませて出てきた銀時は、神楽が指した人物を見て一瞬で固まった。

(やっぱそうだよね。こんな美人がいきなり訪ねてきたら、誰だってテンパるよ。うん、僕だけじゃない)

新八はそう考えて胸を撫で下ろした、が、しかし、銀時が固まったのは、新八のそれとは少し事情が異なった。
即ち、その美人に見覚えがあったのだ。

「ト、トシエさん…?」





『ええぇええェェェェ!?』





万事屋に絶叫が木霊した。



------第二訓へ続く