第十訓 虎穴に入るなら用意は周到に


混濁していた意識が浮上した時、土方はすぐには目を開けなかった。
意識を失う前の状況と肌で感じる周囲の空気から、己が置かれている状況を冷静に推し量る。

車に押し込まれてすぐ、薬を嗅がされて眠らされた。
今はもう車の振動もモーター音も感じない。意識がないうちに目的地に運び込まれたようだ。
両手首がキリキリと痛む。頭上で括られて上から吊るされているらしい。爪先はかろうじて床に付いていた。

周囲には複数の気配。
こちらの目が覚めるのを待っているのか、時折不快な視線が突き刺さるのを感じた。
目覚めていることを敵に悟られる前に、自分の身体の状態を確かめておいた方がいい。と、土方は目を閉じたまま意識を全身に張り巡らせた。

腕や手首が訴えるのが痺れではなく痛みであることからして、吊るされてからそう時間は経っていないらしい。
両手の十指を一本一本、少しずつ動かして感覚を確かめる。特に支障は感じられなかった。嗅がされた薬は単に眠らせるためのもので、身体の自由を奪うものではなかったようだ。
足首は縛られていない。爪先で擦った床からは固く冷たい感触が伝わってくる。
草履は脱げてしまっているようだが足袋は履いたままだ。頭の重みや腹を締め付ける帯の感覚からして、着物やカツラもどうやら攫われた時のままであるらしかった。

「起きたようだな」

ふいにかけられた声に、案外目敏いな、と内心舌打ちしつつ土方はゆっくり目を開いた。

「ご機嫌いかがだね。…トシエさん?」

窓のない十畳ほどの部屋。
人口の光に照らされて、数人の男が吊るされた土方の前に立っている。
その中央に佇む天人の顔に、土方はスッと目を細めた。

(…こいつァ驚いたな…)

赤褐色の肌、頭髪の無い丸い頭、少しとがった口。
人間とタコを足して二で割ったようなその顔は。

「私の顔を知っているようだな。…ふん、まあ当然か」

写真で何度も確認した、遠くからなら直にも見たことがある大物商人。
闇取引の買い手の最有力候補として目を付け、先日ウイルス兵器の取引を完了させたらしいと銀時が報告してきた男である。

土方の拉致を命じたのがこの男だった、という事実は特に驚くべきことではない。予想通りだ。というか、そもそもこの男を囮捜査の標的にしていたのだから、そうでなくては困る。
だが。

(いきなりトップが直々に尋問たァ…よっぽど「トシエさん」を重要視してるらしい)

闇取引をしている身が、それを調査しているとおぼしき人間の前にこうも堂々と「黒幕です」と姿を現すとは。
幕府と繋がりがあるが故の、逮捕されるはずがないという自信が為せる技か。…それとも。

お前を生きて帰す気などない、という無言の脅しか。

土方が黙って睨み返せば、タコ顔の商人は鼻を鳴らし、笑みを浮かべるようにとがった口を歪めた。

「その様子では、私が何の用で君においで願ったのかも判っているのだろう?」

細めた目に針のような光が宿る。
さすがに大物の商人だけあって油断のならない男のようだ。と、土方は神経をピンと張り直した。

自分を攫わせるまでは上手くいった…ここからが正念場だ。
次は上手くこの場を切り抜けなければならない。
「トシエ」の正体は隠したまま、自分の身を守る。なかなか難題だなと、他人事のように土方は考えた。

どの質問に答え、何を黙秘し、どこまでの責め苦に耐えて、どんな嘘を吐くか。
それらの選択に全てがかかっている。
土方は細く長く呼吸して、全神経を思考に集中させた。

囮捜査を計画した時点で、このような状況は当然予測していたのだが。…実を言うと、尋問や拷問を上手く切り抜けるための綿密な策を用意してきたわけではない。
今回の作戦の最優先事項は発信機をウイルスの保管場所に導くことであって、己の安全確保ははっきり言って二の次だった。

唾で喉を湿らせる。

少なくとも、自分の正体が真選組の土方だとバレる事態だけは避けなければならない。
眠っている間に着物やカツラを剥ぎ取られなかったのは幸運だった。

「…何を聞かれても、私は答えませんよ」
「さすが才媛だ。話が早い」

慎重に声色を整えて口を開いた土方に、タコ商人は皮肉げに笑う。

「君のように優秀な女性がどういう組織に所属しているのか、是非知りたいところだな」

笑みを浮かべながらも、土方を刺す視線にはじわり、冷たさが増した。

(殺されてやるつもりはねェが…多少の怪我は仕方ねェかもな)

商人の瞳の冷酷な光を見て取った土方は、冷静にそう覚悟した。
あの目は、人を拷問することに何の躊躇も覚えない目だ。

無論、そんなものにビビる土方では無いのだが。

「何の話でしょう」
「このアマ!」
「ナメおって!」

薄く笑みすら浮かべてしれっと言った土方に、周囲の部下らしき男達が色めき立った。
その内の一人が細長い棒を手にして打ち据えようとするのを、タコ商人が軽く手を上げて止める。

「待て。…この女には商品価値がある。傷を付けるな」

(商品価値…?)

人身売買でもする気かと土方は眉を顰めた。
そういえば、地球の女は他星の風俗店に高値で売れると聞いたことがある。…男の自分が高く売れるとは思えないが。
土方は口元をほんの少し皮肉に歪めた。今のところ女だと思い込まれていることは確からしい。正体を隠せる上に「傷を付けられない」というオマケまで付くとは、随分と好都合な話だ。

土方の僅かな表情の変化に、タコ商人は少々不機嫌そうに眉を寄せた。

「随分な余裕だが…君はもう少し、自分の危機を把握した方がいい」

低い声で言うと、斜め後ろの部下にチラと視線を向けて顎をしゃくる。
頷いた部下がジャックナイフを取り出したことで、土方に緊張が走った。
ひょっとすると「傷を付けるな」というのは「大怪我を負わせるな」という意味で、多少の傷が付くことぐらいは厭わないのだろうか。そう考えて身構えると、ナイフを手にした男はぐるりと土方の背後に回った。

ピッ

耳の後ろで微かな音がする。
断ち切られたのは、長い黒髪を纏め上げていた深紅の髪結い紐。

パサリ。長い黒髪が垂れると同時に、カッ、カラン…ッと硬質な音を立てて、床に何かが転がった。
…そうきたか、と。土方は口の中で舌打ちをする。

タコ商人は床に落ちた物を拾い上げ、ふむ、と目を細めた。

「極小のポケットナイフか…その手首の縄を切るぐらいなら充分できただろうな」

纏めた髪の中というのは実に良い隠し場所だ。と、わざとらしく感嘆の台詞を発しつつ、土方に意味ありげな視線を向ける。

「…しかしこの場合、『良い場所』というのは『よく使われる場所』でもあるということだ」

次。という指示を受けて、先程の男と更にもう一人がナイフを取り出すと、土方の両袖の袂を、次いで帯を切り裂いた。
その度に、小さな道具が音を立てて床に零れ落ちる。

(この野郎、手馴れてやがる…!)

土方は胸中で毒づいた。
なかなか頭の切れる男であるらしいとは知っていたが、それにしてもあまりに手際がいい。こういうことに相当慣れているということか。
苦々しい気分で床に散らばった道具類を見渡した土方は…フと、その目に一瞬だけ、ちらりと当惑を浮かべた。

あるはずの物が、そこに無い。

「お探しの物はコレかね?」

面白がるようにかけられた声に目を上げる。
その眼前でタコ商人は、懐から一本の簪を取り出してみせた。
一輪の花を象ったシンプルな簪。今日、土方が挿していたはずのものだ。
土方は努めて無表情でそれを見返した。

「………」

黙ってギロリとタコ商人の顔を睨む。すると商人は右手で簪を弄びつつ、ひょいと肩を竦めて大仰に残念そうな声を出した。

「ああ、それとも発信機の付いた帯止めの方か?すまないが、そちらはここに着く前に部下が車の中で壊してしまったようだ。 なかなか良い細工の品だったようで残念だが…至らぬ部下で、壊す以外に発信機を止める方法が判らなかったそうでね」

…この簪も、と天井の灯りに華の簪をかざして目を細める。

「美しい品物だが、埋め込まれた盗聴器を取り外すことができない……残念だが」

バキン!

空中で手を離された簪は、重力に引かれ床に到達した瞬間に、音を立てて踏み砕かれた。

割れ砕けたそれを見詰める土方の表情に微かな狼狽を見て取って、商人は満足そうな笑みを浮かべた。

「自分の危機的状況が理解できたか?」

発信機に盗聴器に小型ナイフにその他諸々…かなり周到に用意していたようだが、我々はそう甘くない。
目を細め、口元に余裕の笑みを浮かべながら、商人はプレッシャーをかけるようにコツコツと靴音を響かせてゆっくりと土方の周囲を回る。

「これで君のお仲間にはこの場所を特定する手段が無く、君には自ら脱出する術もない」

まだ何かを隠し持っているとしたら足袋の中か…内腿辺りか。

一周して正面に戻ってきた商人は、天井から吊るされた土方を矯めつ眇めつ眺め、聞こえよがしにそう呟いた。
切り裂かれた帯は既に床に落ち、袂を切られた着物に細い腰紐を巻きつけただけの姿を舐めるように辿る視線に、土方は嫌な予感を覚えて眉間の皺を深める。
商人は一つ頷くと、左右の部下に声をかけた。

「足袋と着物の内側を検めろ。…それから」

そこで一旦言葉を切ると、チラリ、横目で意味ありげな視線を土方に向ける。


「この女性が我々の知りたいことを喋る気になってくれるよう、少々可愛がってやれ。方法はお前達に任せる…表面に傷さえ付けなければ構わん」


上司の言葉を受けた男達の目に下卑た色が浮かんだのを見て取って、土方はギリ、と奥歯を食いしばった。

その色を見ても商人の言葉の意味するとことが判らぬほど、バカでもガキでも無い。
本来ならば、男である土方には向けられることの無いはずの視線。

(…マズイな)

土方の背を冷たい汗が伝った。

陵辱、される…それ自体がマズイと言うよりは。
その過程で「男」だとバレてしまうことが、非常にマズイ。

男だと判れば陵辱はされないかもしれないが、その代わりに「商品価値が無い」と見做されて残虐な拷問を受ける可能性が跳ね上がる。
無論どんな拷問を受けようと真選組の名を吐く気は無いが、ウィルスの場所も掴めていない今の段階で土方が動けなくなるほど痛めつけられる、というのは、できれば避けたい事態だった。
それに比べれば、男の自分にとって陵辱を受けるなんて大した問題ではない。

むしろ。
この手下どもが地球人のオスメスに頓着せず、性的陵辱という拷問を続行してくれるならその方がありがたいのだが。

土方は表情を変えないように注意しつつ、近付いてくる二人の男を観察した。
天人のようだが、地球人に極近い姿をしている。先程土方に「このアマ」という罵声を浴びせたことから考えても、地球人の性別の区別ができないとは考えられない。
どうにかできないか、と内心の焦燥を隠しつつギラリと視線を強めれば、それを恐怖を押し殺した虚勢と解釈したのだろう。数歩離れたところからこちらを眺めている商人の口端が、ニィッと上に持ち上がった。

それを睨み付けて、土方は胸の内でフンと鼻を鳴らした。

嫌悪は感じるが、恐怖など感じない。
自分は男だ。貞操も何も無い…などというと昨今は性的差別だ何だと叩かれるが、少なくとも自分は陵辱に怯えるような人間ではないのだ。
犯されて済むことならそれでいい。刀が握れなくなるような怪我を負わされるより、その方がずっとマシだ。

この捜査を始めた時から、そのぐらいの覚悟はしている。

(何せ、捜査のために大嫌いな野郎と何週間も恋人同士のふりをしてきたぐらいだからな。プライドなんか疾うに捨ててる…)


そこまで考えて、ふと。


(…大嫌いな、って…)

チラリ、頭を掠めた銀色に。
何故かズキリと痛んだ胸が、自分の思考に違和感を訴えて。


次の瞬間、土方はそんな自分に狼狽した。


(い…いや!大嫌いだよな?俺別に間違ったこと言ってねェよな!?あの野郎と恋人のふりなんか、プライド放り投げなきゃできるはずねェし!俺は飽くまで捜査のために仕方なく、嫌々渋々…!)

一瞬の間、遥か彼方に逸れた思考が、目の前のことに対する反応を僅かに遅れさせた。
土方の足元に屈んだ部下の一人が、手早く足袋を脱がせる。咄嗟に脚を振り上げる前に、ガチリと両足が左右の男に戒められた。
素足に男の手が触れる。


ゾワリ。


背筋を駆け上った悪寒に、土方は思わず小さく息を飲んだ。

(何でだ…っ)

陵辱されることなど屁とも思わない、問題なのは男だと知られてしまうこと、それだけ。…の、はずなのに。
何故か。
伸ばされる手に、目の前の男達に抱く嫌悪が、つい先程までの比ではない。

スルリ。足首から上に滑らされる手に鳥肌が立つ。

…そういえば、あの野郎に触れられて鳥肌が立ったことは一度も無かった。
ふいに考えたくもないことを考えてしまって、その瞬間に、胃の辺りに渦巻く吐き気が急に強まった。

(だから何で…!)

狼狽を引きずって硬直する土方の脚を、男の手が這い登り。
着物の裾が、割られた。




「簪が…!」

道の脇に停められた一台のバンタイプの乗用車。
その運転席に座っている男は、自らの膝の上に乗せたラジオのような機械を見詰めて唇を噛み締めた。
真選組の監察、山崎退である。
彼が膝に抱えている機械からは、今はもうザーという砂嵐の音しか聞こえてこなくなっていた。

「やられたねィ」

助手席で苦々しい声を発したのは、一番隊長の沖田だ。
つい先程まで、彼らはその機械から漏れ聞こえる会話に耳を傾けていた。それがバキリという音とともに途絶えたのだ。直前の会話から考えて、盗聴器が壊されたということは明らかだった。
しかもどうやら、帯止めに仕込んでいた発信機も既に壊されているらしい。信号がキャッチできなくなった時点で予想はしていたが。

「あああ…」

山崎は膝の機械を抱え込んで項垂れると、悲嘆の溜息を吐いた。


「………アレ、高かったのに……」
「そういう問題かァァァ!ちょっ、山崎さんアンタなに暢気なこと言ってんですか!!」


ガタン!と派手な音を立てて後部座席から叫んだのは、真選組の隊士ではない。新八だ。
頭を天井に打ちそうなほど席から腰を浮かせ、運転席の背もたれを掴んで身を乗り出している。
その顔は蒼白で、背もたれに食い込んだ指先は力が入りすぎて白くなっていた。

「これじゃ、トシエさ…いえ、土方さんが…!」

訴える声が震える。

囮捜査として、周到な準備をして故意に敵の手に落ちた、という話だったから安心していたのに…
発信機も、盗聴器さえも壊されてしまっては。これでは助けに行く術がないではないか。
しかも先程の会話を聞く限りでは敵は相当な切れ者で、今からまさに土方を尋問しようという雰囲気だった。
このままでは。

「土方さんの身が、危ないんですよ…!?」

新八の言葉に、沖田は砂嵐を垂れ流し続ける機械を見詰めて、ハァ、と一つ溜息を吐いた。

「ああ、確かに、土方のヤローの苦しんでる声が聞けねェのは惜しいねィ。せっかく録音してやろうと思ってたのに」
「…っ!ちょ…っ、沖田さん!アンタなんてこと言うんですか!?冗談でも言っていい時と悪い時が…!」

一瞬唖然としてから、新八はいきり立って沖田に詰め寄った。その剣幕に沖田は驚いたように目を瞠って少しのけぞる。

「メガネお前、何をそんなに慌ててるんでィ」
「何をって…!」
「アレ、ひょっとして新八君、知らないのかい?」
「……え…?」

運転席と助手席の間に身体を割り込ませて沖田に食ってかかっていた新八は、山崎の声に振り返ってパチリと瞬いた。
山崎はちょっと意外そうな顔をして、それから新八を安心させるかのようにニコリと笑みを浮かべる。


「大丈夫だよ。帯止めの発信機は囮なんだ。本命の発信機はまだ見付かってないから」


そう言って、山崎は新八の目の前にあるカーナビゲーション的な機械を指差した。
小さな画面に表示されているのは細かな地図と車の現在地を示す印、と、一定の間隔で点滅する紅点。

「ホラ、この赤い点が副長。今回の作戦の鍵は発信機だからね、そう簡単に見付かるようなとこには隠してないよ…帯止めに仕込んでおいたのは、向こうに見付けてもらうための物だったんだ。普通、一つ見付かったらそれ以上は探そうとしないものだから」
だからわざと発見されやすいところに一つ、ね。と笑顔で説明する山崎に、沖田が面倒臭そうに付け加える。

「そもそもメガネ、考えてみろィ。こっちが仕込んだ発信機がとっくに壊されたアレ一つだけだったら、今俺達がここに陣取ってられるわけねェだろ」
「あ…」

沖田の言葉に、新八は思わず声を漏らした。
カーナビ…っぽいもの、が示す彼らの現在地は、紅点のすぐ側である。
赤い光が点滅しているのは、地図の上でもかなり大きいと判る屋敷の一点。彼らを乗せたバンはその屋敷の正面の道から、角を一つ曲がった路地に停車していた。

「この屋敷があの商人の隠れアジトになってるってのは、まだ調べが付いてませんでしたからね」

山崎が苦笑う。
土方が運び込まれたらしき屋敷は、元は名のある武家の屋敷であったが開国後に没落し、某天人貴族に別荘として買い取られた、ということになっていた。
それがいつの間にやら例のタコ商人に転売されていたとは、監察の山崎の調べも及ばないところであったのだ。

しかし、つい先刻。山崎の運転するバンは、真っ直ぐにこの場所へやってきて停まった。
この車だけではない。実はこの付近には、真選組の隊士達が大勢詰めている。
つまりそれは、この屋敷が怪しいと特定したということで。

帯止めの発信機はこの屋敷に入る前に壊されていたはずなのに、正確にここを特定できた、ということは…

「そ、そういうことだったんですか…。すいません、怒鳴ったりして」

自分の取り乱しようを恥じて赤面した新八に、山崎はいやいやと手を振った。

「ちゃんと説明しなかったこっちが悪いよ。てっきり旦那に聞いてると思ってたからさ」
「旦那、ひょっとしてメガネに何も説明してないんですかィ」

二人の台詞を聞いて、新八はぐるり、後ろを振り返った。

その視線の先では、銀時が最後部席にダラリと腰掛けている。
彼は先程からずっと、怠そうな目で黙って窓の外を見詰めていた。

沖田の問いかけにチラリと目を正面に向けた銀時は、少し眉間に皺を寄せて首の後ろを掻いた。

「…いや、俺もアイツからそんなに詳しいこと聞いてたわけじゃねーし…そもそもコイツをここに連れてくる気は無かったからよ」

溜息混じりの声に、一瞬、車内が静まりかえる。
新八はキュッと口を引き結んだ。

本来の予定では、新八はここにいないはずだったのだ。
土方が「無事に」敵に攫われたら、銀時のみが真選組の隊士と合流し、次の作戦に移る。新八と神楽はお妙の家で留守番。そういう手はずだった。
それが、何故今、新八も車に乗り込んでいるのかと言えば。

神楽が土方の後を追っていってしまったからに他ならない。

作戦を知らず、一人で敵地に向かっていった神楽を心配して、新八は自分も行くと言って聞かず。
銀時も、神楽の身を案じる新八の気持ちを無下にするわけにいかなかったのである。

「…すいません旦那。チャイナさんを止められなくて」

山崎が神妙な声を発する。
三十分ほど前。屋敷を隠密包囲していた隊士が、白い大きな犬にまたがったチャイナ服の少女を目撃していた。
しかし彼女達は、止める暇も無く屋敷の塀を跳び越えていってしまったのだ。

…それ以来、音沙汰が無い。

山崎は、車に乗り込んで以来ずっと口数の少ない銀時が、何でもないような顔の下に焦燥を押し隠しているのを感じ取っていた。

「神楽と定春のセットなんか誰にも止められねーよ。あんなもん台風だよ」

銀時は興味無さげにそう返すと、それ以上の追求を避けるかのように窓の外を指差した。

「そんなことより、何アレ」

バンの窓ガラスにはスモークが貼られ、外からは覗かれないようになっている。しかし内側からは、暗いながらも外の景色が見渡せるようになっていた。
そのガラス越しに銀時が指差したのは、バンの停まっている路地の入口付近。屋敷正面の道に停められた数台のパトカーと、緊張の面持ちで行き来する隊士達。
そして、その隊士達にくっついてウロウロする、明らかなTVカメラと集音マイク。

「え、旦那、詳しいことは聞いてないって、まさか作戦内容も聞かされてないんですか?」

銀時の指差すものを見て、山崎は意外そうに目を見開いた。沖田がのんびりとした声で説明を加える。

「アレは見ての通りTVクルーですぜィ。武装警察に密着取材ってことで、タコ商人の屋敷にウイルスがあるのを全国に生放送しちまおうっつー話でさァ」

今回の件の最大の問題は、相手が幕府と繋がりのある大商人であるということだ。
つまり、真選組がこの屋敷でウイルスを発見しただけでは万事解決というわけにはいかないのである。
強引に踏み込んで押収したのでは真選組は幕府に取り潰され、ウイルスの存在も世間に知られぬまま、タコ商人と幕府の間で何らかの取引が交わされるだろう。

そこで、真選組が立てた作戦はこういうものだった。

まず、攘夷浪士が天人の商人を狙っているという話をでっち上げ、警備という名目でタコ商人の屋敷の周辺を真選組の隊士が固める。
そこへ、正体不明の男(この役割は銀時が担う)が、屋敷へ侵入する。
真選組は「商人の身を守るために」侵入者を追って「仕方なく」屋敷へ突入し、その屋敷内で「偶然」ウイルス兵器を発見してしまう。
それをこれまた「偶然」真選組を密着取材していたTVクルーが撮影・全国に生放送してしまう…

「名付けて『ルパーン3世・カリヲストロの城作戦』でさァ」

ビシッと人差し指を立てて言った沖田を、新八は呆気に取られて見詰め返した。
土方は今朝、密着取材を受けているのは些末な事件に捕らわれている様を報道して相手を油断させるためだ、と言っていた気がするのだが。その裏にこんな意図も隠されていたのか。
本当に、感心していいのか呆れかえっていいのか…大人って考える事が狡い。

唖然としている新八をよそに、銀時はパリポリとつまらなそうに首の後ろを掻いた。

「いやまァ、それはアイツに聞いたけど…」

その作戦については、銀時も土方からきちんと聞かされていた。主人公が似たような作戦を使っていた映画の題名を冠した作戦名までしっかりと。
ついでにその映画と同じ監督の作品である『となりのペドロ』の素晴しさについても延々と語られたから良く覚えている。
だから俺が聞きたいのはそれじゃなくて、と、銀時は再度窓の外を指差した。

「何あの、あそこのパトカーの、助手席の…」
「ああ、アレですか」

銀時の指差す先を確認した山崎は、納得したような声を上げて頷いた。
一台のパトカー。そこには時折隊士が駆け寄って、車内の人間と何やら言葉を交わしては去っていく。
その助手席にいる、人の横顔。

「よくできてるでしょう?等身大副長パネル、横顔バージョンです」
「キャンペーンガールかアイツは」

いっそ誇らしげとも聞こえる口調で言い切った山崎に、銀時は間髪入れずに突っ込んだ。
や、でも、生放送中に副長の姿が一回も映らないのは怪しいですし。パネルでも車の窓ガラス越しなら結構判らないもんなんですよ?などという山崎の台詞を聞き流しつつ、呆れかえった溜息を一つ。
…確かに最初は、そこにいるはずのない人物の顔を見付けて一瞬目を瞠ってしまったけれど。じっとよくよく観察してみれば、実にくだらない。

「そんなアホな工夫してるぐらいなら、とっとと突入しちまえばいいじゃねーか。早く終わらせちまえば済む話だろ。何?今、屋敷内の構造でも探ってんの?」

内部の様子の調べが付くのを待っているのか、と銀時は問うた。
侵入する正体不明の男も、それを追う真選組も、それにくっついてくるTVクルーも既に用意ができているのだから、これ以上作戦の実行を待つ理由など他に見当たらない。
しかし山崎は、銀時の言葉に首を横に振った。

「いえ、邸内の見取り図はもう手に入ってます。元々天人の建築じゃなくて武家屋敷だったんで、情報収集も比較的容易で」

これです。と懐から取り出した図面を広げ、同時にカーナビ風の機械に指を滑らせて画面を拡大する。
そしてバサリ、と照らし合わせるように画面と紙図面を並べて見せた。

「発信機の位置からして、どうやら改築が施されてるようです。本来部屋がないはずの場所で光ってるんで、地下とか隠し部屋とか、そんなところでしょうね。この位置に辿り着くまでのルートもしっかり記録してますから、それと照らし合わせると…」

手元のメモと画面を見比べつつ、発信機の通ったルートを指で追った山崎は、ピタリ、と紙図面の一点を指差した。

「この、渡り廊下の横の階段が怪しいですね。この付近に隠し扉か隠し階段があると思うんで、旦那は突入したら真っ直ぐにここを目指して下さい」
「アァ?おいおい、そこまで細かく判ってるんだったら尚更さっさと突入すりゃいいじゃねーか。なにチンタラやってんだコノヤロー」

淡々と説明した山崎に、銀時は眉を寄せる。新八も不審そうに山崎を見返した。
屋敷内部の見取り図が手に入っていって、隠し部屋への入口らしきところも判っているのなら、ここで黙って時を過ごしている意味が判らない。
二人の疑問の視線を受けて、山崎は苦笑を浮かべた。

「その、できればウイルスの保管場所を正確に知りたいんです。副長がいる部屋の近くにあるとは限らないですし…」
「せっかくTVカメラ引き連れて突入したところで、上手くウイルスが発見できなかったら骨折り損じゃすまないですからねィ」

山崎の説明を、助手席にもたれている沖田が受け継ぐ。
目的が土方の救出ならば今すぐ突入しても何ら問題ないのだが。今回の目的は飽くまでウイルスである。
この屋敷にウイルスが保管されている、ということを、確実にTVカメラに映して全国に流さなければならない。幕府に知られるよりも先に世間を味方に付けなければ、真選組の命は無いのだ。
結構ギリギリの綱渡りなんでさァ。と、沖田は台詞に似合わない面白がるような笑みを浮かべた。

「だから副長に何とか自力で邸内を探ってもらって、ウイルスを発見したら合図を送ってもらうって手はずになってるんです。この発信機はなかなか優れもので、手元の操作で二種類の波長が送れるようになってるんで。点滅の間隔が変わったらウイルスを発見した合図です」
「半日経っても発信機に動きがなかったら、土方のヤローが自力じゃどうしようもねェって状況に陥ってると踏んで突入することになってまさァ。…あと10時間ってとこかねィ」

車内のデジタル時計をチラリと見て、沖田はひょいと懐からアイマスクを取り出した。昼寝の体勢である。
山崎はそんな沖田に目をやって、やれやれと肩を落とす。
動きがあったら起こしますよ、と言おうとして…銀時の声に遮られた。

「…そんな悠長なことで大丈夫なのかよ」

珍しく真剣な苛立ちを孕んだ声に、山崎はパチリと瞬いた。沖田も被りかけたアイマスクを外して後ろを振り向く。
いつも通りに見せかけた銀時の表情に隠しきれない焦燥を見て取って、顔を見合わせる。
そして苦笑すると、二人は銀時にきちんと向き直った。

「そんなに心配しなくても、チャイナなら大丈夫だと思いやすぜ」
「あの商人は随分と利に聡いんで、商品価値のあるものを無闇に傷付けることはしないと思います。…嫌な話かもしれませんが、絶滅寸前の戦闘種族『夜兎』の少女となれば、かなりの高値で取引されるはずですから」

だからそんなに焦って突入しなくても…もしチャイナさんが捕まっていたとしても、どこかに閉じ込められているだけだと思いますから。
安心させるように穏やかな口調で説明した山崎に、銀時はふぅん、と気の無い声を漏らした。

「なるほどね。…で?アイツはどうなんだ」
「は?アイツって…ああ、副長ですか?」

山崎はちょっとキョトンとしてから頷いた。そっちを聞かれるとは思わなかった、という顔だ。

「まあ、彼らにとって『トシエさん』は今のところ唯一の手がかりですからね。何も聞き出さないうちに殺すってことはあり得ないと思います。副長がそんなに簡単に口を割るとも思えませんし」

あっさりした答えを受けて、銀時はしばし口を噤み、それから躊躇いがちに口を開いた。

「…命さえあれば無事、っつーわけでもねェだろうが」
「ああ…それって、つまり…」

銀時の言葉の意味を正確に感じ取って、山崎は少し言い澱んだ。
チラリ、と、気遣うような視線を新八に向ける。

「それはつまり、その…」
「爪を剥がれるとか耳を削がれるとか、指を落とされるとか鞭で打たれるとか焼けた鉄串を突き刺されるとか、そういうことですかィ?」
「ちょ、隊長ォォ!もうちょっとオブラートに包んで下さいよ!」

沖田の台詞に新八がヒッと息を飲む。それを見た山崎は慌てて沖田に抗議しつつ、落ち着かせるように銀時と新八に向き直った。

「いやあの、確かにそういう恐れもあるにはあるんですけど…さっき言ったように、相手は利に聡い商人なんです。『夜兎』ほどの商品価値はないにしても、その、あれほどの美人をそうそう惨く傷付けたりはしないんじゃないかと思うんですけど」
「あの女装は笑えるぐらい似合ってたからねィ」

言いにくそうに言葉を紡ぐ山崎に続けて、沖田が褒めているのかバカにしているのか判別しにくいことを言う。
山崎もそれに頷きつつ、さらに言いにくそうに言葉を続けた。

「だから…えーと、多分、尋問には殴る蹴るとは別の暴力が考えられるんじゃないかと…その、やっぱり美人ですから、あの、所謂…」
「強姦とか輪姦とかそういうことでさァ」
「あああ!だから隊長ォォ!!」

ぺらりと言い放った沖田に、山崎は再び頭を抱えた。

「…ま、まあ、そういうことです。服を剥がれればさすがに男だってバレますが、それでやめるとも限りませんし…」
「つーか、天人のくせして地球人を犯そうって気になれるんだったら、男だ女だにそう拘るとも思えませんからねィ」
「…それでいいのかよ」
「はい?」

うんうんと頷きあっているところに聞こえた低い声に、沖田と山崎は思わず目を瞬いて銀時を見た。
その声は、抑えられてはいたが確実に怒気を孕んでいて…それがこの男には非常に珍しい、真剣な怒気であることに、寸の間、二人は言葉を失う。
黙ってマジマジと見返すと、銀時は我に返ったようにフッと視線を逸らした。

「…いや、お前らがそれでいいっつーなら、別にいいけど」

後頭部をわしゃわしゃと掻きつつ、やる気なさげにボソリと呟いた銀時に…山崎と沖田は再び顔を見合わせて、耐え切れなくなったかのように口角を上げた。

「…ぷっ」
「くっくく…」
「ちょ…っ!二人とも、何笑ってるんですか!銀さんも!よくないですよ全然!よくないでしょう!?そんな、トシエさ…土方さんが、そんな…!」

ガタン!と音を立てて立ち上がった新八が蒼白な顔に怒りと不安を湛えているのを見て、山崎は含み笑いを引っ込めてパタパタと手を振った。

「ああいや、ゴメン新八君。僕らが笑ったのは、その…旦那が副長を気にしてくれてるのがちょっと意外で」
「知らない間に随分と仲良しになってたみたいですねィ」
「バ…ッ!」

ニヤリ、と笑みを浮かべた沖田の言葉に、銀時は咄嗟に髪を掻き回す手を止めた。 逸らしていた視線を弾かれたように沖田に向けて…そしてすぐにまた視線を逸らすと、再びガリガリと頭を掻き始める。

「バッカお前、なかよしとか気持ち悪いこと言ってんじゃねェよ。少女漫画雑誌かってんだよコノヤロー」
「大丈夫ですよ、旦那」
「あ?」

ブツクサという呟きを山崎の声に遮られて、銀時は八つ当たりのように剣呑な眼差しで見返した。
山崎はそんな銀時の視線にビビることもなく、ニコリ、と笑みを浮かべる。

「多分、ですけど。一応対策は打ってあるんで」
「…何の話だよ」
「旦那がさっきから心配してる、土方さんの貞操の話でさァ」
「ぶっ!…だ、誰がいつそんなモン心配したァァァ!」

思わず、座席から腰を浮かして叫んだ銀時に、沖田はますます面白そうに笑みを深めた。

「メガネも安心しろィ。土方のヤローの貞操は無事だぜィ…ま、本人の腕次第、だけどねィ」

含みのある台詞を吐いて、チラリ、窓越しに屋敷を眺めやる。
そして銀時に視線を戻すと、とびきり爽やかな笑顔を浮かべて、朗らかに口を開いた。



「まァ、きっとあのヤローも、愛する旦那以外には掘られたくねェって一心で頑張るんじゃないですかィ」
「な…っ!なななに言ってくれてんのお前ちょっとォォォ!?」



窓にスモークの貼られた車内で密かに作戦実行の時を待っている身だということも忘れて。


銀時は絶叫した。




------第十一訓へ続く