第三訓 料理ができるってステータスは男女を問わず大きなアドバンテージになる

『ウソ』
その叫びは、鬼の副長には処刑の申し出としか思えなかったようだ。
ヒクリ、と頬を引き攣らせると、携えていた細長い包み…今まであまり気にされていなかった…から刀を取り出し、スラリ、抜き放った。

「よぉし…上等だテメェら。そこを動くな」

土方の本気オーラに、真っ先に我に返った新八が慌てて助命を請う。

「ち、違いますごめんなさい土方さん!今のは、まだ疑ってるとかそういうんじゃなくて、驚きの表現というか何というか…とにかくすいまっせん! 嘘なんて思ってませんから許してくださ…」
「嘘アル!トシ姉の正体がニコ中汚職警官だなんて私信じないネ!」
「って台無しかコノヤロォォォ!ちゃんと謝っても神楽ちゃん!今すぐ!誠心誠意!ホラ銀さんも…って銀さん!?」

ワタワタと横に擬音が付きそうな慌てっぷりで、新八は銀時にも謝罪を促した。銀時がこの相手に素直に謝るわけがないのは判っているが、 今回ばかりは頭を下げてもらわなくては自分達全員の命が危ない。
しかし銀時は、先程三人口を揃えて絶叫した時の姿勢のまま、不自然に固まっていた。

「ちょ、銀さん!」
「あ、ああ」

再度新八に小突かれてやっと漏らした声は、掠れ震えている。
見開きっぱなしの目で眼前の男を眺めていた銀時は、やがておもむろに頭を抱えた。

(う、わ。マジでアイツだよコレ。ちょ、待てよ。てことは何か?俺ァコイツ相手に、『女だったら好みなのにな〜』とか思ってたわけか? オイオイオイ冗談じゃねェぞコノヤロー)

信じたくない事態に眩暈すら感じて机を見詰めていると、頭上から殺伐とした声が降ってくる。

「…んだテメェ、何か言いたいことでもあんのか」
(大アリだバカヤロー!)

完全にブチ切れた表情で見下ろしてくる目の前の男に、銀時は下を向いたまま、心の中でキレ返した。
文句なら次から次へと浮かんでくる。しかしそれらはどれをとっても、宿敵をとびきりの美人だと思っていた自分を暴露するものでしかなくて、 口に出す事など到底できなかった。
何も言わぬ銀時に、土方はスッと目を細める。

「何シカトしてんだコノヤロー。斬っていいんだな?」

頭上で刀が振り上げられる気配と、新八の慌てた声に促され、銀時はやっと顔を上げた。

「一般市民を問答無用で殺傷ですかァ?そういうのを職権乱用っつーんだよ」

ふざけんなよこのマフィア警官、と続けようとした銀時は、自分の目に映ったものに思わず言葉を詰まらせた。
眼前で刀を振りかざしている人物はいっそ見事なまでに瞳孔をかっ開き、怒りにぐっと眉を吊り上げていて、一度気付いてしまえばそれは 確かに、紛うことなく、真選組副長土方十四郎その人である。
だがしかし。
身にまとった女物の着物と化粧はそのままで、先程まで白く透き通るようだと思っていた肌は相変わらず白いし、色っぽいと思っていた 目元や唇は相変わらず色っぽいし、黒髪は短くはなったが相変わらず艶やかだし、つまり何度見直してもそれは確かに、紛うことなく、 とびきりの美女トシエさんその人なのだ。

……それってなんか。

銀時は何だか無性に腹が立ってきて、ギリリと歯を食いしばった。

(この見た目で、中味はアレ?)

それって何つーか、いやいや何つーか、それってさァ、ねェ!?

「俺は何も悪くねェ悪いのはテメェだこのペテン警官!全部テメェのせいだ俺は被害者だ怒鳴られる覚えなんかコレっぽっちもねェよ コンチクショォォォ!!」


「な…っ!?」

突如としてキレた銀時に土方は一瞬目を丸めたが、すぐに声を荒げて怒鳴り返した。

「何いきなり逆ギレしてんだテメェは!?何で俺が加害者呼ばわりされなきゃなんねーんだよ、つーかペテン警官って何だ!」
「うるせェ!お前の存在そのものが犯罪だっつってんだよ妖怪魔妖根衛図!」
「ンだとォ!?喧嘩売ってんのかこの糖尿予備軍!」
「あァ売ってやるよ!今ウチは金に困ってんだ売れるもんなら何でも売るぞコラ!」
「上等だ箱ごと大人買いしてやらァ!」
「代金は即金前払い制だ財布出しやがれ!」
「ふざけんな誰が金なんぞ払うか!」
「堂々と万引きですかコノヤロー!」
「んなセコいマネしねェよ!代金は現物支給だ、キッチリ受け取れやァァァ!」

両手で構えた日本刀を思い切り振りかぶった土方を見て、銀時は傍らの木刀を手に取り、ソファを蹴って跳び退る。
動きやすい場所に着地すると、返り討ちにする気まんまんで隙無く身構えた…つもりだった。

「あれ?」

淀みのない身のこなしで一連の動作をするつもりだった銀時の身体は、本人の意思に反してぐらりと傾いだ。
頭から血の気が引いていくような感覚とともに、目の前が眩む。
なんだ?と思っている間に足がもつれ、身体の傾きはもはや立て直しようもないほどになっていた。
ぐるり。景色が回る。

「銀さん!」
「銀ちゃん!?」

叫んで駆け寄ろうとした新八と神楽が、同じように足をもつれさせ、「あ」と一声漏らして同時に倒れこんだ。
そんな二人の姿を揺れる視界の隅に捕らえて、銀時は重要なことを思い出した。

(あァ、そうだ)

霞みゆく頭で、考えなしに怒鳴り散らしたり急激に動こうとした自分を悔いる。

(俺ら、エネルギー足りてねェんだった…)

暗転する意識の中、遠くに土方の声が聞こえた、気がした。




トントントントン…
目覚めた時、銀時は自室の布団の上に横になっていた。
隣には新八が、逆隣には神楽が眠っている。
自分の置かれている状況がイマイチ掴めなくて、上半身を起こした銀時はコキ、と首を鳴らした。

(えーと…?)

今何時だ?なんで俺寝てたんだっけ。ボーッとする頭を掻き、周りを見回す。窓から差し込んでくる日差しは夕刻のものだ。
うーん…?
三人並んで昼寝を始めたという記憶がどうしても見付からなくて首をひねっていると、新八が身じろぎし、うっすらと目を開けた。

「あれ?銀さん…?おはようございます」
「…おう」
銀時に負けず劣らずボーッっとした顔のまま、新八は身を起こした。

「あれ?今、夕方?ですよね?あれ?何で僕ら寝てたんでしたっけ?」

パチパチと目を瞬かせる新八に、銀時は「さァ」と肩をすくめてみせた。

「さァって…」

トントントン…
沈黙してしまった二人の間に、リズミカルな心地良い音が流れる。
ああ、この音で起こされたのか。気持ちのいい目覚ましだな、などと新八は考えた。

「って何ですかこの音」

フと、急激に我に返って新八は疑問を口にした。

「そりゃお前アレだ、包丁がまな板を叩く音だよ」
「いやそれは、僕もそうじゃないかと思ってるんですけど…」
「判ってんなら聞くなっての」

面倒くさそうに頭を掻き毟る銀時に、もはやバッチリ目の覚めた新八は、しかと向き直った。

「僕が言いたいのは、何でそんな音がするのかってことですよ」

その言葉に銀時の手が止まる。やっと意識が覚醒してきたようで、見開いた目を新八に向けた。

「この家の台所を使うのは僕と銀さんと、一応神楽ちゃんの三人だけのはずで、今は三人ともこの部屋にいますよね。さらに言うと、今ウチ には米の一粒だってないはずですよね。とするとこの音は一体、誰が、何を切っているんですか?」
「……………」

パチパチパチ、と瞬きを三度した後で、銀時は頬を引き攣らせた。
誰もいるはずのない部屋から聞こえる物音。いるはずのないもう一人…
それは何というか、典型的な。

「なんだ新八、お前銀さんを怖がらせようとしてんの?残念だったな俺はそんなもんでびびったりしねェんだよバカらしい。今まだ夕方だし!」
「はぁ?何言ってんですか銀さん。今の話のどこに怖がるようなポイントがあったんです?」
「ぐっ!?」

新八の思わぬ返答を聞いて、銀時は己の失言に気付き言葉を詰まらせる。
そんな銀時をジト目で見詰め、新八は軽く溜息を吐いた。

「ちょオイ、何その溜息?明らかに侮蔑とか入ってたよね!?違うからな、俺のさっきのはホラアレだよ、最近の心霊番組ってのは何でも かんでも無理矢理幽霊につなげるからホンットバカバカしいよねっていう俺流の風刺…」
「はいはい」
「何だその軽い返答ォォ!信じてねェな!?信じてねェだろ新八テメェェェ!!」
「どうでもいいですよ。ってか、今のこの飢餓状態じゃ、ご飯作ってくれるなら幽霊だろうと妖怪だろうと大歓迎ですよ僕は」
「うっ!?」

あっさりと吐き捨てられた台詞に、銀時は再び言葉を失う。
マジでか。いや確かに、メシが食えるんならたとえ幽霊が作ったもんでも…っていや、そんなん食ったら呪われそうじゃん?もしくは太らせて から食う的なってコレは幽霊じゃないけどさ。でもそうだな、結野アナみてェな可愛い幽霊だったら俺も…

「恥ずかしい葛藤は心の中でお願いしますね」

諦めたような口調で言うとともに、新八は居間に続く襖を開けた。あまりに無造作なその行動を見て、銀時は思わず身体を跳ね上がらせた。

「オイオイオイ新八君んん!?もう少し慎重に開けろよ!扉の開閉は静かにって寺子屋で習わなかったのか!?」
「…習いませんでしたし、そんなに音は立ててないと思うんですけど」

ハァ、と息を吐いてから伏せていた目を上げた新八は、次の瞬間に固まった。
襖の向こうの一点を見詰めたまま微動だにしないその様子に、傍らの銀時は蒼ざめてズザリ、と後ずさった。

「ななななに固まってんだよ新八てめぇコノヤロー。怖がるポイントなんざねェんだろうが自分で言ったんだろオイ」
「…………」
「ちょ、オイ、何とか言えよオイ!ゆゆ幽霊だろうと何だろうとバッチコイなんだろ!?自分の言った言葉には責任を持てよ責任を持って 対処しろ俺はここで見守っててや…」
「ぎ、銀さん」
「なんだよ!?」
「あ、あれ…見てください」

ギ、ギ、ギ…と、壊れたカラクリのように右手の人差し指を上げた新八の目は、未だ見開いたまま一点に固定されている。
その異様さに銀時はさらに蒼ざめた。

「見たくねェよ!いや怖いからじゃなくて、お前のくだらない見間違いに付き合うのが面倒くせェからだぞ!?いやつーかお前ホントは俺を からかってんだろ。そんな子供だましに俺が…」
「いいから!」
問答無用で腕を引かれ、銀時はついに、見るつもりの無かった襖の向こうの光景を見てしまった。

新八の指の先。
居間のテーブルの上。
大量のアジフライ。

「………は?」

もう一度言う。
居間のテーブルの上には、キャベツの千切りが添えられた、大量のアジフライ。
その横には、これまた大量の肉じゃが。

銀時は再び、瞬きを繰り返した。



「…アジフライだよな」
「アジフライですね」

呆然と、二人は呟いた。

「肉じゃがだな」
「肉じゃがですよね」

二言目も、まだ呆然としていた。

万事屋のテーブルに豪勢に食べ物が並ぶ、という光景は、ここ数日ずっと夢見てきたものなのだが、それだけに目の前のものを現実として 受け入れるんのは難しかった。
夢だろうか。新八が自分の頬をつねろうとすると、その手が銀時に掴んで止められた。

「え?」
「やめろ新八。もしこれが夢だったら、頬をつねった途端に覚めちまうかもしれねーぞ。まだ一口も食べてないのにそれでいいのか?」
「いやまぁ確かにここで覚めたら落胆すること山の如しですけど」
「だろ?夢か幻か蜃気楼か判らん曖昧なものを前にして、そういう先走った行動をとるんじゃねーよ。慌てる乞食はもらいが少ないってな」

銀時の表情は真剣で、居間と和室の境からテーブルの上をじっと見詰めている。
こんな間近で蜃気楼はないだろうと思いつつ、下手に手を伸ばしたら消えてしまいそうな非現実感はそれと似たようなもので、新八は銀時の 言葉につい頷いた。

「で、でも銀さん。じゃあどうすればいいんですか?目の前に食べ物があるのに、指をくわえて見ているだけですか?そんなの、夢から 覚めるよりツライんですけど」

銀時は空腹感に目を据わらせている新八の肩に片手を置いて落ち着かせると、ぐっと腰を落とし、テーブルに向かって身構えた。

「大丈夫だよ。パッと行ってパッと取ってくりゃ、蜃気楼のヤツも気付きゃしねェさ」
「慌ててんのはどっちだ!ってかアンタにとって蜃気楼はどういう存在なんですか!!」
「俺は蜃気楼王選手権のチャンピオンか?日常生活でそんな質問必要ねェだろ」
「僕もこんな質問が必要になるとは思ってなかったよ!ってああもうこんな無駄な会話やめましょうよ!さっきから肉じゃがのいい匂いで お腹の虫が鳴りっぱなしなんですから…」

ってアレ?匂い?

「…銀さん、匂い、しますね」
「ああ、肉じゃがの匂いも揚げ物の匂いもするな」

二人は顔を見合わせた。
幻や蜃気楼は、匂いがするものだっただろうか。

「…新八君、世の中には幻視や幻聴って言葉は溢れているが、幻嗅って言葉はなかなか聞かねェよな?」
「そうですね銀さん」
「それはつまり、嗅覚というのは人間の五感の中でもかなり信用に値する感覚だということなのではないかと思うんだが、どうだろう」
「僕もそんな気がします銀さん」

つまり。
二人はキラリと目を光らせて居間のテーブルに目を戻した。
そして、じりじりじりとそこに近寄る。
手の届く範囲まで近寄っても、皿に盛られた大量の食べ物が消える事は無く、その匂いも更に強くなっていた。
いけるかも。コレ、いけるかも!?
新八は期待に胸を高鳴らせた。

「いっただっきまーす…」

目を光らせて、銀時がアジフライに手を伸ばしたその時、
横合いから飛来した物体が、銀時の手の甲に突き立った。

「!?いってェェェ!?」
「ぎっ銀さん大丈夫ですか!?って、え、コレ、菜箸…?」

一瞬だけ銀時の手の甲に留まり、すぐにテーブルに落ちてカラカラと音を立てたそれは、木製の菜箸であった。


「うるせェと思ったら、なにツマミ食いしようとしてんだテメェら」


菜箸の飛来した方向から低い声が聞こえて目を向けると、居間と廊下の境目、壁に背を預けて一人の男が立っていた。
男と言っても服装は女性のものだし、顔立ちも美女と言って憚りないものである。新八が瞬時に男と判別できたのは、その人に見覚えが あるからに他ならなかった。

「土方さん…?」
「ああ、そういや…」

彼の姿を見て、新八の頭の中で和室で眠り込む前の記憶が急速に蘇りつつあった。それは銀時も同じのようで、菜箸に突き刺された右手を さすりつつ、土方を見ている。
そんな二人の様子を見て土方は微かに苦笑をもらすと、右手に一本だけ持った菜箸…おそらく先程投げられた物の片割れ…を指先でくるくる と回した。

「ったく…もうすぐできっから、あとちょっとだけ我慢しろよ。あ、チャイナもそろそろ起こして来い」
「え、できるって…」

きょとん、と新八は首を傾げる。確か土方さんは万事屋に仕事の依頼に来たはずなのだが…それで、この状況は何だ?
まだイマイチ、記憶が曖昧のようだ。

「だから、あとはアレだ、汁物。さっきネギ入れたとこだから、もう火ィ止めるし。メシはもう炊けてっから」
「ええぇえェ!?」
「なんだよ。あとはもうほとんど、よそうだけだって。いくらテメェらでもそんくらい待てっだろーが」

新八の叫びに眉を寄せて言葉を返すと、土方は台所に向かって踵を返した。

「それにしても、腹減って気絶って、どういう生活してんだお前ら」

振り返った肩越しに呆れた声を投げかけられ、新八はやっと今の状況に合点がいった。
つまり自分達は空腹のエネルギー切れで三人揃ってぶっ倒れ。
土方がその自分達を和室に寝かせた上、食事を作っていてくれた、と。
…え?あり得なくね?

「ぎ、銀さん…この状況は…」
「奇跡だな」
「ですよね…」
「マヨがかかってねェ」
「そこ!?いやそれ以前の問題でしょうが!!」

確かに超マヨラーの土方の作った食事にしては、マヨネーズの影が見当たらないことは奇跡に等しいけども!
それ以前にあの人が自分達にこんなに親切にしてくれるってこと事態があり得ない奇跡でしょうがァァァ!
鬼の副長が料理だよ!?しかも僕達万事屋のために!!

あくあくと口を開閉させる新八を見て、銀時は居心地悪そうに頬を掻いた。
銀時だって、事態の異常さを判っていないわけではないのだ。
あまりに予想外すぎて、どういうリアクションをしていいのか判らないだけで。

「あーまあ、アレだ。とりあえず、神楽起こしにいくか?」
「そ、そうですね。神楽ちゃんが寝てる間にこんなん食べたなんて知れたら、僕ら命がないですもんね」
「いや待て、あの胃拡張娘連れてきたら、俺らの取り分がものっそい減るよな…いやいやでも作り手がアレだし、やっぱ最初の一口は鋼鉄の 胃袋を持つあいつに毒見させた方が…あ、でもあいつカニには普通に中ってたし…」
「あぁ?何の話だコラ」
複数の人物に対して失礼千万なことを呟いていた銀時の背後に、怒りのオーラを纏わせた土方が立った。新八が慌てて銀時の袖を引く。

「ぎ銀さん!ほら早く神楽ちゃん起こしに行きましょう!」
「…へいへい」

土方は不機嫌そうに横目で二人を見ると、テーブルに汁碗を並べ始めた。
その中味は、実に美味しそうな具沢山の豚汁だった。




「おかわりヨロシ?」
「まだ食うのかお前!?」

差し出された茶碗を、土方は驚愕に頬を引き攣らせながら受け取った。
この茶碗に山盛りの白米をよそうのは、これで四回目だ。

「え、オイ、俺ァ多めにと思って五合炊いたんだが…もしかして足りねェ?」

もう底が見え始めているお櫃を覗いて、土方が戸惑ったような声を上げる。
おかずも沢山あるし三合でいいかと思っていたところを、腹減ってるようだし念のため、と五合にしたのだが…
その五合が、十五分もしない内に消えかけている。

「甘ェな。そんなもんで足りると思う方が間違いだ」
「五合なんて、まだまだ序の口ですよ」
「マジかよ…」

飯とおかずを掻きこみながらの二人の言葉に唖然として、チャイナ服の娘を見詰める。この身体のどこにあれだけの飯が収まるというのだ。 ブラックホールか?

「ちょ、待て。ペース落とせチャイナ。追加炊いてくっから」
「早くするヨ〜」
「それは炊飯器に言え!」

慌てて台所に走った土方の後姿を見送って、新八の頭は「意外」という一言に埋め尽くされていた。
土方さんて、料理とかできるんだ。意外。
マヨラーのせいで味覚オンチなイメージがあったけど、マヨさえかけなきゃ美味しいもの作れるんだ。意外。
神楽ちゃんのために追加で御飯炊きにいってくれるなんて、結構面倒見いいんだ。意外。
そもそもお腹を空かせて倒れた僕達のために、わざわざ手料理作ってくれるなんて。意外…

(…って意外どころの騒ぎじゃねェェェ!!)

新八は思わず箸を止めた。
その前を電光石火の如く箸が行き来して、アジフライや肉じゃがが消えていく。
新八は危機を感じて箸の動きを再開した。

「ねェ銀さん。どういう風の吹き回しでしょうね」
「ああ?知るかよ。とにかく食っとけ。三日は何も食べなくていいくらい食っとけ」

アジフライを口の中でもしゃもしゃ言わせている銀時の台詞に、新八は苦笑を浮かべた。
まあ言われなくても食べるけどね。空腹だし。美味しいし。この先いつこんなちゃんと食べられるか判らないし。
でもこんな文字通り美味しい状況、何も考えずに甘受していていいんだろうか。

「お前らも、よく食うな…。アレだな、好き嫌いとかねェのな」

いつの間にか戻ってきた土方が、すごいスピードでキレイになっていく皿を見詰めて呟いた。
呆然を通り越して、感心しているような表情である。

「当たり前だろ。庶民は常に食べ物に感謝して生きてんだよ。食べられる事それ自体が喜びなんだよ。人間そういう謙虚な心を忘れたら おしまいだよ」
「お前の口から謙虚って言葉が出てくるとは思わなかったよ」
「おいステーキとかねェの?あとデザートは?」
「どの口で言ってんだコラァァァ!」

怒鳴った土方は、ソファにどかりと腰を下ろすと、舌打ちして煙草を咥えた。

「まァお前らビンボー人は肉に飢えてるだろうから、トンカツでも作ってやろうかと思ってたんだがな、最初は」
「え?じゃあどうしてアジフライにしたんですか?いやアジフライも美味しいですけど」
「私はアジ好きヨ。チャラついたおかずよりよっぽどいいアル。トシ姉は判ってるネ」

白米で頬を膨らませつつ神楽はそう言った。彼女はたくあんや卵かけ御飯をこよなく愛する、食う割には嗜好の地味な少女だ。
土方はちょっと意外そうに神楽を見ると、煙草の煙とともに言葉を吐き出した。

「いや…買い物に出たら、アジが安かったから」
「主婦かお前は」

土方の外見に不似合いな台詞に、銀時がすかさず突っ込んだ。
ムッとしたような表情で、土方が銀時を睨む。

「んだコラ。主婦だったらその日何が安いかぐらい、朝のうちにチラシでチェックしてるだろうが」
「いやその発想がもう…まぁいいや」

再び突っ込もうとするのをやめて、銀時は食卓に注意を戻した。おかずが残り少なくなって、三人の卓上の争いが苛烈になってきたからだ。
土方もそれに気付いて、思い出したように三人に声をかけた。

「おい、豚汁はまだおかわりあるけど…」

言い終わるより早く、三つの碗が土方の前に突き出されていた。




「ふー、食った食った」
「ごちそうさまでした、土方さん」

白米もおかずも綺麗にたいらげて万事屋三人が人心地つくと、目の前には緑茶が提供された。ホントなんなんだこのサービスの良さ。

「満足アル」

にっこり笑って緑茶を啜る神楽を見て、土方は苦笑う。

「まさかお前がこんなに食うとは思わなかったからな。買ってきた米、ほとんど無くなっちまったぜ」

信じがたいと言いたげに煙草をふかす土方の台詞を聞いて、そういえば、と新八が口を開いた。

「今の料理の材料って、土方さんが買ってきてくれたんですよね?」
「ああ、お前らが寝てる間にな。三日はもつぐらいの食料買ってきたつもりだったんだが、この分じゃ明日の朝メシ分ぐらいしか残って ねェな」
「あはは、でも助かります。…あの、材料費なんですけど…その…」
「請求しようなんざ思ってねェから、心配すんな」

土方の言葉に、新八はホッとするとともに疑問が膨らんだ。通常の家庭で言えば三日分もの食料費。決して安くはないはずなのに。
横を見れば、銀時も顔を顰めている。うまい話には裏がある。常識だ。特に普段決して仲が良いとは言えない相手からの親切は。
案の定土方は煙草の煙を吐き出すと、ニヤリと笑った。

「まあ、前払い金ってことで」
「あ」

土方が仕事の依頼に来たのだということを、新八はやっと思い出した。

「なるほど、そういう魂胆か。きたねェなオイ。俺はまだ依頼受けるって言ってねェじゃねェか」
「言っただろ。俺が所属している組織の正体を明かして、嘘吐いてねェって証明できるなら受けてやるっつったじゃねェか。…真選組からの 依頼だってのはもう納得したんだろ?」
「………」

確かに言った。
そして、前払い金代わりの食事も、もはや胃袋に収めてしまった。
仕方ねェな、と銀時は溜息を吐く。
もともと、トシエさんの正体さえ判れば受けようと思っていた依頼だし。
真選組からの依頼であれば、報酬も結構ふんだくれるだろうし。ボッタくっても良心痛まねェし。

「わーかったよ。依頼内容は、生物兵器の取引してる天人の調査、だな?」

銀時は腕を組んで、依頼を受諾することを告げた。
土方は頷き、ソファにもたれかかっていた身を起こして座り直した。

「正確には、調査の実働部隊だ。手に入る限りの情報はウチから流す。お前には、ウチの人間が大っぴらに立ち入れない…天人の私有地 とかだな…そういうとこや、その周辺を探りにいってもらいてェ」
「実働部隊って、つまり一番敵に見付かりやすくて一番危ねェ役ってことだろ。そんなん部外者にやらせんのかよ」
「テメェなら問題ねェだろ」

危険にさらされても胸が痛まないから、という意味か、危険を切り抜ける実力があるから、という意味か…銀時はあえて問い質さなかった。
問い質したら、本心がどうであれ、前者と答えるに決まっているのだ。この男は。

「注意してもらいたいことが幾つかある。…まず、この仕事はマジでヤバイ。ガキどもをどこまで関わらせるかはテメェの判断に任せる」
「ナメるんじゃないネ。銀ちゃん一人にそんな危ないことさせるわけないアル!」

土方は神楽をチラリと見たが、何も言わずに銀時に視線を戻した。

「もう一つ。この仕事中は、ウチの連中と関わりを持たないでくれ。お前らと真選組はあくまで無関係ってことにしときたい。でないと この仕事を外部に任せる意味がねェ。外で見覚えのあるやつを見かけても無視しろ。近藤さんにもストーカー行為を控えさせるから、 メガネ、お前もできる限り実家に帰る回数を減らして、近藤さんに接触しねェようにしてくれ」
「あ、わ、わかりました」
「おー、ゴリラのストーカーがおとなしくなるなら、お妙の機嫌も良くなるな。…で?じゃあ俺はどうやってお前らと情報の受け渡しを すればいいんだ?」
「俺が来る」

あっさりとした答えに、万事屋の面々は二、三度瞬いた。

「あ?それじゃ接触を断ったことにならねェだろ。よりによって副長さんがウチに来てるんじゃさ」
「この格好で来るからおそらく大丈夫だ。お前らだって言われるまで俺だと気付かなかったじゃねェか」
「……あ」

言われて、銀時は改めて土方の格好を見直した。いつの間にかすっかり気にならなくなっていたが、そういえば土方は今、女装していた のだ。トシエさんだったのだ。
確かにコレならば、誰も真選組の鬼副長だとは思わないだろう。ただの美女だ。
いや、ただの、というのが憚られるぐらいの絶世の美女だ。認めたくはないけど。

「なるほどね。これから情報の受け渡しは、全部お前がその格好でするんだな。だから今日もその格好で来たのか。用意周到なこって」
「そうだ。普段ならこういうことは監察にやらせるんだがな。山崎は婦女誘拐騒動んときに一度女装姿がTVに映っちまってるから、用心に こしたことはねェ。他の監察も方々に探りに行かせてて、ただの連絡係に縛り付けるわけにはいかねェ。その他諸々あって、俺がやること にした」

土方は吸殻を来客用の灰皿に押し込むと、新しい煙草を加えた。

「ふんふん、つまりお前は、真選組の屯所を出てからどっかで隠れて着替えて、トシエさんになってから俺の家に来るわけだな。ただの俺の 知り合いですってフリで」
「そうだ。場合によっちゃ、外で接触する必要があるかもしれねェ。その時もこの格好で行く……つーわけで」

土方はここで一拍置いて、細く長く煙を吐き出した。



「しばらくは、彼女的な扱いで頼むわ」



万事屋の空気が止まった。




------第四訓へ続く