第四訓 たまには自分自身を客観的に見詰め直せ
家康像の横に、一人の背の高い女性が立っている。
こちらに背を向けているが、周りの人間の表情を見れば、その人が相当な別嬪だということは予想がついた。
ぼーっと見詰める少年。憧憬の吐息を漏らす少女。一度通り過ぎてから、驚いたように振り返る若者。
それらを一通り観察してから、銀時は深い溜息を吐き、スラリと伸びたその背中に近付いた。
「トシエさん」
銀時がそう呼べば、その美女は振り返って銀時の姿を認め、にこりと微笑んだ。
周囲の嫉妬と羨望の視線が自分に突き刺さるのを感じて、銀時はまた、こっそりと溜息を吐いた。
銀時とトシエが外で会うのは、これで四度目になっていた。
『彼女的な扱いで頼むわ』
そう言った途端に凍りついた空気に、土方は苦々しい思いで眉を寄せた。
不本意なことはなるべく早く、なるべく軽く流す感じで伝えよう、そう思ったのだが。
ここまではっきりと反応されると、このまま流すわけにもいかない。
土方は小さく舌打ちをした。
本来、万事屋に仕事を依頼することすら不本意なのだ。
だが幕府の一端である真選組では柵も多く、思うように捜査もできず。
オカマバーで何故か手を借りるハメになってしまったこともあって、万事屋に依頼することになってしまった。
それだけでも苛々するというのに。
何故自分が、女装して万事屋との連絡係にならなければいけないのか。
…まぁ、監察は全員忙しく働かせているとか、他に見破られなさそうな変装できる隊士がいなかったとか、万事屋の傍若無人な仕事ぶりに
対応できそうなのは自分ぐらいだとか、その他色々具体的な理由はあるし、それらを考慮に加えて決断を下したのは土方自身なのだが。
そんなろくでもない決断を自ら下さなければならないことが、余計に腹立たしかった。
その上、「万事屋の彼女的な立場」に収まるのが任務上最も都合がいい、なんて判断まで自分で下すに至っては、苛立ちもピークに
達しようというものだ。
更に。
「…あー…なんだって?」
なんて、怪訝そうな顔で言われようもんなら。
土方の苛立ちメーターはバシンと限界を振り切った。
「か・の・じょ・的な扱いをしろって言ったんだよ!一回で聞き取れやコラァ!耳にポップコーンでも詰まってんのかテメェは!」
「そんなもん耳に詰めるぐらいなら口に詰め込むわ!ウチの家計が食い物粗末にできるような状態だと思うなよ!?」
ガタンと音を立てて立ち上がった土方に、銀時も勢いよく立ち上がる。
「つーか何だ?彼女!?それは何だ、告白か?告白なのか?そんな傲慢な告白、即行ゴメンナサイだコノヤロー!」
「ふざけんな誰がテメェに告白なんぞするか!」
「銀ちゃん勿体無いアルヨ!こんな美人の告白ゴメンナサイするなんて!」
「お前は黙ってろ!」
銀時に怒鳴られて、神楽はムゥッと唇を尖らせる。
新八は苦笑して彼女を宥めると、睨み合う二人の男に声をかけた。
「ちょっと落ち着いて下さいよ二人とも。土方さん?彼女って、どういうことですか?」
年下の少年に落ち着いた声を投げかけられて、無視するのも大人気ないと思ったのだろう。土方はちらりと新八に目を向けると、ソファに
どかりと座り直した。
「彼女にしろとは言ってねェ。彼女『的』な扱いをしろと言ったんだ。要は、『家族でも長い付き合いの友人でもないのに、ちょくちょく
家に来たり外で会ったりしてても周囲に不審感を与えないような立場』に置けっつってんだよ」
新たな煙草を咥えて火をつけた土方が苛々とそう言えば、銀時もまた、ソファにどっかりと腰を下ろした。
「それなら最初からそう言えっつーの、回りくどいんだよテメーは!でかい回転寿司屋で取り逃がしちまった皿を注文せずに、もう一度
その皿が回ってくるのを大人しく待ってるくらい回りくどいわ!」
「テメェの方が回りくどいだろうが!判りにくい喩えすんじゃねェよ!つーか、俺はむしろ直球で結論を言っただろうが!」
「結論だけだと返って判りにくいっつーのを知らねェのか?お前テストで数式とばして答えだけ書いて減点くらうタイプだろ。
先生に、イージーミス多いよ勿体ないねーとか言われちゃうクチだろ!」
「うるせェェ!俺はそれでもちゃんと計算して答え出してんだよ!何も考えずに当てずっぽうで『2』とか書くお前に言われたくねェ!」
「ナメんなコノヤロー!数学なんか大体『2』って書いときゃ三分の一は正解なんだよ!」
「アンタら何の話してんですか!!」
新八に怒鳴られて、銀時と土方は再び浮かしかけていた腰を同時にストンとソファに下ろした。
ダメだ。これでは一向に話が進まない。
そう判断した銀時は、小指で耳をほじくりながら話題を元に戻すことにした。
「あー、で?なんだって?しょっちゅう会っててもおかしくない立場?」
「なるほど、それで彼女ですか。確かにそれなら自然ですよね」
「甘いアルな」
頷く新八に、神楽は逆にチッチと指を振った。
「銀ちゃんに美人の彼女がいるなんて、その方がよっぽど不自然アル」
「あ、それは確かに」
「オイ待てお前ら」
さらりと聞き捨てならない台詞を吐き出す少年少女に、銀時はひくりと頬を引き攣らせる。
しかし彼らはそんな銀時には全く構わずに会話を続けた。
「でもいいんですか土方さん、こんなダメ人間の彼女なんて」
「おいコラ新八?何言ってんのお前」
「…まぁ、全然よくないが仕方ねェだろ。事が事だけに外で会う時は声を潜めて話し合わなきゃならねェしな」
「ああ、二人きりでコソコソしてて怪しまれないのって、恋人同士ぐらいですもんね」
「オイ何勝手に話進めてんのちょっと」
「よかったアルな銀ちゃん。こんな美人の彼女ができるなんて、銀ちゃんの人生には万に一つも無かったはずの事態ヨ」
「嬉しくねーんだよ!つーかお前らちょっと待てっつってんだァァァ!」
なに!?なんなのコイツらマジでェェ!
銀時は両手でわしゃわしゃと髪の毛を掻き回した。
コイツらの俺に対する言動がイマイチ敬意に欠けるのはいつものこととして、何かコイツら今日、やたら土方に好意的じゃねーか!?
特に神楽!いつもは真選組の連中のこと「汚職警官」とかって見下した目で見てるクセに、何だよ今日のその扱い!…餌付けか?餌付けされ
たのか?それとも「トシエさん」を「土方」とは別人格として捕らえてんのか?「美人+料理上手=最強」的な方程式か!?いや確かに俺
もその方程式には一理あると思うけどね!!
でもたとえ絶世の美人でも料理上手でも、中身はあくまであのニコマヨ中毒なんだよ冷静になってその辺もう一回よく考えろお前らァァァ!
心の中で絶叫した銀時が頭を抱えて息を整えていると、先程よりも更に不機嫌さが増した声が投げかけられた。
「…んだテメェ。仕方ねェって言ってんだろうが。文句ばっか言ってんじゃねェよ」
ちらりと目を上げれば、「俺だって心底嫌なんだよマジで」と書いてあるような土方の顔が目に入る。
それを見て、銀時は何故か理不尽な苛立ちを覚えて眉を顰めた。
(なんだよ、自分から言い出しといて。そんなに嫌なら依頼すんなっつーの)
他に方法がないから仕方なく依頼している、というのは、もちろん理解しているのだが。
自分がこんな苛立ちを覚える理由が判らなくて、というかむしろ判りたくなくて、銀時は一つ大きなわざとらしい溜息を吐いた。
「わーかったよ、彼女ね、カノジョ。ヨロシクオネガイシマース」
鼻をほじりながらやる気の無さ丸出しの声で言われて、土方は反射的に「ゴメンササイ」と言いたくなるのをぐっと堪えた。
ここでそんなことを言ってしまえば、また話が脱線して戻って来れなくなるのは目に見えている。
これは仕事。仕事なのだ。堪えろ。幕府高官の変な天人を相手にしていると思え。聞き流すんだ。コイツは糖尿星人だ。よし、コレで行こう。
「あ、じゃあさ彼女サン」
「なんだ糖尿星人」
「誰が糖尿星人だ!マヨネーズ星人に言われたくねーんだよ!」
しまった。
話を脱線させないための思考をつい声に出してしまって、土方は額を押さえた。
「てめーが変な呼び方するのが悪い。彼女さんはやめろイラッとくるから。…で、なんだ万事屋」
溜息混じりに話を戻せば、銀時はぴしり、と土方を指差した。
「そう、それ」
「あ?」
「お前、まずその『万事屋』ってのどうにかしろよ」
出し抜けに言われて、土方はパチ、と瞬く。
銀時は気怠げに湯呑みを持ち上げ、冷めてしまった緑茶をズルズルと飲んだ。
「彼女、なんだろ?屋号で呼んでたらそれこそ不自然だっつーの」
せめてトシエさんとして会う時は別の呼び方にしろよ?そう言われて、土方はちょっと目を見開き、次いで考え込んだ。
呼び方、か。
言われてみれば尤もな話だ。ならば、どう呼ぶべきなのか?
「銀さん」は嫌だ。一番無難だとは思うが、なんか無性に腹が立つ。
「銀時」…も、微妙だ。俺が言うと乱暴でぞんざいな印象しかない気がする。名前を呼び捨てにしつつ恋人らしさを出すなんて至難の技だ。
語尾を何となく甘くするぐらいしか方法が思いつかない。「銀時v」とかそういう…いやムリムリマジムリ鳥肌立った。
「坂田さん」か?コレは事務的な感じがするし、割り切っちまえば呼びやすいが…恋人、っつー感じじゃねェよな。やっぱ。
じゃあ残るは。
「…銀時さん?」
俯き考え込んでいた状態からチラリと目を上げ、呼んでみる。
すると銀時は盛大に茶を噴き出した。
「うわ、ちょ、銀さん!大丈夫ですか!?」
「銀ちゃん汚いアル」
ゲホゴホガハ、と咽こんでから、銀時はうっすらと涙の滲んだ目で土方を見た。
「な、だっ、おま、なんだって?」
「あァ?…なんだよ、テメェが呼び方替えろっつったんじゃねェか」
こちとら精一杯妥協して選んでやったってのに何だその失礼な反応は、と不服丸出しの顔で土方が睨めば、銀時は土方から微妙に視線を逸らし、
どこか歯切れ悪く言葉を返した。
「それはお前、言ったけど…なんでよりによってその選択肢?『銀さん』か『銀時』でいいんじゃねェの?」
「任務上の必要条件と俺の許容範囲を照らし合わせた結果だ。…なんだ?何かマズイのか?」
『銀時さん』と呼ばれては困る理由でもあるのか。そう問い質すように言われて、銀時はパリポリと頬を掻く。
「いや別にマズくはねェよ。マズくはねェけどさ。そんな呼び方するヤツなかなかいねェから変な感じがするっつーか…。だってホラ、
他に『銀時さん』なんて言うヤツっつったら………………アレ?マジでいなくね?」
大抵の連中は「銀さん」で、ヅラとかお登勢のババァとか、あとゴリラとかが「銀時」だろ?、源外のジィさんは「銀の字」だし、あとは
「旦那」とか「坂田さん」とか…
ざっと記憶を見直して銀時は瞠目した。本当に見付からない。
下の名前にさん付けなんて、スタンダードな呼び方のはずなのに。
見れば、新八も神楽も首を傾げている。
「そういえば、いないような気がしますね」
「聞いたことないアルな」
「えぇ?ちょ、マジでか、マジでか?」
何故か焦りを覚えて更に深く記憶を探ろうとした銀時は、フンと笑った土方の声に思考を遮られた。
「他に誰も使わねェ呼び名か。上等じゃねェか。恋人っぽくて」
銀時は一瞬固まった。
他に誰も使わない。イコール、特別。イコール、恋人っぽい。イコール…上等…?
あーなるほど、そうなるのか。
…ってオイ。おかしくね?おかしいだろその発言!
「あのなお前、自分が何言ってんのか判ってんの?そんなに銀さんの特別になりたいのかお前はコノヤロー」
「はァ!?気持ち悪ィこと言ってんじゃねェよ!」
「っ、だーかーらぁ!先にその『気持ち悪いこと』を言ってんのはお前なんだっつーの!」
「あ?………ああ、そうか…」
そういうことか。
気持ち悪くて噴き出したのか、コイツは。
土方は納得すると同時に、胸の中に何か小さな黒いものを落とし込まれたような感覚を覚えて眉を寄せた。
「彼女扱い」を思いっきり嫌がられた時にも感じた、奇妙なムカつき。
普通に考えて、銀時がこんな依頼を嫌がるのは当然のことだと思うし、もちろん自分だってできれば勘弁してほしいし、気持ち悪いと思って
いるのはお互い様、だと思うのだが。
彼女と言われて凍りつくほど、名前を呼ばれて噎せ返るほど、嫌なのか。そう思うと、何故だか無性に腹が立った。
いやそりゃ嫌だろ、俺だって嫌だし。と頭では冷静な意見が述べられるのだが、その一方で、何故か。
(何だよ、コレ)
コレではまるで、銀時に気持ち悪いと思われるのが嫌だとか、そう思っているようではないか。
「恋人っぽい扱い」を嫌がらずに受け入れてほしいと、そう思っているようでは…
(いや、イヤイヤイヤ、ナイ!それだけはぜってーナイから!何考えてんだコラァァァ!?)
土方は脳裏に浮かびかけた思考を、半ば逆ギレぎみに大慌てで打ち消した。
まったく、何を考えてるんだ俺は一体。
そんな、とりたてて考えこむようなことじゃない。たとえお互い様だとしても、気持ち悪いと言われて腹が立つのは当然のことだ。
ただそれだけの話だ。
土方はそう強引に思考を中断して、ふ、と息を吐いた。
銀時はそんな土方を見て、ちょっと困ったように眉を寄せた。
「オイ、言っとくけど、お前に『銀時さん』って呼ばれたことが気持ち悪ィっつってんじゃねェからな」
「……あ?じゃあ何だってんだよ」
「だから、恋人とかそういうことを簡単に……ああ、もういいや」
バリバリと髪の毛を掻き回して、銀時は諦めたように深い溜息を吐く。
訝しげな視線を送る土方には気付かぬ振りで、ズズズ、と湯呑みに残っていた茶を啜った。
…つーかコイツ、全然判ってねェ。
自分が今どんな外見をしていて、その言動がどんな影響を周囲に与えるのか。
全っ然判ってねェ!!
銀時は内心で頭を抱えた。
美女なのだ。
たとえ中味が土方でも、外見は文句の付けようがないほどの美女なのだ。
こんな美人に上目遣いで「銀時さん」などと、語尾上がりでささやくように呼ばれてみろ。中味が土方と判っている銀時ですら、普段土方と
犬猿の仲である銀時ですら、茶を噴くほどに動揺したのだ。
その上「恋人」だとかそういう際どい発言を、あまり不用意にしないでほしい。
しかも、自分でそこまで言っておいて「気持ち悪い」とか。そういう持ち上げて落とすような言動はやめてほしい。
…って。
(持ち上げるって何!?落とすって何!!どこに上げられて何に落とされたってんだ俺ェェェ!?)
自分の思考の不自然さに気付いて、銀時はザッと血の気が引くのを感じた。
なんだよ今の。今のってアレだろ、つまり、俺はコイツに名前呼ばれたり「恋人っぽい」とか言われてフワリと浮かれて、直後に「気持ち
悪い」発言されて地の底に落とされた、とか、そういう感じのアレだよな?
いや、イヤイヤイヤイヤ、イーヤァァァ!!
んなわけあるかァァァァ!!
冗談ではない。
今のはアレだ。単なる気の迷いだ言葉の綾だ、どっちだ。とにかく違うから!コイツが無駄に美女なのが悪いってだけだから!
銀時は心の中で激しく首を横に振って否定すると、全ての責任を目の前の男に擦り付け、外見上はあくまで何事もなく気だるい感じを
装って、ダラリとソファにもたれかかった。
「じゃ、外で会った時は『銀時さん』って呼べよ。俺も『トシエさん』っつーから。で、外で会う時は彼女的なモンに見せかけりゃ
いいんだろ?」
「ああ、それでいい」
投げやりに言う銀時に土方はまた苛立ちと訝しさを感じたものの、問い質すことはせずに頷いた。
その後、細々とした契約内容を話し合って、土方は帰って行った。
銀時は特に見送ることもせず、妙にぐったりとした身体をソファにもたせかけたまま、玄関の閉まる音を聞いて深い溜息を吐いた。
このようにして、銀時と土方の、否、万事屋と真選組との契約は成立したのだった。
そして今日に至る。
「銀時さん」
銀時は振り返って笑顔を見せたトシエの腕を取り、優しく引き寄せた。
ぴたりと寄り添うように立って、笑みを浮かべながらささやく。
「お前な、毎度毎度目立ちすぎなんだよふざけんなコノヤロー」
笑顔で放たれた低い声に、トシエ…土方は、ふわりと微笑んで口を開いた。
「あァ?何言ってやがる。目立つことなんか何もしてねェだろうがテメェこそふざけんな」
表情に不似合いな不機嫌丸出しの声は、地を這うような低音で発せられた。
(何度聞いても慣れねェんですけど、コレ)
銀時は表情に出さずに、心の中で顔を引き攣らせた。
契約を交わしてから、土方が万事屋に来たのが三回、外で会うのがこれで四回。
日数にして二週間が経過している。
生物兵器の不正取引の調査は、かなり深いところまで進んでいた。
そう、外で会う時には、常に周りの目を警戒しなければならないほどに。
銀時はトシエと腕を絡めたまま歩き出した。
寄り添って歩く二人は、はたから見れば紛うことなき恋人同士である。
…会話の内容を聞かれない限りは。
「で、どうなんだ例の天人の屋敷は」
「んー、あの天人は黒っぽいけど、あの屋敷にはウイルスもワクチンも無さそうだぜ」
「…チッ、ヤツらもなかなか尻尾を出さねェな…」
微笑んだ口元を動かさずに舌打ちするのだから、大したものである。
こんなデートめかした密会も四度目ともなれば、もう慣れたものだった。
銀時は絡めていた腕を解くと、トシエの肩を抱いて更に引き寄せた。
「それがな。向こうは尻尾を出さねェが、あちらさんは俺達の尻尾を掴みかけてるらしい」
近付いた耳にやっと聞こえるぐらいに声を潜めて囁く。
土方は一瞬、キラリと目を光らせた。
「どういうことだ?」
低い声で問い返しつつ、その顔は柔らかく問いかけるように微笑み、可愛らしく小首を傾げて銀時を覗き込んだ。
なんかコイツ日に日にレベルアップしてねェか、と銀時は返ってげんなりする。
しかしこちらも顔には出さずに、笑顔のままで土方に答えた。
「俺が最近天人の私有地を嗅ぎ回ってるのがバレたらしい。俺とか新八とかが監視されてんだ」
「…なるほどな。どうりで今日はパパラッチが多いと思ったぜ」
土方はフンと鼻を鳴らした。
先程からずっと、自分達に突き刺さる複数の視線を感じていたのだ。そのために、今日は前回の二割り増し密着して声を潜めている。
パパラッチ、という表現に銀時は笑った。実際トシエが、パパラッチが付いていてもおかしくないような容姿をしているものだから余計に
笑える。
「おいおい、じゃあコレ報道されちゃう?雑誌載っちゃう?銀さんついにメディアデビューか?」
「ふざけてんじゃねェ。お前は毎週某漫画雑誌に載ってんじゃねェかそれで満足しろ」
「毎週じゃありません〜。たまに出てこない週もあります〜」
「どうでもいいわ!」
いつもの応酬も、こうも抑えた声ではそこまでヒートアップできない。銀時は歩きながら周囲に神経を張り巡らせた。
監視の目は四方から飛んでくるが、会話が聞こえるほど近くにはいない。だが、聴覚がやたら優れた天人なんてのがいるかもしれないから、
用心には越したことはなかった。
監視員の数は、一人、二人…
…あれ?
銀時は軽く首を傾げた。
「土方お前、俺に会う前からパパラッチくっつけてなかったか?俺が一人でいた時より数が増えてんだけど」
「ああ。ヤツら、俺達がオカマバーで捕らえた下っ端天人の行方を追って、『トシエさん』の存在に辿り着いたらしい。二日ほど前から
見張られてる」
土方は街角で配られているティッシュを受け取って、アルバイトらしき青年にニコリと微笑んでから銀時に答えた。
青年は一瞬呆けてから、慌ててティッシュ配りを再開する。
銀時は内心でやれやれと溜息を吐いた。
「あーなるほどな。あっちから足が付いたのか。で、天人の屋敷を探ってた俺ともこうして会ってるとなると、ヤツらにとってお前は『黒』
決定だな」
「いいんだよ、それで。俺が真選組のモンだと知られなければいいだけの話だ。元々こういう事態を想定して、俺がテメェとの連絡係に
なってんだよ」
これでもし、他の隊士に万事屋との連絡係を任せていたとしたら、真選組へと繋がる糸が二本になってしまうところだった。
ヤツらに与える手がかりは、なるべく少ない方がいい。
土方が自ら万事屋との連絡係になった、最大の理由がそこにあった。
「ご苦労なこったな。ん?じゃあお前、今どこで生活してんだ?屯所には出入りしてねェんだろ?」
「今はとりあえずホテル暮らしだ。長引くようなら安い下宿でも借りるさ」
「ホテル〜?さすがお役人様はリッチだなコノヤロー。それは経費か?俺たちの税金から出てるのか?」
「税金払ってねェニートに言われたくねェ」
「誰がニートだァァ!ちゃんと働いてます〜、ってか、今まさに仕事中じゃねェかコレェ!」
極々小さな声で怒鳴った銀時が、肩を抱く手にぐっと力を込めて土方を引き寄せる。
すると土方は少し驚いたような顔をして、それから幸せそうな笑みを浮かべると、するりと銀時の背に腕を回して寄り添った。
(う…っ)
たらり、と銀時の背を汗がつたう。
気持ち悪い、わけではない。
むしろ、気持ち悪いわけではないのがヤバイのだ。
何なんだこいつマジで、レベルアップのペースが速すぎだっつーの!幸せの靴でも装備してんのか!?いつの間にはぐれメタルを倒したんだ!?
俺にも経験値よこせコノヤロー!
いや、俺もうレベル99だからやっぱ経験値必要ないわ。うん。お前より俺の方がレベル高いから!
「何ブツブツ言ってんだ?入るぞ」
「へ?あ…おう」
土方に声をかけられ、銀時は我に返った。
彼が指差すのは、最近話題の、女の子に大人気な甘味処である。
客層はほとんど、女性グループかカップル。
男性一人や男だけのグループで入って来ようものなら否応なしに目立ってしまうこの店は、監視員達に二の足を踏ませるのに効果的だった。
その上周りの客は皆、甘味に夢中になっているものだから、実に密談がしやすいのだ。
十日ほど前に始めて外で打ち合わせをした際、この店気になってたんだよカップルなら入りやすいじゃん、という銀時によって強引に引き
擦り込まれ、その利点に気付いたのである。
以来、外で打ち合わせをするならココ、というのが暗黙の了解になっていた。
店の奥に腰掛け、コーヒーとストロベリーパフェを注文する。
しばらくして出てきた品物は、当然のように注文した人間とは逆の側に置かれ、銀時と土方は無言で目の前のものを交換した。
これも最早恒例行事である。
「つーかよ、パフェが女でコーヒーが男って決めてかかるのはどうかと思うよなホント」
「知らねーよ。つーかお前、パフェ週一とか言ってなかったか?この前からまだ三日しか経ってねェぞ」
「あーそれね。もう開き直ったから。好きなもん食って太く短く生きることに決めたから」
「そりゃいいことだな。不摂生でさっさと死ねこの糖尿」
「お前にだけは言われたくねェんだけど!!」
パクリ、と白とピンクの物体を口に運びつつ抗議する銀時に、土方は軽く眉を寄せつつ、先程もらったティッシュを取り出した。
「あれ?お前それ」
「通信文だ。屯所に出入りできねェからな。たまにこうやって情報のやりとりしてんだよ」
ポケットティッシュの裏側から紙を取り出して開く土方を見て、銀時は感心したように頷いた。
「なるほどな。…って、え?じゃあもしかして、さっきのティッシュ配りってジミー君?」
「山崎だ」
「マジでか。全っ然気付かなかったぞオイ。なんかどこにでもいるよーな感じの地味〜なティッシュ配り君だったじゃねェか」
褒めているのか貶しているのか判らない銀時の言葉に、土方は思わず苦笑する。
「まあ、地味ってのは監察としての一種の能力だからな」
「へェェ、人間どんな地味なヤツでも取り柄の一つや二つあるもんなんだな。お、その通信文の裏面、資格学校の広告にカモフラージュして
あんぞ。芸細けェなジミー」
「いや…コレはただ広告の裏面に書いてるだけだ。あのバカ手抜きしやがって」
指摘された裏面を見てチッと舌打ちした土方は、表の通信文を読み始める段になってフと顔色を変えた。
その表情の変化を敏感に感じ取って、銀時は声を落とした。
「…おい、どうした?」
「……やべェな」
土方は通信文を見詰め、キュッと眉を寄せる。
そして目に険しい光を宿したまま、銀時に向き直った。
「おい万事屋、お前、今後なるべく、ガキどもの側を離れるな」
「ああ?なんだって?」
「やっこさん、どうやら随分焦ってるらしい」
土方は通信文をティッシュ袋の中に戻し、コーヒーに口を付けた。
苦い顔をしているのは、コーヒーの味のせいだけではないだろう。
「最近、ウチが黒だと睨んでる天人商人どもの様子がおかしいらしい。例のウイルスとワクチンの取引も近いっつーことで、そんな大事な
時期に身辺を嗅ぎ回っているヤツらがいるのが気がかりなんだろう。お前や俺の正体が一向に掴めないんで焦れてるらしくてな、このまま
だと強硬手段に訴えそうだと山崎が知らせてきた」
「強硬手段?」
銀のスプーンを咥えつつ、銀時は問い返す。嫌な予感がする響きだ。
「大方、関係者と目ぼしい人間を拉致して、拷問して吐かせるってとこだろ。だからガキどもから目を離すなっつったんだ」
土方はコーヒーカップを置き、僅かに万事屋の二人の従業員を案ずるような表情を見せた。
「向こうにしてみりゃ、なるべく色々と知っている人間を攫いたいだろうし、その上で攫いやすい人間を狙うだろうからな。天人の屋敷を
直接探りに行ってるお前と同じ家に暮らしてるとなりゃ、何か知っていると思われてもおかしくねェ。それにお前よりはガキの方が攫うのも
簡単だし、いざとなりゃお前に対する人質にもなると思うだろうしな」
「……そりゃ穏やかじゃねェな…って、アレ?つーか…」
土方の説明を聞くと、銀時はフと気が付いたような顔をして、当惑したように土方の顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「いや…もっかい確認していいか」
銀時はスプーンをパフェグラスの中にカランと置くと、土方の目の前で人差し指を立てた。
「まず一つ、敵さんは、なるべく色々知ってそうなヤツを狙いたい」
「ああ」
「ついでに、力の弱い女子供の方が攫いやすくて良い」
「そうだ」
「さらに、俺に対する人質になれば尚良い」
「そうだな」
指を一つずつ増やしながら言う銀時に、土方は一回一回相槌を入れる。
「それってさぁ…」
銀時は立てていた指を収めると、言いにくそうにポリポリと頬を掻いた。
「一番危ねェの、お前じゃん?」
……………。
パチパチパチ、何度か瞬いて、それからやっと、土方は声を発した。
「………そうだな」
複数の筋から繋がっていて、女で、しかも万事屋の『恋人』。とくれば、それはもう。
盲点だった。
土方はたとえ女装していようと、たとえそれが恐ろしく似合っていようと、中身はれっきとしたノーマルな男なので、自分を『女子供』
としてカウントするという思考が働かなかったのだ。
言われてみれば、銀時の言う通りである。一番拉致される可能性が高いのは、土方自身だった。
土方は顎に手を当て、俯いて考え込んだ。
銀時が沈黙を持て余し、どう声をかけようかと考える頃になってやっと、土方は顔を上げ、はっきりとした声で告げた。
「万事屋、依頼内容追加だ。料金は上乗せしてやる」
「てなわけで、コイツしばらくウチで生活するから」
「え」
土方と連れ立って帰ってきた銀時の突然の宣告に、万事屋の子供達はキョトンと目を見開いた。