第六訓 ドラマの登場人物って現実にいても多分惚れない


最初は、随分周到な役作りだ、と思っていた。



万事屋の和室で壁にもたれて煙草をふかしながら、土方は反対側の壁を眺めていた。
微かに水音が聞こえてくる。あの壁の向こうは風呂場だ。
さすが安普請だな。土方は煙を吹き出して口元を歪めた。

襖を挟んだ隣室からはTVの音。
ドラマのBGMと語り合う男女の声が、妙に耳についた。
子供らが夕飯後に見始めたそれを土方はどうにも見る気になれず、一人和室に引っ込んでいたのだ。

土方とて、ドラマを見るのは意外と好きな方だ。気になるものがあれば録画したりもする。
しかし所謂「恋愛ドラマ」というやつはあまり好きにはなれなかった。

今流行りらしいそのドラマでも、若い男女が優柔不断と傍若無人を交互に発揮して相手を振り回している。

(…あんな男のどこがいいんだか)

漏れ聞こえてくる女優の泣き声を聞くともなしに聞きながら、土方は目を閉じた。
土方の目には主役の男はただの優男にしか映らない。
アレが世間でカッコイイと騒がれるのだから、やはり恋だの愛だのはくだらないと土方は皮肉な笑みを零した。
本当にいい男というのは、あんなものではないはずだ。

真に人を惹きつける魅力というのは顔貌などではなく、心根、魂にこそあるはずだろう。
容貌よりも言動に魅力があってこその「いい男」だ。
それは例えば、近藤のように。もしくは…

「…………チッ」

ちらりと目を開けて水音の聞こえる壁を眺めてしまったことに、土方は舌打ちした。
その壁の向こうにいるのは、この万事屋の主であるあの男だ。
今日は夜中に調査に出掛ける予定はないということで、銀時は久々の一番風呂に浸かっていた。


この数週間。
銀時は呆れるほど器用に依頼をこなしていた。
極秘捜査と、そして…恋人のふり、と。


土方は煙草を指先に挟んだままの手のひらで額を覆って、深く溜息を吐いた。

「トシエ」として接する銀時は、そうと認めるのは非常に腹の立つことではあるが、確実に「いい男」だった。
それこそ、下手なドラマの主役などより、ずっと。

土方はまた舌打ちを一つして、剣呑な目付きで壁を睨み付けた。
こんなことをあの男に思わされてしまうのが、腹立たしくてならない。だが。
…否定しようがないほどに男前なのだ、と。
気付いてしまったのだ。

できれば気付きたくなかったと土方は眉間を押さえた。





今日の昼間。
山崎と連絡を付けて情報を交換した帰り道、土方は隣を歩く銀時の横顔を盗み見ていた。
相も変らぬ怠そうな目。やる気のなさげな歩き方。
しかし。

土方は俯き思案に暮れるふりをして、少し歩調を速めた。
早足で歩を進めながらチラリと横を窺うと、銀時は全く変わらぬ表情でぴたりと隣にいる。

「………」

これなのだ。
土方はぐっと眉を寄せた。

この男が何気ないふりをしてこちらに歩調を合わせていると気付いたのは、ほんの数日前のことだ。
女物の着物を着た今の土方は、銀時よりも確実に歩幅が小さい。しかし並んで歩くようになったこの数週間、置いていかれそうになった という覚えは全くなかった。
銀時が意識してゆっくり歩いているのだ、と、本来ならばすぐに気付いて然るべきであった。だが銀時の歩き方は普段通りダラダラと歩い ているようにしか見えなくて、それで気付くのが遅れてしまったのだ。

歩調だけに限らない。
土方が数日間注意して観察してみれば、銀時は随分と「トシエ」に優しかった。

例えば、今。
思案に暮れている土方に、銀時は全く声をかけてこない。
普段何やかやとくだらない喧嘩をふっかけてくるにもかかわらず、だ。
会話に飽きたとでも言いたげに、黙って監視者の目に気を配っている。
…おそらく、土方が思考に集中できるように、という気遣いだろう。

土方はそっと溜息を吐いて、やつあたりのように銀時の横顔を睨んだ。
そしてすぐに自分の足元に目を移す。あまりあからさまな視線を送っては、この男にはすぐに気付かれるからだ。


視線を落としたまま歩いていると、ふいに右肩に手を回されてぐっと引きよせられた。
思わず左によろめくいた土方のすぐ右側を、一台のバイクが走り抜けていく。法定速度違反だ。
あの野郎、逮捕してやろうか。
走り去るバイクの後姿を睨みつけてからチラと目を上げると、銀時はよろめいた土方を体で受け止めたまま、ニコリと微笑んだ。

…全く、大した役作りだ。

土方が目を眇めて再度溜息を吐くと、銀時は笑顔のままヒクリとこめかみの辺りを引き攣らせた。

「オイオーイ、助けてやったんだからお礼ぐらい言ってもよくね?つーかせめて『ありがとう銀時さんv』っつー演技の一つでもしろや。 職務怠慢ですかコノヤロー」

恩着せがましい銀時の台詞に、土方の額にピキリと青筋が立つ。こういう言い方をするから礼を言う気になれないのだ。

「誰が礼なんぞ言うか。あのぐらいテメェに助けられなくても避けれたっつーんだよ」
「思いっきりボーッとしてたクセに何言ってんの?お前ソレ誰が見たって明らかな負け惜しみだから。腕相撲で女子に負けといて『手加減 してやったんだ』とか言ってる中学男子並だから」
「何だその微妙な喩え!テメェの中学時代と一緒にすんじゃねェ!」
「誰が俺の実体験だと言ったァァ!そういう思い出があんのはむしろテメェの方だろーが!」
「こっの…!」

土方は言い返しかけた口を噤んだ。近くに人の気配を感じたのだ。
たとえ監視者でない一般の通行人であっても、この姿で怒鳴りあっているのを聞かれるのはマズい。土方は一度下を向いて口の中で舌打ち してから、「トシエ」の表情を作り直して顔を上げた。

「ごめんなさい、ありがとう銀時さん」

ふわりと微笑んで、声も作り声に変える。
右肩に回されたままの銀時の手を外さぬように寄り添って、左手で銀時の着流しの背の部分をそっと掴んだ。

「…しばらくこのままで歩いても、いいですか?」

俯き加減の顔から目線だけを上げて尋ねると、銀時の体が一瞬強張るのが判る。

(そうか固まるほど気色悪いか。俺だって自分で自分が気色悪いってんだよ。演技しろっつったのはテメェだからな存分に後悔しやがれ)

土方は内心でフンと鼻を鳴らした。

今のような銀時の反応はこの数週間で何度も経験していた。自分と同じような体格のオカマに擦り寄られればそれは当然の反応だろうと 思うが、こちらとて嫌々やっているのだから、あからさまにひかれると少々腹が立つ。
そこで土方は、最近では逆に殊更熱の入った演技をするようにしていた。「ちったァ慣れやがれ」という無言のプレッシャーが半分、 残りの半分は嫌がらせである。

「あー…もちろん。構わねェよ?」

優しげに言って肩を抱き直した銀時に嬉しそうに微笑み返せば、銀時の手がピクリと震える。
右肩でそれを感じ取った土方は、銀時の肩口にそっと額を寄せて表情を隠した。

半ば嫌がらせ目的で演技をエスカレートさせておいて言うのも何だが、最近の銀時は反応が過剰すぎやしないだろうか。
「彼女に歩調を合わせる」なんて細かい役作りができるほど器用ならば、土方の演技にもさっさと順応できそうなものだと思うのだが…

(…慣れようがねェほど、嫌だってことか)

それはそうだろう。何しろ銀時と土方は犬猿の仲だ。
コイビト同士のやりとりなど、顔も引き攣って当然か…と自分を納得させかけた土方は、はたと或ることに気付いて固まった。

それでは、自分が何の嫌悪感もなく銀時に擦り寄れるのは、何故だ。

鳥肌が立つような自分の演技に吐き気は覚えても、銀時の腕に触れること自体に躊躇はない。
砂を吐くような甘い会話に心の中で顔を顰めていても、肩に回された銀時の手を振り払いたいとは思わない。

…それは、何故。

「ト、トシエさん…?」

銀時の肩に額を付けたまま固まってしまった土方に、銀時は当惑した声をかける。
しかし、真っ白になりかけた頭を必死で回転させている土方の耳には入らなかった。

(いいいいや待て。違う、違うぞ。コレは仕事だ。俺は仕事だから割り切ってやってるんであって、クソ天パとは仕事に対する気構えが違う んだってただそれだけの話だろうが。他に何があるってんだ何もねェよ。俺だって仕事じゃなかったらこの野郎とこんなベタベタ…)

「いやァ、お熱いねェお二人さん」

(そう、他人に熱々だなんて思われるようなこんな……っ!?)

土方は唐突に我に返ってガバリと身を離した。
声の聞こえた方向に目をやり、商人風の格好をした中年の男を見て、先程の台詞はこの男のものだと知る。
それから銀時の顔に視線を戻し、その目に少し困惑したような色を見て取って、パッと顔を伏せた。
…多分これで、周りには「恋人に甘えていたのを他人に見られて照れた」と見えるはずだ。
一瞬とは言え監視者の目を忘れかけていた事に、土方はそっと溜息を吐いた。

男はトシエの容姿に見惚れながら、その仕草に微笑ましさを感じたようでニコニコと笑って言葉を続けた。

「すぐ側をバイクが通って怖かったんじゃないのかい?ダメだよお兄さん、こういう交通量の多い道は男が車道側を歩かなきゃ。こんな 美人の彼女、ちゃんと護ってあげないと。ねぇお嬢さん?」

愛想のいい笑顔を向けられて、土方は曖昧な笑みを返した。怖がっただの護られるだのは不本意極まりないが、ここでそんな顔をするわけ にもいかない。
「トシエ」として一般人に接しなければならない時が、土方にとって一番のストレスであった。

「おいおいオッサン。俺の大事な彼女に勝手に話しかけないでくれる?ナンパなら余所でやってくれや」

土方をかばうように前に出た銀時が冗談めかしてそう言うと、いやいやそんなつもりじゃ、と男は手を振った。 自分の右手に建つ店を指し示し、この店の店主なんだ。良かったら寄ってってくれ、と商売人らしい笑顔を見せる。

「なんだ客引きか?」
「まぁそんなとこだな。どうだいお兄さん、彼女へのプレゼントに櫛でもお一つ。ウチは良い品が揃ってるよ〜」

櫛か。土方は店主の指先を追って店に並ぶ品に目を向けた。
なるほど、質の良さそうな櫛が並んでいる。どうやらここは専門店のようだ。

(カツラも梳けんのか…?)

土方は櫛を眺めながら右手でスルリと髪を撫でた。
数週間、風呂以外ずっと着用しているカツラは、所々絡みもつれている。何とかしたいとは思うのだが、万事屋にある櫛と言えば神楽が 個人的に持っているものだけだ。カツラを梳くために貸してくれとはあの少女には言い出しにくく、少し困っていたところであった。

買ってしまうか。いやしかし、女物の櫛などこの仕事が終わったら使い道がないし、わざわざ専門店で買わなくてもコンビニとかにも あるんじゃないだろうか。それこそ男女兼用みたいな安くてシンプルなのが。それでいいか。あ、でもあのプラスチックのヤツじゃカツラ 梳いたらすげェ絡みそうだな。静電気とか起きそうだし…

土方がぼんやりと考えていると、その視線を追った店主にすかさず話しかけられた。

「お!お嬢さんそれが気に入ったかい?お目が高いねェ。その柘植の櫛は一級品だよ。長い髪も絡まずスッと梳けるし、まとめた髪に簪 がわりに挿しても使えるからね」
「え、あ、いえ…」

慌てて遮るように手を上げるが、店主は売り込みをやめようとしない。どうやら長髪美人のトシエを絶好の客と見ているようで、あれこれと トシエの容姿を褒めそやしては櫛を勧めてくる。
おそらく店主の言葉は今に限ってはお世辞ではないのだろうが、土方にとっては美人だ何だという言葉は嬉しいものではない。むしろ あまり聞きたくない言葉の方が多くて、土方は僅かにこめかみの辺りを引き攣らせた。

「お嬢さんのような色っぽくてたおやかな女性にぴったりな、控えめで上品な飾りが…」
「あーもういいってオッサン!しつけーよ!説明がくどい!」

土方が控えめな微笑の下で苛立ちを募らせているのを感じ取ったのか、銀時が店主の手からバシリと櫛を奪い取った。

人当たりも商品も良いのに、相手が悪かったなと土方は内心で苦笑する。
こっちも櫛は少し欲しかったが、まァコンビニで買うことにするさ。お互いに間が悪かったな…

そう思って店を後にしようとしたのだが。

「ぐだぐだ言ってないでサッサと包めっての。いくらだって?」
「え?」

銀時が取り上げた櫛をそう言って店主に突き出したことに、土方は呆気にとられた。ちゃんと作り声で聞き返すことができたのを褒めて ほしいぐらいだ。その上、店主に値段を聞いた銀時が多少値切りつつも自分の財布から金を払ったものだから、土方はいっそう驚いて銀時の 顔を見詰めた。

この男は何を考えているのだ。
先程自分がカツラに手をやっているのを見たのだろうか?それで考え込んでいるのを見透かされたとか?
それで、買ってくれる、というのか?コイツが、俺のために?
そんなバカな。

呆然としている土方の目の前で、和紙の袋に包まれた櫛が銀時に手渡された。
その包みが、そのままひょいと土方に押し付けられたので、土方はますます混乱する。

「え、ちょ…」

問いかけるように銀時の顔を見れば、「恋人」の顔でにこりと微笑まれる。
「優しい彼氏で幸せだね」という店主の言葉に、土方は訳が判らぬまま、半ば素で頬を染めた。



櫛店からの帰路を歩きつつ、土方は銀時の横顔をチラチラと眺めていた。

礼を言うべきだろうか。貧乏人のくせに、結構な値段のするものを買ってくれたことに対して?
それとも、きちんと理由を聞くべきだろうか。何故テメェが俺のために、と。

「…おい、万事屋…その…」

土方が躊躇いつつ口を開くと、銀時は上機嫌な顔を土方に向け、櫛の包みを指差して軽くこう言い放った。

「いやー、お前知ってるか?あの店の櫛すげェらしいんだよ。天然パーマもスルスル通ってからまないっつー謳い文句でな?実は前から気に なってたんだけど、高ェからなかなか買えなくてさァ。いや悪いねホント。レシート渡せば経費で落ちんだろ?」
「テメェが使うのかァァァ!」

土方は間髪入れずに叫んでいた。

やはり、土方のためなどではなかったのだ。銀時自身のため。しかも経費はこちら持ち。
そうだ。こいつはこういう男だった。土方は数秒前の自分の甘さに眩暈すら覚える。
額に青筋を立てて怒鳴った土方に、銀時が即座に怒鳴り返した。

「俺が櫛使って何が悪いィィ!それは嫌味か?自分は櫛なんて使わなくてもサラッサラだっつー嫌味なのか!?手櫛でぴったりストレート ですかコノヤロー!なんだソレ指先からマヨネーズでも出てんじゃねーの!?」

その台詞に、土方のどこかがプチンと音を立てて切れた。

「出るかァァァ!そんな奇跡の能力があったら髪型のセットなんかより食事時に活用するわ!」
「ちょっこの人気持ち悪いんですけど!自分の体から出てきたもの食べようとしてるんですけど!お前それは乳牛が牛乳を飲むようなモンだぞ!」
「仔牛は牛乳で育つんだから全然おかしくねェだろうが!むしろ完璧な自給自足システムじゃねェか見習え貧乏人!」
「親牛が自分の乳飲んでたらおかしいだろーが!それは喩えるなら糖尿の人間が甘いからって自分の尿を…」
「マヨネーズを排泄物扱いするんじゃねェェェ!!」





結局。
あの後、小声で延々と言い争い続けて万事屋まで帰ってきてしまった。
柘植の櫛は、この和室の机の上に無造作に放り出されている。
土方は机に肘を付いて煙草を咥えながら、その櫛をじとりと睨んでいた。

…銀時はコレを、本当に自分用に買ったのだろうか。
今になって、土方は再びそれを疑問に思い始めていた。

もしかすると。
やはりアレはトシエの、土方のために買ったもので、その後の会話はそれを誤魔化すためのものにすぎないのではないだろうか。

考えすぎかもしれない、とは思う。銀時がそこまで土方に親切であるはずがない、と。
しかしその一方で、疑惑はどんどん確信へと変わりつつあった。
それは何故ならば。

土方は目を閉じて、昼間の銀時の言動を思い返した。


最初は、周到な役作りだと思ったのだ。
歩調を合わせるのも、思案中に声をかけてこないのも、全て。
「彼女的な扱いをしろ」という依頼をしたから、細かいところまで「気遣う演技」をしているのだと。

だが、違う。

あの店の親父に言われて気付いたが、銀時はこの数週間、殊更に車道側を歩くということはしなかった。
「できなかった」のではなく、「しなかった」のだ。
思えば。
段差で手を差し伸べる、とか。こちらの手荷物を持つ、とか。
そういう「か弱い女の子」という扱いを銀時は一切してこなかった。
土方が銀時に「女扱い」されている、と感じたのは、作り声で交わしたベタな会話の中でだけ。
それは、おそらく。

銀時が、そういう気遣いをしていたからだ。
土方が「女扱いされている」と思わずに済むように。


歩調をさり気なく合わせていたのは、女装しているが故の歯がゆさを土方に味あわせないためだ。
かばった後にムカつく態度を取るのは、かばわれた土方が礼を言わなくても済むようにだ。
人前で恋人同士の演技をした後にくだらない喧嘩を売ってくるのは、女扱いされた土方の気を晴らすためだ。

連日女装して。他所に寝泊りして。不本意な演技をして。常に気を張り詰めて。
…こんな生活を何日も続けている土方が、ずっと自分のペースを崩さずにいられるのは。


土方は机の上の灰皿を引き寄せて、トンと煙草の灰を落とした。
そういえば、この灰皿もいつの間にかこの部屋にあったな。そう思い付いて、一瞬見開いた目をすぐにキュッと細める。

この万事屋の面子は誰も煙草を吸わないというのに、応接室でもない奥の部屋に常備されている灰皿。
「何のために」などと言うほど、土方は馬鹿ではない。


あれも、これも。
「トシエ」ではなく、「土方」に対する気遣いだ。


これでは柘植の櫛が土方のための物であっても、全くおかしくない。

土方は何だか居たたまれない気分になって頭を抱えた。

気付きたくなどなかった。
いや、銀時が気付かせまいとしたことに自分がまんまと気付かないまま、というのも、ものすごい敗北感があるので嫌なのだが。
しかし気付いたところで。

どうしろというのだ。

坂田銀時という男が、実はとんでもなく「いい男」なのだと気付かされて。
その優しさが、日頃折り合いが悪いはずの自分にも分け隔てなく向けられていると知って。
…その気遣いが、深く心に染み入ってしまっている自分にも、気付いてしまって。

「………どうしろっつーんだ…」

土方は深く溜息を吐いた。
と。

「なにが?」
「っうぉああァァ!?」

急に背後から聞こえた声に、土方は思わず叫び声を上げた。
慌てて振り返ると、寝巻きを纏い首にタオルをかけた銀時がのけぞっていた。土方の大声に逆に驚いたらしい。

「な、なんだよびっくりさせんなコノヤロー」
「こっちの台詞だァァ!いきなり背後に立つんじゃねェ!」
「ハァ?何言ってんのお前?別に俺気配とか消してなかったじゃねーか」

心底不思議そうに言われて土方は言葉を失った。

気配を消していない。
それが本当ならば、こんなに近くに寄られるまで全く気付かなかった自分は、どれだけ油断していたというのだ。
思考に沈みすぎたということか。いや、しかし。

「…っ」

カッと、土方の頬に朱が走った。

この数週間、考える事は多かったが、周囲の気配に気付かぬほど思考に没頭していたことなどほとんどない。何しろ変装し監視される立場なのだ。 気が抜けるものではない。この万事屋の家の中にいる時だって、常に気を張り巡らせていたはずだった。
それなのに今、銀時の気配に気付かなかったということは。

周囲への警戒が疎かになるほど、銀時についての思考に沈み込んでいたと、そういうことか。
それとも、警戒する対象にならないほど、銀時の気配に慣れきって気を許していたと、そういうことか。
…どちらにしてもあんまりだ。

羞恥に赤面した土方を見て、銀時は目を瞠った。

「え、な、なにお前、ちょ、どうしたオイ」
「っ、なんでもねェ…」
「いやいやいや、なんでもなくないだろソレは。確実に何かありますって顔だろうが」
「なんでもねェっつってんだろ。殺すぞ」
「そこで逆ギレ!?うわヤだねーおい。日頃コイツの下で働いてる部下の苦労が偲ばれるわ」
「アァ?」

ギラリと眼光を鋭くした土方を、銀時は煩わしげに手を振って押し止めた。喧嘩を始める気は無いらしい。

「わかったわかった。もういいからお前さっさと風呂入ってこいよ。ドラマまだ終わってねェから今のうちに」
「……ああ、そうだな」

土方は銀時のぞんざいな仕草に眉を寄せたが、溜息を一つ吐いて立ち上がった。
確かに今入らなければ、ドラマを見終えた子供らと入浴時間がかち合ってゴタゴタと延びる。冷めた風呂を沸かし直すようなハメになったら、 ガス代がもったいないとあの少年が煩いのだ。
それにそれだけではない。土方には子供らよりも先に風呂に入りたい理由があった。

「あーそうそう、変態カメラならぶっ壊しといたぜ。ったく、ウチには野郎とガキしかいねェっつーのに何が楽しいんだか」

唐突な銀時の言葉に土方は弾かれたように顔を向けた。銀時の手には小型のカラクリが乗せられている。紛うことなき監視カメラだ。随分 高性能な代物のはずだが、レンズの部分が割られている。

「………」

土方は唖然として銀時を見詰めた。
監視カメラがあったことには驚かない。敵がいつ忍び込んでくるのかは知らないが、この頃ちょくちょくとそういう類の物が見付かるよう になっていたのだ。万事屋で暮らすようになってから毎日、土方は外出から帰る度に家の中をチェックしているのである。
中でも風呂場は、入る前に厳重に調べることにしていた。何しろ服を脱ぎカツラも取るのだから、うっかりカメラに映ってしまおうものなら 大変なことになる。それに、子供らが気付かずに入浴姿を撮られるようなことになっては気の毒だ。土方がなるべく先に風呂に入ろうとする のはそういう訳であった。
今日銀時が先に入ったのは、久々に夜中の調査をしないことになった銀時が、止める間もなく入りに行ってしまったからだ。まァ銀時なら たとえカメラがあっても下手なボロは出すまいと心配はしていなかったのだが…

まさかカメラを発見し取り外してくるとは。
…本当に、コイツは何者なのだ。

土方の瞠目を余所に、銀時は手の中でカラクリを弄んでボヤいている。

「何だ?神楽が目当てか?今流行りのロリコンってやつか」
「……別に流行ってねェし、ヤツらの目当てはむしろ俺だろ」
「オイオーイ、ここにナルシストがいますよー。ったくコレだからちょっとばかし顔のイイやつは自意識過剰で困るね」
「なっ!誰が…っ」

大げさに溜息を吐きつつバカにしたように言われて眉を吊り上げた土方は、そのまま喧嘩を買いかけてふと思い留まった。
銀時が殊更に売ってくる喧嘩には、時に彼の判りにくい気遣いが隠されているのだと。先程気付かされたばかりだ。
…今のもひょっとすると、そうではないのか。
万事屋に仕掛けられた盗撮カメラ。それらのターゲットはどう考えても「トシエ」なのに、それを土方に皆まで言わせず否定した銀時。
それは、つまり。

「気にするな」と言っているのだ。きっと。土方が万事屋で暮らすことによって彼らに不自由を強いていることを。

土方が謝らなくてもいいように、礼すら言わなくてもいいように、わざと喧嘩を売るような言い方をして。

「…〜っ」

ザワリと心の中がざわめく。顔が熱くなるのを感じて土方はさっと俯いた。
こんな気遣われ方は、他に知らない。

「なんだよ。どうかしたか?」
「…なんでもねェ…風呂、いってくる」

不審そうに問いかける銀時の顔を見ることができず、土方は俯いたまま踵を返した。銀時が深く追求しようとしないのを幸い、大股で歩い て襖を開ける。
居間では佳境に入ったらしいドラマがやたら劇的な音楽を奏でていて、土方の頭を余計にぐるりとかき乱した。



和室を出ながらチラリと肩越しに振り返ると、銀時は机の上の櫛には目もくれずに手櫛で髪をかき回していて。
やっぱりソレ使わねェんじゃねェかテメェ、と声に出さずに呟いた土方は、どうにも居たたまれずに足早に風呂場へ向かった。




------第七訓へ続く