第九訓 見方次第でピンチもチャンス
いつの間にか、僕は勘違いをしていたのかもしれない。
「あー!!」
銀時が出かけて数分後。
朝食後のまったりとした空気は、神楽の唐突な叫び声によって破られた。
新八は驚いて食卓を片付ける手を止め、向かいのソファで煙草をふかしていた土方も、何事かと顔を上げる。
「どうしたの神楽ちゃん」
「コレ、ニコ中ネ!」
「え?…ああ」
神楽が指差したのはTV画面。見ればそこには確かに、真選組の隊服を着た土方の姿が映っていた。
ニュース番組の特集か何かだろうか。土方の横には近藤も映っていて、周りの隊士に何やら指示を飛ばしている。
隊服を着た土方の姿を見るのは随分久しぶりな気がする、と、新八は思わず、TV画面とソファに座っている土方を見比べた。
実際はたかだか数週間のことで、それほど久しぶりでもないのだが。「トシエさん」の印象があまりに強烈なせいで、漆黒の制服に身を包んだ
「鬼の副長」のイメージは新八の中で薄れかかっていた。
土方は煙草をふかしつつ、目を眇めてTV画面を見ている。
こうして見ると、ふてぶてしい雰囲気とか瞳孔の開いた目とか煙を吐き出す仕草とか、纏う空気はやはり同じ人間のものだ。しかし。
(…それでも、信じられないよなァ…)
目の前の美女とTVの中の男が同一人物であることが未だに信じがたくて、新八は軽く頭を振った。
見た目だけの話ではない。
毎朝、柔らかい微笑で挨拶を返してくれるとか。
三食おいしい御飯を作ってくれて、さり気なく皆の食の好みも配慮してくれているとか。
契約外のはずの炊事以外の家事も、何だかんだ言って手伝ってくれるとか。
…銀時絡みの話題を向けられて顔を真っ赤に染めるとか。
そんな律儀で優しくて可愛らしいこの人が、あの「真選組副長土方十四郎」だ、などと。
多分、誰に言っても俄かには信じてもらえないだろう。
最近になって、きっと土方は元々こういう一面を持った人だったのだ、と納得しかけていた新八でさえ、いざこうやって見比べると
あまりのギャップに面食らってしまうのだから。
「なんでトシ姉がここにいるのに、ニコ中がTVに映ってるアルか」
「いや神楽ちゃん、それ録画でしょ?……って、アレ…?」
不思議そうな神楽の台詞に新八は苦笑しかけて、目を瞬かせた。
よくよく見れば、真選組が映っている画面の右上隅には「LIVE」の文字。
一瞬固まった新八は、バッと視線を巡らせてソファを見た。トシエさんはそこにいる。
何だコレ。分裂?あ、影武者?それともまさか…
新八が呆然と考えていると、我が意を得たりとばかりに神楽が叫んだ。
「やっぱりニコ中とトシ姉は別人だったアルか!双子の姉弟アルか!」
「違うわァァァ!つーか、やっぱりって何だやっぱりって!」
土方が即座に怒鳴り返す。
途端に不満げに唇を尖らせた神楽を見て、ああ、神楽ちゃんはまだその希望を捨てていなかったのか、と新八は苦笑した。
新八はそんな考えは疾うに捨てて、トシエさんを土方だと認めた上で好感を持ちつつあるのだが…これは新八の感覚がオカシくなっているのだろうか。
「じゃあ、どういうことアルか」
納得しかねる、という顔でトシエとTVを見比べている神楽を見て、土方は眉間に皺を寄せつつ煙草の煙を吐き出した。
「これは録画だ。前に密着取材受けた時のな。あん時使わなかった映像を編集して流してんだよ」
今回の闇取引の捜査に関して、敵の目を真選組に向けさせてはならない。
だからこういう些末な仕事に捕らわれている様を放映して油断させているのだ、と土方は説明した。
「え、でもLIVEって…じゃ、偽報道!?」
「でっちあげアルか!やっぱり大人は汚いネ!視聴率とるためにそんなことして、バレたらあっという間に打ち切りヨ!」
「いや、それはちょっと違う問題だよ神楽ちゃん!捏造とかじゃないから!あ、あれ?捏造か?コレ捏造なんですかトシエさん?」
軽く混乱ぎみの新八に問われ、土方はちらり、とTV画面に目を向ける。
「いや、捏造っつーか…俺が映ってる映像以外は本物の生放送のはずだがな。まったく、上手いこと編集しやがる」
これだからマスコミっつーのは油断ならねェ、と皮肉げに口元を歪めて、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「この局はなかなか度胸が座っててな、天人にも幕府にも萎縮しねェ。ウチのことなんか舐めきってやがるから、普段はいけすかねェんだが…
まあ今回は、利害の一致ってヤツだな」
今捜査に協力しておけば、後々「大規模裏取引の摘発」という大きなニュースをスクープできる。
そういう「お話し合い」の結果だ、と人が悪そうな笑みを浮かべた土方を見て、新八は思わず一つ、深い溜息を吐いた。
人が悪そうな笑みさえも周りを惑わすような艶があるのだから、始末に負えない。
どのくらい始末に負えないかというと、普通ならここで「大人はみんな汚いアル」と言うはずの神楽が、「トシ姉やっぱりカッコイイアル」
と呟いたほどだ。
…なんだよコレ最強じゃないか。
胸中に文句のような台詞を呟きながらも、実際はあまり嫌な印象は受けなくて。むしろじわじわと湧いてきた好感に、新八は口元を緩めた。
そうだ。やっぱり、何もオカシイことなんてない。
この人は確かに土方十四郎で、だからこそ、こんなにも魅力を感じるのだ。
綺麗な顔して口が悪くて、子供みたいな口喧嘩をするクセに大人らしい狡さも持っていて。その一方で、実は優しくて料理上手で面倒見がよくて…
何よりも職務に熱心で。
この共同生活の間もずっと、いつも以上の働きをしているに違いない。
「トシエ」の柔らかい微笑を浮かべながら、その下でどうにかして早くウィルスを押収しなければと切迫した思案を巡らせ続け。
監視されている緊張感とか、他の隊士から離れた場所で副長の仕事をしなければならない不自由さとかを常に感じながらも、あんな強引な
契約に従って毎日きちんと料理を作ってくれているのだから。
すごい人だ。
これでは、銀さんが惚れるのも無理はない。
頭の片隅に、「ちょっ、惚れたって何だよ誰にだよ。惚れてねェよ!俺は断じて惚れてねェ!」などという銀時の声が聞こえたような気がしたが、
それは聞こえないふりで、新八はにこやかに土方を眺めた。
「ちょっとゴミ出してくる」
ふいに立ち上がった土方が、部屋の隅に置いてあったゴミ袋を手に取った。そういえば今朝銀時が出かけるときについでに出してきてもらおうと
思っていたのに、持たせる暇もなく追い出してしまったのだった、と新八は気付く。
「それじゃ僕も…」
一人で外に出ないという原則を思い出して腰を浮かしかけた新八を、土方は片手で制して苦笑を浮かべた。
「いい。ゴミ出しにゾロゾロ連れだって行くのも変だからな。すぐそこだし、一人で行ってくるさ」
「そうですか?でも…」
「いいから」
有無を言わせぬ調子で言い切った土方は、ゴミ袋を片手に玄関を出て行った。
カンカン、と階段の足音が響く。
心配げに玄関を見遣る新八の背中に、神楽の淡々とした声がかかった。
「ほっとくアル新八、女には一人になりたい時ってのがあるネ」
「いや、ホントは女の人じゃないんだけどね…」
思わず突っ込んでしまってから、ああでも、それはあるかもな、と新八は考え直した。
女の人がどうのではなく、一人になりたい、というのはあり得ると思ったのだ。
共同生活を始めて以来、土方は一日のほとんどの時間を万事屋の誰かと一緒に過ごしている。共同生活を始めた目的を考えれば当たり前のこと
なのだが、やはりストレスも溜まるだろう。最近は捜査も切羽詰ってきたせいか、ピリピリした空気を纏っていることも多い。偶には一人で
外の空気を吸いたいと考えたのかもしれない。
(…僕らが、銀さんみたいに上手く気を紛らわせてあげられたらいいんだけど)
新八はちょっと溜息を吐いた。
銀時と一緒にいる時の土方は、それほど気を張っているようには見えないのだ。
…まァ、別の意味で固まっていたり悩んでいたりはするようだけど。
そこに思い至ったところで、新八はクスリと笑みを零した。
「狙われているから」と万事屋で生活を始めた土方。
最初は、依頼料さえ払ってくれるなら何でもいいやと思っていた新八だが、今となっては依頼料に関係なく、彼の力になりたいと思う。
自分の身を護る場として万事屋を選んだことが、正解だったと思ってもらえるように。
土方にとって万事屋が、気の休まる場所になれるように。
そのためにはまず、あの二人のグダグダな関係の背中を蹴飛ばすべきかな…などと新八がつらつら考えていると、TVを眺めていた神楽が突然、
アレ、と不安げな声を漏らした。
「新八、トシ姉これ置いてったヨ。大丈夫アルか?」
「え?」
神楽が手にしていたのは、細長い布包み…土方の刀である。
「うわ、ちょっとマズイんじゃないそれ!」
新八は慌てて腰を上げた。
ここのところ土方は、外出する時は必ず刀を携帯している。
もちろん一目で刀と判るような持ち歩き方はしない。上品な布に包んで背中に負っているのだ。それはトシエの婀娜っぽい外見も手伝って、
まるで芸事の女師匠が三味線か何かを背負っているかのように見えていた。
しかし、どのようにカムフラージュしていようと、中身は刀。変装捜査中にそんなものを持ち歩くリスクは高い。
それにも関わらず土方が肌身離さず刀を持っていたのは、つまりそれだけ警戒しているということだ。
裏を返せば、刀が無ければ身を守れないかもしれない危うい状況にいる、ということ。
すぐそこのゴミ捨て場へ行くだけとはいえ、一人。そのうえ丸腰。
これは流石にマズイ。
新八は刀を掴んで居間を飛び出した。神楽も傘を手に後に続く。
草履を履くのももどかしく、つっかけるようにして玄関の戸を開けた。
(何事も無いといいけど…)
我ながら心配しすぎかもしれないとも思う。しかし、新八は妙な胸騒ぎが消えなかった。
派手な音を立てて階段を駆け下りる。
それにしても、こんな油断は土方らしくない。
木刀を携えた銀時と共に出かける時ですら、自分の刀を置いて行こうとはしなかったのに。よりによって一人で外出するのに丸腰で行くなど。
ストレスの溜まる生活が長引きすぎて、集中力が切れてしまったのだろうか。
階段を下りきり、ゴミ捨て場の方向に走り出そうとして、寸の間、新八は立ち竦んだ。
ゴミ捨て場への曲がり角付近。見覚えのある蘇芳色の着物の人影が、複数の男に囲まれているのを見たからだ。
掴まれた腕を振り払い、鳩尾に肘を叩き込んでいたりする様子から見て、とても友好的な話し合いの場には見えない。
息を飲んだ二人がそちらに駆け出そうとした時、気配を感じたのか、土方がパッとこちらを向いて、何やら口を動かした。
その瞬間。
一瞬気を逸らした土方の隙をつくかのように左右から一斉に伸びた腕が、土方の身体を脇に停められていた車に押し込んだ。
「トシエさん!?」
「トシ姉!!」
叫ぶ二人を残し。
男達は乗り込んだ車を急発進させると、すぐに路地に入り込んで、見えなくなった。
「……っ!」
新八は愕然として言葉を失った。
目の前で土方が連れ去られた、その事実もさることながら。
直前に土方の口が紡いだ言葉。
来、る、な。…と。
あの時、土方は確かにそう言った。
それはつまり。
ああ。僕はいつの間にか勘違いをしていた。
土方の身を護るのが自分たちの仕事だと。
重大な仕事の傍らで炊事までしてくれている代わりに、周囲の安全を確保して気の休まる場所を作ってあげるのが、僕ら万事屋の仕事だと。
だが、それは違ったのだ。
土方は、新八や神楽に護ってもらう気など無くて。むしろ子供達を巻き込んでしまったことを気にしていて。
逆にずっと、護ってくれていた、のだ。
銀時がいない時に限ってピリピリしているように見えたのも、子供らの安全に気を配っていたからで。
ゴミ捨てに一人で行きたがったのも、不穏な空気を感じて外の様子を探りにいったのかもしれない。
さっきだって、一人なら切り抜けられたかもしれないのに、僕らが出てきたことに気を取られたせいで。
「新八、何してるアルか!」
立ち尽くしていた新八は、神楽の声に我に返った。
早く追うアルとせっつかれて…しかし新八は首を横に振った。
「…ダメだ。神楽ちゃん」
土方は「来るな」と言ったのだ。自分達が勝手な行動をしたら、また迷惑をかけてしまうかもしれない。
助けようとして逆に窮地に追い込んでしまっては意味がない。
土方を助けるのは…自分達の仕事では、ない。
土方から護衛の依頼を受けたのは。彼と対等に仕事をしていたのは。
今朝、誰よりも土方の身の危険を案じていたのは。
「僕が銀さんに知らせに行くから、神楽ちゃんは家で待ってて」
反駁しかける神楽を、銀さんが入れ違いに帰ってくるといけないからと説き伏せ、新八は土方の刀を片手に駆け出した。
「銀さん!大変なんですトシエさんが!」
「新八!?」
かまっ娘倶楽部。
飛び込んできた少年に、店内にいた人間は目を剥いた。
顎の割れたオカマ相手に何やら話していた銀時も、血相を変えた新八の叫びに驚き振り返る。
「どうした?」
騒ぐオカマ達を煩げに手で制して、銀時は新八に歩み寄った。
新八は戸口に捕まり、肩で息をしている。
万事屋からここまで、全速力で走ってきたのだ。
「銀さん…すいません…っ」
床に汗の雫を落としながら、新八は唇を噛みしめる。
「トシエさんが、攫われました…!」
俯いたまま、顔も上げられずに新八はそう言った。
銀時の顔が見られなかった。
責められると思ったわけではない。銀時は日頃は責任転嫁を得意技としているが、こういう時に限っては人を責めようとはしないのだ。
むしろ自分の責任だと思うのではないか。そう考えて、新八はますます首を垂れた。
銀時はそういう人間だ。
口では土方の未熟を罵り、顔には面倒くさそうな表情を浮かべつつ、心の奥底に自責の念を感じるに違いない。
護るという依頼を受けた人間を、護れなかったこと。
まして。
依頼を受けた時点ではともかく、今現在の銀時にとって、土方は特別な相手になっているはずだ。
銀時自身がいくら否定しようとも、周囲の目から見ればそれは明らかすぎるほどに明らかだった。
銀時の心情が察するに余りあって、新八はぐっと目を瞑った。
ところが。
「あ、ホントに?」
「………は?」
搾り出すような声で言った新八に対する銀時の答えは、ひどくあっさりしたもので。
新八はたっぷり五秒ほど間を置いてから、呆然と聞き返した。
ホントに?って…なんだよ、ソレ。
「へェ〜、ホントに攫われたか。すげェなコレ。こんだけ上手くいくと返って怖くなってくんなオイ」
(…上手く、いく…?)
予想外の反応にしばし瞬いていた新八は、やがてジト目で銀時を睨みつけた。
「………ちょっと銀さん、どういうことですか?」
嫌な予感がする。
なんかとてつもなく、ろくでもない予感がするッ!
新八のその予感を裏付けるかのように、銀時はバツが悪そうに視線を宙に泳がせた。
「いや、だからさ…アレだよ。所謂、囮捜査?みてェな?」
頭をパリパリと掻きながら言う銀時の言葉に、新八は一気に頭に血を上らせた。
「半疑問形でごまかすなァァァ!つまりアレですか!?土方さんはわざと攫われたんですか!?僕らは騙されたってことですかァァ!?」
「人聞きの悪いこと言うなっての。騙してねーよ。ほら、敵を欺くにはまず味方からって言うだろ」
「やっぱり騙してんじゃないかァァ!何の言い訳にもなってませんよそれ!」
「いやいや、それはホラ、アレだから。発案は土方だから。怒るならアイツに怒れって」
詰め寄る新八を押し止めるように、銀時はひらひらと両手を振る。
「それにな新八、お前ちょっと落ち着いて考えてみろ。アイツがそんなに簡単に攫われると思うか?そもそも、自分の身が危ねェっつって
俺らに大人しく護られてるタマだと思うか?前提からおかしいだろうが。何か裏があると思えそこは」
「い、いやそれは…!僕もそれは思いましたけど…っ!」
だからこそ、自分や神楽の身を護ろうとして攫われてしまったのだと思ったのだ。なのに。
わたわたと混乱をあらわにする新八を見て、銀時は少し苦笑した。
何も言わなくて悪かった、とは思う。
しかし仕方がなかったのだ。新八と神楽は何だかんだ言って子供。こういう敵の裏をかくような作戦では、ボロを出す可能性が大きい。
何も言わないでおいた方が、色々とやりやすかったのだ。
土方と外で四回目の密会をした、あの日。
甘味処で「一番危ねェのはお前だろう」と銀時に指摘を受けた土方は、しばらく思案した後に、次のように依頼を追加したのだった。
「俺をしばらくお前の家に置け。で、なるべく俺を一人にするな」
「へ?何それ。お前の護衛ってこと?俺を護ってくれ的な依頼?」
「アホか。お前らに護られるなんて屈辱は死んでもゴメンだ。…しばらくアチラさんを焦らすんだよ」
土方は、広告の裏の通信文をパチン、と弾く。
「実力行使も辞さない構え、ってところに、唯一にも近い手がかりである『トシエ』が急に警戒を強める……向こうにしてみりゃ焦りが
つのる一方だろう。そこで頃合を見計らって、俺がわざと一人になる」
「…そりゃ、攫ってくれって言ってるようなモンだな」
「ああ。それまでに散々焦らしとけば、ヤツらはこの機を逃すまいと何らかの行動を起こす。こっちはそれまでに発信機やら盗聴器やらを用意して
身に着けておけばいい。…連中のアジトは、そうでもしねェと割れそうにねェ」
「囮捜査か」
やれやれ、と銀時は椅子の背にもたれかかって溜息を吐いた。
「そういう危険な役を自ら買って出るって…お前やっぱり副長とか向いてねーんじゃねーの」
人を指揮する立場にある者が、そう易々と最前線に出るものではない。
軽く苦言を滲ませる銀時に、土方はさらりと言葉を返した。
「何言ってんだ。俺にこの役を薦めたのはテメェだろうが」
「あ?俺が?」
覚えの無い言葉に銀時は眉を顰める。
土方はコーヒーカップを手に取り、ニヤリと笑った。
「一番狙われやすい、イコール、囮に最適。だろ」
「……うわー、トシエさんてば性格悪ーい」
トシエのしとやかな外見に似合わぬ物騒な思考回路に、銀時は思わず苦笑を零した。
「…と、まぁこういう経緯があったわけだ。いやホント性格捻じ曲がってるよアイツ。山中の道路ぐらい曲がりくねりまくってるよ」
かいつまんで説明した銀時は、ひょいと肩をすくめてみせた。
要は、共同生活中の土方があからさまに警戒を厳しくしていたのは、敵の焦りを煽るためで。
ウィルスの取引が完了したらしいと判ってからも、その隠し場所を探し出すために作戦を継続し。
昨日たまたま家の中にまでやってきた監視者に「トシエの方が中枢に近い」と印象付けることに成功した土方は、機は熟したと見て今日、
囮捜査を実行に移したのだ。
銀時をどうでもいいような場所に聞き込みに行かせ、トシエからも敵の屋敷からも目を離しているという状況を作った上で、トシエがわざと
一人で外出する。
敵にしてみれば千載一遇のチャンスであるはずだった。
「まァ今日かからなくても、同じようなことを何日か続けてればそのうち…とか思ってたんだけど」
まさかいきなり食いついてくれるたァ…意外とチョロイなオイ。
ポリポリと頬を掻きつつ、けろりと言った銀時に、新八はくらりと眩暈を感じてよろめいた。
ああ。
僕は二重に勘違いをしていた。
土方さんは、黙って僕らに護られているような人ではなくて。
黙って僕らを護っているだけの人でもなくて。
攻撃は最大の防御だと。
守りに入っている暇があるなら自分から攻めていく。
そういう人だったのだ。
そんなこと。とっくの昔に知っていたはずだったのに。
どうして気付かなかったのだろう。
何週間も守りに徹するとか、他人を気にして三下にあっさりと攫われるとか、そんな殊勝なマネ。土方さんには似合わないと、今になってみれば
こんなにもはっきりと判るのに。
…これも、外見に騙されたということになるのだろうか。
そうかもしれない。
新八は深く深く溜息を吐いた。
(…ああ、でも)
「よかった」
「ん?」
ぽろりと零れた声に、銀時が不審げに聞き返す。
新八はすっきりとした顔を上げた。
「わざと攫われたってことは、対策とかしっかり練ってあるんでしょう?」
「あー…そうだな。発信機持ってるはずだから、真選組の連中が居場所は把握してると思うぜ」
「なら良かったです」
ホッと一息ついて、新八は安堵の笑みを浮かべた。
あの時、走り去る車に血の気が引く思いがしたのも、胸の中に重い石を落とし込まれたような気分になったのも、唇が切れるほどに噛み締めたのも。
土方さんが危ないと、そう思ったからだ。
銀さんの大切な人を目の前で連れ去られて、銀さんに申し訳が立たないと、そう思ったからだ。
それが作戦の一部だったと知って、反動的に腹を立ててしまったけれど。考えてみればそれはつまり、自分の心配が杞憂だったということになるのだし。
(騙されたから何だ。土方さんが無事なら何よりじゃないか)
そう考えるとやっと気分が落ち着いて、新八はシャキリと背筋を伸ばすと銀時に笑いかけた。
「帰りましょう銀さん。神楽ちゃんも心配してると思うんで、早く安心させてあげないと」
「……ああ…」
店の入口へと踵を返した新八に生返事を返しつつ、銀時は周りに見えぬように、少しだけ眉を寄せた。
(安心、か…)
実はそうとも言えねェんだよな、と、こっそり溜息を吐く。
一応対策が練ってあるとはいえ、土方の身が安全というわけではない。
何しろ、曲がりなりにも誘拐されて拷問されようという身なのだ。
早く救出しなければ危害が及ぶのは避けられないし、不測の事態でも起これば…最悪の場合、命にかかわる。
「この仕事で一番危ねェのはお前だ」と、そう言った言葉に嘘は無い。
土方の身を本当に案じるならば、安心していられるような状況ではないのだ。
…だがまァ、わざわざそんなことを口にして新八を不安にさせることはないよな、と、銀時は黙って頭を掻いた。
(っま、そもそもこの作戦立てたのはアイツ自身だし?俺らがアイツの心配してやる必要なんかねーし?アイツが多少痛い目見るぐらい
別に良くね?むしろイイ気味じゃね?)
フン、と鼻を鳴らしかけた銀時は、自分の思考にズキリと痛んだ胸に気付いて息を詰まらせた。
「…………」
…えーと…
なんですか、この胸の痛みは…。
何?良心の呵責ってヤツ?心にもないこと考えたから?…って心にもないことねェよ。
「痛い目見てる」アイツを想像しちまったから?…で、なんでそれで俺の心が痛むんだオイ。
「……………」
「銀さん?何してるんですか?」
「……いや、なんでもねー…」
手近な壁にゴツリと頭を打ち付けた銀時を不審そうに振り返った新八に、銀時はパタパタと力なく手を振った。
…まァいい。
不測の事態が起これば、真選組の連中から何らかの連絡が入るはずだ。
それまでは何を考えても仕方がない。つーか考えない方がいい。つーか考えたくない。
じんじんと痛む額を擦りながら、銀時は少年の後に続いて帰路に着いた。
しかし。
家に帰った銀時は、真選組の連中よりも先に「不測の事態」を目の当たりにすることになった。
「ただいまー…あれ?神楽ちゃん?」
ガラリと開けた玄関の向こうは、人の気配など全く無く静まりかえっていて。
「…オイ、神楽?」
嫌な予感に声を高めつつ居間に足を踏み入れれば、テーブルの上には一枚の紙切れ。
不揃いな拙い字でそこに書かれていたのは。
『さだはると トシねえの におい おうアル』
「ぎ、銀さん…!」
「………マジでか」
予想外の事態に、銀時の背をタラリと一筋、汗が流れた。
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第十訓へ続く
今まで定春が影も形もいなくてすいません。
……素で忘れてた…(オイ)