第十七訓 勝った負けたも悪くない
剣戟の音と疎らな銃声が響く中。
倉庫の入口から逃れようとした敵に太刀を浴びせて、土方は周囲の喧騒に視線を巡らせた。
徐々にだが確実に、事態は収束しつつある。沖田を始めとする隊士たちは抑圧から解放されたバネの如く、それでいて統率のとれた動きで刀を振るっていた。
――そして。
視界の端の、白銀は。
決して派手な動きをしているわけでもないのに、確かな存在感でそこにいる。
巻き込まれるのは御免だとでも言うようにのらりくらりと敵をかわしながら、新八や神楽の背後に向けられる武器には、見逃さずに木刀を繰り出して。
退くべきところと戦うべき相手を、的確に知っている、動き。
それを目に収めたところで…土方はツイと視線を逸らした。
思えば、出遭った頃から。
そうやって束の間だけ輝いて、すぐに鳴りをひそめるその銀色に。
目を奪われては――そんな己を懼れて。無理矢理に見ないようにしてきたのだ。
張り巡らされた黄色いテープと、サイレンの音。
土方は倉庫の外、慌しく行き来する隊士たちから少し離れて佇んでいた。
何時間かぶりに出た空の下。太陽は既に西空に差し掛かり、その色を徐々に橙色へと変えようとしている。
長い一日だった。
今日、万事屋の玄関を出た時にはまだ中天にも達していなかったはずの太陽を思って、土方はフと軽い溜息を吐いた。
刀は鞘に収められ、闇商人は縄を打たれて移送車の中。
真選組が総力を挙げ、数週間を費やした大捕物は一応の成功を収めた。
――だが。
土方の心境は、晴れ渡っているとは言い難い。
その原因は今、土方の目の前で鼻をほじっている。
「…何で、来た」
低く絞り出すような声で問えば、銀時は鼻をほじるのもやめずに気怠く答えた。
「あん?ガキどもが言ってただろ、定春の背中に乗って匂い追ってきたんだよ。俺ァ原チャだけどな。三人乗りはしてねーからパクるとか言うなよこの横暴警官」
「んなこたァ聞いてねェ!手段じゃなくて理由を聞いてんだ俺は!」
いつも通りの悪態に思わず怒鳴り返してしまってから、土方は唇を噛んだ。
――理由、など。
それを聞いてどうするというのだろう。
土方とて本物のバカではない。本当はそんなもの、聞くまでもなく判っている。
お人よしのコイツが、顔見知りの窮地に駆けつけた。ただそれだけのことに敢えて理由など求めるならば、辿り着くのは至ってシンプルな答え。
『――助けたいから助ける、他に理由なんかいらないネ』
頭にリフレインした少女の声が、土方の顔を歪ませる。
ただ純粋な好意が故だと。
それをハッキリと口に出して言われてしまえば――困るのは、俺だ。
「理由だァ?」
銀時は押し黙った土方の表情にはまるで頓着しない様子で、面倒くさげに片眉を上げる。
そして、さらりと。
当然のことのように、銀時は答えた。
「そんなもん決まってんだろーが。依頼人に勝手に死なれてウチに報酬払うヤツがいなくなったら困んだよ」
やる気のなさとふてぶてしさを足して2を掛けたような、実に腹の立つ表情で。
「頼まれた以上の仕事してやったんだからギャラ上乗せしろよコノヤロー。危険手当と成功報酬込みで少なくとも三倍な。それ以下にはビタ一文まからねェから」
上に向けた手のひらをズイと突き出して、恩着せがましく言い放った…その。
好意の欠片も見えない、ぞんざいな態度、に。
――あァ、まただ。
土方は目を伏せて、ギリリと奥歯を食いしばった。
短期間の共同生活で学んだことの、その一。
銀時が殊更に喧嘩を売ってくる時には、その裏に判りにくい優しさが隠されているのだということ。
気遣いに気付かせまいとするこの男は、今もまた。
土方の当惑と…恐れを、察して。すべてを元の関係のまま済まそうとしている。
(……くそ)
土方は胸中に悪態を吐いた。
ここで、自分が。ふざけんなボッたくってんじゃねぇと、いつものように青筋立てて喧嘩を買いさえすれば。
この男との関係は、単なる腐れ縁に戻るのだろう。
いつの間にか近付いていた距離を、覚えてしまった感情を、すべて無かったことにして。
真選組以外に何も見るものなどない…今まで通りの日常に。
ああ、なんて好都合な。
胸の内に呟いた土方は――その言葉とは裏腹に、眉間にキツく皺を寄せた。
渡りに漕ぎ着けられた舟。
何食わぬ顔で乗ってしまえば、自分は望む岸につける。
…そうと判っていて、何故か。
土方の胸の奥底で、何かが気に喰わないと騒ぎ立て。舟に乗ろうとする足を堰き止めている。
「…オーイ、てめ、なに黙ってんですかコノヤロー。まさかギャラ上乗せしねぇとか言うんじゃねーだろうな?ふざけんじゃねーぞコルァ!俺が何のためにわざわざこんなトコまで来てやったと思ってんの?こちとら慈善事業でやってんじゃねーんだよ!」
黙り込んだ土方に何かを感じ取ったのだろう。一瞬の間の後、ますます腹の立つ態度で言い募った銀時に、土方の眉間の皺は更に深められた。
コイツはこういう男なのだ。
手を差し伸べては、別にお前のためじゃないと嘯いて。
事が済めば相手に負い目を感じさせまいと、身勝手なフリをして離れていく。
あちこちで人を助けては、誰にも深入りせず深入りさせず。
救われた人の心に、温かな爪痕だけを残して。
――俺も、その中の一人になれというのか。
(冗談じゃねェぞ)
ザワリと、脳内を掻き乱すような感覚とともに。反射的に零れたのは明確なまでの拒絶の意思で。
土方は拳を固く握り締めた。
任務中やたらとお前の顔が浮かんだのも。
作戦を無視してチャイナを助けに行ってしまったのも。
…結局、お前に助けられてしまったのも。
全部、全部。自分にはあってはならなかったこと。恐怖すら感じる事実。
銀時の気遣いに甘えて、無かったことにしてしまった方がいいのは判りきっているけれど。
(……甘える、だと?)
俺が、コイツに。
――そう、考えただけで。
腹の底からせり上がってきた目も眩むほどの衝動に、気付けば土方は口を開いていた。
「…ふざけんな。誰が追加報酬なんか払うか」
そう言えば、銀時の瞳の奥が一瞬だけ緩む。
そうだ、それでいい――と。土方の心情を慮って、僅かに微笑んだその瞳を睨みつけながら。土方は言葉を続けた。
「仕事だったなんて認めてやらねェ」
テメェが、ここに来たことが。
報酬だけが目当ての行動だなどと、認めてやるものか。
目を見据えて、キッパリとそう言い放てば。
一瞬ピタリと固まった銀時の顔には、みるみるうちに心の底からの驚愕が広がって。滅多に見られないその表情に、土方はほんの少しだけ溜飲を下げた。
助けられた上、気遣われて。
ただただ一方的に救われて、それに甘えているだけ、だなんて。
他の誰とどうあっても、コイツとだけはそんな関係でいたくないから。
「…一つ、借りだ」
唸るような声で土方は言う。
銀時に。真選組以外のものに。ただ個人的に、救われたのだと――声に出して認めることは、未だに背を震わせるほどの恐怖を伴うけれど。
コイツが今までに助けては離れてきた、不特定多数の一員になどされてたまるか。
コイツに遠くから感謝と憧憬の眼差しを向ける、数知れない人間の一人になどなってやるものか。
「いつか必ず返してやるからな。覚悟してやがれ!」
まるで仇を誓うかのように。
瞳孔の開いた眼でキツく睨み据えて宣告した土方に、銀時は言葉を失った。
(何だって、コイツは、こう…)
普段はいっそ心配になるほど読みやすい性格をしているくせに。
肝心な時に限って、こうも予想を跳び越えてくるのか。
(――いいのかよ)
胸中に呟いて、半ば呆然と目の前の男を見詰める。
こちとら、おあつらえむきに「万事屋」なんて便利な職業。
依頼という建前さえ掲げてしまえば、そこに介在した感情は全部無かったことにできるのに。
土方の恐怖を、知っている。
だからずっと、一線引いた関係を守ってきた。
近付く時には言い訳を用意して。差し出す好意は悪意のオブラートで包んで。生まれた感情には見ないふりをして。
土方とてそれを判っていたはずだ。
突っぱねられるかと思っていた、お節介な柘植の櫛は。気付かぬふりをして受け取られた。
だから、土方もそれを望んでいるのだと。
たとえ下手くそな口実でも、縮まっていく距離を否定することを。それぞれが抱く心を誤魔化し続けることを。暗黙の了解として求めているのだと思っていた。
それなのに。
誤魔化しもせず。真正面から受け取るというのだろうか。
頼まれもせずに勝手に押し付けた、迷惑なはずの好意を。
(いいの、かよ……!)
再度の問いかけを視線に乗せて見詰めれば。土方は黙って、ただ真っ直ぐにこちらを見返した。
逸らされることのないその瞳は、逃げることをやめたというよりは……逆にこちらに、逃げるな、と迫るようでもあって。
銀時はワシャリと後頭部を掻き乱した。
――この男には、見抜かれているのだろうか。
本当に恐れているのは、俺の方だということを。
護れないことを恐れて。またこの無力な手が、大切なものを取り零してしまうのが怖くて。抱えるものなど二度と持たないと、そう決めていたはずなのに。
目の前で散ろうとしているものを、堕ちようとしている命を。諦められない自分の性分。
気付けばまた、お節介にも手を出して。その度に深入りを懼れて離れてきた。
「万事屋」なんて肩書きは、他の誰でもない、自分のための隠れ蓑。
土方を気遣うふりで、本当はただ自分を護っていた。とんだ卑怯者だ。
昔から、何故だか買いかぶられる節のある自分だけれど――臆病で無力で姑息な、自分の弱さは。誰よりも己がよく知っている。
ずっと張り巡らせていた、薄いけれど強固な壁。
それを乗り越えてこようというのか。
まるで壁が見えないかのように躊躇いなく入り込んできた、新八や神楽のように。
よりによって、お前が。
(参った……チクショー)
銀時は視線を俯けて、またガシガシと頭を掻いた。
ハァ、と。溜息のふりをして深呼吸を一つ。
俺よりももっと、目に見えて頑丈な壁を張り巡らせていたはずのお前に。
他人に近付きすぎることを、何よりも、誰よりも恐れていたはずのお前に……こうも真っ向から立ち向かわれてしまっては。
俺だけが逃げ続けるわけにいかないではないか。
「…そーかよ。じゃ、コレも貸しに加えとけや」
いつも通りの怠い声を装って、ズボンのポケットから取り出した物を土方に押し付ける。
不審げな顔をしながらも受け取った土方は、それが何なのかを見て取った途端、目を瞠った。
「俺ァ櫛なんか使わねーし?」
責任持ってテメェが引き取れよな。
そう言えば、土方は手の中の柘植の櫛から弾かれたように顔を上げる。
――使わない、って。お前が、それを、言うのか、と。
驚愕に彩られた表情はそう語っていて。
そうだよ誤魔化さねーってのはこういう事だよ今更実感したかザマァみろコンチクショー。銀時は意趣返しが成功したような気分にフフンと鼻を鳴らした。
…随分と、諸刃の剣な意趣返しではあるけれど。
「言っとくけど俺ァ取り立て厳しいからね。ビシバシいくから。追加報酬出さねーっつーなら金以外のモンでキッチリ払ってもらうから、覚悟しとけよコノヤロー」
未だ二の足を踏もうとする心を捩じ伏せるように、銀時は一息に言い切った。
視線を微妙に逸らして、ボリボリと首を掻きながら。
…すると。
唖然としたように固まっていた土方が、数秒の沈黙の後、ボッと急激に赤面したことに銀時は驚いた。
耳近くまで赤く染め上げて、信じられぬものを見るような目でこちらを見詰める。
何事かと見詰め返せば、ハッと狼狽したように視線を逸らして…ますます、その頬に赤みがさした。
その、明らかにオカシな土方の様相に。
自らの台詞を振り返った銀時は……ふと、気付く。
…金以外のモンで払ってもらうから、覚悟しておけ、…って。
それは。
(そ…っそういう意味じゃねぇよバカヤロォォォ!!)
つーかそういう意味ってどういう意味だボケェ!自分の心の叫びが墓穴を掘っていることに気付いて、銀時は胸中で頭を抱えた。
顔と頭が急速に熱くなってくる。おそらく自分の顔は今、土方に負けず劣らず赤く染まっているに違いない。
大の男が二人向かいあって赤面ってどうなんだ、と思いつつ、それもこの数週間では別段珍しいことではなかったと、その事実にまた狼狽。
「………や」
「や?」
しばし声も出せぬまま二人揃って固まっていると、やがて土方が、小さく口を開いた。
掠れた声で発せられた一音を鸚鵡返しに聞き返して、続く言葉を待つ、と。
「山崎ィィィ!!」
腹の底から発声された人名に銀時は仰け反り。はいよっと遠くから聞こえた威勢のよい返事とともに、黒服の男がこちらに駆け寄ってきた。
土方はバッと勢いよく銀時に背を向けると、走ってきた男に掌を突き出した。心得たように煙草とライターを差し出した山崎からそれらを奪い取って火をつける。
「報告!」
煙とともに怒鳴るような声を発した土方に、山崎は一度敬礼をしてから答えた。
「闇商人の護送車は先ほど出発しました。運転は原田隊長で沖田隊長も同乗しているので、まず心配ないかと」
「……待て。総悟が乗ってるっつーのはどう考えても不安要素なんだが」
「いえ、沖田さんくらいあからさまに危険なオーラを放っている人の方が、あの闇商人もナメてかからないだろうということで」
「あー…ま、そうかもな。で?うちの被害はどんなもんだ」
「はい、幸い死者は出ませんでしたが、負傷者が…」
急速に仕事モードに戻っていく土方を眺めながら、銀時はポリポリと頬を掻いた。
銀時の存在をシャットダウンするかのように向けられた背中からは、日常に戻ってパニックを脱しようという必死さがひしひしと漂ってきて。
要は…アレだ。さっきのは、その場の勢いってヤツだったらしい。
そう判断して、銀時は苦笑した。
一時のテンションに身を任せてしまってから、我に返って慌てふためいている、といったところか。
まあ、こちらとて同じようなものだから、人のことは言えないのだが。
銀時はガシガシと頭を掻いて踵を返した。
どうやら、お互いに。頭を冷やす時間が必要のようだ。
「…それと、万事屋の依頼料もお前が処理しとけ」
「わかりました。あ、追加報酬を求められた場合はどうしますか?」
その場を立ち去りかけた時に自分の呼び名が聞こえて、思わず足を止めて振り返る。
すると目に入った土方の横顔は、山崎の質問に、ひどく複雑な表情を浮かべていて。
「……却下だ。一切払うな。話はつけてある」
薄っすらと目元を染めながら、苦虫を噛み潰したような声で言った…アンバランスな土方の答えに。
「…はいよ」
山崎はチラリとこちらを見て、意味深長な笑みを浮かべる。
その微笑に、銀時が無性にイラッとしたのと同時。
まるで呼応したかのように、土方の拳が山崎を殴り飛ばしていた。
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