考えてみれば。
ドSコンビが顔を突き合わせて話し込んでいるのを見た時点で、もっと警戒するべきだったんだ。俺は。


雑草の恋


昼下がりのかぶき町。
団子屋の店先に部下の姿を見付けて、土方は歩み寄り声をかけた。

「総悟テメェ、こんなとこで何してやがる」
「おや、土方さんじゃねーですかィ。何って団子食ってるんでさァ。見て判らねーなら眼科に行った方がいいですぜィ」

けろりと言い放たれて、ピキリと額に青筋が浮かぶ。

「俺が言ってんのは、何で勤務時間中に団子食ってやがんだってことなんだが」
「決まってんでしょう。そこに団子屋があったからでさァ」

ふざけんなどこの冒険家気取りだ、味の探検家でさァとか言ったら叩っ斬るぞ。
そう言おうとした土方の台詞は、沖田の隣から聞こえてきた声に遮られた。

「なかなか判ってるじゃねーか総一郎君」
「総悟です旦那」

いつも通り、のんべんだらりと惚けた声。ふざけた台詞。
おかげで、今まで敢えて無視してきた男の存在に注意を向けざるを得なくなって、土方は小さく舌打ちした。

「やっぱり人生に必要なのは甘味への飽くなき情熱だよな。つーわけで、もう一皿頼まねーか?」
「いいですぜィ。旦那の奢りなら」
「いや、それじゃ意味ねーだろーが。お前が買った団子を俺が食べることに意味があるんだろーが」
「すいやせんが、俺は自分の物を他人に譲るのは大嫌いなんでさァ。人のモンを奪い取るのは大好きですが」
「どこのジャイ○ン!?」

万事屋の、坂田銀時。
怠い声で沖田と会話を交わすその目は、先程からずっと土方には向けられていない。敢えて無視しているのはお互いさまか、と土方は目を眇めてそれを見た。
この男とは会った瞬間に喧嘩することもあれば、こんな風に頑なに無視し続けることもある。まァ後者とて、先に相手を無視できなくなった方が負け、という喧嘩の一種なのだが。
フワフワと揺れる銀髪を視界から締め出すように、土方は沖田に視線を固定した。

「オイ総悟、もう行…」
「旦那だって俺には団子くれないクセに俺からは貰おうとしてんだから、同じようなモンじゃないですかィ。…ところで土方さん」

こちらの台詞を無視した上でこちらに話しかけてきた沖田に、お前はどんだけ自由なんだと土方の頬が引き攣る。
しかしこの程度で目くじらを立てていては沖田の相手などできない。土方は黙って言葉の続きを待った。

「アンタこそ、こんなトコで何やってんでィ」

問われて、土方は怒りのあまり頭を一瞬真っ白に飛ばしかけた。

「……市中見廻り中にいつの間にか姿を晦ましやがった部下を探してたとこだ」

口元を引き攣らせつつ、何とか冷静な低い声を押し出す。
姿を消した張本人にこんな説明をするとは思わなかったぜ。土方がそう続けるよりも早く、沖田は「呆れた」とでも言いたげな声色を発した。

「やれやれ、アンタ、部下の一人も制御できないんですかィ。そんなんで副長たァ信じられないねィ」
「テメェのことだァァァ!!」

土方がついにブチ切れて怒鳴った瞬間。

バシャッ

「あ…っ!?」

ふいに懐からガラスの小瓶のような物を取り出した沖田が、土方の顔目がけてそれを振った。
瓶から飛び出した液体が、土方の顔に盛大にかかる。
…というか、怒鳴るために大きく開けていた口の中に。

「ーっ、ぐ…っ」

土方はそれを思わず飲み込んでしまった。

「…ゲホッ、てめ、何しやがんだ総悟!」

咳き込み、息を整えて、顔に飛び散った液体を袖で拭いつつ顔を上げて睨めば。
そこにはニンマリと笑う沖田と…何故か、大いに焦った顔を浮かべた万事屋の姿。

「え、ちょ、今の…!オイオイオイお前何してくれてんの!?やめようって言ったじゃん俺!やっぱやめようって言ったじゃねェかァァァ!」
「まァまァ旦那。やっちまったモンは仕方ねーでしょう」
「何ちょっと事故みてェな言い方してんの!?おま、さっきの明らかに故意じゃねェか!確信犯だろーが!」
「…オイ」

普段憎たらしいほど悠然としている男の慌てように、土方は嫌な予感を覚えて声をかけた。
すると銀時はピタリと口を噤み、恐る恐るといった様子で土方を振り返った。嫌な予感はますます募る。

「オイ…総悟お前、何飲ませた」
「土方さん、何か身体に変化は?」
「あ…?」

質問に質問で返してくる沖田の態度に眉を顰めたが、その台詞の内容に、身体に異変をきたすような物なのかと危機感を覚えて土方は己の身体を確かめた。
しかし。

「……別に…」

吐き気も痛みも、痺れもない。手足も普通に動くし、五感も正常に機能しているようだ。
口の中にはさっきの液体の、子供用の飲み薬のような変な甘ったるい味が残っているが…それも徐々に薄れつつある。もう少し時間が経てば消えるだろう。
要は、何の異変も無い。

どういうことかと見返すと、沖田は不審そうに眉を顰め、銀時はちょっと目を瞬いたあと、気が抜けたように深く息を吐いた。

「なんだよ効かねーんじゃん。ビビらせんなよコノヤロー」
「…そんなはずはねーんですけどねィ」

安堵したような声を漏らす銀時の横で、沖田が首を傾げる。
どうやら沖田の企みは失敗に終わったようだと見て取って、土方は少し肩の力を抜くと改めて問い質した。

「で、何飲ませたんだ」

土方の言葉に、沖田はひょいと肩をすくめると、ほとんど空になっている小瓶を掲げてみせた。


「惚れ薬でさァ」


「………は…?」


数秒の沈黙の後に上げた声は、随分と間が抜けていた。


……なんだって…?


「これを飲むとですねィ、ある特定の相手を見ると動機が早まったり身体が熱くなったり、所謂恋してるような感覚に陥るんでさァ。相手ってのは薬に細工することで自由に特定できるんで、この薬は万事屋の旦那に設定してあったんですが」
「だーからやめろっつったんだよ俺は」

淡々と説明する沖田と、溜息混じりの銀時の声。
土方はそれらを、ただ呆然と聞いていた。

「距離が詰まれば息も詰まり、相手の匂いを吸い込めば眩暈すら感じて、頭もまともに働かなくなるっつー強力な惚れ薬…のはずなんですがねィ」
「だから言っただろ?惚れ薬なんて眉唾もんだって」
「なんでィ。旦那だって最初は食いついてきたじゃねーですかィ」
「バ…ッカそれはお前、アレだよ。話のネタにはなるかなーみたいなさ。本当に効くとは思ってねーっつーの。んなバカバカしい」

パタパタと手を振る銀時の顔を見て…土方はポツリと、呟いた。

「ああ、バカらしいな」
「ん?あ、おう。そうだろ?」

そう言って笑った銀時に、うっすら、笑みを浮かべて頷く。


本当に、バカらしい話だ。


鼓動の高鳴り?体温の上昇?
呼吸困難に眩暈、思考回路の乱れ、だと?

この、相手に。


そんなもの。



とっくの昔から、感じてる。





何の縁か、事ある度にやたらと顔を合わせてしまう銀髪の男が気になり出したのは、いつからだっただろうか。
いや、ただ気になっていた、というなら最初に会った時からなのだが。
「只者じゃねェ」が「ふざけた野郎だ」に変わり、さらに「気に食わない」から「忌々しい」へと変化して。

いつの間にか。

会えば腹が立つだけのはずなのに、かぶき町に来ればフワフワと揺れる銀色を探している自分に気付いた。

小さな矛盾。
それは静かな水面に落ちた一滴の水滴のように波紋を広げ、あっという間に土方の心をさざめかせた。

そもそも、気に食わないならば相手にしなければいいだけの話なのだ。
それなのに、この男に売られた喧嘩は全力で買ってしまう。いやむしろ自分から売りにいく。
それは何故なのか。

普段はチャランポランだが、何だかんだで周囲に一目置かれている男。
冷静に考えてみれば、この男をそれ程までに徹底的に嫌う理由などないはずなのに、頑なに目の敵にする。
それは何故なのか。


…気付いた瞬間に、絶望した。


よりにもよって、これほど望みのない相手に惚れることも無かろうに、と。


しかし一度意識してしまえば、あとは泥沼で。
銀色の光に目が眩み。甘い匂いに息が詰まり。
もがけばもがくほど深みに嵌って、もう認めざるを得なくなってしまった。

ただ、この想いをこの相手にだけは知られるわけにいかないと。
顔を見た瞬間に跳ね上がる鼓動も、頭に上る熱も。全部見ないふりをして以前と変わらぬ自分を装って。今までずっと、必死に隠してきたのだ。

だから。

「オカシイですねィ。ちゃんと旦那の髪の毛を浸しておいたんですが」

目の高さに小瓶を掲げて暢気に言う沖田を見て、土方は胸中にこっそりと自嘲の笑みを漏らした。
動悸に体温上昇、呼吸困難エトセトラ。
先程沖田が並べ立てた薬の効果は全て、土方にとっては最早「日常」だ。
隠すことに慣れすぎて、異変を表面に現すどころか、自覚することすらできなかった。
…というよりも、異変が本当に起こっているのか。薬が効いているのか効いていないのかさえ定かでない。

(思惑が外れて残念だったな、総悟)

自分をからかって遊ぶつもりだったに違いない部下に、声に出さずに言葉をかける。
瓶の底にキラリと一筋光る銀色が張り付いているのを見て、土方は思わず目を細めた。直後、そんな自分に気付いて内心で少し慌てる。
状況が状況だ。少しでも変な様子を見せればたちまち沖田に突っ込まれて、ずっと隠してきた想いが顔を覗かせてしまうかもしれない。
それだけは、避けなければ。

土方は、ぐ、と気を引き締めると、銀時に呆れたような目を向けた。

「…お前、総悟に自分の髪を渡したのか?それァ命を売り渡すようなもんだぞ。藁人形に仕込まれて呪われても知らねェぜ」
「う」

命知らずな、という声音で指摘すると、銀時は短く呻いて沖田に視線を走らせた。そんなことは考えててなかったがこのサドガキならあり得る、という顔だ。全く、沖田に対する認識がまだまだ甘い。
銀時の視線を受けた沖田は、わざとらしく心外そうに眉を寄せた。

「なんてこと言うんですかィ、そんなことするわけねーでしょう?俺が呪う相手は土方さんだけでさァ」
「あ、そりゃそうだな」
「上等だコラァァ!」

認識が甘いのは俺の方だったらしい。土方はヒクリと頬を引き攣らせた。

しかしまァ、沖田の態度には腹は立つが、いい流れだ。
いつも通りの会話。二人が土方の態度を怪しんでいる様子はない。完全に薬は効かなかったものと思っているようだ。
…これならば。
土方は渇いた喉をさり気なく唾液で湿らせて、何気ない顔をして口を開いた。

「…まァ呪いうんぬんは置いとくとしても、テメェさっきの様子じゃ薬のこと知ってやがったみてェじゃねェか。その上で総悟に髪を渡すってのはどういう了見だ。厄介なことになるのは目に見えてるだろうが」

責めるような口調で不機嫌そうに問い詰めながら、土方の背を緊張の汗が伝った。

沖田が何か企む時は大抵は土方絡みだと、銀時は知っているはずだ。
つまりこの惚れ薬だって、沖田が土方に飲ませる可能性も充分に予測できたはずなのだ。
…というか、「やっぱ止めようって言ったじゃねェか」という言葉から推測するに、銀時は沖田の計略に一度は賛成して、自分の髪を差し出したのだと考えられる。

それは何故だ、と土方は聞いているのだ。

じわりと、掌にまで汗が滲む。
少しばかり挙動不審になる危険を冒しても、これだけは聞き出しておきたかった。

何故、俺に惚れ薬を飲ませるようなマネに、一旦でも頷いたのか。
俺に惚れられるなど、お前にとっては怖気立つような悪夢で、断固拒否したい事態であるはずなのに。

…それとも。

そうでもない、とでもいうのか。
まさかとは思うが、俺はお前に、そんなに嫌われているわけでもないのだろうか。
惚れられても構わないと、一瞬でも思えるぐらいに。


「あー…まァ最初は俺もコイツの口車に乗せられてさ、俺に惚れちまったお前をからかい倒して遊ぶのも面白ェかなーと思ったんだけど。でも俺はすぐ、やっぱやめようっつったんだぜ?よく考えたらお前に惚れられるとかマジ冗談じゃねーし」


ズキリ、と。
痛んだ胸には気付かぬふり。

頭を掻きつつ心底げんなりしたように言った銀時に、土方はフンと鼻を鳴らしてみせた。

「全くだ。冗談じゃねェ」

平静な声を出せた自分に賞賛を送った土方は、同時に。

一瞬でもバカな期待をした自分を、吐き出した煙草と一緒に靴底で踏み潰した。


本来ならば。
土方が薬を飲み込んだ瞬間に大慌てで沖田を詰った銀時を見た時に、妙な期待などかなぐり捨てるべきだったのだ。
「コイツになんか惚れられたくない」と思われていることなど、あの態度だけで明らかだったのだから。
銀時が沖田の計略に一旦頷いた理由だって、本当はおおよそ見当が付いていた。
それなのに、バカな期待を捨て切れなかったのは。

この男は、人の真剣な想いをバカにして楽しんだりするようなヤツではないと。そう思ったからだ。
坂田銀時という男は、傍若無人なように見えて実は、非道な方法で理不尽に人を傷付けるようなことは絶対にしない男なのだと。知っていたから。

だから。
沖田の計略に頷いたのも100%の悪意ではなく、ちょっと興味をそそられて、ぐらいなもので。
やはりやめようと言ったのは、流石に良心が咎めたから、とかじゃないのかなんて。
…そんな、希望的観測を抱いてしまったのだが。


何のことはない。俺が相手ならそういう非道なこともできる、というだけの話だ。
さり気なく誰にでも優しい銀時も、俺に向ける優しさなどは持ち合わせていないと。
俺が銀時に、特別嫌われているのだと。
…それだけの、話だ。


新しい煙草を取り出して咥え、火をつけるためと見せて、俯き加減に口元に手をかざした。
煙草の先端とライターの炎。それらを伏し目で眺めて、指先と唇が震えていないことを確認する。
深く煙を吸い込み、吐き出して、胸の辺りで閊えかけた呼吸を正常に戻した。

もう幾度となく繰り返して、慣れてしまった誤魔化し方。
吊り上った眦と皺の寄った眉間は、最早銀時と会う時のオプションのようなものだ。
情けない面を見せないようにと日々磨き上げた「不機嫌」の仮面は、今日も上手く表面を取り繕っている。

その証拠に、と言うべきか。
静かに煙草をふかす土方を見て、沖田がつまらなそうに一つ舌打ちをした。

「ちっ、何でィつまらねェ。土方さんアンタ、偶には人の期待に応えたらどうなんでィ」
「何で俺が非難されなきゃなんねーんだ!?何重にもムカつくんだけどその台詞!」

理不尽な文句に軽く怒鳴り返してから、土方は溜息を吐いた。
…つーか総悟お前な、と呆れたような声を発して、せいぜい嫌そうな顔を銀時に向けてみせる。

「明らかにミスキャストだろコレ。薬で変になった俺をからかいてェんなら、もっと俺が惚れやすそうな相手を選んだらどうだったんだ」

そうすれば、俺もこのバカげた想いを忘れられたかもしれないのに。
本音は心の内だけに付け加えて、土方は沖田の手の中にある薬瓶をそっと眺めた。

アレも使いようによっては良い薬だったかもしれない。銀時ではない別の誰かに惚れることができたなら。
…まァ、惚れてもかまわない相手、なんて、はっきり言って思いつかないのだが。誰であれ、銀時に惚れるよりはマシな気がする。

しかし沖田はまるで土方の心の内を見抜いたかのように、「アンタが惚れても何らオカシくないような相手に惚れさせたって仕方ねーでしょう。うっかり上手くいっちまったら困りまさァ」と当然のように言い放った。

「俺は土方さんを幸せにしたいわけじゃねーんで」
「あーそうだったな!」

おかげ様で絶賛失恋中だよ!


と、思わず声に出さずに怒鳴った土方は。


「……っ」


咄嗟に胸中に跳び出したフレーズに、一瞬頭が真っ白になった。


…失恋、て。


失った、ということは、つまり。
その前に、その感情が自分の内に存在するということで。
いや、特別な感情を持っていることは疾うの昔に認めていたのだが、しかし。

惹かれてるだとか、惚れてるだとか。
そういう言葉ばかり使って誤魔化してきたのだ。
人柄に惹かれるとか、男っぷりに惚れ込むとか。それは男が男に感じてもおかしくない感情だから。

だが。先程浮かんだ単語は、土方の眼前に最も認めたくない事実を突き付けて、認めざるを得なくさせた。
もう、誤魔化しようがない。
この想いは好感だなんて甘っちょろいものでも、憧憬なんてお綺麗なものでもないのだ。
もっと明確で鮮烈で醜悪な…恋情。


俺がコイツに、恋。
なんて滑稽だ。


「アレ?土方さん、どこ行くんで?」
「どこ行くも何も、市中見廻りの途中だろーが。行くぞ」

振り返りもせずに言った土方に、沖田は意外にも素直に付いてきた。
少し訝った土方だったが、十数歩進んだところで後ろから聞こえてきた叫びに、さり気なく銀時に勘定を押し付けたのだと理解する。まったく、要領のいいヤツだ。

「バカですねィ」
「あァ?」

唐突な侮辱に、土方は眉を吊り上げて沖田を睨み付けた。
一瞬、まんまと勘定を押し付けられた銀時に向けた台詞かとも思ったが、どうやらそうではない。
沖田は真っ直ぐに土方を見詰めていた。
妙に物言いたげな目で、真っ直ぐに。

何だ、と土方が目を少し瞠ると、沖田は土方の瞳を見詰めたまま、淡々と言った。


「薬のせいにして告っちまえばよかったんでさァ」


何の話だ、と。
咄嗟にとぼけようとして土方は思い留まった。

この口ぶりは、感付いている。

(…いつから知ってたんだか)

土方はしばらく無言で沖田の顔を見ていたが、やがてうっすらと自嘲気味に笑むと、ゆっくり、口を開いた。

「…それで、アイツにいいようにからかわれろって?」

冗談じゃねェ。俺にそんな自虐趣味はねェよ。

言い捨てて足を速める。
立ち止まってその背を眺めやった沖田は、溜息混じりに、ポツリと呟いた。


「…本当に、バカだねィ」




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2へ続く