問い返すように銀時を見た土方に、だから、と銀時はガリガリと頭を掻いた。

「お前がそんなに認めたくねェんなら、無理に認めさせようとはしねェって言ってんだよ」
「…その、俺が認めたくねェってのは何の話だ」

言い直されても全く理解できなくて重ねて聞けば、銀時はちょっと口を噤んで土方を見詰めると、深く深く溜息を吐いた。
そして土方に一歩近付く。

「あのな…お前だって、ホントは判ってんだろ」

そう言って伸ばした手が土方の頬にそっと触れたことに、土方はビクリと身を震わせて固まった。
薄く開いた唇がひゅっと息を飲み、強張った顔があっという間に朱に染まる。
ほら、な。と、銀時は苦笑しつつ手を引っ込めた。

「そんな顔しといて、惚れ薬なんか効いてねェって言い張るって…アレだろ。つまり、どうしても認めたくねェってことだろうが。身体がどんな反応しようが、俺に惚れてる、なんて冗談じゃねェって言いてェんだろ?」

惚れたはれたに関しちゃ、頭より身体の方が正直っつー奴も多いけど…オメーの場合は頭が身体を捻じ伏せんだな。
そう言ってポリポリと頬を掻いた銀時を、土方は瞠目して見詰め返した。

見当違いな銀時の言葉を即座に否定できなかったのは、客観的に見れば銀時の言い分の方が説得力があるな、とやけに冷静に考えてしまったせいもある。が。
それよりも。

何故。
その台詞を言う銀時が、そんな遣る瀬無い顔をするのか。


「…っ」

ゴクリ、と喉が鳴る。土方は声を失った口を薄く開閉させた。

だって、オカシイじゃないか。
仮に土方が銀時に、「お前に惚れるなんざ冗談じゃねェ」と言ったとして。
それに答える銀時の台詞は、「こっちの台詞だボケェ!」で、それで終わりのはずだ。
そのはずなのに。

まるで、そこまで嫌われてるんじゃ仕方ねェな、とでもいうような。
諦念の苦笑の裏に、微かな痛みと落胆を隠すような、そんな顔。


血流がドクドクと頭の中に音を響かせ、冷静な思考を奪っていく。
乾いた唇を湿らそうとして、それがつい先程までとは別種の震えを帯びていることに気付いた。

まさか、と。

一つのあり得ない想像が、土方の脳を支配する。
そんなバカな、冷静になれと頭の片隅が訴えるのに、血の昇った思考はそれを聞き入れようとしない。


…でも、だって、そうだろう。
今の銀時の言い分に従うならば。

「薬が効いてるんだろう」と、土方を問い詰め続けた銀時の言葉は。
「俺に惚れてるんだろう」と、躍起になって認めさせようとしていた、ということになる。
そして土方が頑なに認めないことに、落胆しつつ諦めた、ということに。

それは。



「…ああ、そうだ。お前に惚れるなんざ冗談じゃねェ」

真っ直ぐに銀時を見据えてそう言えば、銀時の瞳がほんの僅かに揺れた。それはもう判ったって、とか何とか口の中でぼやきつつ、わしゃわしゃと頭を掻き回す。
その様を見詰めながら、土方はゆっくりと言葉を紡いだ。

「お前に惚れたって、苦しいだけじゃねェか」
「……は」

予想外であったらしい土方の言葉に、銀時は頭を掻く手を止めてキョトンと顔を上げた。
土方はじっとその顔を見返す。

本音を。
告げてやろう、と思った。
ずっと口にしてこなかった、雑草の根に締め付けられたこの胸の痛みを。

もしかすると、銀時はさほど嫌悪しないかもしれない。
「薬が効いてお前に惚れてしまった」と、土方に言わせようとした銀時ならば。
土方が効いていないと言い張ったことに、微かな落胆を見せた銀時ならば。


ひょっとしてひょっとすると。
…奇跡が、起こるかもしれない。


ドクリ、と心臓が一際大きな音を立てた。
喉がカラカラなのにもう唾も湧いてこなくて、口内の皮膚が張り付くような感覚に眉を寄せる。
確かに地面に立っているのに足元がグラグラと心もとない気がして眩暈を感じながら、土方は必死に、銀時に真っ直ぐ向けた視線を保った。


「は、え?…ちょ、何お前、俺のことどんなひどい男だと思ってんだコノヤロー」

そんなに相手を苦しめるような男に見えるってのか?俺こう見えても律儀だぞ?デートに遅刻するとか絶対しねェよ?
しばらくの間の後にパチパチと目を瞬きつつ言った銀時に、そういうことじゃねェよと土方は首を横に振る。

「自分のことを嫌ってる相手に惚れるなんざ、地獄だ」

目が合えば眉を顰め、顔を突き合わせれば喧嘩しかしない。口をつくのは悪口雑言ばかり。
そんな相手に惚れたって、痛みしか感じない。
だからずっと、認めたくなかった。認めざるを得なくなってからだって、早く枯れてしまえと願ってきた。

「俺を嫌ってるテメェに惚れたって、苦しいだけだ…っ」

知られるわけにはいかないと思って。でも知ってもらえないのも苦しくて。
些細な事に、それほど嫌われてもいないのかと浮かれたり。
それが単なる希望的観測だったと知って泣きたくなったり。

「だから、今だって…」

バカな奇跡を夢見る胸に躍らされながら。
期待の大きさに比例する奈落の深さに怯えて。

「…こんなにも、苦しい……っ」


泣きそうに歪む目元を隠しもせずに。手の震えも、引き攣る声もそのままに。
隠し続けてきた痛みを、全て乗せて。

遠回しな、しかし銀時には充分に伝わるであろう言葉で。

お前に惚れているのだと。
…やっと、告げた。


一瞬、呆けたように固まった銀時は、次の瞬間には驚愕に目を見開いた。
聡いこの男は、やはり正確に察したらしい。
痛みを訴える声に乗せられた意味を。
みっともなく歪んだ顔が示す想いを。

土方はヒクリと喉を動かした。口の中はカラカラに干上がっていて、潤せない喉が、痛い。
頭の中で響いているような心音に、キンと耳鳴りがした。

どうか、その顔を嫌悪に歪めないでくれ。
祈りを込めて銀時を見詰める。

そして、あり得ない奇跡に思いを馳せた。

嫌悪の代わりにその顔に浮かぶのが、微笑みであったら。
銀時の口から発せられるのが、俺の苦しみを取り除く言葉であったら。
苦しむ必要なんてないと。
惚れていても構わないのだと。
そう、言ってもらえたならば。

…愚かしい期待だと判っている。
だが、その砂粒ほどの希望に縋っていなければ、今にも身体が崩れ落ちそうだった。

しかし。


「っ、悪ィ…」

絞り出された台詞に、土方の中の何かが、パキリと砕けた。

「お前が、そんな風に苦しむとは思わなくて…サド王子の提案に、軽はずみに乗っちまって…」

悪かった、と。
珍しく真面目に謝罪を述べる銀時の瞳は、今やはっきりと見て取れるほどに沈んでいた。
そこに浮かんでいるのは、罪悪感と…後悔。
土方はそっと目蓋を下ろした。

ああ、やはり。
奇跡というのは、起こる可能性がゼロに等しいからこそ奇跡と呼ぶのだ。
愚かしい期待は、所詮は夢物語でしか無かった。

「沖田君に解毒剤とかねェのか聞いてみるから」

銀時の声音は常に無く真摯で。俯いた土方の肩に躊躇いがちに置かれた手は温かい。
土方を苦しめたことに自責の念を感じているのだと、責任を持ってその痛みを除こうと想ってくれているのだということがひしひしと伝わってきて…その優しさが土方の心を軋ませた。

「もしアイツが持って無くても、俺の知り合いに星間商人やってるヤツいるからそいつに聞けば何とか…ああでもあのヤロー基本消息不明だしな…いや、でも何とかするから!」

肩に置いた手に力を込めて、まるで土方を安心させるように言葉を募る。
力強い台詞に逆に冷えていく心を、土方は自嘲した。
「銀時が俺のために必死になってくれている」なんて。そんな考えもしなかった事態。以前の自分ならば、天に昇るほどに浮かれただろうに。
こんな状況でさえなければ。

そこまで考えて、胸の内でまた、自分を嗤う。
こんな状況を作ったのは、俺自身だ。

そろりと上げた視界に映った銀時は、良心の呵責に堪えるように土方を見ていて…やけに落ち着いた頭で、土方はそれを見据えた。
悲観と期待と緊張と失望に揺れ続けた心は、ついに飽和して、糸が切れたように静かになっていた。
それは霞がかかったような穏やかさで、決して晴れわたった冷静さではいないのだけれど。

(…俺は、ずるい)

ぼんやりと、そう考える。

銀時に惚れて。
今日までそれを隠してきたのは、銀時にこれ以上嫌われたくなかったからだ。
それなのに態度に出してしまったのは、残酷な優しさを与えられるのに堪えられなくなったからだ。
惚れ薬のせいにしてしまえなかったのは、想いの存在すら認めてもらえないのが苦しかったからだ。
お前に惚れてしまって苦しいのだと訴えたのは、想いが受け入れられる奇跡を夢見たからだ。

そして。
この想いを一度も、ストレートに言葉にすることなく。
銀時が聡いのを良いことに、曖昧な言葉や態度でぼかして、それだけで察してもらおうとしたのは。

ただただ、恐れたからだ。
想いを拒絶される、その瞬間を。

長い間抱えてきた想いが知られて砕け散る、その決定的な一瞬を、自ら迎えに行く勇気が無くて。
半ば無意識に。言動に誤解の余地を残して、銀時に解釈を任せた。

臆病で、卑怯で、姑息で…弱い。

結果、目の前のこの優しい男は、不要な罪悪感に苛まれている。


「なぁ…薬のことは、俺が責任持ってどうにかすっから…」

だからそんな顔すんなって、と眉を下げた銀時に、自分はどれほど情けない顔をしているのだろうと苦笑が漏れる。
その苦笑すらも歪んでいたらしく、銀時の瞳がますます痛ましげに揺れた。
ああ、そんな顔をさせたいわけじゃねェのに。と、土方の胸がチクリと痛む。

胸に芽生えた雑草に気付いた時から、今まで。
銀時のこんな痛そうな顔は想像もしていなかった。
嫌悪の表情ばかりを…自分が傷付くことばかりを、恐れて。
なんて利己的な想いだろう。

「…いい」
「あ?」

紡ぎだした言葉は掠れていて、銀時は少し眉を寄せて問い返した。
土方は顔を上げて、今度ははっきりと聞こえるように声を発した。

「解毒剤とか、探す必要ねェ」
「え、や、でも」

目を瞬かせた銀時を、真っ直ぐ見詰める。

「薬なんか効いてねェ」
「っ、おま…」

まだそんな、と言いかけるのを遮って、言葉を続けた。

「解毒剤も効かねェ」

今度こそ、言葉を失って不審げな顔をした銀時に、薄く微笑む。

もう、逃げるのはやめだ。
今までの臆病で姑息な俺を知られれば、軽蔑されるかもしれないが。
これ以上、利己的な感情で銀時を振り回すわけにはいかない。


だって、俺はこの男が愛しいのだ。
俺のせいで痛そうな顔など、させたくない。


「あんなもん飲まされる前からずっと…俺はお前に惚れてたんだ」


俺は本当は、最初からこう言うべきだったんだ。





「…ずっと、前から?」

数秒の沈黙の後に銀時の口から発せられたのは、呆然としたような、それでいて少し胡乱げな声だった。
そりゃ俄かには信じ難いだろうな、と内心に自嘲ぎみの苦笑を漏らしつつ、土方は頷いた。
ゆっくり、しかし確かに頷いた土方を見て、銀時の目が当惑に揺れる。

「い、いやでも、そんなんオカシイだろ。だってお前、俺を見る度に眉間に皺寄せて不機嫌な面してたじゃねェか。惚れてるとかそんな素振り全然、つーかむしろ真逆な感じでずっと……って」

焦ったような早口でそこまで言い募った銀時が、まさか、という表情で口を噤む。土方はほんの僅かに微笑を浮かべて、その推測を肯定してみせた。

「…ああ、そうだ。隠すのに必死でそんな面になってた。真逆の態度でもとらなきゃ見破られちまうと思った。…お前に知られたら、もうお前を近くで見ることすら許されなくなると思って、喧嘩相手としてでもいいから側にいたくて、お前を嫌ってるふりをし続けてきた。…ずっと、ずっとだ」

まるで懺悔するかのように。
静かに、淡々と、痛みを堪えた口調で土方は言い切った。目は逸らさずに、真っ直ぐに銀時を見据えたまま。
…こんなに近くに銀時を見られるのは、これが最後かもしれないから。
たとえ嫌悪に歪む顔でも、目に焼き付けておきたかった。


銀時は土方の言葉に息を飲んで、しばらく目を瞠ったまま固まっていた。
その沈黙に土方が堪えられなくなった頃になって、ようやく、口を開く。

「…ずっとって、三日前からとか言わねェよな?」

三日前と言えば団子屋の前で怪しい薬を飲まされた日のことだ。
まだ薬のせいにしたがっているのかコイツは、と、哀しみと呆れと諦念が混ざり合った感情で土方は苦笑した。
ここまで来ると、人は笑うしかなくなるらしい。

「少なくとも、あの日あの時より前からだってことは確かだな」

土方がそう言うと、銀時は「そうか」と頷いて、じっと土方を見詰めた。


「じゃあ、本当に薬のせいじゃないんだな」


「…ああ」


やっと。
認めてもらえたらしい。

とうとう断罪の時が来たかと土方は腹を括った。

何を言われても甘んじて受けよう。今まで存在すら認めてもらえなかった雑草が、ようやく目にとめてもらえたのだ。喜ぶべきことじゃないか…たとえ、すぐに引き抜かれてしまう運命だとしても。

汗でぬるつく手で固く拳を作って、土方は銀時を見詰め返した。

「ずっと?」
「…ああ」

続けられた問い掛けに、ずっと俺をそんな目で見ていたのかと責められているような気がして、ズキリと胸が痛む。
咄嗟に閉じようとする瞳を必死に見開いて、銀時に視線を固定した。
銀時は、感情の読めない顔でこちらを見ている。

「本気で、本音なんだな?」

尚も問いを重ねる銀時に、土方は少し眉をひそめた。
オカシイ。こんな風にじわじわと人を追い詰めるヤツだっただろうか。
いや、喧嘩の時にネチネチと嫌味を言ってくる、というのなら判るのだが。真剣に断罪を待っている相手を殊更にゆっくり問い詰める銀時、というのには奇妙な違和感があった。

土方のことが嫌いで堪らなくてわざと傷付ける振り方を選んでいる、とかならともかく、さっきまでのやりとりでは、銀時は土方をそこまで嫌っているようには見えなかった。むしろ、軽く罵倒するか一発殴ってそれで終わり、としてくれるのではないかと虫のいいことを考えたぐらいなのだが…それが希望的観測に過ぎたのだろうか。

それとも、一発殴る前の最終確認というヤツだろうか。殴り飛ばした後に罪悪感を感じずに済むよう、念には念を入れて確認しているのか。

ああ、じゃあ俺はこれから殴られるのか。歯とか食いしばっとくべきだろうか。

微妙に間の抜けたことを考えつつ、土方は銀時の瞳を見詰め直した。
平素「死んだ魚の目」と評されるその瞳は、今は珍しく光を帯びていて、俺はこの瞳が好きなんだと土方は自然に口元を綻ばせる。

胸が痛まないと言えば嘘になる。
しかし諦めと覚悟がきちんとついた心は、不思議なほど穏やかになっていた。


「そうだ。薬なんか関係ねェ。本気の本音で、テメェが好きだ」


微笑みすら浮かべてそう言えば。
銀時が一歩近付いたので、土方は歯を食いしばった。

避ける気はない。甘んじて受けると覚悟を決めたばかりだ。

銀時の腕が持ち上がったのを視界の端に捕らえて、身を固くする。
殴られる準備がちょうど調った時、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、銀時の手が勢いよく伸ばされ。

力一杯。



抱きしめられた。




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4へ続く