第十六訓 それは極めて初歩的なことで、だからこそ根本的なこと
ゴッと鈍い音を立てて、土方を取り押さえていた数人が床に倒れる。
腕を掴まれて引っ張り起こされ、土方は少しよろめきつつも立ち上がった。
一瞬の沈黙の後にワッと色めきたった室内の喧騒が…まるで他人事のように遠くに聞こえる。
後ろ手に縛られた縄を解こうとしてくれているのか、背後に立つ男の顔は、未だ見えないけれど。
その、手を。
温度を、匂いを、空気を――知っている。
ああ、いつの間に、こんなに近付いてしまったのだろう。
たかが数週間、共に過ごしただけのはずなのに。
顔を見ずとも判るほど、その気配に慣れ親しんでいる自分に気付いて…土方は奥歯を噛みしめた。
(…何で、来た)
責めるような台詞が心に浮かんで顔を歪める。
危機を救われておいて、感謝もせずに詰るなど。とんだエゴイストだ。
そもそも、コイツに救われてはならないと思うこと自体が…己の弱さ故の、エゴなのだと。判っているけれど。
判っていて、だけど、それでも。
「何で…っ」
ブツリ、縄が切れて両手が自由になるのを感じると同時に、土方は振り返った。
何故、来た。
お前は来てはいけなかったのに。
理不尽と知りながらそう食ってかかろうとして…目に映ったものに、思わず口を噤む。
最初に目に飛び込んで来たのは、何度も脳裏を過ぎったあの銀色。
他の誰でもない、洋装の上に白の着流しを重ねた――いつもの、万事屋の姿。
だけどその瞳は、平素の気怠さが欠片も見えないほどに真剣な色を湛えていて。
そして明らかに、怒りに燃えていた。
一瞬、呑まれて言葉を失った土方に。
銀時は掴みかからんばかりの勢いで、怒鳴った。
「テメッ、何だその格好はァァァア!!」
「………は?」
予想外の台詞に、土方は目を丸めて間抜けな声を漏らした。
剣幕に圧されて、とりあえず自らの服装を見下ろす。
…まぁ、言われてみれば自分は長襦袢に伊達締めを巻いただけという心もとない格好だったし、足袋はいつの間にか片方脱げているし、先程暴れて抵抗したせいでそれはもう盛大に着崩れ肌蹴まくっている…の、だが。
確かに多少見苦しいかもしれないが、真っ裸というわけでもなし。
「…別に、大して問題ねーだろ」
「大ありだわァァァ!!襦袢っつったらお前、下着だぞ下着!」
「うるせーな!テメェだってパンツ一丁でウロウロしてたことぐらいあんだろーが!」
「それとこれとは話が別だバカヤロー!」
「何が別だ!同じだろうが!」
「同じなわけあるかァァァ!!」
苛立って眉を跳ね上げた土方に、銀時は更に苛立ったように声を荒げて頭を掻き回す。
そして。
「あああもう!いいからオメーはコレ着とけ!」
「な…っ」
ガバリと白の着流しを脱いだ銀時にそれを羽織らされて、土方はカッと頭に血を上らせた。
――女扱いする気か。
冗談じゃないと土方の眦が吊り上る。
お前は、お前だけは、俺を女として扱うことなどなかったはずではないか。
この格好をしている間ずっと。他の誰に女扱いされようと、お前だけは、俺を男と見てくれていた。そう思っていたのに。
ふざけるな。そう怒鳴ろうとした土方の声はしかし、ぐいと腕を引いた銀時に遮られた。
そのまま、息が止まるほど、強く。胸の内に抱き込まれる。
(――な…!?)
咄嗟に声も出ず、土方は固まった。
まるで存在を確かめるかのように、しっかと身体に回された腕。
どうやってこの場所を突き止めたのかは知らないが、とにかく全力で駆けつけたのだということだけは判る、汗ばんだ肌に高い体温。
感じる鼓動と、この男の匂い、に。
「――〜〜〜っ!」
ドッと、自分の体温が上がるのを感じて、土方は慌てて離れようと身を捩った。
しかし。
何のつもりだ放せと土方が口にするより先に。銀時が、頭上で呟いた。
「……無事でよかった…」
その、絞り出すような声と。
ぐっと強い力で…鼻先が銀時の首筋に埋まるほどに、キツく抱き寄せられて。
――そこで漸く、銀時の意図を悟って。土方はピタリと暴れるのを止めた。
「―っ銀時さん…!」
背に腕を回してしがみついてきた土方に、ああ、演技は続行ということで良いわけだな、と銀時は判断した。
…と、いうことは。土方の正体はまだ敵にはバレていないということか。
銀時は目を眇めて周囲を見渡した。
周りでは狼狽え騒ぐ三下どもが、親玉らしい緑肌の天人に叱咤されている。
ウィルスが押収されたという情報は、既にコイツらにも届いているに違いない。それでもまだ土方の正体がバレていないというのは、どういう状況だろうか。
相手は幕府上層部を繋がりをもつ大物組織。行動の選択を誤れば、真選組が取り潰しの危機に遭う。
本来ならば土方にきちんと現状説明と今後の方針を求めるべきところだが、敵に囲まれていてはそれもままならない。土方の態度から無言の指図を汲み取っていくしかないだろう。
…本当は、もう少し事態を把握してから乱入するつもりだったんだけどな。
銀時は眉を顰める。
この倉庫の入口に辿り着いた時には事態は既に逼迫していて。様子を観察する間もなく突入せざるを得なかったのだ。
――突入、「せざるを得なかった」のか。
それとも、床に押さえ付けられている土方を見て、考えるより先に突入「してしまった」のかは、実は怪しいところなのだけれど。
(…いや、だからって、今こうやって抱き締めてんのは衝動とかそういうんじゃないから。これはアレだ、土方に演技続行の可否を確かめるとか他にも色々、そういう理由があってのアレであって)
誰にともなく弁明しながら、いっそう強く抱き寄せる。
頬擦りするかのように土方の耳元に顔を寄せて、そっと囁いた。
「…どうすりゃいい?」
聞こえるか聞こえないかの短い声に、土方は僅かに身を離して銀時を見上げる。
土方がほとんど裸足のせいで、いつもなら水平であるはずの目線が少し低い。
潤んだ目に縋るような表情。しかし、瞳の奥には強い光が宿っている……トシエの仮面の下で、鬼の副長が確と息衝いている証拠だ。
先程までは事態が急転して一時的に混乱していたのか、素で男言葉を喋っていたが。もうきっちり冷静さを取り戻しているらしい。
それでこそ、だ。銀時は仄かに口角を引き上げる。
合わせろ、と微かに動いた土方の唇を読み取って、銀時は了解を目で伝えた。
「何で、来たんですか…!」
銀時の目に了解を見て取るや否や、土方はギュッと胸元に縋り付いて声を上げた。
責めるような口調でありながら、胸に迫る涙声……相変わらず、見事な演技力だ。
いや、相変わらず、どころか。
ちょっと見ない間にメタルキングの頻出ポイントにでも行ってたんじゃねーのコイツ。銀時は苦笑う。
元はと言えば、この無駄に高い演技力のせいなのだ。
銀時の中で何かが…そう、何かが、狂って。おかしな方向に転がり出してしまったのは。
「私に何かあったら、全部忘れて逃げてと言ったでしょう…!?」
仮にも絶世の美女の姿をした相手にこんな風に縋り付かれて、動揺しない男がいるというなら連れて来て欲しい。
そうだよこんなん誰でも騙されるだろ俺だけじゃねーよチクショー。銀時は胸の内でボヤきながらも、柔らかく土方の髪を撫でた。
土方がこうも過剰なまでに「恋人」を演じてくるということは、即ち、こちらも熱烈な演技で応えろという指示だろう。合わせろ、と言ったからにはそういうことのはずだ。
「…何、言ってんだバカヤロー。俺がお前を忘れるとか、そんなんできるわけねェだろーが」
真剣な色を声音に乗せて、不自然じゃない程度に甘さを滲ませて囁く。
「言ったろ。俺は一度引き受けた厄介事を途中で放り出したりしねぇって」
記憶をなぞりながらそう言えば、土方の肩がピクリと震えた。
昨日、屋根裏の侵入者に聞かせるために使った台詞だと気付いたのだろうか。
ならば続く台詞が決めどころなのも判るはず、と、銀時は土方の頬を撫でて顔を上げるように促す。
「…それに、一度惚れむがっ!」
とびきり真摯な表情で決め台詞を口にしようとしたところで、銀時は下から勢いよく伸びてきた掌に口を塞がれた。
予想外すぎる行動に面食らって、土方の顔を見る。
…と。
その表情を見て、銀時は絶句した。
埋めていた胸元から上げられた土方の顔は……それはもう、耳まで赤く染まっていて。
こちらを睨み上げる目は、半ば涙目で。それ以上言うなと必死の面持ちで訴えている。
(な…っなんつー顔してんだテメェこっちまで恥ずかしくなんじゃねーかバカヤロォォォ!)
銀時の背をザッと妙な汗が伝った。
頬に食い込んでくる指の力からして、コレは演技ではない。素だ。
しかも土方のこの顔は明らかに、気持ち悪いことを言うな聞くのも嫌だ…とか、そういう類の拒絶ではない。
つまり、素で。
――照れている、のか。
(いやいやいや、イヤイヤイヤイヤ!それは…!それはねーだろオイィィ!)
辿り着きかけた結論を銀時は慌てて否定する。
土方が、照れる。いや、ナイナイ。そんなバカな。
仮にも鬼の副長と呼ばれる男だ。増して相手はこの自分。あり得ない。
…だがしかし、それなら土方のこのオカシな態度を、どう説明するのか。
未だに口を塞がれたまま、混乱も顕な目で見下ろせば、土方は自分の行動の不可解さに今更気付いたかのように瞳に狼狽を浮かべて手を離した。
呆然と見詰める銀時に、説明を求められていると思ったのだろう。視線を斜め下に逸らしながら小さく口を開く。
「…そ、れは…もう、わかった、から。その…」
上手い言い訳も思い付かないという様子で、しどろもどろ。
詰まる声、泳ぐ視線。ますます赤く染まっていく頬。
――それが演技だと言うのなら、お前もう役者に転職しろ。
自分の中のどこかで何かがプツリと切れる音を聞きながら、銀時は土方の頬に手を伸ばした。
「―っ、ト…」
「銀ちゃんそこ危ないアルヨー」
キキーッ、ドカン!
ふいに横合いから聞こえた声に反応するよりも早く。
猛スピードで突進してきた定春に跳ね飛ばされて、銀時は軽く吹っ飛んだ。
「トシ姉!怪我はないアルか?」
「ああ、トシエさん…!無事でよかった!」
「おま…っ貴方たち、どうして…!」
ヒラリと巨大犬の背から跳び下りた少年少女の姿に、土方が辛うじて演技を保った声を上げる。
銀さんと一緒に来てたんですよ、定春の鼻でトシ姉の匂いを追って来たアル、と口々に言う新八と神楽の声を聞いて、銀時は倒れた床からガバリと身を起こした。
「ちょ、おいコラお前ら!外で待ってろっつっただろーが!つーか何でこのタイミング?空気読めバカヤロー!」
「敵の真ん中でいつまでもイチャコラこいてる銀ちゃんが悪いネ」
怒鳴った途端に生温い視線を返してきた神楽に、いやそれは土方が演技を続行しろと指示してきたからだって、と心の中でだけ言い返す。
――そう、演技。演技だ。
今さっき咄嗟に「空気読め」と怒鳴ったのだって、『恋人同士の感動の再会』という演出の一環に過ぎない……はずだ。たぶん。絶対。
先程切れた何かを結び直す映像を必死で思い浮かべながら、銀時は表面上は平然と土方の肩を抱き寄せて神楽へ文句を連ねた。
「いやいやいや、あのな、ヒーローとヒロインが再会したらそこが敵地の中心だろうと即ラブシーンなんだよ。その瞬間だけ時が止まるんだよ。それが自然の摂理ってもんだろーが」
「そして仲間の咳払いで中断されるのがラブシーンの摂理ですよ。ていうかアンタら、今まさに催眠ガスを噴き付けられるところだったのに気付いてます?」
「…へ?」
新八の冷たい突っ込みに虚を衝かれて視線を巡らす…と、確かに自分達の周囲には、定春に突き飛ばされたらしい男共とガスの噴霧器らしき物体が転がっていて。
罵声とともに再構築されつつある包囲網の外側では、緑肌の闇商人が忌々しげな顔でこちらを睨んでいた。
「………あ」
銀時が今その存在を思い出しました、という声を上げると、闇商人は不愉快そうに眉を寄せた。
その表情が不意打ちが失敗したことに対するものなのか、それとも今まで丸っきり無視されていたことに対するものなのかは判らないが…とにかく、銀時たちの注意が漸く自分に向いたことを確認した闇商人は、ゴホンと大きな咳払いをする。
「……これはこれは」
気を取り直したようにニマリと嫌な笑みを浮かべて大仰に手を広げてみせた闇商人を、銀時は非好意的な目で見返した。
肩を抱く手に力を込めれば、土方も頼るようにピッタリと銀時に寄り添ってくる。
銀時よりも更に非好意的な目をした新八と神楽が、両脇についてサッと戦闘態勢を取った。それを見て闇商人は目を細める。
「そこにいるのは…夜兎のお嬢さんだね?捕り逃がしたと聞いていたが、自分からやって来るとは……それに」
神楽から銀時へと移動した闇商人の目が、その髪の色を認めて満足そうに弧を描いた。
「トシエさん、君は実に良いエサになってくれたよ」
目的の獲物だけじゃなく、大層なオマケまで食い付いてくれた。
揶揄するような声でそう言った闇商人に、土方がひゅっと息を呑んだのが銀時には聞こえた。
「貴方は!この子たちまで…っ」
怒りに震える声を上げて銀時の腕から抜け出すと、神楽を背に庇うように前へと進み出る。
そして、決意の滲む瞳で闇商人を睨み付け…悲痛ともとれる声色で、キッパリと土方は言い放った。
「この子たちを貴方の私欲には使わせません。私利のために売るなら私だけで充分でしょう!」
「トシ姉!?」
「トシエさん!売るって…!?」
神楽と新八が驚いた声を上げる。
銀時は黙ってピクリと片眉を上げた。
「ふむ…そうだな、迷うところだ。私個人の伝手で売るか、本部に報告して評価を得るか…夜兎ともなれば、どちらにしろ莫大な利益を生むからね」
こちらに不快感を与えようという意図だろう、わざわざご丁寧に夜兎の商品価値を強調してみせる闇商人に、コイツは最低の下衆だなと銀時は眉間に皺を寄せる。
新八からも神楽からも、今にも殴りかかりそうな空気が漂ってくる…の、だが。
(――?気のせい、か…?)
土方から感じる空気に違和感を覚えて、銀時はその後ろ姿を注視した。
少々大げさなまでの仕草で神楽を庇って前に出た土方。しかしその割りには、背中に殺気を感じない。
むしろその背は、込み上げる笑いを抑えているかのような。
…何故だ。銀時はパチリと瞬いた。
「どう扱うのが一番私に有利か、慎重に検討させてもらうよ」
闇商人は土方の発する違和感には全く気付かぬ様子で、ニタリとした笑みで言葉を締めくくる。
――途端。
土方の纏う雰囲気が、はっきりと、変わった。
「言質をとったぜ」
ニヤリと笑う口元。クイと上がった顎。低い声に自然な男言葉。
完全なる、素。
唐突に演技を放棄した土方に、新八と神楽が驚いて目を向ける。
「テメェが違法な人身売買で私利をほしいままにしている件…」
土方は闇商人の方を向いたまま、銀時の胸元に掴みかかるように手を伸ばすと、ビッと乱暴に襟裏に貼り付けられていたモノを剥ぎ取った。
――銀時が真選組から借りて身に付けてきた、小型の盗聴器を。
「悪ィな、全部筒抜けだ。受信機の向こうでは俺の部下がしっかり録音してくれてるだろうよ」
口角を引き上げて盗聴器を掲げてみせた土方に、銀時は思わず口元を緩める。
…あの時。鼻先が襟元に埋まるように抱き締めた自分の意図を、土方はきちんと汲み取ってくれていたらしい。
さすがは武装警察の副長殿、といったところか。盗聴器の存在を目敏く認めた上で、知らぬふりをして外部に聞かせるべく会話を誘導していた、と。
少々大げさだと思った神楽の庇い方は、闇商人の口から人身売買の事実を語らせるための計算だったというわけだ。
…しかし。
「…フン、警察にでも通報するつもりか?無駄なことだ」
咄嗟の事に動揺を見せていた闇商人は、すぐに余裕を取り戻して鼻で笑った。
言っただろう、この国の警察は我々が人身売買をしていると知ろうと手出しなどできやしない…馬鹿にしきった口調で吐かれた台詞に、土方は酷薄な笑みを返す。
「あァ、通報させてもらうよ……ただし警察にじゃねぇ。テメェの上層部にな」
「な…っ!?」
サラリと言われた言葉に、今度こそ闇商人は絶句した。
俺が言質をとったっつったのは、テメェらの組織が違法行為を働いているという部分じゃない。それをお前が個人の裁量で左右して私利を図ってる、っつー部分だ。
何でもない事のように語る土方に、緑色の肌が段々と黄緑色っぽくなっていく。アレはおそらく、ヤツ的には蒼ざめているんだろうな、と銀時は推測した。
「下っ端の分際で私欲を貪ってるヤツを見逃すほど、甘ぇ組織じゃねーよなァ?」
ニッコリと微笑む土方の顔は、思いっ切り人が悪い。
「その分じゃ、横領した商品でガッポリ私財溜め込んでんだろ?そいつを押収して本部に差し出しゃ、下っ端の一人ぐらいこっちで始末付けても見逃してもらえるだろ」
そのくらいの交渉だったら俺は通せる自信があるぜ。そう言って鼻を鳴らす土方に、銀時は堪え切れず笑い声を上げた。
「楽しそーな顔しちまって…どっちが悪人だか判んねーなオイ」
くっくと喉を鳴らしながら言ってやれば、土方は澄ました顔でチラリとこちらを見る。
「目には目を、悪には極悪を、右頬を殴られたらカウンターを差し出せ、だろ」
「いやもうどこから突っ込んだらいいか判りません」
隣から新八の呆れたような声が聞こえる。急激な事の展開に半ば呆然としている様子なのに、突っ込みに関しては本当に律儀なヤツだ。
逆隣からは「トシ姉カッコイイアル」という呟きが聞こえてきて、ちょ、コレ教育に悪くねーか、と銀時は苦笑する。
…いや、でも、しかし。
アレをカッコイイと思う気分は、まァ、判らなくもない。
そう、思ってしまって。
(――ああ、くそ)
銀時はガシガシと後頭部を掻き回した。
演技に騙されたのだということに、したかった。
自分がこの男に、特別な感情を抱くようになってしまったのは、コイツの無駄にレベルの高い演技力のせいだと。
「トシエ」という架空の美女に惑わされたのだと。そういうことにしておきたかった。
…しておこうと、思っていた、のに。
「テメェは早晩切り捨てられるトカゲの尻尾だ。今ここで斬っても誰も文句は言わねェだろうよ」
ヒタリと闇商人を見据えて低く宣告した土方の横顔を眺めて、溜息を一つ。
紅い顔で、潤んだ瞳で縋りつかれた時よりも。
その楽しそうで男前な悪人面を見ている方が…胸が騒ぐ、なんて。
――まったく、どうしてくれんだコノヤロー。
「…くっ、くくく…まったく、大した女だな」
黄緑色の顔で言葉を失っていた闇商人は、しばらくの沈黙の後に絞り出すような笑い声を漏らした。
「貴様の言う通り、うちはシビアな組織だ。ミスや背信行為を犯した者には決して優しくない…失点を回復する方法もシビアでね。具体的な利をもって訴えなければ、言い訳すらも聞いてもらえない」
苦々しい声音でそう言うと、ギラリ、剣呑に目を光らせてこちらを睨む。
「どうやらここで貴様ら全員を捕らえて本部に差し出すしか、私の首が繋がる方法は無いようだ」
追い詰められたもの独特の薄ら寒い静かさで、サッと闇商人が片手を挙げる。と、いつの間にか隙間無く完成していた包囲網がガチャリと一斉に武器を構えた。
一部は銀時や定春が伸したとは言え、まだ敵の人数は決して少なくない。その上、敵の構えている武器は銃器が中心だ。この状態で一斉射撃されれば切り抜けるのはかなり難しい。
…が、しかし。
「いやいや、それは無理アルヨ」
「悪あがきはやめた方が身のためですよ」
「引き際を読めねェ男はモテねェんだぞ?」
「ワン」
万事屋面子は揃って余裕の笑みを浮かべた。
ヒクリ、と、闇商人のこめかみ付近が引き攣る。
「ほざけ!たった四人で何ができる!」
「ナメるんじゃないネ!私一人で百人力、銀ちゃんとトシ姉と定春でプラス二百人力、新八も入れれば全部で三百一人力アル!」
「僕だけ普通に一人分んん!?」
新八の抗議は無視して胸を張る神楽に、闇商人は鼻を鳴らした。
「戯言を!」
「あー…まぁアイツのアレは確かに戯言だけどな」
吐き捨てる闇商人に、パリパリと首の後ろを掻きながら銀時は怠い声で告げる。
「生憎、こちとら四人と一匹だけじゃねーんだよ」
「…なに?」
怪訝な顔をしたのは闇商人だけではなかった。
問うような目でこちらを見た土方に、銀時はニッと笑って左腕を軽く上げると、肘の下辺りを指差してみせる。
「お前の忘れモン、万事屋銀ちゃんがお届けに上がりました…ってな」
寸の間、銀時の台詞を理解できずに眉を寄せた土方だったが、すぐに銀時のジェスチャーが示す事に思い当たったらしい。
会った途端に強引に羽織らされた銀時の着物。その左の袂を探る。
…そして。指先に触れた物に軽く目を瞠った。
ウイルスの箱に貼り付けて置いてきた、発信機。
土方はそれを袂から掴み出すと、銀時の目を見て、フッと口角を持ち上げた。
「――上等だ」
ドカァァアン!
土方の言葉に重なるように、倉庫の入口で爆発が起こった。
扉とその周りの壁が吹き飛び、近くにいた三下どもが悲鳴を上げて離れる。
「おー、来た来た」
「チッ、派手にやりやがって…総悟だな」
いまいち感動の薄い銀時の声と、土方の舌打ち。
闇商人はそれすら耳に入らぬかのように呆然としてから、大きく開いた入口から雪崩れ込んで来た黒服の集団に、驚愕と動揺の混ざった声を上げた。
「幕府の犬どもか…!?バカな…!」
引き攣った声色に当惑の響きを感じて土方は嗤った。
まだ、猿どもに自分を逮捕できる訳がないと思っているらしい。まったく甘く見られたものだ。
「言ったろ。ここでの会話は俺の部下に筒抜けだってな。つまり俺の言葉はそのままウチの連中への指示ってこった」
テメェはトカゲの尻尾、斬っても誰も文句は言わねぇと俺が言ったの、テメェにゃ聞こえてなかったのか?
そう言って、土方は皮肉な笑みを浮かべる。
「テメェの言う通り、俺達は野蛮な芋侍…普段は躾られたフリしちゃいるが、本当は暴れたくて仕方ねーんだよ」
指示が聞こえて、場所も判っている、とくりゃ、それ以上待つ必要なんてうちのバカどもは感じねぇ。
「暴れる名目が出来た時の、うちの連中の素早さを舐めてもらっちゃ困るぜ」
「……うち、だと…?」
そこで漸く、何かに気付いたように目を見開いた闇商人を見て、銀時は口端に同情にも似た色を滲ませた。
――ああ、やはり。
コイツは根本的で、かつ決定的なところで間違いを犯したのだ。
…そこを間違えてしまった気持ちは非常によく判るから、銀時としてはもう苦笑するしかないのだけれど。
「テメェの最大の敗因は、この国の警察を舐めすぎたことだ」
ビシリと言い渡した土方に、思わず否定の声が漏れる。
「いや、それは違うだろ」
「何だテメェ、人が気持ちよくキメてんのに邪魔すんじゃねェよ」
ジロリと睨まれて、いやだからさ、と怠い声で続けながら銀時は包囲網の外へと足を向けた。
あまりに自然な銀時の足取りに、三下どもは攻撃することも止めることも忘れて通過を許してしまう。
ハッと我に返って武器を向けてきた幾人かをアッサリと昏倒させて包囲を抜けると、黒服の集団から一人、地味な男が抜け出て駆け寄ってきた。
彼が手に持っている刀の、鍔の文様に見覚えがある。土方の愛刀だ。
「…そいつの最大の敗因は、お前の正体を最後まで見抜けなかったことだろ」
だから、トシエの言葉がそのまま真選組に繋がると思わなかった。
致命的なミス。
だが、致し方ないミス、だと、銀時は思いたい。
銀時は山崎から刀を受け取って、包囲網の内側を振り向いた。
「…な?『トシエさん』?」
この名前で呼びかけるのは、おそらくこれが最後。
そう思いながら、刀を投げる。
見事な放物線を描いて包囲の頭上を飛び越えた刀はパシリと土方の手に収まって――そのまま、流れるような動作で鞘から引き抜かれた。
「真選組副長、土方十四郎」
刀を構えた男は、男前な低い声で名乗りを上げる。
「お前を違法取引の疑いで現行犯逮捕する。神妙にお縄につきやがれ!」
倉庫に響いたその声を合図に。
黒服の集団は水を得た魚の如く、一斉に刀を抜いて闇商人どもに斬りかかっていった。
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